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『火あぶりにされたサンタクロース』(Claude Lévi-Strauss[著] 中沢新一[訳] 角川書店 2016//1952)

原題:Le Père Noël supplicié
著者:Claude Lévi-Strauss (1908-2009)
訳者:中沢 新一[なかざわ・しんいち] (1950-) 宗教学、人類学。
NDC:389 民族学文化人類学



【目次】
口絵 
新版のための序文(二〇一六年十月) [001-005]
目次 [007]


火あぶりにされたサンタクロース  009
  原注 061
  訳注 062


解説 [071-113]



【関連書籍】
構造主義の冒険』(上野千鶴子 頸草書房 1985)
https://contents-memo.hatenablog.com/entry/20170121/1484320891



【抜き書き】

◆pp. 19-20

われわれは、習俗や信仰の領域でおころうとしている、きわめて急激な変化の前兆を前にしているのだ。こうした変化はまずフランスで起こった。しかしいずれ同じことが、他のところでも起こる。民族学者にとっても、これは貴重な機会である。自分の生まれ育った世界のまっただなかで、儀礼をともなったひとつの新しい崇拝がこのような形で突然発生するのを観察できる機会は、めったにない。しかもこの事件は、発生の原因を追究したり、それが他の宗教生活の形態にどんな影響をあたえているのかを研究したり、人々の行動として目に見えるかたちであらわれたもの(これに対する教会の態度は、間違っていなかった。教会はこの種の問題に対しては、昔からそうとうな体験を積んできているので、こうした行動には表面上の意味をあたえておくだけで、その深層の意味に立ち入ることを、巧妙に避けてみせた)が、精神的社会的な総体におこっているどんな変化に結びついているのかを理解する、絶好の機会をあたえいるのである。

◆pp. 24-25

 アメリカから輸入された習俗は、フランス国民の間では、その習俗がどこからやってきたものかを意識していない人々の間にも、すっかり根を下ろすようになっている。例えば労働者たちは、コミュニズムの影響で、「メイド・イン・USA」のマークをつけたものにはなんにでもケチをつけたがる傾向がある。ところがその労働者たちでさえもが、他の人々とまったく同じように、喜びいさんでアメリカの習俗をとりいれているのである。したがってここで問題になっているのは、単純な伝播の現象ではなく、アメリカの人類学者のクローバー(1876-1960)が「刺激伝播」と名づけた、特別な伝播のプロセスだ。輸入された習俗は、そこではすぐに同化されてしまうのではなく、むしろ触媒としての役割を演ずる。つまりある習俗が輸入されるとき、それに隣接している環境の中で、潜在的な状態のまま眠っていたそれとよく似た習俗の出現を引き起こしてくる、というわけだ。これを、私たちが問題にしているケースにあてはめて考えてみよう。ある製紙業者が、アメリカの商売相手に招かれて、あるいは経済使節団の一員としてアメリカを訪れ、そこでクリスマス用の特別な包装紙がつくられているのを見る。製紙業者は、そこからアイディアを頂戴する。こういうのも、まちがいなく伝播の現象である。

◆p. 31

 ようするにこの伝説は、きわめて古い要素をまぜあわせ、攪拌をくりかえし、他の要素を加えあわせた結果としてできあがったもので、ここには、古い習俗を持続させ、変形し、蘇らせるためのまことに斬新な方式がしめされているのだ。言葉の遊びとしてではなく、まさにクリスマスのルネッサンスとでも呼びたいようなこうしたなりゆきの中には、とりたてて目新しいというものはない。それならばどうして、クリスマスは私たちの内にある種の共通の感情をひきおこし、またある人々にはサンタクロースに対する敵意などをよびおこすのだろうか。これはおおいに疑問としていいところだ。

