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『不健康は悪なのか――健康をモラル化する世界』(Jonathan M. Metzl, Anna Kirkland[編] 細澤仁ほか[訳] みすず書房 2015//2010)

原題:AGAINST HEALTH: How Health Became the New Morality
編者:Jonathan M. Metzl
編者:Anna R. Kirkland
訳者:細澤 仁
訳者:大塚 紳一郎
訳者:増尾 徳行
訳者:宮畑 麻衣

不健康は悪なのか――健康をモラル化する世界

不健康は悪なのか――健康をモラル化する世界

  • 発売日: 2015/04/11
  • メディア: 単行本

【目次】
目次 [/]


第1章 イントロダクション――なぜ健康に異議を唱えるのか?〔Jonathan M. Metzl〕 003


第I部 ところで、健康とは何だろう?

第2章 健康とは何なのだろう? そして、どうしたら健康になれるのだろう?〔Richard Klein〕 018
  新エピクロス主義 029


第3章 肉体の肥大に伴う危険性――肥満、食事、そして「健康」のあいまいさをめぐって〔Lauren Berlant〕 031


第4章 グローバルヘルスへの異議?――健康を通して、科学、非科学、そしてナンセンスを調停すること〔Vincanne Adams〕 046
  グローバルヘルス 047
  グローバルヘルス・サイエンス 054
  結論――真実の調停者としての健康 065


第II部 道徳から見た健康

第5章 遺伝子時代、健康をめぐっての社会的不道徳――人種、障害、不平等〔Dorothy Roberts〕 070
  人種、そして個人に特化した薬品 072
  生殖遺伝学、ジェンダー、そして障害者の権利 077
  新自由主義、社会的正義、健康 080


第6章 肥満パニック、そして新しき道徳〔Kathleen LeBesco〕 082


第7章 (ときには)おっぱいの育児に異議を唱える〔Joan B. Wolf〕 095
  脆弱な研究 096
  避けがたいリスク 100
  おっぱいの育児にかかるコスト 102


第III部 健康と疾患を造り出すこと

第8章 製薬業界のプロパガンダ〔Carl Elliot〕 108


第9章 受動‐攻撃性パーソナリテイ障害の奇妙に受動‐攻撃的な歴史〔Christpher Lane〕 124


第10章 強迫性障害の氾濫――精神医療への異議〔Lennard J. Davis〕 144
  OCDとは障害なのか、それとも疾病単位なのか 146


第11章 原子力への異常な愛情――あるいはいかにして原子力爆弾は死に関するアメリカ人の考え方を変えたのか〔Joseph Masco〕 160


第IV部 健康になった後の快楽と苦痛

第12章 セックスは健康のために必要か?――無性愛という悦び〔Eunjung Kim〕 186
  病理学に、そして健康という名のもとでの対抗スティグマに反対する 189
  『ボンネットの下は』と『スノー・ケーキを君に』――二つの異なるパラダイム 194
  結語 202


第13章 備えよ――サバイバーシップは癌患者の義務なのか?〔S. Lochlann Jain〕 203
  アメリカにおけるサバイバーシップ 207
  蓄財 209
  時間と蓄財 214
  結論 218


第14章 苦痛の名のもとに〔Tobin Siebers〕 221


第15章 結語――来たるべき健康とは?〔Anna Kirkland〕 235


訳者あとがき(二〇一五年二月三日 訳者を代表して 細澤 仁) [249-250]
注 [iii-xxxiv]
執筆者一覧 [i-ii]






【抜き書き】

・まずはJonathan M. Metzlによるイントロ。本書の問題設定。

  第1章 イントロダクション――なぜ健康に異議を唱えるのか?


