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『管理される心――感情が商品になるとき』(A. R. Hochschild[著] 石川准,室伏亜希[訳] 世界思想社 2000//1983)

原題:The Managed Heart: Commercialization of Human Feeling, University of California Press, 1983
著者:Arlie R. Hochschild(1940ー)
訳者:石川 准(1956-)
訳者:室伏 亜希(1972-)
NDC:366.94 労働心理学.産業心理学


管理される心 - 世界思想社


【目次】
まえがき vii
謝辞 x


第一部 私的生活 001
第1章 管理される心の探究 003
第2章 手がかりとしての感情 025
第3章 感情を管理する 039
第4章 感情規則 064
第5章 感情による敬意表明 贈り物の交換 087


第二部 公的生活 101
第6章 感情管理 私的な利用から商業的利用へ 103
第7章 両極の間で 職業と感情労働 158
第8章 ジェンダー、地位、感情 186
第9章 本来性の探究 212


付録 227
  A 感情モデルーーダーウィンからゴフマンまで 228
  B 感情の命名法 253
  C 仕事と感情労働 264
  D 地位と個人に関するコントロールシステム 270


注 271
訳者あとがき 296
参考文献 319
索引 323





【抜き書き】


・「訳者あとがき」の冒頭から。

 本訳書は Arlie Russell Hochschild, The Managed Heart: Commercialization of Human Feeling, University of California Press, 1983 の全訳である。
 著者アーリー・ホックシールド(一九四〇年生まれ)はカリフォルニア大学で博士号を取得し、永年に渡り同大学バークレー社会学部教授を務めている。現在は、一九九八年に新設された同大「勤労家族センター(Center for Working Families)」の副所長も兼務している。ホックシールドは「感情社会学」という新しい分野を切り開いた理論家であるとともに、女性の就労をとりまく種々の社会問題への実践的な取り組みを行ってきた実践家でもある。
 ホックシールドには、本書の他にも The Time Bind: When Work Becomes Home and Home Becomes WorkThe Second Shift: Working Parents and the Revolution at Home田中和子訳『セカンド・シフト 第二の勤務――アメリカ 共働き革命のいま』朝日新聞社、一九九〇年)等、好著が多数ある〔……〕。
 本書は、「感情社会学(sociology of emotion)」の事実上の宣言書であり、その後の社会学における感情研究を大きく方向づけてきた作品である。ホックシールドは、一九世紀の工場労働者は「肉体」を酷使されたが、対人サービス労働に従事する今日の労働者は「心」を酷使されている、という印象的な対比から本書を書き始める。現代とは感情が商品化された時代であり、労働者、特にサービス・セクターや対人的職業の労働者は、客に何ほどか「心」を売らなければならず、したがって感情管理はより深いレベル、つまり感情自体の管理、深層演技に踏み込まざるをえない。それは人の自我を蝕み、傷つける。しかも、そうした「感情労働」を担わされるのは主として女性であるという。
 ホックシールドが特に関心を寄せるのは公的な場所、労働の現場における感情管理である。それは、職務が要求する適切な感情状態や感情表現を作り出すために規範的になされる感情管理、つまり「感情労働」である。感情労働は賃金と引き替えに売られ、交換価値を有する。現代社会は、感情の商品化、すなわち感情の売買を組織的に、広範に推し進める社会であるという意味では過去に類をみない社会である。だが、感情の商品化は資本主義社会の進展とともに徐々に高度化してきた歴史的過程である。にもかかわらず、感情労働という視点の本格的な理論化は、ホックシールドを待たなければならなかった。感情の活用とその隠蔽あるいは忘却の背景には、感情労働の起源が家庭にあり、女性の本来性とみなされ、女性を「感情の容器」と決めつける神話が近代以降に構築され、それが感情労働という認識を妨げる先入観として機能してきたという事情がある。
 社会が、感情労働を主に女性というジェンダーに担わせているのは、女性に「感情的な生き物」となるべく「感情教育」を執拗に与えてきた長い歴史があり、その結果男性より高い感情管理能力を有するようになった(と信じられた)からだが、もちろんそればかりでなく、感情労働は、「感情教育」の実習の現場であり、同時に女性には労働より感情がふさわしいとする社会の家父長的ジェンダー規範の正当性の証明という「感情政治」の実行の現場でもあると考えられる。人が日常的な文脈で行う感情管理は、自らが準拠する感情規則への自発的な同調である。たとえ人、いや女性や男性を、感じる主体へと規律化する権力が働いているとしても、ひとまずは自分のための感情管理である。だが、感情労働は職業的に要請されるタスクである。公的な場における他者との相互作用を、私的な交わりとして体験し表現するという労働である。
 ホックシールドに代表される感情研究の特徴を端的に述べるなら、それは、感情経験を構築する社会的実践の研究、すなわち「構築主義」感情社会学であるということができる。この立場からすると、感情とは社会的文化的に構築されるものであり、したがって制度の外側にある自然なもの、本来的なものなどではなく、制度そのものだということになる。逸脱的とされた感情は社会的・主体的統制を受けて同調的とみなされるものへと改められる。適切な感情が創出され不適切な感情は消去される。このような社会的主体的統制が「感情管理」である。


 なお、本書は、今日風にいえば感情の脱構築というラディカリティを含む作品であるにもかかわらず、語り口の平明さと、記述の深さを兼ね備えた作品であり、その意味でも貴重である。
 とはいえ、私たちにとって訳出作業はそう平坦な道のりではなかった〔……〕。