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『エクスタシーの系譜』(高橋康也 あぽろん社 1966)

著者:高橋 康也[たかはし・やすなり](1932-2002) イギリス文学(サミュエル・ベケットルイス・キャロルシェイクスピア研究)。
装幀:和泉 融[いずみ・とおる]


筑摩書房より1986年に再刊された
筑摩書房 筑摩叢書299 エクスタシーの系譜 /


【目次】
献辞 [ii]
タイトル [iii]
目次 [v-vi]


アウトサイダー・ダン 003
1  003
2  006
3  011
4  017
5  028
6  031
7  037
8  042
9  047


三つの庭――主題と変奏 049
1  049
2  054
3  066


補遺 もう一つの庭 074


ルーシーとは誰か――ワーズワス的想像力の構造 083
1  084
2  086
3  096


夜と昼の結婚――コウルリッジのために 105
1  105
2  110
3  114
4  117
5  121
6  123
7  125


愛と死――ロマン主義的曖昧さについての覚え書き 129
1  130
2  132
3  137
4  144
5  147
6  152
7  155


アーノルドにおける詩と真実 158
1  
2  
3  181
4  192


錯乱の瞬間――エリオットとエロス 203
1  203
2  209
3  212
4  222
5  228
6  232


補遺 『スウィーニー・アゴスティーズ』について 239


レトリックと詩 244
1 虚構と真実 246
2 レトリックとヴィジョン(1) 252
3 レトリックとヴィジョン(2) 258
4 自己表現とミメーシス 264
5 言葉とコンテクスト 268


言葉と沈黙――ベケットの世界 276
1 無理数について 276
2 脱線 281
3 明晰な精神について 283
4 否定について 290
5 語るということ 299



あとがき(一九六六年八月 高橋康也) [311-316]
引用出典 [i-xii]






【抜書】

  あとがき

  この十年ほどの間に書いたものからいくつかをまとめて本にしないかという話を聞いたとき、ぼくは戸惑った。この十年とはつまりぼくがイギリスの文学を多少とも本気で読みはじめてから最初の十年である。非才のぼくにろくな収穫があろうはずもない。にもかかわらず結局この話を受けることに決心したのは、少し体裁をつけていえば、これからの自分の勉強のためにも、今までの恥を一度さらけ出してみることが必要なのではないかと思うようになったからである。
  それにしても、一つの主題または展望を心に抱いて書きためたものではなく、稚拙な暗中模索の試みの一つ一つであった文章をいくつか寄せ集めるとなると、まず本の名前にしてからつけようがない。「エクスタシーの系譜」などと称しても、神秘主義や異端の体系的研究でないのはいうまでもない。たしかに、神秘主義めいたものへの興味で、アンダーヒル、イング、オットー、ゼイナーからエリァーデの浩潮なシャーマニズム研究(Mircea Eliade, Shamanism ―― Archaic Techniques of Ecstasy, English translation, 1964)まで、またジョルジュ・バタイユから渋沢龍彦まで、読みあさるのが嫌いではないぼくだけれど、だらしのない好事家以上の資格を要求するつもりは毛頭ない。
  ぼくの本当の興味が動かされるのは、神秘主義が文学作品の中に肉づけされたとき、イエイツのいい方を借りれば、ヴィジョンが「詩のためのメタファー」として下界へ、そして言葉の世界へ、降りてきたときだけである。たとえば、ダンの『エクスタシー』やマーヴェルの『庭』第七連における「脱魂状態」とベケットの『マーフィ』におけるそれとの相似および相違は、限りない思考の波をぼくの心にかきたてずにはおかないだろう。(この意味でも、くりかえしイエイッに言及し呼びかけながら、彼に一章を献じていないことは本書の重大な欠落である。ブラヴァッキー夫人に魅せられ、神秘家A・E・ことジョージ・ラッセルを友とし、「接神論協会」ダブリン支部に入会し、「ダブリン・ヘルメス哲学協会」を設立し、薔薇十字団的・カバラ的な結社「黄金曙光団」に入団し、『ヴィジョン』を書いた神秘家イエイツ、そしてまたもっとも人間的な、ときにもっとも性的な詩を、きわめて独特なレトリカルな文体で書いた詩人イエイツこそは、ぼくの興味にこの上なくかなった対象のはずである。)――だが、かといって、この書名はイギリス文学に現われた神秘主義の研究というような大それた意図を示すものでもない。それなら、もっともっと厳密で周到な方法が必要であったろう。
  しかし一方、この十年の間、そのときどきの新たな試みとして書き散らした文章を読み返してみるとき、それらが全くてんでんばらばらとも思えないのも、ぼく自身にとっては事実である。読者も、いくつかの同じ問題が重複や矛盾を犯しつつ一再ならず出没するのに、お気づきになるかもしれない。一人の人間が書いたのだから、むしろそうでなくてはおかしいのかもしれない。だがさて共通する主題、一貫する問題意識とアブローチは何か、と問われると、一言では答えにくいのである。
  たとえば、ほとんどの論文が愛の諸相、とくに愛=性=死の三角形にかかわっているといえよう。これは少し角度をずらして、近代文学における孤独とその超克という問題がいつもぼくにつきまとっていたといいかえてもよいかもしれない。また、ぼくが終始追求していたのは、近代詩とは何か、もっと丁寧にいえば形而上派・ロマン派・象徴派・二十世紀のそれぞれの詩の共通性と異質性はどこにあるか、という大問題だったようにも思われる。(もっとも結果的には、それらの間の相違を弁別することにかまけて、より根本的な相似と同質性の面、つまり古典主義的様式の反対概念または相補概念としてヨーロッパの精神的芸術的変動期に産み出された様式という共通性――それこそぼくをこれらの時代に惹きつけた要因であったはずなのに――を語りそこねてしまったけれど。)ということはまた、近代における言葉の問題 その豊饒と貧困、その精練と複雑化と衰弱の諸相、その可能性と危機――と等しいはずである。
  さらにいえば、さまざまな次元に見えがくれしながらぼくを誘いつづけてきた鬼火、あるいはまるで復讐の女神にとり憑かれたかのようにぼくが追跡していた宿敵の正体は、一人の詩人、すなわちT・S・エリオットにほかならなかったという気もする。いや、顧みて次のようにつじつまを合わせることさえできなくはないだろう――愛や孤独の問題の終着駅として、またホメーロスや聖書から現代文学にいたるヨーロッパの言語的伝統の reductio ad absurdum として、ぼくがそれと知らずして(というのは本書最終章は執筆順からも最後であり、それ以前にはぼくはせいぜい『ゴドーを待ちながら』くらいしか知らなかったのがだから)収斂していたいわば数学的な、そして危険な点こそは、サミュエル・ベケットだったのだ、と。……(そしてここでも、イエイツに対して大きな負債が残されている。 なぜなら、愛、孤独、言葉のどの点においても、つまり人間的にも芸術的にも、今のぼくを最も強くひきつけ最も深く満足させてくれる作家は誰かといえば、それはその抗しがたい魅力にもかかわらずエリオットでもベケットでもない、イエイツなのだから。)
  しかし、これらのどの主題についても不十分な追求しかしていないのであってみれば、それらがいかに密接にからみあっているかを、著者がこれ以上喋々と解説するのは、ぶざまな弁明としか聞えまい。主題と方法の一貫性の有無は、読者の発見と指摘をこそ待つべきものであろう。ともあれ、諸主題を一言であらわす標題を探しあぐねて、ついに御覧のような臆面もない書名に陥ってしまった次第である。その当否のほどは読者の御判定にまかせるほかはないが、ただぼく自身の個人的感想としては、論文集をこう名づけてみて、改めて、今まで自分がたとえばドライデンやポウプに対してなぜ興味をもてなかったのか、あるいはベケットのアンチ・テーゼともいうべきC・P・スノウなどになぜ不感症だったのか、その理由が感得されたような気がしている。今後どうなるかは、自分にもわからない。


