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『マイクロファイナンス――貧困と闘う「驚異の金融」』(菅正広 中公新書 2009)

著者:菅 正広[かん・まさひろ] (1956-) 官庁エコノミスト。大蔵省、国税庁OECDなど。
図版製作:和田 悠里(Studio-Pot)
NDC:338.67 起業銀行.復興金融銀行


2009年の中公新書|web中公新書
……中央公論新社ウェブサイト内で、本書の情報が載っているものは、このページだけ。


【目次】
はじめに [i-vii]
目次 [ix-xiv]


序章 日本でマイクロファイナンスが普及しない理由 003
  日本に貧困はあるのだろうか?
  途上国のものか?
  社会保障制度や金融制度が発達しているから……
  自業自得?


第1章 深刻化する貧困 011
1 貧困とは何か 012
  分立する定義
  相対的貧困
  生存権以下の貧困
  急増する生活保護受給者
  飽食の国で発生する餓死
  ワーキングプア 失業・ホームレス・多重債務
  例外的とは言えない貧困の現状
2 どんな貧困を救済すべきなのか 026
  貧困対策が必要な理由
  救済すべき貧困
  身近に迫る貧困


第2章 マイクロファイナンスとは何か 033
1 ノーベル賞受賞者の知恵 034
  発想の転換
  グラミン銀行の仕組み
2 マイクロファイナンスの理念 044
  私的利益と社会的利益の両立
  民が担う公共
3 「レモン問題」の解き 方048
  融資への道
  隠された情報と行動への挑戦 
4 効果と課題 052
  経済的効果と社会的効果
  課題の克服


第3章 先進国のマイクロファイナンス 059
1 導入の背景――市場による歪みと財政制約 060
2 欧米先進国のマイクロファイナンス機関 062
  アメリ
  イギリス
  フランス
  オランダ
  ドイツ
3 さまざまなビジネスモデル 068


第4章 日本版ビジネスモデル 073
1 融資原資の集め方 074
  安定した資金調達
  消費者信用生活協同組合方式
  ふるさと金融
  インターネット融資
  NPOバンク
  市民投資信託
  公益信託方式
2 借りたお金の返し方 088
  信頼関係の構築
  借りたお金は返せるか?
  マイクロビジネスの起業
  雇用の場の創出
3 日本版ビジネスモデルの仕組み方 095


第5章 公の限界と民の限界 107
1 貧困対策は国や市役所に任せておけばよいのか? 108
  公が貧困削減のために政策を総動するのが基本
  生活保護の財政
  生活保護制度・運用の改善の方向性
  公の限界
2 貧困は市場に任せて解決できるのか? 118
  消費者金融  民の限界
3 「第三の道」 128
  社会全体での取組み
  民間版セーフティネット


第6章 共感のある社会 135
1 「社会の問題」としての貧困 136
  自業自得なのか
  他者への共感のある社会
2 市場経済に対する視点 140
  幸福のパラドックス
  世界金融危機が問いかけるもの
  人間は多次元的な存在


第7章 私たちにできること 155
1 市民の役割 156
  社会起業の立上げ
  「意思あるお金」による資金支援
  消費者・投資家・勤労者の影響カ
2 企業の役割 160
  「企業は社会のもの」
  企業が社会を変える
3 金融機関の役割 164
  ソーシャル・ファイナンス
  経営戦略としての視点
  新しいタイプの銀行マン 
4 政府の役割 169
  生活保護との連携
  ヤミ金地獄からの脱却
  公的金融の可能性
  地方自治体の役割
  政府は二酸化マンガン
  日本版CRA法


終章 マイクロファイナンスの先にあるもの 181
1 ソーシャル ・ビジネスの手法 182
2 ソーシャル・ビジネス・スクールの青写真 186
3 ソーシャル・インデックスの開発 190
4 七つのメッセージ 192


おわりに [197-199]
参考文献 [201-203]
索引 [204-205]


コラム1 五〇万円を借りて毎月一万五〇〇〇円の返済なら…… 104
コラム2  「自己の重要感」の満足 144
コラム3 エピルス王の寵臣の諫言 153
コラム4 MINT + Boys, be ambitious! 195




【関連記事】
『世界は貧困を食いものにしている』(Hugh Sinclair[著] 大田直子[訳] 朝日新聞出版 2013//2012)
https://contents-memo.hatenablog.com/entry/20130425/1366815600
……批判の書。補足としても読み比べていただきたい。