◆pp. 41-42

 ここまでの分析は、純粋に共時的なものだった。私たちは、儀礼の機能とそれを根拠づける神話を、時間軸を介さずに分析したのである。しかし、通時的な分析をしても同じ結論が得られる。宗教史学者や民俗学者の研究は、フランスのサンタクロースである「ペール・ノエル」の遠い起源が、中世の「喜びの司祭」や「サチュルヌス司祭」ないしは「混乱司祭」などにあることを認めている。これらの名前はいずれも、英語の「混乱王(ロード・オブ・ミスルール)」のほとんど直訳である。彼らはいずれも、短いクリスマスの間だけ「王様」となることを認められた者たちで、ローマ時代のサトゥルヌス祭の「偽王」の性格を、正しく受け継いでいる。
 サトゥルヌス祭は「怨霊」の祭りだ。すなわち、暴力によって横死した者たちの霊や、墓もなく放置されたままの死者の霊を祀るもので、その祭りの主催者であるサトゥルヌスの神は、いっぽうではわが子をむさぼり食らう老人として描かれるが、じつはその恐ろしい姿の背後には、それとまったく対照をなすように、子供たちに優しい「クリスマスおじさん」や、子供たちに贈り物をもってくる角の生えた地下界の悪魔である、スカンジナヴィアの「ユルボック」や、死んだ子供たちを蘇らせ山のようなプレゼントでつつんでくれたという聖ニコラウスや、夭折してしまった子供の霊そのものであるカチーナ神などが、しっかりとひかえているのである。

◆p. 44

 私たちはプエブロ・インディアンの例に重要性をあたえてきた。それは、インディアンの制度と私たちの社会の制度との間には、なんらの歴史的関係をみいだすことができず(プエブロ・インディアンのほうは、十七世紀になって、スペインからの遅まきながらの影響を受けはじめたのだが)、そのことによって、クリスマス儀礼の本質を、歴史的な資料だけによりかかるのではなく、まさに社会生活のもっとも普遍的な条件をかたちづくっている思考と行動の形態のほうから検討していくことができるからである。ローマ時代のサトゥルヌス祭と、中世のクリスマス祭との関係を探ってみても、そこに共通する最終的な儀礼形態というものを、発見することはできない。つまり、もうそこからさき分析をおしすすめていっても、儀礼自体が説明不可能で、意味作用を失ってしまうような最終的形態というものは存在しないのである。ところがそのときでも、比較は可能であり、それは、さまざまな地方にさまざまな形態をとって出現する諸制度を奥深いところで律している原理をあきらかにすることができる。
 クリスマス祭のもつ非キリスト教的な側面が、サトゥルヌス祭に似ていることは、さして驚くこともない。教会がキリストの降誕日を、三月や一月ではなく、まさに十二月二十五日に定めたのには、十分な理由があったからだ。教会はあからさまに、それまでの異教の祝祭を、救世主の降誕祭につくりかえてしまおうとしたのだ。

 


 
 以下は、中沢によるフラフラした解説から。

◆◆p. 77

 贈与はいろいろな意味で大きな問題を、フランスの知識人に突きつけていたのだ。この時期に、マルセル・モースのはじめての論文集『社会学と人類学』が刊行されたが、これはまったくタイムリーな企画で、彼の『贈与論』は、『呪術論』『身体論』などとともに、この頃から現代の思想に、大きな影響力をふるいだした。それを受けて、バタイユレヴィ=ストロースが、それぞれに豊かな展開をおこなった。


◆◆p. 79

 こうして、バタイユが『呪われた部分」に結晶していく仕事に打ち込みはじめていた時期、レヴィ=ストロースは別の方向から、『贈与論』のはらむ思想の問題に、取り組んでいた。『親族の基本構造』(1949年)の中で、彼は結婚による女性の移動を富の運動の一形態としてとらえ、そのような運動を可能にするものとして、近親相姦禁止をとらえることによって、結婚をめぐる古くからの人類学上の問題に、まったく新しい解決をもたらそうとした。

 

 
◆◆p. 84

 国家の宗教の地位をかち得たローマのキリスト教が、もともとは夏に生まれたという伝承のあるイエスの生誕日を、なぜこの真冬の季節にもってきたのか、その理由についてははっきりしたことはわからない。しかし、ひとつだけはっきりしていることは、その選定が、キリスト教の世界化のために、大きな貢献をおこなうことになった、という事実である。イエスは、自分が真冬に生まれたという、後世の捏造に同意することによって、キリスト教が大衆の間に受け入れられていく条件を整えたのだ。クリスマス祭を真冬とした決定は、グレゴリオ聖歌の発明にまさるともおとらない、ローマ教会のすぐれた営業感覚の勝利をしめしている。