・初出。

  再録にあたって、どの論文も程度の差はあれ削ったり加えたりして、中には原型からかなり遠ざかった文章もあるけれど、参考までに各論文の初出のとき・ところ・タイトルを掲げておく。


1 「アウトサイダー・ダン」――“John Donne the Outsider”(『エッセイズ』第七号一九五七年十二月)
2 「三つの庭」――「ダンとマーヴェル」(『英語青年』一九五八年十一月号)
3 「ルーシーとは誰か」――同題(『中島文雄教授還暦記念論文集』一九六五年八月)
4 「夜と昼の結婚」――同題(『季刊英文学』一九六四年夏季号)
5 「愛と死」――「エクスタシーの系譜」(『オベロン』第八巻第二号一九六四年十一月)
6 「アーノルドにおける詩と真実」――「アーノルドとシェイクスピア」(『エッセイズ』第四号一九五七年三月)
7 「錯乱の瞬間」――同題( 『英文科手帖』第一号一九六〇年六月)および「行為と不能――エリオット対エロス」(『エッセイズ』第二十号一九六六年六月)
8 「レトリックと詩」――同題(『中央大学文学部紀要』第二十二号一九六一年三月)
9  「言葉と沈黙」――「ベケットの世界」(『季刊世界文学』第一号一九六五年十月)


  ひとつひとつの論文の背後に多くの顔が浮かんでくるのが見える。東京大学における諸先生、とくに堀大司教授と平井正穂教授、学外における加納秀夫教授をはじめ、先輩や友人たち、なかでもこの十年間ぼくを鍛えてくれた最大の力である『エッセイズ』の同人たちに、いま心から感謝しないではいられない。これらの人々のきびしい批判がすでに耳にきこえるようである。巧みにぼくの羞恥心を鈍らせて、出版へとぼくを誘惑し激励して下さった京都大学御輿員三教授に、いささかのお恨みをこめつつ、厚くお礼申しあげる。日頃の学恩に加えて本書のため格別の御配慮を賜わった畏敬する学兄小池銈次氏に、深い感謝の言葉を献げる。ぼくの怠慢や違約を寛容に認めて下さったあぽろん社の伊藤武夫社長、繁雑な仕事を適切細心に処理して下さった同社の竹田功氏に対しては、改めてお詫びとお礼をくり返させて頂きたいと思う。武庫川女子大学の土屋繁子氏の御親切と御激励にも厚くお礼申し上げる。

  一九六六年八月  高橋康也