『善意で貧困はなくせるのか?――貧乏人の行動経済学』(Dean Karlan, Jacob Appel[著] 清川幸美[訳] みすず書房 2013//2011)
https://contents-memo.hatenablog.com/entry/20130617/1539585939
……原書は2011年。「第4章 お金を借りる」で30ページほど。


『最底辺のポートフォリオ―― 1日2ドルで暮らすということ』(Jonathan Morduchほか[著] 大川修二[訳] みすず書房 2011//2009)
……マイクロファイナンスの検討。


『貧困と闘う知――教育、医療、金融、ガバナンス』(Esther Duflo[著] 峯陽一, Koza Aline[訳] みすず書房 2017//2010)
https://contents-memo.hatenablog.com/entry/20181117/1541167922
……原書(フランス語版)は2010年。「第3章 マイクロファイナンスを問い直す」の分量が40頁ほど。


『金融NPO ――新しいお金の流れをつくる』(藤井良広 岩波新書 2007)
https://contents-memo.hatenablog.com/entry/20190609/1560006000
…… MFより広く「非営利・民間の金融」について取材した本。ただし、比較的新しいものに焦点を当てているので、従来からある「無尽」や「頼母子講」は扱っていない。


『それでも金融はすばらしい――人類最強の発明で世界の難問を解く。』(Robert J. Shiller[著] 山形浩生,森岡桜[訳] 東洋経済新報社 2013//2012)
https://contents-memo.hatenablog.com/entry/20131009/1466388324
……金融の存在意義を語る厚い本。


『金融の世界史――貨幣・信用・証券の系譜』(国際銀行史研究会[編] 悠書館 2012)
https://contents-memo.hatenablog.com/entry/20130509/1368025200
……基本的に金融史だが、最後の章では現代の課題もとりあげられている。ダッカ大学のMD. Main Uddinによる「補論 開発経済とグラミンバンク」。





【抜き書き】

□pp. 5-6 「はじめに」から。日本の論壇でよく見かける、貧困の存在を無視ないし軽視する意見。

 戦中、戦後、貧困を経験した日本では、一九五〇年代以降の高度経済成長の中にあって、実際には存在していた貧困が大きく問題とされたり、喧伝されたりすることはあまりなかった。そして国民の多くに「一億総中流」の意識が広まっていった。最近でも、日本に貧困などないという認識は根強く存在する。たとえば、「貧困とは、その日の食べるものがない状態を言う。したがって、日本には世界的なレベルで言うと一人も貧困な人はいない」(曽野綾子『貧困の光景』新潮社、2007年、17頁、及び『日本経済新聞』インタビュー、2009年3月11日付夕刊)とか、「(竹中平蔵総務大臣が「大問題としての貧困はこの国にはない」と言ったが、)日本には餓死に至るような貧困はない、という意味で発言したのであればそれは正しい」(橘木俊詔浦川邦夫『日本の貧困研究』 東京大学出版会、2006年、337頁)などと認識されている。
 そもそも貧困とは何なのか。日本では公式な貧困ラインすら存在しない。「相対的貧困」や「絶対的貧困」などの定義が分立し、議論する人によって「貧困」という言葉で意味するものが異なる場合が多い。また、アマルティア・センが指摘するように、何が貧困かということと、どんな貧困を政策によって救済すべきかということには大きな違いがある。
 貧困の定義がはっきりせず、救済すべき貧困の範囲も明確でなければ、議論は噛み合わず、救済策も煮詰まらないということになる。貧困の有無や救済すべき貧困の範囲について合意かなければ、貧困に苦しむ人々を対象にするマイクロファイナンスを活用しようという発想にはなかなか結び付かない。果たして日本には貧困はないのだろうか。あるとするならば、救済すべき貧困の範囲はどのように考えたらよいのだろうか。


