編者:小林 康夫[こばやし・やすお](1950-)
編者:船曳 建夫[ふなびき・たけお](1948-)
【目次】
はじめに(1994年2月18日 小林康夫 船曳建夫) [i-iii]
目次 [iv-v]
第I部 学問の行為論――誰のための真理か[小林康夫] 001
はじめに
大学の約束
学問の主体
文科系の学問
問題構成の構造
誰のための真理か
公正さと創造性
註
第II部 認識の技術――アクチュアリティと多様なアプローチ
[現場のダイナミクス]
フィールドワーク――ここから世界を読み始める[中村雄祐] 017
フィールドワークと出来事 017
「地図が読めない?」 018
村から世界へ 022
紙の力――フィールドワークをささえるシステム 023
体験と記録 025
ここから世界を読み始める 027
もう一歩先へ! 028
史料――日本的反逆と正当化の論理[義江彰夫] 029
『将門記』を訓み解く 029
菅原道真の霊魂 031
王朝国家と怨霊信仰 035
八幡神の支え 037
反逆と正当化の論理 039
もう一歩先へ! 042
アンケート――基礎演習を自己検証する[丹野義彦] 044
はじめに 044
質問項目をどのように作るか 046
何を目的として調査するのか 047
1.基礎演習アンケートの目的
2.戦前の旧制高校(基礎演習のルーツその1)
3.アメリカのリベラルアーツ(基礎演習のルーツその2)
4.日本の新制大学(アメリカ型大学教育の移植)
5.日本の大学院(なぜ大学院重点化が必要か)
6.3分野均等必修の空洞化(カリキュラム改革はなぜおこったか)
7.基礎演習のめざす知のモデル
統計的分析をどのようにおこなうか 055
調査結果を現場にどのように役立てるか 058
おわりに 060
もう一歩先へ! 060
[言語の論理]
翻訳――作品の声を聞く[柴田元幸] 062
Lost in Translation 062
それでも言葉は通じてしまう 063
翻訳者の「現場」 065
中間レポート 070
註 076
もう一歩先へ! 077
解釈――漱石テクストの多様な読解可能性[小森陽一] 078
はじめに 078
言語テクストと解釈 080
解釈とテクストの内部 082
解釈とテクストの外部 086
もう一歩先へ! 089
検索――コンコーダンスが開く言葉の冒険旅行[郄田康成] 090
コンコーダンスという道具 090
コンコーダンスを使う 091
チョーサー・コンコーダンス 093
コンコーダンスの限界 097
註 100
もう一歩先へ! 100
構造――ドラゴン・クエストから言語の本質へ[山中桂一] 102
実体論から関係論へ 102
ドラゴン・クエストと知の枠組み 103
魔法使いの物語の構造 105
ソシュールの言語学 107
言語変化と言語状態 108
機能の認識 110
構造主義の時代 112
知の三段階 113
註 114
もう一歩先へ! 114
[イメージと情報]
レトリック――Madonnaの発見,そしてその彼方[松浦] 115
「マドンナ」を発見する 115
「神話」と「レトリック」 118
「倒錯」の諸相 120
「統禦〔とうぎょ〕されうる性」という幻想 125
もう一歩先へ! 134
統計――数字を通して「不況」を読む[松原望] 135
統計という方法 135
数字の罠 137
関係としての統計 138
統計を読む 139
戦後日本経済と自動車 145
もう一歩先へ! 146
モデル――ジャンケンを通して見る意思決定の戦略[高橋伸夫] 147
上司の指示をやり過ごす!? 147
ジャンケンから始める決定理論 148
合理性の限界と組織 151
「やり過ごし」の理由 154
チャレンジ 155
もう一歩先へ! 156
参考文献 157
コンピューティング――選挙のアルゴリズム[山口和紀] 158
コンピューティングの本質とは? 158
コンピューティングの実践――選挙 160
公約のない選挙の話/組合せは爆発する/計算された選挙/実行結果をして語らしめる/奇跡の逆転勝利/The Art of Computing
もう一歩先へ! 171
[複数の視点]
比較――日本人は猿に見えるか[大澤吉博] 172
猿真似の開花 172
