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『僕らの哲学的対話――棋士と哲学者』(戸谷洋志, 糸谷哲郎 イースト・プレス 2018)

著者:戸谷 洋志[とや・ひろし]  哲学。Hans Jonas研究。
著者:糸谷 哲郎[いとだに・てつろう]  棋士居飛車党。
NDC:100 哲学 
NDC:104 哲学 >> 論文集・評論集・講演集

 

書籍詳細 - 僕らの哲学的対話 棋士と哲学者|イースト・プレス

僕らの哲学的対話 棋士と哲学者

僕らの哲学的対話 棋士と哲学者

 

 

【目次】

まえがき(戸谷洋志) [003-015]
目次 [016-018]


1章 勝負論 019
  「戦略」と「戦術」
  哲学者の「価値」とは
  勝負論は人生論である
  勝つために必要な「柔軟性」
  哲学者は「公」に貢献するべきか
  メンタルトレーニングについて
  対戦相手は敵なのか
  明確な基準のない人はどう戦えばいいのか
  承認と戦いへの憧れ

2章 AIとどう向き合うか 051
  AIは人間を超えたのか
  AIは将棋をどう変えるのか
  「AI棋士」が現れる日
  人間の特権性は剥がされていくのか
  「遊び」とAI将棋
  人間だけが持っている「何か」はあるか
  「水槽脳」という思考実験
  人工知能を愛せるか
  人間には「有限性」がある
  人は「環境」で決まるのか
  運命に抗う姿こそが美しい
  人生を賭ける勝負はなくならない
  哲学的スタンスの違い

3章 哲学と社会の難しい関係 089
  ハイデガーの世界概念
  ハンス・ヨナスと倫理学
  ハイデガーナチス・ドイツ
  なぜヨナスを研究しているのか
  ナチス・ドイツといまの日本
  リベラルにも問題がある
  価値多元主義を超えて
  人権主義者の思想とは
  オウムと死刑問題
  オウムと人権
  ネトウヨと「生産性」発言
  ネトウヨと哲学カフェ
  マルクス・ガブリエルをめぐって
  『なぜ世界は存在しないのか』はなぜ売れたのか
  「哲学者」を自称することについて
  哲学と社会への影響
  他者のイデオロギーを理解するには
  「哲学カフェ」の問題点
  「コミュニティ」の問題

4章 僕ら世代の幸福論 147
  僕らの世代の価値観とは
  「ゆとり世代」は本当に幸せなのか
  大きな物語を失った世代
  「党派性」が強まっている
  「戦い方」を学べ
  ジェンダーと結婚
  なぜ有給休暇はとりにくいのか
  他者と議論する能力が摩滅している
  「運命の出会い」を信じるか
  「神話」とどう付き合うか
  「神話」と幸福
  自分と異なる神話に触れる
  アーレントと愛
  対話を終えて

 

あとがき糸谷哲郎) [195-202]



  
 

【抜き書き】

・本書の帯には刊行当時の名人による「推薦のことば」がある。

糸谷さんの将棋は独特だ。将棋界において異端ともいわれる。しかし、それは彼が既存の価値観に束縛されない自由な考え方をしているからだ。そして自らの思考を徹底的に客観視することも忘れない。政治、哲学、人工知能、恋愛.....。“糸谷哲郎の透明で曇りのない目”で見たこの世界を、皆さんに知ってほしい。 ――佐藤天彦(1988年生まれ)

 

 


・戸谷による「まえがき」 (pp. 9-11)から。

もしかしたら、読者の中には議論が拡散しているように思われる方もいらっしゃるかもしれません。そこで、ここに一本の補助線を引くことで、本書の全体の内容に見通しをつけてみたいと思います。
 この対談の中心的な問題は、「戦い」です〔……〕。私たちは、つねに「戦い」の内部にいる、言い換えるなら、「戦い」に外部はない、と考えることもできるのかもしれません。戦いを否定して、平和を実現しようと活動することも、それはそれでまた、平和を実現するための戦いなのです。
 昨今、「戦い」は極端に両義的に評価されているように思います。一九九〇年代以降、日本の学校教育では「ゆとり教育」が奨励され、競争を否定する教育施策が行なわれてきました〔……〕。しかし、その一方で、苛烈に「戦い」を欲望する傾向も見られます。AKB48選抜総選挙、リベラルと保守のイデオロギー対立などは、その顕著な例でしょう。一方で「戦い」を遠ざけながら、他方で「戦い」を渇望する、そうした屈折した状況に私たちは置かれているように思います。
 こうした屈折は、「戦い」に対する私たちの感覚を未熟にさせていきます。言い換えるなら、私たちには「洗練された戦い方」ができなくなりつつあるのです〔……〕。
 「戦い」の感覚の未熟化は、私見では、ヘイト・スピーチの問題において露骨に表れています。それはもっとも稚拙な戦い方の典型例です〔……〕。
 政治的信条の違いは当然あるし、言論をぶつけ合うことは何も問題ではありません。むしろ問題なのは、その戦い方が愚劣であることに他なりません。そして、この問題の根底にあるのは、私たちが「戦い」の感覚を十分に鍛えていないこと、「戦い」の倫理を正しく学んでいないことに由来する。僕にはそう思えてなりません。

 

 実際に日本で〈競争を否定する教育施策〉があったのかは置いておく。また、ゆとり教育を受けた世代が前世代よりも、競争を忌避したり空気読みに長けるようになったのかは知らない。やや若者論(世代論)っぽいが。

