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『知識の哲学』(戸田山和久 産業図書 2002)

著者:戸田山 和久[とだやま・かずひさ] (1958-) 科学哲学。
シリーズ:哲学教科書
NDC:115 認識論



【目次】
はじめに(二〇〇二年五月 戸田山和久) [i-iv]
目次 [v-ix]


  第1部 知識の哲学が生まれる現場(1)

第1章 なにが知識の哲学の課題だったのか 001
1.1 知識の古典的な定義
1.2 「知っている」のいろいろ
1.3 経験的知識とア・プリオリな知識
1.4 認識論的正当化と真理という目的
1.5 知識の哲学のもうひとつの課題


第2章 知識に基礎づけが必要だと思いたくなるわけ 023
2.1 たいていの認識論的正当化は一種の推論である
2.2 遡行問題と基礎づけ主義
2.3 古典的基礎づけ主義は結局うまくいかない
2.4 基礎づけ主義にも問題がある


第3章 基礎づけ主義から外在主義へ 045
3.1 内在主義と所与の神話
3.2 外在主義的な基礎づけと信頼性主義
3.3 外在主義をとりたくなる動機とゲティア問題
3.4 ゲティア問題への対応


第4章 知っているかどうかということは心の中だけで決まる 067
4.1 内在主義者が外在主義者を批判する
4.2 ラディカルな外在主義
4.3 情報の流れとしての知識
4.4 ドレツキの知識の理論を評価する
4.5 われわれがドレツキから学ぶべきこと


  第2部 知識の哲学が生まれる現場(2)
第5章 「疑い」の水増し装置としての哲学的懐疑論 091
5.1 懐疑論とは何か
5.2 培養槽の中の脳
5.3 間違いからの議論
5.4 ヒューム的懐疑論


第6章 懐疑論への間違った対応 109
6.1 方法的懐疑
6.2 「我思う、ゆえに我あり」の意味
6.3 デカルトの循環
6.4 デカルトの基礎づけプロジェクトの意義


第7章 懐疑論をやっつける正しいやり方 131
7.1 ノージックによる知識の定義を理解する
7.2 ノージックによる定義を使ってみる
7.3 ノージック懐疑論論駁
7.4 ノージックの議論を評価する


  第3部 知識の哲学をつくり直す
第8章 認識論の自然化に至る道 155
8.1 現代版基礎づけ主義としての還元主義
8.2 知識の基礎づけという目標が幻だったなら、心理学が哲学的認識論のライバルとして現れてくる
8.3 翻訳的還元の不可能性が認識論の自然化を避けられないものにする


第9章 認識論を自然化することの意義と問題点 173
9.1 自然化された認識論は何についての主張なのか
9.2 個別科学と認識論と懐疑論の関係
9.3 認識の規範性と自然化
9.4 進化と認識論的規範


第10章 認識論にさよなら? 193
10.1 信念と真理と認識論のキワドイ関係
10.2 分析的認識論は無用である
10.3 認識における内在的価値と道具的価値
10.4 信念の内容と真理意味論
10.5 真理は認識論の目標ではない?
10.6 認知的プラグマティズム


第11章 知識はどこにあるのか? 知識の社会性 217
11.1 認識論の個人主義的バイアス 
11.2 認識論的依存 
11.3 知っているのは誰? 認知的作業の社会的分業
11.4 信念の内容は心の中だけで決まるのか
11.5 そもそも認識論は心の中の話なのか


終章 認識論をつくり直す 239
12.1 新しい認識論は自然化された認識論である 
12.2 新しい認識論の研究手法としてのコンピュータ 
12.3 新しい認識論は社会化された認識論である 
12.4 新しい認識論は「信念」を中心概念にしない
12.5 新しい認識論は「真理」を中心概念としなくなる(かもしれない) 
12.6 認識論の再構築に向けて 


参照文献と読書案内 [253-266]
索引 [268-272]