間テクスト的アプローチと比較文化的アプローチ 173
ロチの見た鹿鳴館・日本人たち 174
日本人の精神的外傷 176
醜い日本人 177
芥川の「舞踏会」 178
作者の意図と作品の意図 178
アジア人の精神的外傷 179
アジア人のディレンマ 181
正確な視野 181
関係性としての真実 182
註 182
参考文献 182
もう一歩先へ! 183
アクチュアリティ――「難民」報道の落し穴[古田元夫] 184
疑問をもって読む 186
「中国人」と「ベトナム人」 188
「難民」と「不法入国者」 191
もう一歩先へ! 195
関係――「地域」を超えて「世界」へ[山影進] 196
はじめに 196
「中東」の便宜性 196
「フランス」の多様性 198
東南アジアは「地域」としてまとまっているか 199
「地域」認識の胡散臭さ 201
「個」の多元性 202
多元性から関係性へ 204
世界への関わり合い 206
もう一歩先へ! 207
さらにもう一歩先へ! 208
第III部 表現の技術――他者理解から自己表現へ
0. 表現するに足る議論とは何か[船曳建夫] 211
1.論文を書くとはどのようなことか[門脇俊介] 213
1-1.論文とは何か 213
1-2.論文作成のプロセス 214
1-2-1.論文は何かある特定の主題について書かれたものである――問題設定 215
1-2-2.論文を書くにはその材料が必要である――調査・資料収集 216
i) 文献探索
ii) 文献リスト・文献カード
iii) 読書ノート・読書カード
1-2-3.論文で扱われる資料の解釈や自分の意見はよく吟味されていなければならない――議論・検討 218
1-2-4.いよいよ論文を書いてみましょう 219
i) 論文の形式
ii) 論文における合理的な根拠づけとはどのようなことか
iii) 論文の文章
2.論文の作法[門脇俊介] 225
2-1.引用の仕方 225
2-2.註のつけかた 227
2-3.参考文献表の作り方 229
2-4.もう一つ別の引用と参考文献表の示し方 231
3.口頭発表の作法と技法[長谷川寿一] 234
3-1.口頭発表の心得 234
3-2.口頭発表の基本 235
3-3.発表の準備 236
3-3-1.全体の構成のたて方 236
3-3-2.ハンドアウト(レジュメ)の作成 239
3-4.効果的な発表 242
3-5.質疑と応答――ディベートの技術 248
3-5-1.質疑応答の作法 249
3-5-2.議論をかみ合わせるために 250
3-6.発表技法 252
4.テクノロジーの利用[長谷川寿一] 254
4-1.ワードプロセッサ 254
4-2.パーソナル・コンピュータ 255
4-3.ビジュアル機器 256
5.調杳の方法[長谷川寿一] 259
5-1.文献の探し方 259
5-1-1.図書館 259
5-1-2.書店 261
5-2.生きた資料の探し方 262
5-2-1.鑑賞と見学 263
5-2-2.フィールドワーク 263
5-3.社会調査(サーベイ)と実験 265
結び――「うなずきあい」の18年と訣れて[船曳建夫] 269
「何か意見がありますか?」
不同意の技術と度胸
「うなずきあい」の18年
中途半端を生きる
執筆者紹介 [279-283]
【抜き書き】
小林康夫・執筆の「第I部 学問の行為論 誰のための真理か」から。
はじめに
大学はいま,大きく変わりつつあります.いや,大学だけが大きく変わりつつあるのではなく,誰にも感じられるように,世界中で,また,さまざまな分野で,これまで長い間,機能してきた制度的な仕組みや,それを導いてきた理念が行き詰まりを見せはじめています.そして,人々は,旧来のものに替わる決定的に新しいものが何だかはっきりとは分からないまま,日々,試行錯誤しながらそれを模索しています.知の制度の変革も,こうした世界史的な規模での変化の流れの一環である――というより,実は,高度にテクノロジー化された知の在り方そのものが,こうした大きな変動の最大の要因なのかもしれないのですが,その意味で,大学という場の原理について考えることは,とりもなおきず,人間の文化の過去・現在・未来について考えることにもつながってくるのです.
