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『クリフォード・ギアツの経済学――アジア研究と経済理論の間で』(原洋之介 リブロポート 1985)

著者:原 洋之介[はら・ようのすけ] (1944-2021) 開発経済学、農業経済学、アジア経済論。
装幀:加藤 光太郎[かとう・こうたろう]
シリーズ:社会科学の冒険;4
件名:Clifford Geertz 1926-2006
件名:アジア-経済
NDLC:DA13 経済・産業 >> 経済学・経済思想 >> アメリカ合衆国
NDC:331 経済 >> 経済学.経済思想
NDC:332.2 経済 >> 経済史・事情.経済体制 >> アジア
備考:1999年にNTT出版から改題改訂版『エリア・エコノミックス――アジア経済のトポロジー[ネットワークの社会科学シリーズ]』が刊行。



【目次】
もくじ [001-004]


序 アジア研究と経済理論の間で 010
1 南アジア諸国における経済秩序の変容 010
  高度経済成長の実現
  経済発展論の新たなる構図の必要性
2 セオドア・シュルツとクリフオード・ギアツ 024
  シュルツの文化学
  ギアツの経済学
  シュルツとギアツの間で


I ギアツの経済学の構図 
1 ギアツの方法 046
  経済のパフォーマンスよりは構造を
  ギアツのモデル・ビルディング
2 ギアツの構図 060
  アバンガン・サントリ・プリヤイ
  デサ・バザール・企業型経済
  ギアツの経済学を解読する視点


II バザール 
1 バザール経済論 090
  社会のすき間から入りこんだバザール
  バザール経済内取引
  ギアツ以降のバザール経済論
2 価格形成理論におけるバザール経済の位置 106
  取引所とフル・コスト原理
  取引所とバザール経済
  バザール経済論の含意


III デサ 
1 インボリューション論争 130
  ギアツの農業のインボリューション論
  ギアツ批判
  スラマタン・ルクン・貧困の共有
2 モラル・エコノミー論争 147
  スコットの「モラル・エコノミー論」
  ポプキンの「ポリティカル・エコノミー論」
  論争の含意
  デサ経済論再考


IV 企業型経済 
1 企業型経済論 183
  バザール経済内での企業型経済の形成
  「モジョクト」とバリ
2 工業化と労働市場の構造変化 197
  二者関係と労働市場
  内部組織の形成と労働市場の構造変化
  企業型内部組織と二者関係原理との習合


V 経済ナショナリズム 
1 ギアツ政治学 218
2 経済ナショナリズム論 225
  タイの経済ナショナリズム
  開発経済学への疑問

序章〜IV章に関する引用文献 247


VI ギアツの経済学の周辺で 
『経済発展理論』〔鳥居泰彦著〕 (一九七九・二記) 256
『文明としてのイエ社会』〔村上泰亮公文俊平佐藤誠三郎著〕 (一九八〇・五記) 265
Takasi Tomosugi, A structual Analysis of Thai Economic History: Case Study of a Northern Chao Phraya Delta Village (一九八一・五記) 273
Yujiro Hayami and Masao Kikuchi, Asian Village Economy at the Crossroad : An Economic Approach to Institutional Change (一九八五・二記) 287
『経済発展理論――実証研究』〔P・A・ヨトポロス/J・B・ヌジェント箸/鳥居泰彦訳〕 (一九八五・二記) 293


あとがき(一九八五年九月一日 原洋之介) [303-307]




【メモランダム】
 分類について。
・分野をまたがる本なので、このブログでは「経済」「人類学」の二つで対応している。


大阪府立図書館では、地域区分を含めて「NDC 332.2」。
NDC:332.2 経済 >> 経済史・事情.経済体制 >> アジア


国会図書館の二通りの分類(NDCとNDLC[National Diet Library Classification])では、この通り。
NDC:331 経済 >> 経済学.経済思想
NDLC:DA13 経済・産業 >> 経済学・経済思想 >> アメリカ合衆国


・後者の「DA13」に分類されている点が気にかかる。
 本書から図書分類に使える要素を抽出すると、アジア経済、人類学、(アメリカ出身のインドネシア文化を研究する人類学者による)独自の経済分析、の三つの要素になると思う。なおV章にある「ギアツ政治学」は、経済ナショナリズムのテーマ内で補足として置かれているので、上記三つの要素に比べると弱いと思う。
 たしかに目次にも本文にも「ギアツの経済学」というワードはあるが、それはアメリカ経済やアメリカで主流の経済学派という意味ではない。
 参考に、1980年から1990年に刊行された本のうち、「DA13」に分類された図書(日本語と英語で書かれた図書)を検索すると次の通りになる。やはり本書だけが少し浮いているように思える。
詳細検索結果|「1980 1990 DA13」に一致する資料: 19件中1から15件目|国立国会図書館サーチ