□「第1章 深刻化する貧困」は、本題に入る前の準備段階。学生なら参考になりそう。
 第一節は測定問題を扱う。

1 貧困とは何か

◆分立する定義
 貧困という言葉は、一般には「所得や資産など生活の糧が不足し、生きていくのに必要な最低限の衣食住が入手できない状態」を意味するものとして使われる。しかし、貧困とは何かについては、一九世紀末イギリスのラウントリーらによる貧困研究以来、さまざまに定義され、長い間論争が繰り返されている。〔……〕これは、貧困の定義が、社会のあり方をどう考えるかという価値判断によって左右され、またその価値判断も国・地域や時代とともに変化するからであろう。日本では、何をもって貧困と言うのか、公式な貧困ラインさえ定められていないのか現状である。貧困は〔……〕より広く初等教育、公衆衛生、医療など生活環境を含めたベーシック・ヒューマン・ニーズ (BHN)や基本的人権が保障されているかどうかなとによっても捉えられるべき問題であるが、本書では所得や生活費などで測定可能な貧困を一次近似として議論を進めることとする。
 所得や生活費によって測定できる貧困は、通常、「相対的貧困」と「絶対的貧困」という二つの定義によって捉えられる。「相対的貧困」とは、平均的な生活水準と比べた時に、一定の割合の所得以下しかない状態を言う。平均的な所得の半分以下の所得しかない者を貧困と見る貧困率の概念などはその例である。他方、「絶対的貧困」とは、生存するのに最低限必要なものを得られない状態を言う。したがって、これは時間が経過しても不変の定義である。
 「相対的貧困」の定義のメリットは、所得など統計数値から定義されるため恣意性の入り込む余地か小さいことである。デメリットは、仮に母集団の国・地域全体が極めて貧しい場合には絶対的貧困の状況にあっても貧困でないとされたり、開発途上国の貧困でない者が先進国の貧困者より所得が低いというようなことが起こったりすることである。相対的貧困は母集団の中で貧困に分類されるかどうかという基準であり、格差から見た基準と言えよう。
 「絶対的貧困」の定義のメリットは、貧困かどうかが直観的に分かりやすいことである。デメリットは、ただ食べるという生存するための必要額を基準に考えるべきか、それとも健康で文化的な最低限の生活を送るための必要額を基準に考えるべきか、すべての人が納得する基準を設定することがかならずしも容易ではないことである。


□二節。政府・社会が「看過できない状態は何か」がテーマ(pp. 26-31)。

  2 どんな貧困を救済すべきなのか 

◆貧困対策が必要な理由
 さて、貧困はそもそも何が問題なのだろうか。自明のようにも思われるかもしれないが、今後の議論を明確にする意味でもここであらためて整理しておくこととしたい。
 まず、貧困は人々の尊厳を傷つけ、生命さえも危険に晒す。私たちと同じ人間が貧困のために食べるものがなく餓死するような状況は、人道上も社会正義上も看過して手を拱〔こまね〕くことはできない。
 また、前に述べたとおり、いったん陥ると、なかなか自分の力だけで抜け出すことは難しいのが貧困である。そして、世代を超えて子や孫に継承され、貧困の連鎖を生むことになりやすい。貧困のために辱めを受け反感を持たれて社会的に排除されることも多い。それが逆に社会への反感を芽生えさせる。そして、貧困が広がれば、生活や生命の維持のために犯罪が増えて治安が悪化したり、人生に落胆して自殺、心中、他者への暴力行為などを引き起こしやすい。そのような状況は不安や不満を鬱積させて社会を不安定化させるなど、さらに大きな社会問題を生みかねない。
 経済政策上の視点から見れば、貧困が拡大することは、ミクロ的には衛生や周辺環境の悪化による外部効果を生み、経済効率を阻害する要因となる。またマクロ的には労働など資源の有効活用を阻害して経済の生産性を低下させ、公的負担など社会的コストを増大させる要因となる。
 このように貧困は、人道・社会正義上、社会政策上、経済政策上の視点から問題とされる他、人権・憲法上などの視点からも「あってはならない」ものとして対策が講じられるべき問題である。

◆救済すべき貧困
 何が貧困かということと、どんな貧困を政策によって救済すべきかということには大きな違いがある。何が貧困かについては一二頁以下で述べたが、救済すべき貧困の範囲についてはどう考えたらよいだろうか。
 救済すべき貧困が何かということが漠然としていたのでは、貧困削減のための対策について議論が噛み合わず合意も得られにくい。その結果、有効な対策が講じられないということにもなりやすい。
 たとえば、OECD相対的貧困の定義によれば、日本の場合、全家計所得の平均(中位数)の半分である約224万円(2007年)以下の家計所得世帯は「貧困」とされるが、家計所得234万円以下の世帯を一律に政策によって救済することについて国民の合意を得られるかどうかは疑問が残る。それらは、海外の一日一ドル未満で生活するような極貧とは異なるし、世帯構成員の数などによっても事情は異なるため、一律に救済すべきかどうかかならずしも自明ではないからだ。また、安易な公的扶助支出は経済全体への直接的な好影響が期待できず、そのコストを負担する中間層や高所得者層に還元されることが少ないため、政治的にも反発を受けやすい。
 どの範囲の貧困を救済すべきかは国や地域によって異なり、時代や時期によっても異なる。それでは、今の日本で合意を得られる救済すべき貧困の範囲はどのあたりだろうか。その範囲について、すべての人が納得する基準を設けることは容易でないが、日本の場合、憲法第二五条で生存権が規定されており、救済すべき貧困についてこれを基準に考えることは相対的に国民の合意を得られやすいだろう。

