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『大学の誕生〈下〉――大学への挑戦』(天野郁夫 中公新書 2009)


大学の誕生(下)|新書|中央公論新社


【目次】
目次 [i-xi]


第六章 「東西両京の大学」 003
一、官立諸学校の増設 003
  官立諸学校と専門学校令
  実業専門学校の増設
二、中学校卒業者の進学状況 007
  高等学校への進学状況
  専門学校と実業学校
  劣位の私立専門学校
三、財政難と帝国大学 012
  高コストの帝国大学
  帝国大学の経費問題
  「競争者」の必要性
四、京都帝国大学の創設 018
  第二帝大の構想
  京都帝国大学の創設
  大学設立の困難
  教授集団の形成と留学生
五、挑戦する「西京の大学」 027
  京都帝大の新機軸
  科目制と学修の自由
  「大学らしき大学」高根義人の大学論
  法学教育の革新と挫折
六、高校増設問題と受験競争 036
  高等学校と帝国大学
  高校の増設運動
  「帝大派」の反撥
  入試制度の改革と挫折
七、帝国大学と高等学校の間 044
  分科大学の入学問題
  人気の工科大学
  東京か京都か
  入学者数の変動
  不利な京都帝大
八、東西両京の大学比較 054
  組織と編成
  学生数の違い
  卒業者の進路状況
  「官」から「民」へ


第七章 帝国大学への挑戦 063
一、札幌農学校帝国大学化 063
  「大学昇格運動」の開始
  札幌農学校の大学化
  帝大設置運動の展開
  古河財閥の寄付
二、東京高等商業の昇格 070
  商業教育の最高学府
  留学生と商科大学構想
  単科か総合か
  法科大学経済学科の開設
  小松原文相の決断
  東京高商の反溌
三、大阪医学校の挑戦 081
  佐多愛彦の医育一元論
  単科大学
  高等医学校への発展
  大阪医科大学の実現
四、慶応義塾の大学志向 088
  義塾の「大学」化へ
  門野幾之進の欧米大学視察
  選択制の導入と挫折
  留学生の派遣
  医学科の創設
  北里柴三郎の存在
五、早稲田と「事実」としての大学 098
  「事実」としての大学
  教員養成の開始
  総合大学への志向
  「有形的の学問」
  理工科の開設
  工科大学か高等工業か
六、学制改革論議の展開――高等中学校構想の挫折 109
  学制改革問題の再燃
  高等普通教育と年限短縮
  小松原文相の「高等中学校」構想
  五つの視点
  批判と修正
  「中学校構想」の成立
七、学制改革論議の展開――「大学校」構想の登場 118
  教育調査会の設置
  「大学校令案」の内容
八、菊池大麓の学制改革論 122
  「学芸大学校案」の登場
  『日米教育時言』
  アメリカ・モデルへの転換
九、学芸大学校と「修養」 128
  「修養」のための大学
  菊池のカレッジ体験
  モデルの「発見」
  教養としての「修養」
一〇、アメリカ・モデルの挫折 135
  文部省の反対
  高田文相案
  帝国大学の存在
  「臨時教育会議」へ


第八章 興隆する専門学校 141
一、「専門学校令」の性格 141
  包括的な勅令
  設置認可の三条件
  高い障壁
二、実業専門学校の発展 147
  専門学校と実業専門学校
  官立セクターの発展
  「国家ノ需要」の重視
  誘致と寄付金
  公立専門学校の困難
  大阪の高等商業
  富山の薬専
三、開業試験と医療系専門学校 160
  医師法と医学専門学校
  試験から学歴の時代へ
  歯科医と専門学校
  薬剤師と専門学校
四、宗教系私学の現実 168
  小規模分立の仏教系
  キリスト教系の問題
  合同運動の失敗
  世俗化への道
  同志社の模索
五、苦闘する女子専門学校 176
  不振の女子専門教育
  「女子教育最寒の時代」
  東京女子大学の創設
六、法学系私学の総合化 182
  立命館と京都帝大
  拓殖大学と台湾協会
  開設学科の多様化
  総合化への志向
七、法科から商科へ 190
  虚業から実業へ
  実業と実業教育
  商業教育の時代
  東京高商の地位
八、私学経営の現実――学生と教員 198
  学生の量と質
  「手から口へ」
  私学の経営戦略
  非常勤講師への依存
  教育機会の開放性
九、私学経営の現実――法人化と資金 207
  貧弱な資産蓄積
  ミッション系私学の場合
  アメリカ型私学の可能性


