contents memorandum はてな

目次とメモを置いとく場

『〈おんな〉の思想――私たちは、あなたを忘れない』(上野千鶴子 集英社文庫 2016//2013)

著者:上野 千鶴子
解説:チョウ・スンミ
シリーズ:集英社文庫;う22-1
NDC:367.2 男性・女性問題


〈おんな〉の思想 私たちは、あなたを忘れない/上野 千鶴子 | 集英社 ― SHUEISHA ―


【目次】
序文(上野千鶴子) [003]
目次 [005-007]
凡例 [008]


第一部 “おんなの本”を読みなおす 011

産の思想と男の一代主義――森崎和江『第三の性――はるかなるエロス』 015
生まれながらの故郷喪失者
ことばの旅へ
響き合うエロスの声
「対幻想」を求めて
「わたし」という自我
未来へ紡がれることば
注 037
参考文献 039


共振する魂の文学へ――石牟礼道子苦海浄土――わが水俣病』 041
これはノンフィクションではない
「道子弁」の発明
憑依する文体
喪われた世界
男の思想との訣別
〈おんな〉の思想
注 067
参考文献 068


リブの産声が聴こえる――田中美津『いのちの女たちへ――とり乱しウーマン・リブ論』 071
一枚のちらし「便所からの解放」
学園闘争からリブ運動へ
「中絶の自由」をめぐって
「産める社会を、産みたい社会を」
「女はすべて永田洋子なのだ」
記憶と忘却の歴史
注 094
参考文献 095


単独者のニヒリズム――富岡多惠子『藤の衣に麻の衾』 097
「リブの伴走者」
単独者のニヒリズム
女は平和主義者か?
「不自然」な性
ラディカルな批評
ヒマつぶしとしての人生
注 120
参考文献 121


近代日本男性文学フェミニズム批評する――水田宗子『物語と反物語の風景――文学と女性の想像力』 123
アメリカ文学からの出発
「ヒロイン」から「ヒーロー」へ
強靭な知性に支えられて
近代日本文学の男性像
『男流文学論』批判
フェミニズム文学批評の行方
注 147
参考文献 149


第二部 ジェンダーで世界を読み換える 151

セックスは自然でも本能でもない――ミシェル・フーコー『性の歴史I 知への意志』 155
性のパラダイム転換
「知への意志」
性を特権化する秘匿性
セクシュアリティの近代」の装置
告白の制度
告解と日本人
注 174
参考文献 175


オリエントとは西洋人の妄想である――エドワード・W・サイードオリエンタリズム』 179
パラダイムの転換
東洋人の歴史的役割
ジェンダー化されるオリエンタリズム
東洋と西洋の勢力均衡
ジェンダーと「逆オリエンタリズム
家父長制下の抵抗様式
注 200
参考文献 201


同性愛恐怖と女性嫌悪――イヴ・K・セジウィック『男同士の絆――イギリス文学とホモソーシャルな欲望』 203
クィア批評の登場
異性愛秩序とは何か?
ホモソーシャルホモセクシュアル
カミング・アウトとプライバシー
同性愛者の誕生
ニッポンのミソジニー
注 224
参考文献 225


世界を読み換えたジェンダー ――ジョーン・W・スコット『ジェンダー歴史学』 227
ジェンダーの定義
女性史からジェンダー史へ
「女にルネッサンスはあったか?」
日本近代文学「語りの系譜」
「男性にして市民である者」
注 248
参考文献 248


服従が抵抗に、抵抗が服従――ガヤトリ・C・スピヴァクサバルタンは語ることができるか』 249
植民地出身の英文学教授
敵の武器をとって闘う
「認可された自殺」サティー
スカーフ着用問題
日本の「服従」と「抵抗」
「言語」と「行為」
注 270
参考文献 271


境界を撹乱する――ジュディス・バトラージェンダー・トラブル――フェミニズムアイデンティティの撹乱』 273
バトラーの登場
セックス/ジェンダー二元論の解体
「おんな」という主体はどこにあるのか?
変革は可能か?
バトラーと竹村和子
注 290
参考文献 291


あとがき(二〇一三年 紫陽花の季節に 上野千鶴子) [292-297]
文庫版への追記(二〇一六三年 新緑の季節に 上野千鶴子) [298-300]
解説(チョウ・スンミ) [301-317]
初出 [318]