だが,ここでは,そうした現代の知のさまざまな問題を,根源的に解明する余裕はありません.テクノロジーと知のあいだの関係を考えることは,必然的に,いわゆる理科系の諸学問の原理を問い直すことになるわけで,文科系の学問への原理的なイニシエーションを当面の目的とする本書の守備範囲を大きく超えてしまいます.ですから,ここでは,現在の,そして未来の人間の文化の根本に係わるそうした重大な問題が背景にあるということを指摘したうえで,文科系の学問にとっての今日の問題系を簡単に見て行きたいと思います.大学の約束
それぞれの学問にはそれぞれ固有の対象領域があります.法律を扱う学問が法学であり,経済現象を対象とするのが経済学です.もちろん,その領域をさらに細分化し,専門化していくこともできます.きわめて簡単に言ってしまえば,学問とは,一定の対象に関する普遍的な記述を与えることだと言ってもいいでしょう.普遍的な記述が与えられることによって,われわれはその対象を操作し,統御することができるわけで,そうした実践性だけが学問の動機のすべてではありませんが,しかしそれを通じて学問は社会へと開かれているわけです.
ここで大事なキー・ワードは「普遍性」ということです.つまり,学問がある対象の記述を目指すにしても,その記述は,けっして記述する人の主観に左右きれるものではなく,原理的には「誰にとってもそうである」ような仕方で記述きれているのでなければなりません.「わたしはこう思う」というだけでは,まったく不充分なのであって,「わたしにとってそうであるだけでなく,あなたにとっても,誰にとってもそうであるとわたしは思う」のでなければならず,しかもなぜそのように言うことができるのかを,論理的に――ということは,原理的には(※1) 誰にも分かるような仕方で説明し,論証することができるのでなければなりません.
そのことを,専門的な言い方では「反証可能性」(falsifiability) (※2) と言います.すなわち,どのような知の言説も,同じ知の共同体に属する他の研究者が,同じ手続きを踏んでその記述や主張を,再検討し,場合によっては,反論し,反駁し,更新するという可能性に対して開かれていなければならないということです.
このことは,理科系でも文科系でも同じことですが,大学で学ぶべきもつとも重要なことは,まきに自分の思考に反証可能な表現を与えること,そうしてそれを普遍性のほうへと開いていくことなのです.それは,自我の立場に立って考えるのではなく,普遍性の立場に立って考えるということです.しかし,それは,言うは易く,行うは難〔かた〕しです.どこかに端的に普遍的な立場などというものが存在しているわけではないからです.普遍性は,あらかじめ存在するものではなく,それに到達し,それを獲得することをわれわれが目指すべき地平のようなものです.その普遍性の方に向かって自分の認識や表現を開くこと−それが,大学という場に課せられた使命であり,約束なのです.〔……〕
誰のための真理か
このような問題設定の構造ないしはプロセスを通じて,ある対象についての記述やある問題の解明が行われる――これが,一般的には学問の行為ということになります.
だが,ここで重要なことは,このようにして得られた記述が,かならずしも誰にとっても真理であるような普遍的なものであるとは限らないということです.いや,どれほど一般化された記述であっても,――そしてそのための努力を研究者はするわけですが――しかしそれはある一定の知的な共同体にとっての真理であって,けっしてそれが唯一の真理であることを無前提的に主張することはできません.
たとえば,後の第II部に取り上げられている事例のように,「地図」というわれわれにとってはまったく自明な記述形態が,対象となっている地域文化にとっては少しも自明ではないということが起こります.単にある記述が正しいか,正しくないかという判断基準だけではなく,記述と言い,学問と言っても,それはあくまでもある一定の文化の体系から見られたものであって,そのまま絶対的な普遍性を主張できないという問題があるのです.おそらく,究極的には理科系の学問もそうなのだと思いますが,文科系の学問にとっては,真理は,つねにそれをそう見なす主体との相関関係において捉えられなくてはなりません.すなわち,主体に応じて,いくつもの真理があり,いくつもの異なった記述の体系があるのです.
ということは,文科系の学問の記述は,異なる他の記述,他の複数の真理との関係に対しても開かれているべきだということです.つまり,そこには,広い意味での対話の空間が開かれているべきです.Aにとっての真理は,かならずしもBにとっての真理と同じではない.そのときに,Aの真理とBの真理とのあいだにどのような関係が可能でしょうか.あるいは,対話を通じて,両者がもうひとつのCという真理の形態に到達するかもしれない.あるいは,一方が他方に含みこまれるような関係が見いだされるかもしれない.あるいは,両者が,そのまま差異を認めて共存するということも可能かもしれません.そうした関係は,あらかじめ一義的に決まってはいません.「ひと」と「ひと」の出会いのように,その場に応じて,対話のなかからある関係が発見きれるのだとしか言いようがありません.