  健康に異議を唱える立場をとることなど誰にできようか? 健康で何が悪いというのか? 私たちは健康に賛意を表するべきではないのか?
  著者を代表し、私は、次のような信念を宣言することで、これらの疑問に答えることにしよう。どなたでも、本書を読む前、読んでいる最中、読み終わった後、不調を感じているならば、医学的診察をただちに求めるべきである。感染症の原因は病原微生物である。ペニシリンは有効である。医師は、患者の診察の合間に、手を洗うべきである。〔……〕バイクのヘルメット、日焼け止め剤、腸溶性錠剤に賛成であり、豚インフルエンザと闘う。おそらく、私たちのほぼ全員が、疾患の発症率と有病率における格差は、収入と社会的サポートの格差と密接に関連していると思っている。〔……〕多くのアメリカ人にとって、ヘルスケアを受け、健康保険を十分利用できるという目標は、今なお達成できていない。私たちは、そのような格差は是正されるべきであると思っており、昨今のヘルスケアの適用範囲の拡大を強く支持する。
  同時に、本書の使命をただ単にヘルスケア資源の再配分を要求することと定めてしまうと、正鵠を射ることができない。なぜなら、資源の再配分を支持する議論は、健康がある設定から別の設定に移行可能な実体であるとの想定に基づいていると理解できるからである。たとえば、富める者は健康を手にすることができるが、貧しき者にはそれが叶わない、となる。このような主張は正当なものであるが、そのように主張してしまうと、健康それ自体は、取り扱われるべき問題の一部にすぎないことが見過ごされてしまう。
  合衆国内における最近の政治的論争が示しているように、「健康」は価値判断、ヒエラルキー、盲目的想定に満ちあふれた用語である。そこから、幸福だけではなく、権力や特権との関連も同程度に伝わってくる。健康は望ましい状態ではあるが、規定された状態でもあり、イデオロギー的立場でもある。誰かがタバコを吸うのを見ると、反射的に「喫煙は健康に悪いよ」と言ってしまうのだが、その都度、私たちはこの二分法を現実化しているのだ。その際の真意は「タバコを吸うなんて、悪い奴だ」ということなのである。あるいは、太りすぎと思われる人に出くわすと、反射的に「肥満は健康に悪いよ」と言ってしまうのだが、その際の意図は、この人には何か医学的問題があるのかもしれないということではなく、この人は怠け者であるか、意志が弱いかのどちらかだ、ということなのである。〔……〕そして、私たち自身の健康の定義は、一部分、他者に対する価値判断に依拠している。私たちは、彼ら(喫煙者、過食者、活動家、人工栄養で育児を行う人)を見て、そのプロセスの中に私たち自身の健康を認識する。

マジックワードとして用いられる「健康」について。下記のように、強い主張がこの言葉に覆われて日常に氾濫していることを指摘している。本章では三つの例を挙げているが、ここではそのうち一つを抜粋。

  「なぜ健康に異議を唱えるのか?」という疑問に答えるため、私はある戦略を立てた。友人、親戚、あるいは患者さえも、この疑問を提起する。その際、私は返答する代わりに、対話者に、日々の生活の中、一日でよいから健康という言葉の用法に注意を払うよう求めるのだ。「この用語はどのような場面に表れるでしょうか?」と私は尋ねる。「その意味は何でしょう?」や「その目的は何でしょう?」など。この簡単な課題には、健康は明らかに普遍的な善であるという想定を複雑化する意図がある。
  〔……〕
  テレビをつけると、あなたの子どもの健康に訴えることで、あなたに禁煙を請う公衆衛生広告が放映され、さまざまな健康についての考えが出現する。最近のミシガン・キャンペーンでは、家や車の中で、ひとり残された子どもたちが登場する。子どもたちは、孤立無援で、親の副流煙を吸い込むはめに陥っている。その子どもたちは、意気消沈した様子で、心ならずも被ったニコチン嗜癖の影響について、カメラに向かって話しかける。テレビの前にいるひとりの女の子が、「アニメを見ている間、私はタバコを吸っているの」と語る。車の中に閉じ込められた姉妹が「通学の間、私たちはタバコを吸っているの」と付け加える。ナレーターは、「あなたが子どもの周囲でタバコを吸うとき、子どもたちもタバコを吸っているのと同然なのです」と説明する*1
  このようなアピールを道徳主義命名すると、ある特定の批判が巻き起こるだろう。この広告は副流煙の有害な影響を突きつけており、それは確かに重要なことである。しかし、それを健康命名すると、これらのキャンペーンが、喫煙者は、無責任で怠慢な親、つまり、子どもをひとり車に置き去りにする親、あるいは己の唯我独尊的嗜癖をもって子どもをゆっくりと殺す親である、という実に幅広い一連の想定を造り出すことが許容されてしまう。この定式化において、胸膜の健康は良識と密に提携している。一方、喫煙という疾患は、肉体だけではなく、魂をも蝕むのである。

・続いて、(医療)社会学者からなされた指摘。この抜粋部分以降には、Peter Conradの「医療化レトリック」や、はたまた消費者側(患者側)・医師側の双方から声の上がる、「大量消費主義レトリック」まで列挙されている。

*1:「これはあなたのものですか?」ミシガン・コミュニティ・ヘルス局とミシガン放送局協会.http://www.youtube.com/watch?v=mE-_zA-ZZIO, http://anti-smoking-ads.blogspot.com,2008年10月3日にアクセス.