【抜き書き】
・著者の構想が開示されている。壮大な構想だ。

   あとがき 

  筆者は本書で、クリフォード・ギアツのいくつかの作品の解読という形で、経済内と経済外、あるいは市場経済内とその外、との関係について考えようとしてきた。
  新古典派マルクス派いずれを問わず正統的な経済学は、市場経済には固有の自己調整機能がそなわっているという命題のうえに成り立っている。〔……〕市場経済の外側にある制度・慣習は、市場経済の自己調整機能を阻害するものとしてネガティブにしか位置付けられてこなかった。新古典派の経済学者がその経済政策論において、市場メカニズムの作用を阻害する(と彼等が考える)諸要因の排除を主張してきているのは、この典型であろう。そしてこの正統的な思考のなかでは、地域研究者が見い出すアジア各社会に固有な制度・慣習は、市場経済化に対する阻害要因として、あるいは市場経済化を「ゆがめる」ものとしてしか、認識されていない。経済史学・経済発展論においても、市場経済が、資源配分のために必要とされる情報が価格だけであるという意味で最も効率的な経済制度であるので、いずれの社会においても市場経済化が不可避であるという見解が、最も正統的である。この点では、資本主義化のなかでの価値法則の貫徹を主張するマルクス派も全く同じである。
  ところで、経済学のなかにみられる最近の新しい潮流は、不均衡動学であれあるいは情報の経済学であれ、そのいずれもが、市場経済にはそれ固有の自己調整力が完備されているという命題は決して自明のものではない、と主張している。〔……〕経済理論の側におけるこの動きによって、アジア各社会に固有の制度・慣習を経済に関連づけてポジティブに位置づける可能性がひらかれてきているのである。
  少々オプティミスティックにすぎることは充分に承知しているつもりであるが、筆者は今、経済学の側でのこういう潮流の登場によってはじめて、アジア研究と経済理論との間の「生産的な」対話が可能になりつつあるのではないかと考えている。本書はこの可能性を意識して執筆したものである。

  経済外的要因の機能に関する、「否定」から「肯定」へのこのような転換は、しかしながら、悪しき「歴史主義」のなかで理解されてはならない。講座派マルクス主義の論客平野義太郎は、経済外的要因を、日本の資本主義化・民主化を「ゆがめ」ているのでその変革が必要とされる「封建遺制」としてとらえていた。ところが、『大アジア主義の歴史的基礎』のなかでは、ヨーロッパの支配からアジアを解放させる根拠として肯定的に位置づけられてしまっている。平野におけるこのような逆転が、歴史を単線的につかもうとする悪しき「歴史主義」の線上でおこっていることは、ほぼ間違いないであろう。〔……〕

  それでは、制度とか組織までふくめた意味で〈経済内〉とは、どう定義されるであろうか。
  筆者はそれを、経済理論が想定している「個人の合理性」の公準と矛盾しない(形で説明づけが可能であるような)行動様式や経済制度であると、とらえたいのである。「個人の合理性」というこの公準は通常市場経済を根拠づける行動原理とされているものであるので、この経済内を市場経済内と表現し直すことも可能であろう。したがって、〈経済外〉ないし〈市場経済外〉とは、「個人の合理性」という公準だけからはその存在を「形式的」に説明しきれないような行動様式・制度である、ということになる。〔……〕
  「個人の合理性」の公準から行動様式・制度を説明してみるという方法童筆者は学生時代にセオドア・シュルツの農業経済論を読むことから経済学の勉強をはじめた段階で学んだ。この意味で本書は、シュルツを読むことで学んだ論点をめぐるそれ以降の読書ノートである、といってもよい。筆者のこの読書の一端を示すものとして、今迄に公表した書評のいくつかを「ギアツの経済学の周辺で」と題して発表順に収録しておいた。

  本書で書きしるしたような問題をはっきりと筆者が考えはじめるようになった契機は、間違いなく、東洋文化研究所に勤務することで得た知的刺激そのものである。〔……〕。
  本書執筆のより直接的な契機は、今から二年程前に本書の書名と同じタイトルで、リブロ研究会で発表をおこなったことである。リブロ研究会というすばらしい研究会の紹介は、本シリーズ「社会科学の冒険」のなかで近々『東南アジアからの知的冒険』と題する論文集が刊行されるので、そちらにゆずる〔……〕。本書の草稿の一部にも目を通してくれたのは、斎藤修氏(経済史)である。また関本照夫氏(人類学)も、草稿の一部に目を通していくつかの誤りを正してくれた。両氏をふくむリブロ研究会の仲間には、ここで心からの謝意を表しておきたい。

  ギアツが東南アジア研究のなかに投げかけた問題のひとつに、「文化の生態学」という大きな論点がある。それは本シリーズで既に刊行されているリチャード・ウィルキンソンの『経済発展の生態学』とも交叉する問題である。残念ながら本書では、この問題にふれることは出来なかった。この点については、『東南アジアからの知的冒険』の拙論で素描するので、それを参照していただきたい。