第九章 序列構造の形成 215
一、教育システムの構造 215
  学校教育システムの構築
  学校の接続関係
  帝国大学という問題
  専門学校と私立セクター
  「大学令」の必要性
二、序列と順位の構造 223
  セクター間の序列構造
  中学校卒業者の進路
  学校間の序列構造
  高等学校の序列
  「分割制」の提案
三、四つの帝国大学 234
  二分科の帝国大学
  九州帝大の創設
  札幌農学校から東北帝大へ
  第二の理科大
四、帝国大学間の順位 241
  高校卒業者の進路選択
  傍系入学とペッキング・オーダー
  全入状態の分科大学・学科
五、棲み分けの構造 247
  卒業者のセクター別構成
  専門分野別の変化・官公立
  専門分野別の変化・私立
  帝国大学と専門学校の関係
六、卒業者の社会的配分 253
  高等教育と職業
  「官」・「公」・「民」
  『教育ノ効果二関スル取調』
七、職業の世界――明治三〇年代 258
  教員・官僚・法曹
  工業技術者の世界
  企業の事務職員層
  就職以前の時代
八、学卒就職問題の登場 266
  就職活動の出現
  実用的職業案内の登場
  銀行会社員の世界
九、学校評判記 271
  慶應・早稲田・高商/私学案内
一〇、「各大学卒業生月旦」 277
  棲み分けの構図
  三田・一ツ橋・赤門/帝大出と実業界


第一〇章 「大学令」の成立 287
一、臨時教育会議の設置 287
  内閣直属の審議機関
  委員の人選
  工夫された審議方式
  「懇談会」の役割
二、年限短縮と高等普通教育 294
  岡田文相の改革構想
  年限短縮と高等教育改革
  事前の合意
三、大学予科から高等普通教育へ 298
  久保田の「改革私案」
  「高等普通教育」とは
  高等普通教育の必要性
四、高等普通教育と社会階層 304
  「ミッヅルカラッス」と教養
  福沢諭吉の「実学
  高等学校と高等普通教育
五、帝大派の反撃 309
  高等学校の役割
  「帝大派」の反撃
  「新制」高等学校の構想
  高等普通教育と大学基礎教育
六、大学教育と専門教育 318
  時代状況の変化
  技術的な問題へ
  答申の概要
  単科大学の容認
  私学の大学予科
  設置認可の諸条件
  専門学校の問題
七、帝国大学の改革 331
  研究への危機感
  帝国大学制度の廃止論
  教育面での改革
  組織の改革
  大学自治の拡大論
八、大学の自治・学問の自由 339
  自治組織の整備
  「戸水事件」と文部省
  大学教授の人事権
  京都帝大と「沢柳事件」
  総長公選制の先駆け
九、大学令・高等学校令の成立 350
  枢密院での審議
  分科大学から学部へ
  帝国大学と「新制」大学の関係
  大学令・高等学校令の公布


エピローグ 大学の誕生 363
一、大学の設立 363
  官公私立大学の数
  高等教育の特異な構造
  現状追認的な改革
  大学予科と高等学校
  私立大学の専門部
二、官立大学の昇格 374
  「高等諸学校創設及拡張計画」
  「国家ノ須要」から「社会の需要」へ
  官立諸大学の創設
  昇格運動の激化
  「五校昇格案」
  公立大学の昇格問題
三、私立大学のドラマ 385
  設置認可の諸要件
  日本弁護士会の建議
  基本財産の供託と補助金
  専任教員の確保
  教員の供給源
  大学予科の開設
四、資金と寄付金 397
  恵まれた早・慶
  同志社国学院
  明治・中央と校友
  日本大学の場合
  専修大学の苦闘
  関西・立命館の遅れ
五、もうひとつの「大学誕生」物語 409
  団体性・共同体性の誕生
  法人化と教員集団
  学生と同窓会
  第二幕へのプレリュード


あとがき(二〇〇九年五月 天野郁夫) [415-419]
引用・参考文献 [420-431]





