著者:詫摩 佳代[たくま・かよ](1981-) (旧姓:安田 佳代 )。国際政治学。国際機構論。
件名:国際保健協力--歴史
NDC:498.02 衛生学.公衆衛生.予防医学
人類の歴史は病との闘いだ。ペストやコレラの被害を教訓として、天然痘を根絶し、ポリオを抑え込めたのは、20世紀の医療の進歩と国際協力による。しかしマラリアはなお蔓延し、エイズ、エボラ出血熱、新型コロナウイルスなど、新たな感染症が次々と襲いかかる。他方、現代社会では、喫煙や糖分のとりすぎによる生活習慣病も課題だ。医療をめぐる格差も深刻である。国際社会の苦闘をたどり、いかに病と闘うべきかを論じる。
【目次】
はしがき [i-viii]
目次 [ix-xiv]
序章 感染症との闘い――ペストとコレラ 001
1 ペストと隔離 002
アジアからヨーロッパへ
『デカメロン』に見る中世のペスト
隔離政策への反発
2 コレラと公衆衛生 009
アジアから世界的流行へ
公衆衛生設備の発展
国際保健会議の開催
スエズ運河の開通
国際衛生協定の締結
クリミア戦争での蔓延
赤十字社の設立
感染症との闘いが遺したもの
第1章 二度の世界大戦と感染症 025
1 第一次世界大戦と感染症 026
塹壕での生活
マラリアの流行とキニーネの限界
アメリカの参戦とスペイン風邪
強大化したインフルエンザ
2 大戦後のチフス 034
赤十字社連盟のイニシアティブ
感染症委員会の発足
ロシアへの支援
3 国際保健協力の発展 040
マラリアへの取り組み
植民地での活動
感染症情報業務
国際標準化事業保健協力と国際政治
4 第二次世界大戦における薬の活躍 047
サルファ剤の登場
ペニシリンの登場
抗マラリア薬クロロキンの登場
DDTの活用から禁止へ
第二次世界大戦と国際保健協力
第2章 感染症の「根絶」――天然痘、ポリオ、そしてマラリア 057
1 WHOの設立 058
「健康」の新しい解釈
サンフランシスコ会議での進展
影の立役者たち
加盟国と名称をめぐる駆け引き
非自治地域の加盟をめぐって
冷戦の影響
国際政治とのせめぎ合い
2 天然痘根絶事業 068
恐れられた疫病
天然痘子防接種の登場
フリーズドライ・ワクチンの普及
ソ連のイニシアティブ
全人口の八割接種を目指して
米ソの協力
根絶に向けた努力
サンブルを破棄するか否か
3 ポリオ根絶への道 080
二つのワクチンの登場
生ポリオワクチン実用化に向けた米ソ協力
ポリオワクチンをめぐる問題
ポリオ根絶に立ちはだかる壁
4 マラリアとの苦闘 091
アメリカの勧め
DDTの副作用
マラリア根絶プログラム始動
耐性蚊との闘い
根絶プログラムへの二つの評価
資金調達メカニズムの登場
なぜマラリアへの関心が高まっているのか?
蚊帳・新薬・ワクチン
感染症との闘い
第3章 新たな脅威と国際協力の変容――エイズから新型コロナウイルスまで 107
1 エイズは撲滅できるか 109
感染症の世紀
エイズの特異性
難しい予防
差別と偏見
国連合同エイズ計画の設立
安全保障上の課題として
資金の動員
治療をめぐる状況
HIVワクチンの開発
2 アジアを震撼させたサーズ 128
謎の新興ウイルス感染症
対応の光と影
国際保健規則の改定
3 エボラ出血熱の教訓 133
再興ウイルス感染症の流行
流行を長引かせた要因
国連エボラ緊急対応ミッションの活躍
エボラの教訓
4 新型コロナウイルスと国際政治 141
感染症が安全保障を脅かす
中国のリーダーシップ?
中対立の影響
いかに感染症と向き合うか?
第4章 生活習慣病対策の難しさ――自由と健康のせめぎ合い 147
1 生活習慣病の台頭 148
感染症から生活習慣病へ
発展途上国を蝕む非感染症疾患
早期発見、治療、予防の取り組み
2 生活習慣病予防策の障壁
糖分の摂取量をめぐる攻防
ソフトドリンクへの課税?
フードガイドをめぐる攻防
アルコールの過剰摂取
自由か、健康か?
3 喫煙と人類社会
たばこと健康
元祖嗜好品
政府による規制の始まり
規制を望む努力が優勢に
4 たばこ規制の進展と将来 168
難航した交渉
締結に至った背景
市民社会組織の活躍
たばこ規制枠組み条約の採択
パッケージをめぐって
なお残る課題
新型たばこの登場
日本における規制
新興国・発展途上国での現状
自由への脅威?
