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『貧困の基本形態――社会的紐帯の社会学』(Serge Paugam[著] 川野英二,中條健志[訳] 新泉社 2016//2005)

原題:Les formes élémentaires de la pauvreté (Presses universitaires de France, coll. « Le lien social », 2005)
著者:Serge Paugam(1960-) 社会学
訳者:川野 英二[かわの・えいじ] (1968-)
訳者:中條 健志[ちゅうじょう・たけし] (1983-)
装幀:藤田 美咲[ふじた・みさき] 
NDC:368.2 社会病理


貧困の基本形態|新泉社


【目次】
本書の概要 [004]
目次 [005-009]
凡例 [010]


序章 貧困の社会学的分析 011
  測定問題
  研究対象
  厳密に比較主義的なアプローチ


 I  基礎的考察

第1章 貧困の社会学の誕生 033
[1] 大衆的貧困にたいするトクヴィルマルクスの立場 034
  トクヴィル相対主義
  マルクスと余剰人員の問題
[2] ジンメルの決定的貢献 058
  特定の社会学的対象としての貧困
  扶養関係の社会的機能


第2章 貧困と社会的関係 077
[1] 扶助された貧困とその偏差 078
  社会的降格の経験
  労働市場における価値と社会的紐帯の強さ
[2] 貧困への社会的な関係の基盤 078
  変わりうる社会的表象
  体験の対照性
[3] 説明要因 091
  経済発展と労働市場
  社会的紐帯の形態と強さ
  社会保護制度と社会福祉制度
[4] 類型――〈統合された貧困〉〈マージナルな貧困〉〈降格する貧困〉 119



 II  貧困のバリエーション
  イントロダクション 126


第3章 統合された貧困 129
[1] 常態的・再生産的な状態 131
  遺産としての貧困
  常態化した貧困
[2] 家族――生存という問題 141
  家族同居という原則
  家族の連帯の強さ
  家族的価値と宗教実践
[3] インフォーマル経済と恩顧主義 160
  メッツォジョルノで貧困であること
  社会福祉の恩顧主義システム


第4章 マージナルな貧困 171
[1] ほとんど眼に見えなくなった貧困 173
  残余的なものとなった扶助領域
  成長から忘れられた人びと
[2] 表象の安定 189
  「貧困層は結局どこにいるのか?」
  「克服された貧困」
  反論を呼ぶ概念
[3] スティグマ化のリスク 205
  社会的不適応という言葉
  個人主義的な社会的介入


第5章 降格する貧困 217
[1] 社会的不安定〔アンセキュリテ・ソシアル〕の回帰 219
  転落としての貧困という表象
  排除への不安
  フランスとイギリスの新しい社会問題
[2] 空間的降格の新たな形態 232
  ゲットーというイメージ
  「脆弱」と判断された都市区域
  ネガティブなアイデンティティの形成
[3] 失業の経験と社会的孤立 247
  ハンディキャップの蓄積
  社会的紐帯の脆弱性
[4] 不確かな対応策 259
  ターゲットおアクターの多様化
  参入・社会的伴走の政策の限界
  扶助の二つの機能


終章 貧困の科学と意識 277


補論 欧州人は貧困をどのように見ているのか 297
  貧困の可能性
  貧困原因の知覚


日本語版に寄せて [324-336]
註 [337-372]
文献一覧 [373-389]
訳者解題(二〇一六年一月 訳者を代表して 川野英二) [390-409]





【抜き書き】

・「序章 貧困の社会学的分析」から。
 一応、capability approach(A. Sen)の簡単な説明をしている部分。著者はこの厚生経済学の知見を、「記述的アプローチ」だと念押ししている。

