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『社会を知るためには』(筒井淳也 ちくまプリマー新書 2020)

著者:筒井 淳也[つつい・じゅんや] 家族社会学、計量社会学
イラスト:宇田川 由美子 イラストレーター。
装幀:クラフト・エヴィング商會 
NDC:361 社会学 


筑摩書房 社会を知るためには / 筒井 淳也 著


【目次】
目次 [003-008]
はじめに [009-011]


第一章 「わからない世界」にどう向き合うか 013
1 世界は思っているより「わからない」 013
  少子化は誰かによって引き起こされたものではない
2 世界は思っているより「緩い」 016
  分業でも分配は難しい
  仕事と報酬の緩いつながり
3 専門化する社会 021
  身近な制度すらわかりにくい社会
4 「わからないこと」が増えていく 025
  専門家もわかりにくくしたいわけではない
5 絡み合う社会 029
  女性の移民労働者の増加にみる社会の絡み合い方
  新型コロナウイルスの影響を専門家は見通せたのか
  誰もが専門家であることで生じる壁
6 動き続ける社会 036
  動いているシステムをいじることの困難さ
  社会を観察・説明するのが難しい理由
7 自分たちで作り上げたよくわからない世界 044
8 本書について 046


第二章 専門知はこうしてつくられる 049
1 社会と切り離される専門知 049
  経済学は自分の「土俵」にあげて勝負する
2 社会をかたちづくる専門知 054
  政治と経済も「緩く」しかつながっていない
3 自分の土俵をつくらない学問 057
  世界をそのまま理解しようとする社会学
  未婚化・晩婚化をいかに説明するか
4 社会全体の理論――グランド・セオリー 064
5 哲学の動向と社会学 068
  存在論と認識論が与えた影響
6 社会の認識は、社会のあり方の認識に依存する 072


第三章 変化する社会をどう理解するか 075
1 「すでに作られた環境」に投げ込まれる人間 075
2 人間と社会についての二つの見方 078
  言語も自転車もよくわからずとも使えている
3 人間が社会を作るが 082
  構造は行為の「意図せざる結果」
4 個人と社会の「緩い」関係 085
  女性の労働力参加を起こした緩いつながり
  意図せざる結果としての社会変化
  子どもがたくさんいた時代のほうが核家族が増えやすい
5 副作用 092
  メキシコの運転禁止による意図せざる結果とは
  日本での様々な意図せざる結果
6 陰謀論を生み出す欲望 098
  快楽を与えがちな陰謀論
7 意図と結果の緩みのない関係 103
  地球温暖化陰謀論
8 「緩い」ほうが「科学的」? 106
  思いがけない副作用は常に起きる可能性がある


第四章 なぜ社会は複雑になったのか 111
1 社会の規模 111
2 社会の厚み 113
  メディアによって厚みと広がりは増していく
3 近代化 116
  資本が大きくなると分業も進む
4 分業による連帯 119
  「逆に考えた」デュルケム
5 分業をめぐる壮大な意図せざる結果 122
  計画経済で分業の問題は解決するのか
6 保守主義と理性の限界 126
  急激な社会変化に懐疑的な保守主義
7 思い通りにならない経済 129
  資本も分散化するようになる
  デュルケムによる処方箋
8 官僚制 134
9 変わってしまった世界 137
  「迷える専門人」として生きる
10 社会変化について考えてみる 140
  日本の働き方と女性活躍について説明してみよう
  内部労働市場の意図せざる結果とは?


第五章 変化のつかまえ方 147
1 社会を記述する 147
  記述と分析の違い
2 記述より説明? 150
  研究者は記述だけではダメなのか
3 「原因と結果」以外の説明 152
  父系・母系にみる家族の関係
4 親子関係の変化を説明する 160
5 見えにくいところに光を当てる 163
  結果を比べるだけでは見えてこないもの
  密接に結びつく社会の記述と説明
6 理論の意味 168
  現実から距離を取ることの意味
  誰かやっても同じ結果になる重要性
7 自然言語による「理論」 173
  言語による理論は理論なのか
  身内のコネより弱いつながりが就職には効く?
  経済学にも言語による理論はある
8 「一回きり」でも理論? 180
  社会の出来事は常に他でもありえたもの


第六章 不安定な世界との付き合い方 185
1 「不安定さ」と「意味のなさ」 185
  宗教的権威が失われた現代社
  立ち現れる二つの問題
2 不安の中で生きること 189
3 日常生活に潜むリスク 193
  偶然が重なりあう悲劇
  失敗は誰にも起こりうる
4 不安定な中の舵取り 197
  変化との向き合い方
5 社会と安定 201
  生活が安定していれば、不安定にもコミットできる
6 どこまで責任を負わすのか? 205
7 理屈と議論 208
  理屈の緩さを活用するには
8 社会は「他でもあり得る」 213


あとがき [216-218]
読書案内まとめ [219-221]




【抜き書き】


陰謀論と社会科学、理論の説明力。(pp. 106-110)

 8 「緩い」ほうが「科学的」?

