contents memorandum はてな

目次とメモを置いとく場

『資本主義と奴隷制』(Eric Williams[著] 中山毅[訳] ちくま学芸文庫 2020//1968//1944)

原題:Capitalism and Slavery
(博士論文)The Economic Aspects of the Abolition of the Slave Trade and West Indian Slavery(1938)
著者:Eric Eustace Williams(1911-1981) 政治家。歴史学者
訳者:中山 毅[なかやま・たけし](1930-) 文学。百科全書派の研究。
解説:川北 稔[かわきた・みのる](1940-) 歴史学。イギリス近世史・近代史。世界システム論。
NDC:332.33 経済史・事情.経済体制


筑摩書房 資本主義と奴隷制 / エリック・ウィリアムズ 著, 中山 毅 著


【メモランダム】
・底本:『資本主義と奴隷制―― ニグロ史とイギリス経済史』理論社、1968年。
・和訳ヴァリエーション:山本伸[監訳]『資本主義と奴隷制―― 経済史から見た黒人奴隷制の発生と崩壊』明石書店、2004年。


【目次】
序文(エリック・ウィリアムズ ハワード大学 ワシントン特別区 一九四三年九月一二日) [003-005]
献辞 [006]
目次 [007-010]
凡例 [012]


第一章 黒人奴隷制の起源 013


第二章 黒人奴隷貿易の発展 056


第三章 イギリスの商業と三角貿易 089
A 三角貿易 089
B 海運と造船 099
C イギリスにおける大海港都市の発達 104
D 三角貿易の取扱い品目 111
  1 毛織物
  2 綿織物製造業
  3 製糖
  4 ラム酒の蒸留
  5 安ぴかもの
  6 冶金工業 


第四章 西インド諸島勢力 144


第五章 イギリスの産業と三角貿易 165
A 三角貿易の利潤の投資 166
  1 金融業
  2 重工業
  3 保険業
B イギリス産業の発展―― 一七八三年まで 176


第六章 アメリカ革命 181


第七章 イギリス資本主義の発展―― 一七八三〜一八三三 209


第八章 新産業体制 224
A 保護貿易か、自由放任か? 226
B 反帝国主義の成長 235
C 世界における砂糖生産の増大 240


第九章 イギリス資本主義と西インド諸島 255
A 綿織物製造業者 256
B 製鉄業者 260
C 毛織物工業 264
D リヴァプールグラスゴー 267
E 製糖業者 270
F 海運および船員外 274


第十章 〈実業界〉と奴隷制 279


第十一章 〈聖人〔ザ・セインツ〕〉と奴隷制 292


第十二章 奴隷と奴隷制労 323


第十三章 結論 341


訳者あとがき [347-352]
注 [353-422]
文献解題 [434-423]
  I 原資料(手書)
  II 原資料(刊本)
  III 二次資料
解説 「周辺」から世界の歷史を見る(川北稔) [433-441]
  
索引 [442-463]





【関連記事】
・わずかながらグローバル・ヒストリー系。

『グローバル経済史入門』(杉山伸也 岩波新書 2014)
https://contents-memo.hatenablog.com/entry/20200113/1578891600

『なぜ豊かな国と貧しい国が生まれたのか』(Robert C. Allen[著] グローバル経済史研究会[訳] NTT出版 2012//2011)
https://contents-memo.hatenablog.com/entry/20200117/1579186800


・産業化の原因を色々考察したもの。刊行年順。これら以外に、有名な研究は他にもある。

プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(Max Weber[著] 中山元[訳]日経BPラシックス 2010//1904)
https://contents-memo.hatenablog.com/entry/20140425/1486538787

ユダヤ人と経済生活』(Werner Sombart[著] 金森誠也,安藤勉[訳] 講談社学術文庫 2015//1994//1911)
https://contents-memo.hatenablog.com/entry/20150217/1491234414

『ヨーロッパの奇跡――環境・経済・地政の比較史』(Eric Lionel Jones[著] 安元稔,脇村孝平[訳] 名古屋大学出版会 2000//1981)
https://contents-memo.hatenablog.com/entry/20150705/1487829092

『銃・病原菌・鉄―― 1万3000年にわたる人類史の謎〈上・下〉』(Jared Diamond[著] 倉骨彰[訳] 草思社文庫 2012//2000//1997)
https://contents-memo.hatenablog.com/entry/20141209/1473579333

『日本型資本主義――その精神の源』(寺西重郎 中公新書 2018)
https://contents-memo.hatenablog.com/entry/20191021/1571583600





【抜き書き】


・(理論社版 1968年に付された)訳者・中山毅による熱い「訳者あとがき」から(p. 348)。

  ウィリアムズ博士は、一九六二年、トリニダード=トバゴの独立に際し、同国の首相として激務に追われながらも、〔……〕『トリニダード=トバゴ人民の歴史』一巻を書かれた。「民族の独立という事実そのものが、トリニダード=トバゴの歴史を書くことを義務とした」からである。人民が自身の歴史、自身の過去にかんする適切な知識をもたずに正しい自立の途を歩むことはできない、と博士は確信される。まさしくそのために、「インド、アフリカ等のところの如何をとわず、植民地における民族運動は、宗主国の歴史家の供給する歴史を書き改めること、宗主国が無視し看過したまさにその地点において歴史を書くことを喫緊のものとした」のである。