〔……〕貨幣や財の欠如という考えから社会全体に及ぶ権力の欠如――あるいは権力を獲得する不可能性――という考えへの移行は、すでにそれ自体、考察するさいの重要なステッブのひとつとなっている。実際に権力の欠如という考えは社会的劣等性の問題に通じるものである。過去数年のあいだ、消費や収入の水準からではなく、個人がそれらにアクセスする能力(ケイパビリティ)から貧困を理解すべきとするアマルティヤ・センの提案によって、この問題に関する論争が投げかけられてきた。センによると、貫困は基本的ニーズの充足の欠如よりも『能力の欠乏』から、つまり個人がかれらにとって善いと思われるものを選択することができないということからのほうが把握しやすい。そこから言えることは、公正なやり方で優先的に分配しなければならないのは所得ではなく、各人が尊厳をもち良識をもった生活を送ることができるための自己実現(人間的機能)を開発する能力である。このようにセンは、経済学者にたいして、物質的財だけではなく、表現の自由や尊厳、自己の尊重、社会生活への参加一般、いいかえれば個人が統合され他者に承認された社会的存在となるために役立つものすべてを考慮するよう促している。
 この革新的な定義は、貧困層の記述的アプローチを埋論的に考察することによって、そのアプローチを豊かにし、考察を根拠づけている。この定義はまた、剥奪とみなされているものが社会によってはっきりと異なりうることを認める。とはいえこの定義は、それが依然として部分的に免れることのない測定問題を解決していない。むしろ逆に、この定義はこの問題をさらにいっそう複雑なものにすらしている。したがって貧困層の記述的アプローチは、ほとんど不可避的に、採用された方法の相対的で、恣意的な部分をもつ特徴にぶつかることになる。


・つづいて著者は、貧困を研究する(「経済学」ではなく)「社会学」の対象は「貧困の概念そのもの」だと大見得を切る。
 例えば、貧困線は根源的には恣意的だとも。なお個人的には、貧困線の解説としては阿部彩(2008)『子どもの貧困』の第二章が簡潔で、安価でアクセスしやすいと思う。
 2段落目には「数量化は〔……〕社会学者にとっては、それによって貧困の意味そのものへの問いかけが阻害され、またその問いかけが失われてしまう」と書かれている。その懸念は私にも分かるが、どの程度の重大さなのかは明かされていない。
 

 貧困の社会学貧困層の記述的・計量的マプローチに還元されることはない。貧困の社会学は貧困の概念そのものを問いなおさねばならない。社会学者にとって、貧困層の特澂を社会のその他の層と対比させる二頂対立的な推論は疑わしいものである。貧困線の定義は、それが精緻で正確なものであったとしても、つねに恣意的である。〔……〕したがって、該当する人口の割合を劇的に変えるためには、公的な貧困線を少し変えるだけで十分なのである。この結果が示しているのは、設定された貧困線のあたりに世帯が多く集中していること、また貧困線は現実にはおそらく同じような条件で生活している人びとのあいだに決定的な断絶を生み出していることである。
 このことは、貧困の統計的指標を必要としないという意味ではない。それどころか、これらの指標は国や地域間で比較する際に役立つといえるだろう。しかしこのアプローチにとどまらないことがきわめて重要なのである。貧困層の数量化は一般的な認識では考察の前提条件となっているが、他方で社会学者にとっては、それによって貧困の意味そのものへの問いかけが阻害され、またその問いかけが失われてしまうという意味で、まさに認識論的障害となるかもしれないのである。
 社会学者が問わねばならない本質的な問題はシンプルなものである。つまり、如何にしてある所与の社会で、貧者はたんに貧しいだけでそれ以外のものでもないものとされるのか.いいかえれば、貧者の社会的地位を成り立たせるものは何か。いかなる本質的な基準から、ある人物がすべての人の眼に貧しいと映るのか。いかにしてその人物は、なによりもまずその貧しさによって定義されるのか。〔……〕この問題にたいして初めて明確にそして直接に答えたのは、20世紀初めのゲオルグジンメルである。ジンメルにとって、貧者の地位を決定するのは、ある人物が集合体から公的に受けとる扶助である。扶助を受けることは、貧者の条件を識別する標識であり、特殊な階層へとかれらが社会的に帰属する基準である。貧者はかれらが他のすべての人びとに依存していることによって定義されるという理由で、必然的にその価値を貶められる階層である。この意味で、扶助を受けるということは、少なくとも短期的には他の人びととの補完性と互酬の関係に参加することができないまま、他の人々からあらゆるものを受け入れる、ということである。特別に与えられる救護の受給者である貧者は、たとえ一時的なものであろうとも、社会がかれに与え、最終的にかれら自身が内面化するネガティブなイメージとともに生活することを受け入れ、もはや無用な者となること、しばしば『望まざる者たち』と呼ばれるものに属するということを受け入れざるをえないのである。本書の第1章で、私は貧者のこうした定義と分析の社会学的な射程のすべてを提示したい。

……というわけで、ここまでが「第1章 貧困の社会学の誕生」への前置きを果たしていた。