文科系学問の喜びがあるとしたら,それは,最終的には,このような多様な出会いに満ちた対話の空間,コミュニケーションの空間が開かれることではないでしょうか.そこでは,文化や時代を超えて,さまざまな他者と出会い,さまざまな他者の真理と対話をすることができます.そこでは,真理を認識することは,同時に,他者との対話の実践であるのです.
そして,それこそ,大学で学ぶべき文科系の技法なのです.なにもすべての文科系学生が将来,研究者になるわけではありません.しかし,ここで述べているような対話の原理は,われわれの社会においてもっとも重要な原理です.自分の認識を一般化可能な言語形態を通じて明確に表現し,同時に,それを他者の異なった認識と突き合わせながら,同時に他者を理解し,自己を理解し,そして両者のあいだに創造的な関係を生み出すこと――「国際化社会」と言われ,あらゆるレベルでますます,文化的基盤を異にする他者と出会うことが多い今日の社会において,認識と表現と対話に関する一定の技法を身につけることの重要性は飛躍的に増大しているのです.公正さと創造性
こうして,大学における学問の行為論が,社会における実践的な対話の技法へとつながっていくことを示唆しました.対話の技法とはいえ,しかしそれは,ただ単に情報や意見を交換するということではないことは言うまでもありません.むしろ,そこではコミュニケーションは創造的な役割を期待きれていること,そしてそこに,大学の知のある種の倫理があることを,最後に強調しておきたいと思います.
すなわち,そこでは,対話はあくまでもより一般的な,より普遍的なものへと向かうための対話です.社会を動かしている力の多くは,それぞれの主体に固有な――この言葉のあらゆる意味における――interest(利益=権利=関心=所有権など)ですが,そうしたinterestによって動機付けられた自己を他者の方へと開いていくこと,他者のinterestとの調停へと向かうことが大事だと思います.
そのとき,そうした対話を導く原理のひとつは公正さです.公正さは,自己と他者のあいだの関係における実践的な意味での一般性です.それは,「正義」という理念ほど強力ではありませんが,しかしそれだからこそ,いっそうその場その場における対話を導く原理としては有効です.そして,公正さのセンスというものも,学問の行為を貫くきわめて大事なファクターなのです.先行する諸論文に対して公正であるかどうか,あるいは,扱っている対象に対して公正であるかどうか,自分の勝手な思い込みから相手を誤解していないかどうか……学問をするということは,そうした公正さへの不断の気遣いを実践することでもあるのです.
そして,もうひとつの原理は創造性です.学問は,それがなんらかの仕方で,新しいオリジナリティを携えていることを要求されています.過去にすでに言われていることをそのまま反復するのでは,学問にはならない.なにか創造的な新しさがなければならないのです.つまり,新しい認識新しい関係の在り方が創造されなければなりません.そして,その創造性において,文科系の学問もまた社会を貫く文化の広汎なダイナミズムの一環を担っているのだと言えるでしょう.
公正さに基づいた創造性――それが,おそらく大学という場で学ぶべき文科系の技法の最終的な目的だと思います.
註
1) 「原理的には」という言葉が繰り返し使われていますが,これは,「誰にも分かる」ということが,現実的に,実際に,誰にも分かることではないというあたりまえのことを誤解しないように注意するためです.原理的にはそうであっても,誰もがすぐ理解できるわけではない――能力の差という問題があり,そこから,あの「啓蒙」という理念が出てくるわけですし,そうでなければ教育もまた必要ないことになるでしょうから.2) このような意味でこの言葉を使ったのは,ポパーです.カール・R・ポパー,大内義一・森博訳『科学的発見の論理』(恒星社厚生閣,1971年)を参照して下さい.
3) これも言わずもがなのことですが,知は大学だけにあるのではありません.かつてレヴィ=ストロースという文化人類学者が「野生の思考」と名付けたような知の形態もあり,また,物語的な知の形態もあり,また個人の経験に深く根ざした「職人的」と呼びうるような知の形態もあります.