【抜き書き】

 フーコーの章から二つ。

  性のパラダイム転換
 一九七六年に性の見方が根本的に変わる出来事が起きた。ミシェル・フーコーの『性の歴史』第一巻「知への意志」が刊行されたのである。
 このとき以来、性を語るにあたって、「自然」と「本能」ということばは禁句となった。性は、自然科学から人文社会科学の対象領域に入った。それまで、性についての科学はセクソロジー sexology と呼ばれ、医学、動物学、解剖学、内分泌学、あとはわずかに心理学などの分野の研究者が参入するものであった。事実、世界で最初の科学的な性行動調査を実施したルフレッド・キンゼイ(1894-1956)は、もともと蜂の研究から出発した動物学者だった。彼は人間の性は動物と同じく「自然」に属すると考え、あたかも動物を観察するように人間男性の性行動調査を行い、一九四八年に「キンゼイ・レポート」(『人間に於ける性の性行為』)を発表した(女性についての報告は一九五一年)。キンゼイが考えたように、性が「自然」に属し本能的な動物行動であるとすれば、そこには歴史は存在しないはずだった。それに対してフーコーは、性は社会や文化の影響を受けて変化し、わたしたちが思っている以上にその変化のスピードが速いことを論じた。
 正確にいえば、フーコーが論じたのは「性の歴史」ではなく、「セクシュアリティの歴史」である。全米性情報教育協会 SIECUS (Sexuality Information and Education Council of the United States) のメアリー・S・カルデローンレスター・A・カーケンダールの定義によれば、性(セックス)とは「両脚のあいだ」にあるもの、すなわち性器であり、セクシュアリティとは「両耳のあいだ」にあるもの、すなわち大脳である。フーコーの訳者、渡辺守章は、「セクシュアリティ」を「性的欲望」と訳した。「性的欲望」は「性現象」とも、「性に関わる欲望と慣習の総体」とも解することができる。むらむらするのは大脳であって、性器ではない。セクシュアリティの研究とは、下半身の研究ではなく、その実、上半身の研究なのだ。
 古代ギリシャ人は、近代人が性と呼ぶものを「アフロディジア」(アフロディテの業)と呼んだ。古代ギリシャ以来、性愛(エロス)の技術 ars erotica は存在してきたが、性についての科学的な知 scientia sexualis はなかった、とフーコーは指摘した。その性愛(エロス)の技術が、やがて科学的な知のことばで語られるようになり、セクシュアリティへと変化したことが「近代」を徴づけるものだと主張する。つまりキンゼイが実施した性行動調査に見られるように、性を自然科学の対象としてアプローチする態度こそが「近代」の産物なのだと。


社会学セクシュアリティ研究)の勃興。

  性を特権化する秘匿性
 『性の歴史』全三巻が出版されると、各国で性の歴史を研究する動きが進み、セクシュアリティ研究はひとつの学術分野として確立していった。アメリカでは、一九九〇年に国際学術誌『ジャーナル・オブ・ザ・ヒストリー・オブ・セクシュアリティ』が刊行され、現在に至っている。『性の歴史』の出版によって、性が世界で学術研究の主題となったことには、隔世の感がある。
 それまで、セクシュアリティ研究は一部の好事家のものと思われてきた。性そのものが「いかがわしい」ものとされ、したがって性の研究もいかがわしいものと見なされてきたのである。性は公的な場から、タブーとして排除されてきた。
 社会学者・永田えり子(1958-)は、性には公的な場から排除され、プライバシー(私秘性)の領域に封じ込められる「非公然性の原則」があると『道徳派フェミニスト宣言』(1997)のなかで述べる。だが、フーコーは性が私領域に封じ込められていった歴史の過程を明らかにする。
 性はいつでも私的なことがらだったわけではない。権力者の間では誰が誰と媾[まぐわ]い、どんな子をなすかをめぐる性事は政治だったし、民衆の間でも、プライバシーなど無いも同然だった。性を公領域から排除することで、私秘性の領域は事後的に構築されていったものだ。
 社会学者・内田隆三(1949-)は『消費社会と権力』(1987)のなかで、「わいせつ性」とも訳される「いかがわしさ=オブシーン obscene」は、場面から退ける「オフ・シーン性 off scene」とつながっていると指摘した。だからこそ、「場違い out of place」な場面で性を持ち出すのは、それ自体タブーを侵犯する不作法なふるまいとなる。そのような性の配置こそが、秘匿によって逆説的に性を特権化するようになったのである。