contents memorandum はてな

目次とメモを置いとく場

『ウンコに学べ! 』(有田正光,石村多門 ちくま新書 2001)

著者:有田 正光[ありた・まさみつ](1950-) 工学博士。水理学(環境水理学)。
著者:石村 多門[いしむら・たもん](1957-) 倫理学、哲学。
NDC:519.04 公害.環境工学
NDC:518.24 下水・汚泥の処理


筑摩書房 ウンコに学べ! / 有田 正光 著, 石村 多門 著


【目次】
目次 


第1章 あなたのウンコはどこへ行くのか 
1 海に捨てられるウンコ 
  日本のウンコ処理/海に投棄されるウンコ/海洋投棄されるウンコの賛否戦争
2 カウボーイも英国紳士も海まで運ばず川に捨てた 
  水洗便所と「ぼてふり便所」――家に便所を作らなかったヨーロッパ/下水の発想――細菌説と伝染質説/森鷗外と下水道/フランスのウンコの『レ・ミゼラブル』/進駐軍寄生虫/世界に名を馳す日本男児の大グソ
3 下水処理の手品の真相 
  「男やもめにウジは湧く」のか/最終処理はバクテリア――活性汚泥法富栄養化と高次処理/ウンコが悪いわけじゃない


第2章 水田――土と水とウンコのバラード
1 ペリーが驚いた世界一清潔な国
  史上最強の浄水場――水田/浄水処理の原理/田植え仕事のデリカシー/一〇〇〇年の水田――「持続可能な開発」/料理の鉄人――田んぼの味付け/ダーウィンとミミズのウンコ
2 生きるとはウンコを食べることである 
  すぐに食べるか、めぐりめぐって食べるのか/子どもの変態、大人の変態――肛門固着と小児性欲/腐食栄養説と糞食/『古事記』のウンコ――切羽詰まった神頼み/いのちをひり出す/牛若丸とウンコの呪力


第3章 ウンコの黄金時代と糞まみれの経済 
1 日本のウンコの大河ドラマ 
  連合赤軍のウンコ/野ぐその日本史/汚穢屋で持つ江戸の町/ウンコの近代――肥え鉄道とバキュームカー
2 ウンコ処理と財政問題 
  曲がり角の下水道建設/ウンコ処理を巡る責任分担


第4章 ウンコをしない自立とする連帯 
1 エコノミーからエコロジーへ 
  お尻の外の「外部不経済」/ウンコを「水に流そう」とする日本人
2 陰翳礼賛 
  文豪谷崎のウンコの美学/ウンコと輪廻転生
3 ウンコをひらない身体 
  平成レディーはウンコをしないか/キムタクとウンコの哲学
4 学校でウンコができない子どもたち 
  人間の自立とはウンコを辛抱することではない/自己と他者をつなげる「お通じ」


第5章 ウンコに学ぶ環境倫理 
1 みんなのおかげでウンコができる 
  文化が育むウンコの仕方/排泄の人類学/大和撫子の立ち小便と連れウンコ/拭き方が教える「海上の道」/豚もアヒルもペンギンも食べる/アルマーニを着た田吾作たち/もったいないからなめちゃった
2 ウンコとは死ぬことと見つけたり 
  「それでもウンコは臭い」のか/オヤジ臭さと教養の香り
3 ウンコに親しむ環境教育 
  どきどきする「環境」/「鼻につく個性」を優しく包む風土のにおい/革命から暮らしへ




【抜き書き】

人々がウンコを嫌う原因は、自分がウンコではないと思いたいからなのである。つまり、自分はウンコなんかではないという近代人の「自惚れ」が、ウンコを嫌わせているのである。「デカルトが Cogito ergo sum と言ったように、私は、純粋な精神である。ことわざでは、『心は腹の内に宿る』とも言うが、それは迷信的な考えで、心は脳の中にある。そしてまた、今の今まで私の腹の中にあったものが、こんなゴロッとした色つきの臭いを発するものであっていいはずがない」と思いたがっているのである。このように、自分はもっと「透明な存在」であると思い込みたい人々にとって、「私」とウンコの対立は、精神といのちの対立を意味する。それゆえ、自分は精神である以上、いのちではない、ウンコではないのだ、と言い張ろうとするのである。ウンコを嫌えば嫌うほど、自分が精神であることの純粋性が証明できる、と考えてしまうのである。
  しかし、一方では、ウンコを嫌って身体の中にウンコを溜め込まないように努力しながら、他方では、学校でウンコをするのも我慢して身体の中にウンコを溜め込み続けるという矛盾は、いったい、どう理解すればいいのだろうか。そこには、近代の倫理の根深い矛盾が露呈されている。「溜め込みたい」「溜め込みたくない」という、このアンビヴァレンツ(Ambivalenz)こそ、頭でっかちになった近代人が抱える本質的な矛盾に他ならない。

 (P.123-P.124)