 引用を省略した箇所には〈「正しく戦っているか」否かが問われなくなっている〉という表現もあった。私としては、「なっている」のか「ずっとそうだった」のかが気になる。ここでの〈戦い〉がかなり抽象的なこともあって想像しにくいが、日本ではかつて戦い方が正当かが問われていた時期があったのだろうか? 本書を通読してもそこは分からなかった。



強化学習なマシーンと将棋について。ここは、将棋以外の競技や分野でも(そして今後もしばらくは)頻繁に問われる点だと思う。

■pp. 66-67

戸谷  ようするに、そのバトルになるわけですよね。もし先攻が絶対勝つと証明されたら、将棋とは「歩」を振るだけのゲームになってしまう。それはもはや別のゲームですよね。
糸谷  だけど、人間はすべてを理解できないですよ。
戸谷  理解できなくても、勝敗が決まっていたらやらないんじゃない?
糸谷  人間は勝敗は決まっていないでしょう。つまり、人間同士なら対局できる。
戸谷  将棋ソフトとはやらなくなる、あるいは、将棋ソフト同士の戦いは将棋ではなくなってしまう。そういうこと?
糸谷  全パターンが出てしまったら、将棋ソフトとはやらなくなるでしょうね。でも、将棋は将棋なんじゃないですか。一応、最善を尽くせばそうした結果が決まっているだけで、ルールなどそこにあるものは変わらない。
戸谷  糸谷さんと見ているポイントが少し違うなと感じるのは、AIと人間が戦っている様子を観て、観客がそれに興奮しないんじゃないかと僕は思うんです。
糸谷  それはそうですよ。AIと人間の能力がさらに乖離していけば、AIと人間の対局はなくなります。だって、自動車と駆けっこしようと思わないですよね。極端に力が離れていたら、たぶん人間同士の勝負でも観ませんよ。たとえばプロ野球は、ある程度、実力が近いから観ていて楽しめるわけですよね。でも、プロ野球選手と小学生の試合なんて観たくないでしょう。
戸谷  どうかなあ。
糸谷  “虐殺”が観たいですか? たしかに、めちゃくちゃ強いとされている人間の棋士が、AIにこてんぱんにやられるのを観て溜飲を下げるみたいな、そういう欲求は人間にはあると思いますけど。
戸谷  それって深いね。一方的な試合って面白いよ。
糸谷  でも、ふだんからそんなのばかり観ていたら、絶対に飽きますけどね。




 

・棋界のジェンダー(pp. 163-166)

  ジェンダーと結婚

戸谷  糸谷さんは、結婚って自由に選べると思う? 結婚は自由に選択できるものなのか、それともある種の偶然性によって決定されていると考えたほうが幸福なのか。どちらだと思いますか。
糸谷  そもそも、結婚するかしないかを選んでいるんじゃないですか。この「生涯未婚時代」にあって、結婚しないという選択肢はつねにありますから。私たちの世代って、ジェンダーが希薄になってきていますよね。男ならこうすべき、女ならこうすべきみたいな旧時代の形骸化した考え方は、どんどん消えてきていると思う。
戸谷  ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』(TBS)は、まさにそうした価値観が一般大衆からも支持されるようになってきた証しだと思います。〔……〕ちなみに将棋の世界は、ジェンダーの問題は大丈夫ですか(笑)。
糸谷  将棋の世界におけるアファーマティブ・アクション積極的差別是正措置)のひとつとして、女流棋士という制度があるんですけど、それが本当にアファーマティブになっているかというのは議論が分かれるところですね。男性ではプロになれないレベルの実力でも、女流棋士として認定されてしまう。早いうちから女性への普及の役に立ってもらえるという利点があり、将棋の普及には、現状、非常に有益な制度だと思うんです。でも、どうしても女流棋士に若いうちから普及の仕事を多く振るので、同程度の実力を持つ男性よりも負担が大きくなり、そのぶん将棋にかける時間はおそらく減ってしまうわけです。男女が同じような実力を身につけるという目的では、アファーマティブ・アクションとして正しいのかはわからない。
戸谷  将棋って、性別によって実力に差が出るものなんですか。
糸谷  いや、それほどないと思いますよ。
戸谷  じゃあ、本来は一緒にしてしまっても問題ない?
糸谷  問題は人口なんですよね。将棋は男の遊びだという偏見がやはりあって、結果、男性と女性のプレイヤー比が偏るわけです。プレイヤー比が偏りすぎると、当然、実力にも差がついてしまうんですよ。男女の脳に差があるとか、そうした言説をとりたい人もいるようですが、私は個人差のほうが圧倒的に大きいと思いますね。哲学はどうですか?
戸谷  哲学も将棋と同じで、最初の人口が違うんですよね。
糸谷  あと、どちらの業界にもいると思うんですけど、女性に対して男性と違うことを強く要求したり、男女で扱いを分ける人がいる。
戸谷  どこの業界にもいますね。あと、哲学の場合、結婚したときに姓が変わると、論文のオーサーシップ(著者名)が変わってしまうので、それが少しやっかいですね。だから結婚した段階で研究をやめてしまう女性もいるし。
糸谷  もっと問題なのは、結婚した女性を居づらくさせるような雰囲気じゃないですか。
戸谷  それもあるね。

 

※私[id:Mandarine]の知る範囲で言えば、アマチュア棋界にも女性への偏見は根強く残っている。ここ十数年で偏見を持つ人の数が体感的に少なくなったといえ、今も老人だけでなく高校生までもが偏見を持っている。これがどう変化していくは想像がつかない。

 女性プロ棋士が未だにいないこと(または未だレーティング上位者がいないこと)の主要因は、競技人口の絶対値の小さいことだという指摘は至極もっとも。