第5章 「健康への権利」をめぐる闘い――アクセスと注目の格差 189
1 医薬品アクセスをめぐる問題 190
基本的人権としての健康
必須医薬品へのアクセス
政府による規制の不備
市場メカニズム
トリップス協定による特許保護
トリップス協定の柔軟性
先進国の圧力と途上国の対抗措置
パテントプールの創設
C型肝炎の治療薬へのアクセス拡大
国境なき医師団などの活動
2 顧みられない熱帯病 207
注目の格差
貧困と深い関係にある病
高まる関心パートナーシップの活躍
DNDiの取り組み
「健康への権利」の実現に向けて
人類と病――闘いの行方
あとがき(二〇二〇年三月 詫摩佳代) [222-225]
参考文献 [226-238]
【図表一覧】
図0-1 「コレラ王の宮廷」と題する風刺画(『Punch』1852年9月号) 011
図0-2 クリミア戦争での死者の内訳 019
図1-1 2000年にマラリアが国内発生した国とその2018年までの状況 029
図1-2 アメリカ・ジョージア州サバンナでの飛行機を使ったDDT散布(1950年) 052
図2-1 患者発見カードを手に呼びかけるスタッフ 078
図2-2 ポリオ患者の子供たち(コンゴ民主共和国、2006年) 081
図2-3 生ポリオワクチンの接種(バングラデシュ、2007年) 082
図2-4 定期予防接種におけるポリオワクチンの使用状況 087
図2-5 日本におけるポリオ患者数の推移(1950〜2000年) 088
図3-1 近年の新興ウイルス感染症と再興ウイルス感染症 111
図3-2 新たなHIV感染者数の推移(1990〜2018年) 113
図3-3 地域別の新たなHIV感染者数の推移(2000〜2018年) 114
図3-4 中西部アフリカにおいて、不特定の相手などハイリスクな性交渉を行う際、コンドームを使用する若者(15〜24歳)の割合(2013〜2017年) 117
図3-5 国連PKOの派遣先とHIVの流行地 121
図3-6 エイズ対策資金の推移(2006〜2017年) 123
表3-1 サーズの流行と患者の分布(2003年) 129
図3-7 感染症流行時の各国の対応能力の状況 132
図4-1 日本の死因別死亡率の推移(1947〜2018年) 149
図4-2 世界の死因別死亡率 150
図4-3 アメリカのフードガイド(1992年) 157
図4-4 アメリカのフードガイド(2001年) 157
図4-5 イギリスのフードガイド 158
図4-6 日本の「食事バランスガイド」 158
図4-7 第一次世界大戦時のカナダのポスター 164
図4-8 アメリカにおけるたばこ消費の推移(1900〜1998年) 165
図4-9 プレーンパッケージ導入後のオーストラリアのマールボロ 175
表4-1 WHOのプログラム予算の比較 185
図5-1 GDPに占める保健関連予算の割合の推移(2000〜2016年) 196
表5-1 顧みられない熱帯病 208
図5-2 アメリカのグローバル・ヘルス資金の内訳(2019年) 210
図5-3 顧みられない熱帯病の重複分布 212
図5-4 顧みられない熱帯病にあてられているアメリカの予算の推移(2006〜2020年) 214
【抜き書き】
□pp. 182-183
新興国・発展途上国ではさらに規制が進んでいない。シンガポール、タイ、南アフリカ、ウルグアイ、ベネズエラなど一部の途上国では厳しいたばこ規制政策を敷いているが、それ以外の途上国では、たばこの経済的価値はいまだに重要であり、たばこの栽培をむしろ促進する傾向にある。たとえば中国では二〇〇五年度、国営たばこ専売会社は一・七兆本の紙巻きたばこを生産し、三〇〇億米ドル相当の収益を生み出した。〔…中略…〕このような状況ゆえに、健康保護や人権の観点から反たばこグループが組織化される余地もあまりない。
pp. 207-208
注目の格差
「健康への権利」を確保する上で大きな問題が、注目の格差である。前章で述べた通り、近年、保健問題は安全保障の課題として、さらに経済への影響ゆえに、注目を集め、多くのアクターが関与するようになり、資金枠組みが形成されてきた。しかし、数ある保健課題に一様に関心が注がれているわけではない。高まる関心や資金投入の多くは、先進国の経済や安全保障に関わる病(エイズやマラリアなど)に注がれ、関心が注がれる課題とそうでない課題の格差が広がっている。
たとえばグローバルな資金の内訳で見ても、その多くがエイズ、マラリア対策に注がれている。途上国にとって大きな負担となっているにもかかわらず、それに見合った国際的注目を集めていない課題がある。「顧られない熱帯病」と呼ばれるものである。顧みられない熱帯病にはトラコーマや狂犬病、デング熱など、一八の疾患が含まれる(表5-1参照)。二〇一八年のWHOの統計によると、七四ヶ国以上の一〇億人を超える人が顧みられない熱帯病の主要な五つの病気(リンパ系フィラリア症、オンコセルカ症、住血吸虫症、土壌伝播寄生虫症、トラコーマ)の少なくとも一つを患い、その治療を受けているという。
□pp. 223-224
なぜWHOを中心とする協力の枠組みが存在するに至ったのか、その原点にたち返る必要があるように思う。結局、国際協力なくして人類は感染症に対処することはできないのだから。
健康を守るための国際協力は、感染症などの外敵に対抗しうるのみならず、国際社会の平和や友好といった内なる結束を固めることにもつながりうる。国際社会は主権国家によって分断されているが、感染症や非感染症疾患など様々な脅威から人間の健康を守ることは、国際社会における数少ない共通の価値観となる。もちろん、国家間の基本的な信頼関係が存在しなければ、保健協力も難しいことが多い。それでも、各国で自国第一主義が蔓延する今日だからこそ、人間の健康は国際協力によってしか守られないこと、そして国際保健協力に内在する政治的潜在力を、より多くの政治指導者が認識し、活用する必要があるように思う。人間の健康を確保していく上での保健協力の重要性と、保健協力の政治的な潜在能力。この二つについて、理解と関心を深めていただければ、本書の目的は達成される。