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『コルナイ・ヤーノシュ自伝――思索する力を得て』(Kornai János[著] 盛田常夫[訳] 日本評論社 2006//2005)

原題:A gondolat erejevel: Rendhagyo oneletrajz
著者:Kornai János(1928-)
訳者:盛田 常夫(1947-)

【目次】
前書き(2005年2月10日 ブダペスト コルナイ・ヤーノシュ) [iii-ix]
目次 [xi-xvii]
凡例 [xviii]


第1章 家族、青年時代(1928年-1944年) 001
父のこと
家族のこと
ドイツ帝国学校
精神の彷徨
1944年:父の運命
1944年:私の逃亡


第2章 共産主義者になる(1945年-1947年) 022
共産党への親近度
1944年トラウマへの反動
精神的変革、共産主義者の政治思想の受容
カリスマ的な人々
共同体への帰属
偶然の効果と能力


第3章 「自由な人民」編集局時代(1947年-1955年) 039
急速な昇進
ヴォランティア精神
編集局の日々
実経済から学んだもの
知的荒廃
倫理的釈明


第4章 覚醒の始まり(1953年-1955年) 055
「新時代」
監獄から戻った友人たち
啓発的な会話と読書
初めての「命令拒否」
ナジ・イムレの著書
「自由な人民」編集局の反乱
「自由な人民」時代の終焉


第5章 研究生活の始まり(1955-1956年10月23日)――『経済管理の過度集権化』をめぐって 070
先行事情
精神的衝動
マルクス政治経済学との決別
研究生活の開始
論文の主要な命題
著書への反応
政治的背景


第6章 革命とその帰結(1956年10月23日−1959年) 098
ナジ・イムレの新プログラム
マジャールの自由」
虐げられた日々
『経済管理の過度集権化』への批判
研究所からの追放
監獄の影を背負った自由
友情と連帯


第7章 私の大学(1957年−1959年) 124
自己研鑽
ランゲ−ハイエク論争
軽工業の研究
「一線を画す」
袋小路
人生の決断


第8章 経済学への数学的手法の適用(1957年−1968年)――「二水準計画化」をめぐって 136
リプターク・タマーシュとの出会い
利潤分配の数学的検証
繊維工業の計画化
二水準計画化
中央計画化の理想モデル
国民経済計画化の出発的原理
コンピュテーション
意味有りや?
数学者との協働


第9章 西側への旅行(1963年−) 162
先行した出来事
英国ケンブリッジ
ロンドン経済大学
諜報部員の報告から
旅行と外国出版のメモワール
謀略の失敗


第10章 価格に挑む(1967年−1970年)――『反均衡』をめぐって 181
出版にいたる経緯
著書執筆の動機
類似性への思索
一般理論から期待されるもの、期待されないもの
合理的意思決定者
非価格的シグナル
均衡、買い手市場、売り手市場
政治的視点から解釈した一般均衡理論
科学における改革、革命
最初の反応、長期の影響
書いて良かった?
主観的なコメント


第11章 研究所、大学、アカデミー(1967年−) 204
経済科学分野の公的な第一人者
何もなかったかのように
信頼と忍耐
挫折した研究所改革
禁じられた教育活動――それでも教育した
アカデミー会員になった事情
アカデミー会員の特権


第12章 模索と準備(1971年−1976年)――『強いられた成長』と『非価格シグナルによる制御』をめぐって 223
強いられた成長か、調和的成長か
英国ケンブリッッジへの招聘
腰までギプス−ケインズとハーシュマン
プリンストンでの講義
スタンフォードとワシントン
自律的制御
きしむ適応機械
新しい住居の完成
市場化改革――カルカッタ毛沢東主義者の見解


第13章 全体像の完成(1976年−1980年)――『不足』をめぐって 243
刺激的な環境
著書のメッセージ
自己検閲
校閲
最初の反応
「不均衡」学派との討論
ソ連正統派経済学者」との討論
体制腐食化への貢献
出版の政治的・倫理的ディレンマ再論


第14章 突破(1979年)――「予算制約のソフト化」をめぐって 263
概念の意味と意義
先行事情
経験による証明
現象の数学モデル化
最初の総括論文のこと
そして、出来事の教訓


第15章 友情溢れる批評と距離を置く批判(1968年−1989年)――「ハンガリーの改革プロセス:展望・希望・現実」をめぐって 278
半ば実現し、半ば消滅した希望
ナイーヴな改革者から批判的分析家へ
「何を為すべきかを言う代わりに」
効率性と社会主義倫理
所有権の重要性
ランゲ・モデルとハンガリー改革の現実
回り道:もうひとつのハンガリーの現実
今から回顧してみれば


第16章 ハーヴァード(1984年−2002年) 297
プリンストン高等研究所
ハーヴァード大学教授招聘事情
ケンブリッジへの引っ越し
講義の喜びと難しさ
多様性と寛容
倫理的厳格さ


第17章 ハンガリーの内と外(1985年−) 315
ハンガリーに繋げるもの
日常生活の比較:ケンブリッジブダペスト
世界文化のひとつの中心
友人たち
ヨーロッパと世界の経済学者の共同体
中国への旅行
どこが我が家


第18章 統合(1988年−1993年)――『社会主義システム』をめぐって 336
著書執筆の経緯
総括を意図する
実証分析と諸価値
一般理論
遅すぎた? それとも、早すぎた?
東と西からの評価
そして、右と左からの批判
ある不快なエピソード


第19章 運命の転換(1989年−1992年)――『感情的ビラ』をめぐって 351
予測の限界
決断
『感情的ビラ』出版の経緯
最初の反応
スィミュレーションはもう沢山だった
民間セクターの健全な発展のために
公的資金に対する責任
安定化のための手術
収支バランス


第20章 学問と政治の境界領域(1990年−)――模索、苦悩と希望、健全な改革をめぐって 371
ハンガリーのマクロ経済政策に対する見解
医療改革について
「質問に来るか、君の意見を聞くか?」
実際の効果
金融政策決定への参加
他国の体制転換


第21章 ただ持続あるのみ(1990年−)――体制転換の意味するもの、意味しないもの 391
体制転換の解釈
期待と失望、悲観主義と楽観主義
コレギウム・ブダペスト
人生のインターメゾ:70歳の誕生日
ハーヴァード大学:講義と別離
我が家のオフィス
「何をしている?」


訳者後書き(二〇〇五年九月 ブタペストにて 盛田常夫) [411-417]
補注 [35-42]
参考文献 [19-34]
付録 写真集 [13-18]
事項索引 [7-11]
人名索引 [1-6]