以下、川北稔「解説」から。

・本書の意義について。『プロ倫』的な理解とウィリアムズ・テーゼ。

  イギリスが世界で最初の産業革命(工業化)に成功し、ヴィクトリア時代の繁栄を謳歌したことは、近代史上、最大の出来事であった。したがって、なぜそれがイギリスだったのか、ということは、歴史学の大問題となってきたのも当然である。この問いに答えようとする場合、基本的に二つの立場がありうる。イギリス人の偉業としてそれを見る立場と、植民地を含む世界的な連関のなかにそれを置いて見ようとする立場とである。前者は、いわゆる一国史観であり、後者は世界システム論やグローバル・ヒストリの立場である。
  たとえば、本書五章には、今日に続くイギリス系の有力な国際金融機関、バークレー銀行の創業者たちに関連した箇所がある。バークレー家は敬虔なクエーカー教徒、つまりビューリタンの一家であった。かつては、一国史観に基づいて、産業革命がイギリス人、とくにピューリタンの勤勉と禁欲と合理主義の精神によって生み出されたという見方が有力であった。とくに、西洋型近代を理想とする近代化論一色であった戦後日本の歴史学では、この点のみがとりあげられ、産業革命プロテスタントの信仰とそのネットワークによってもたらされたかのように喧伝された。バークレー家の資産が、もともとは奴隷貿易奴隷制プランテーションの経営によって蓄積されたものであることは、見落とされてきたのである。
  西インド諸島人としてのウィリアムズの立場は、むろん、違っていた。カリブ海の黒人の立場からみれば、イギリス産業革命は、「アフリカ人奴隷の汗と血」の結晶でしかない。
  このことを、徹底的に主張したのが、本書であり、いまでは「ウィリアムズ・テーゼ」として広く知られている歴史観である。

・日本での受容。

  日本では、本書は中山毅氏の手によって、早くも一九六八年に理論社から翻訳出版されたが、一国史観全盛の時代であったから、歴史学界ではまったく評価されなかった。そもそも中山氏自身文学研究者で、歴史家ではなかったことが、その間の事情を暗示している。 

 
・著者の手による「序文」から(p. 3, 4)。

  本研究は、イギリスを範例とする初期資本主義と黒人奴隷貿易、黒人奴隷制および一七・一八両世紀における植民地貿易一般との関係を、歴史的パースペクティヴのうちに位置づけようとする試みである。

  しかしながら、本書は思想ないし解釈にかんする論究ではない。本書は、イギリス産業革命の資金需要をまかなった黒人奴隷制および奴隷貿易、ならびに奴隷制体制の崩壊をもたらした成熟した産業資本主義の役割にかんする厳密に経済学的な研究である。それゆえ、第一に、イギリス経済史にかんする研究であり、第二に、西インド諸島史および黒人史にかんする研究である。奴隷制の制度的研究ではなく、イギリス資本主義の発展にたいする奴隷制の貢献にかんする研究である。


・本文。「奴隷」と「年季契約奉公人」への処遇。第二章から(pp. 63-64)。

  中間航路の「恐怖」は、誇張されている。これについては、イギリスの奴隷貿易廃止論者の責任が大きい。奴隷貿易廃止論者たちがいやがうえにも積み上げた非難の山には、どことなく無知あるいは偽善ないしその両方の臭いがまつわりついている。そのころまでにはすでに、問題の航路はイギリスにとっての死活問題ではなくなり、利益も減少していた。ある西インド諸島プランターが、議会にたいしこう指摘したことがある。奴隷貿易のあがりを頂戴してきた国の議員選良が、その奴隷貿易に犯罪という烙印を押せた義理ではあるまいと[※24]。年季契約奉公人の大量死亡を見過ごしてきた時代に、奴隷の大量死亡にだけ神経質になる理由はなかった。プランテーションにおける奴隷の搾取と、封建農奴の搾取またはヨーロッパの都市における貧民層にたいする仕打ちとが、本質的に異なっているとする理由もなかった。
  反乱や自殺は、奴隷船におけるほうが他種船舶におけるよりもはるかに多くみられたことは明らかである。また、運動のきびしい制限や残酷な取扱い等は、おそらく、奴隷の死亡率を高める一因となっていたであろう。しかし、そうした高死亡率は奴隷船にかぎらず、年季契約奉公人の輸送船、さらには自由な乗客を運ぶ船においてさえみられるのであって、その根本的原因は、第一に流行病に求められなければならない。航海は長く、食物・飲料水を保蔵することは困難であり、流行病の蔓延は避け難かった。第二に、積み過ぎの慣行化という事実に求められなければならない。

[24] Cobbet's Parliamentary Debates, IX, 127. George Hibbert , March 16, 1807.