【抜き書き】

   あとがき


 私の専攻は教育社会学である。しかし、大学と高等教育の歴史的な問題には、研究者生活を始めた三十代のころから関心を抱き続けてきた。『近代日本高等教育研究』という学位論文をもとにした著書の主要部分は、そのころに執筆したものである。
 戦前期のわが国の高等教育システムのもとで、学校数でも卒業者数でも量的に多数を占めたのは大学ではなく、旧制度の専門学校であった。第二次大戦後に急増した「新制大学」も、その多くが専門学校を母体にしている。大学と高等教育をめぐる現代的な問題を考察し、分析しようとすれば、どうしても歴史をさかのぼり、その専門学校の存在や帝国大学との関係を視野に入れざるを得ない。旧制専門学校に焦点を絞った論文を書きながら、いつかは帝国大学や高等学校をも加えた高等教育の、包括的で歴史社会学的な分析を試みてみたいと思ってきた。しかし、その機会はなかなか訪れなかった。
 教育社会学の研究者にとって、近代日本の歴史社会学的な研究の主題としては、大学・高等教育そのものよりも、それを与件とした学歴や学歴主義、それに選抜や試験、社会移動などの問題のほうが魅力的であり、そちらに力を入れてきたということもある。しかしそれだけではない。大学・高等学校・専門学校・実業専門学校・高等師範学校、それに官立・公立・私立と、多様に分化した高等教育の全体を一つのシステムとしてとらえ、社会構造と関連づけながら、その成立と変動の過程を分析するのは、多大の知力と労力を必要とする力業〔ちからわざ〕である。その蓄積も自信もなかったというのが、正直のところである。
 自分の力量は別としても、高等教育に関する歴史的な研究自体が、遅れているとは言わぬまでも著しく偏っており、帝国大学旧制高等学校以外の高等教育機関、とりわけ専門学校や私立大学、私立セクターに関する研究はほとんど進んでいなかった。機が熟すまでには、それなりの時間が必要だったのである。
 機が熟したのかどうかは別として、大学改革論議にくたびれたことや、第二の定年退職の時を迎え、自由な時間が増えたこともあって、ようやく年来の夢に取り掛かる意欲が生じてきたのは、二年ほど前のことである。その気になってふると、部分的ではあるが専門学校以外の高等教育機関についての資料や分析の、自分なりのストックができている。それだけでなく、この数十年の間に、大学や高等教育の歴史的な研究が目覚ましい発展を遂げていることもわかってきた。
 何よりもありがたいことに、多くの大学がこの間に創立から一〇〇年を迎え、立派な大学史が多数刊行されるようになった。全一〇巻の『東京大学百年史』や、全七巻の『早稲田大学百年史』をはじめとする、これら大学史の相次ぐ刊行がなかったら、私のような二次資料が頼りの社会学研究者には、意欲はあっても、高等教育の成立・発展の過程について包括的な本を書くことは、不可能であったに違いない。
 こうして何とか構想を立て、あらためて資料集めをしながら書き始めたのだが、今度は別の問題に行き当たることになった。
 『大学の誕生』は、新書の形で本にするというのが、私のはじめからの心積もりであった。中央公論新社の編集者松室徹さんとの間で、いつか新書を一冊書くという約束があったからである。古いことで、松室さんはとうに諦めていたかも知れないが、私としては、心に掛かったままの約束事である。それを果たすべく書き始めたのだが、いざ取り掛かってふると、書きたいこと、書くべきことが増える一方で、とうてい通常の新書のページ数では収まらないことが、わかってきたのである。いまさら中断するわけにも、構想を変えるわけにもいかず、行き着くところまで行って、それから松室さんに相談しようと腹をくくって書き進めているうちに、四百字の原稿用紙換算で一二〇〇枚を超える量になってしまった。
 とうてい新書では無理だろう、駄目なら一般書の形で出すほかはあるまいと、恐る恐る話を持ち出したのだが、結果はこのような上下二巻の新書という、異例のかたちで刊行していただけることになった。松室さんと中央公論新社の寛大さには頭が下がる思いで、ただただ感謝するばかりである。


 書き終えたいま、あらためて痛感させられているのは、明治から大正初期に至る「大学誕生」の時代に形成された、わが国の大学組織と高等教育システムの基本的構造の、強固な持続性である。文中でもしばしば触れた帝国大学の「範型」性は、その組織構造が、大学令によって成立したそれ以外の、私立大学を含む諸大学にも浸透していまに至っている点に、顕著に示されている。さらに言えば、高等教育システム内部に形成された大学・学校間の序列構造は、すべての高等教育機関が新しい大学として制度上の同等化を達成してから半世紀以上たったいまも、大学間の格差構造として継承され、拡大再生産され続けている。
 いま、明治から数えれば第三の大きな改革の渦中にある、わが国の大学と高等教育システムが直面しているさまざまな問題は、たどって行けばその多くのルーツを、本書で取り上げた、明治から大正初年にかけての「大学誕生」の時代に求めることができる。官公私立の多様な高等教育機関が織りなす「大学誕生」の物語は、その意味できわめて強い現代性を持つ本書を、近代日本という舞台の上で、次々に登場してくる帝国大学、高等学校、官公私立のさまざまな専門学校、実業専門学校などが織りなす葛藤や抗争、競争や同調をはらんだ現代につながるダイナミックなドラマ、群像劇として読んでいただけたのであれば幸いである。

   二〇〇九年五月  天野郁夫