□「生存権を維持できるラインとは?」。図表は省略した。

 「生存権以下の貧困」とは、食べるものがなく飢えや生存の危機に瀕している一日一ドル未満の生活を強いられる極度の貧困である「絶対的貧困」よりはましであるが、生きていく上で必要な基礎的条件が満たされているだけのギリギリの生活を送らざるを得ない状況を指す。最低生活費以下の所得しかなく生活保護を受けざるを得ない母子家庭の母親、定まった住所もなくネットカフェなどを泊まり歩き、行政から生活保護も就職斡旋もしてもらえないホームレスやネットカフェ難民、一日一生懸命働いても200円しか手元に残らないようなワーキングプアなどがまさにこの「生存権以下の貧困」に該当する。
 これは、生存するのに最低限必要なものが得られない「絶対的貧困」でもなく、また、OECD調査のように、その国民の平均家計所得の半分で貧困ラインを引いて「貧しい」とは言えるかもしれないが、本当に救済に値するのかどうかについて異論や批判が出る「相対的貧困」でもない。両者の中間の範疇である。
 「生存権以下の貧困」の水準は、地域、世帯人員数、物価水準などによって異なり、時代や時期によっても異なる。日本では、憲法が予定する生存権がどれぐらいの水準かは、生活保護法によって厚生労働大臣の定める基準をもとに決められることになっており、地域や時期などで変わってくる。
 厚生労働省のホームページによれば、2008年度の生活扶助基準は表1-3のとおりである。ただし、現在の「厚生労働大臣の定める基準」による生活保護を受ける最低生活費が適正かどうかについてはかならずしも異論がないわけではない。現行の水準均衡方式や標準世帯の取り方の妥当性などについて、さらなる吟味が必要である。
 以上より、本書では、救済すべき貧困の範囲(貧困対策の対象)のコアを「絶対的貧困」を含む「生存権以下の貧困」と考えて議論を進めることとする。


◆身近に迫る貧困
 〔…中略…〕日本の貧困レベルは「相対的貧困」、「生存権以下の貧困」、「絶対的貧困」のいずれの定義においても無視できない規模で存在している。日本は少し前まで「GNP世界第二位の経済大国であり一億総中流の国」と信じられていたこともあり、貧困に対する関心は低かった。しかし、一九八〇年代頃から所得分配の不平等化が進み、今回の世界金融危機で貧困はさらに深刻化している。一億総中流と信じられていた時代には思いもよらなかったかもしれないが、いまや貧困は例外的な存在ではなくなっている。救済が必要な絶対的貧困が根絶されているわけではなく、また開発途上国の極貧と違うからといって日本の貧困を放置しておいてよいということにもならない。世界金融危機後の厳しい経済状況にあって、貧困に陥る蓋然性は増していると言わざるを得ない。
 このように考えると、貧困はずっと身近に感じられる。だからといって、暗い気持ちになる必要はない。貧困になっても再び立ち上がって生きていけるように、一人ではなかなか抜け出せない貧困から脱却するのに社会が手を貸してくれるセーフティネットを構築すればよい。リスクは潜在的にすべての人にあることを前提に、リスクが顕在化した場合、どのように対処するかを考えておくことが危機管理の基本原則である。貧困に陥るリスクは他人ごとではないと考えれば、貧困に苦しんでいる人々への「共感」も持ちやすい。他者のことを自分のこととして考えられる「共感」を持つことが貧困問題解決のカギである。
 貧困の固定化や世代間継承を起こさず、未来への夢や希望を失わない社会であるためには、貧困に対して真剣に具体的な取組みを始めなければ間に合わない。問題の先送りはできない時期に来ているのではないだろうか。