  陰謀論では、権力によって人・組織の意図と結果の強いつながりは隠されていますが、その構図は非常にシンプルでわかりやすいものです。ここに陰謀論が映画でも政治でも人気である理由があります。人々は、わかにくい緩いつながりを地道にがんばって認識し理解するよりは、わかりやすい善悪二元論を好むからです。これはシンプルに合理的な傾向であって、要するに人々は「考えること」「調べること」にかかるめんどうくさい作業をしたくない、つまり「思考にかかるコストを削減したい」わけです。もちろん、社会科学はこのわかりやすい図式から慎重に距離を取るべきです。なにしろ、研究者とはまさにこの思考コストを支払うことが仕事なのですから。
  二〇世紀を代表する哲学者の一人、カール・ポパーもしばしば陰謀論の問題を取り上げています。ボパーは、会長す考え方と社会科学の関係について、次のようにクリアに論じています。

 ここに述べたことは、社会理論の真の課題は何かという問題に対する手がかりとすることができる。ヒトラーは陰謀をめぐらし、それは失敗した、とわたくしは言った。なぜ失敗したのか。他の人々がヒトラーに対抗して陰謀をはかったためではない。それが失敗したのは、単に、いかなることもまさに意図したその通りには決してならないということが、社会生活に関する驚くべき事柄の一つだからである。もちろん、われわれはある目標を心に描いて行動する。しかし、これらの目標とは別に、我々の行為の欲せざる結果がつねに生じる。……なぜそのような結果を除くことができないかを説明すること、これが社会理論の主要な課題なのである。(邦訳 二〇〇頁)
カール・ポパー『推測と反駁』(藤本隆志 他訳、法政大学出版局、一九八〇年)

  このように述べつつ、ポパーは社会科学者に向けて「出来合いの陰謀論で社会科学に接近する人々は、そうすることによって、社会科学の課題が何であるのかを理解する可能性をみずから否定してしまっている」(二〇一頁)という警告を発します。このメッセージは、間違いなく重要なものです。ですが、ここではもう一歩踏み込んでみたいと思います。


   思いがけない副作用は常に起きる可能性がある
  ポパーが先程の引用で指摘しているのは、意図せざる結果のうち、意図を貫徹できなかったパターンです。少し前のところで、日本の雇用安定化や研究における「選択と集中」の例で説明したものですね。しかしすでに述べたとおり、むしろ見えにくいのは「意図は達成されているが、副次的結果が見通しにくい」パターンでしょう。私たちは無数の制度・構造が絡み合っている社会という環境に投げ込まれていますから、思いもかけない出来事は常に発生します。私たちはその絡み合いのほんの一部しか認識できません。意図と構造の関係は、直接的なものではありえず、緩みのある関係で結ばれています。
  そのため、社会を説明する理論も、ある程度緩みを含みこんだものであったほうが、説明力が高くなることがあるのです。ギデンズの構造化理論はそういった理論の一つです。
  逆説的に聞こえますが、こと社会的現象や社会変化についていえば、一定の緩みをその中に含みこんでいる知見の方が、全体としては適切な説明を与えることがあるのです。
  それは、一つには、結果の原因として誰かあるいは何らかの組織の意図を必ずしも想定しないからです。構造化理論では、世界を動かす要因として意図以外のものを強調します。誰も、女性の職場進出を促すために戦争を起こしたわけではありません。この世の誰も意識していないようなつながりの連鎖で、社会は動いています。
  意図せざる結果が紡ぎ出す関連性を暴き出すのは、ジャーナリストが陰謀論を暴くよりも、ある意味でもっと大変な仕事です。たいへんなわりに、陰謀論を暴くよりもずっと地味な作業です。しかし間違いなくこの作業は重要なのであって、決して軽視してはならないのです。




社会学の理論に含まれる〈緩み〉の意義。(pp. 173-174)

7 自然言語による「理論」

  明確に定義され解釈に緩みがない概念と、再現性のある演繹的な推論こそが、科学の「土俵」です。すでに述べたとおり、科学は対象をこの土俵に引き寄せることで、強みを発揮します。しかしながら、これも(主に第三章で)述べてきたように、実際には私たちの社会は「緩み」を含みこんだ不安定なものです。したがって、科学的な概念や理論は、現実世界から距離のあるものになりがちです。
  現実が緩みにあふれているからこそ、科学はそこから距離をとって緩みのない土俵で勝負すべき、という考え方もできるでしょう。私は、この考え方を否定することには全く意味がないと考えています。
  しかし他方で、緩みに満ちあふれた対象をよりよく理解し、記述・説明するためには、多少の緩みを含みこんだ概念や理論も許容すべきだ、という考え方もできますし、こちらも頭ごなしに否定してかかるべきではない、と私は思います。
  実際、対象に寄り添うことを特徴とする社会学で用いられる概念や理論は、他の分野と比べて相対的に「緩い」ものが多く見られます。もちろん、社会学には数理社会学という分野があって、先ほど紹介したFKモデルのように、数式を用いた演繹的な推論を行う社会学者もいます。とはいえ、それが標準的となっている経済学と比べると、緩みのない演繹的推論が利かせている幅はきわめて小さいものです。