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『当事者と専門家――心理臨床学を更新する』(山崎孝明 金剛出版 2024)

著者:山崎 孝明[やまざき・たかあき](1985-) 臨床心理学。精神分析。
装丁:永松 大剛[ながまつ・だいごう](1971-) ブックデザイン。
件名:臨床心理学
NDC:146 心理学 >> 臨床心理学.精神分析学
NDLC:SB231


当事者と専門家 - 株式会社金剛出版


【目次】
まえがき [003-007]
目次 [008-014]


序論――心理臨床学を再考する 015
  文献 021


  第I部 心理臨床学を更新する

第1章 心理臨床学を構想する 025
  「純金コンプレックス」 025
    純金の魅力
    心の不確実性と純金の確信性、そして有害性
  ふたつの評価軸――「専門家評価」と「ユーザー評価」 031
    専門家評価
    ユーザー評価
    両者のパワーバランス
  更新される専門家評価/ふたつの専門知――「学派的言説」と「領域の知」 036
    学派的言説――「深さ」の知
    領域の知――「広さ」の知
  心理臨床学の更新のためのふたつの回路 039
    外部からの更新
      ヘルスケアシステム理論、当事者研究――ユーザー評価の取り入れ
      社会論的転回――社会的活動としての心理療法・心理援助
    内部からの更新
      治療構造論――既存の知の深化
      臨床エスノグラフィー――新奇な知の輸入と定位
  小括 049
  註・文献 050


[補論]心理臨床学のあるべき姿はいかなるものか? 053
  註・文献 058


第2章 心理臨床学を解剖する――その歴史と現在地 059
  これまでの心理職教育――その構造的困難 059
    未完の制度設計
    大学院、積みすぎた方舟
      大学で実践家を養成することの困難
      教員の選抜基準と業務のミスマッチ
      領域を拡大していく心理臨床学の性質からくる困難
      大学の変質
    過積載の結果――教員の「純金コンプレックス」
      教員のアイデンティティ・クライシス
      教員の純金コンプレックスへの対応
    「独り善がり」教員の「ロジック」とその弊害
      ロジックその①――「深さ」
      ロジックその②――「エビデンス」
      「ロジック」を可能にする閉鎖空間における権力
    「独り善がり」教員が心理臨床学にもたらした歪み
  現在の心理職教育 077
    現在の大学教育――公認心理士養成の重視
    臨床心理士と公認心理士、あるいは学派的言説と領域の知
  あるべき心理臨床学と現状の心理臨床学との乖離 082
    「静的な知」と「動的な知」
    心理臨床学の知の産出にまつわる現状
  註・文献 087


第3章 心理臨床学を展望する 089
  専門知としての心理臨床の知 090
  大学・大学院教育 093
    「静的な知」の伝達
      審理臨床全体の見取図
      学派的言説
      アセスメント
      異文化コミュニケーションの発想と技術
      倫理
    「動的な知」の伝達
      学内実習
      学外実習
  卒後教育 103
    教育
    コミュニティづくり
    全国区の組織運営
  教員と臨床家の協働――新しい知の産出 106
    事例研究称揚期
    エビデンス強調期、あるいは学派を超えた事例検討会期
    わかり合うことではなく、見知ることを目指して
    まずは臨床家自身がそれを知として認めること
    それが知として認められるかはわからないけれど
  教員と臨床家の共同研究 112
  結論 114
    心理臨床学を更新する
    心理職養成課程を更新する
    更新のプレイヤーを更新する
  註・文献 121


  第II部 共同創造を考える
第4章 凡庸さにとどまること――私の考える心理療法のエッセンス 125
  はじめに 125
  はじめの治療 126
  二番目の治療 128
  三番目の治療 128
  私の考える心理療法のエッセンス 130
    エッセンスその一――関心をもつ
    エッセンスその二――専門知を偏重しない姿勢
    エッセンスその三――患者から学ぶ
  おわりに――若干のエクスキューズ 134
  解説 136
  註・文献 137


第5章 当事者から学ばされる 139
  解説 144
  文献 145


第6章 学派たちの政治 147
  はじめに 147
  「学派①」間の戦い 148
    誕生の力動
    学派の形成における人間関係の影響
  「学派②」間の戦い 152
    戦いの舞台――訓練生の獲得をめぐって
    自己肯定のための共有と排除
  統合学派・折衷派は学派問題の解か 154
  政治は悪なのか――もっと政治を 155
    学派は悪なのか
    誰と政治するのか
  学派が政治するために 159
  おわりに 159
  解説 160
  註・文献 161


  第III部 コモングラウンドを創出する
第7章 精神分析の活用法 165
  はじめに 165
  なぜ精神分析を「活用」するのか――ロマンチシズムとリアリズムの融合 165
  活用再考 165
    イデオロギーとしての活用
    つまみ食いとしての活用
  私の活用法 167
  理解が導く介入 171
  おわりに 175
  解説 176
  文献 178


第8章 治療構造論を更新する――認識論から主体化へ 179
  はじめに――治療構造論は現役なのか 179
  治療構造論とは何か 180
  治療構造論を使う 181
  治療者も構造の一部である――内的構造 183
  治療構造論を更新する――構造は主体を象る 186
  おわりに――治療構造論は現役である 189
  解説 191
  註・文献 192


第9章 子どもを巡るケアの声――スクールカウンセリングにおけるふたつの視点 195 
  はじめに 195
  臨床の現場から 196
    SCはコンサル業である
    家族は治外法権
    現実的制約のなかで
  ケアモデルとセラピーモデルの邂逅――ケアの重層化に向けて 202
    「問題」はどこにあるのか
    「個人的なことは、個人的なことでもある」
  おわりに 205
  解説 206
  註・文献 207


第10章 「ちょうどいい距離感」をいっしょに探る――自立という名の孤立、ストーキング、そしてパートナーシップ 209
  はじめに――ヤマアラシのジレンマ 209
  二五年で変わったもの 211
    現代の感覚から見た旧エヴァ
    「成長には傷つきが必須である」という神話への態度
  傷つき回避至上主義の弊害 214
    すべての傷つきは悪なのか
    「最適解」を知ったつもりになることの弊害――自立という名の孤立
  「ちょうどいい距離感」をいっしょに探る――パートナーシップ 218
  おわりに 220
  解説 220
  註・文献 222


  第IV部 実践を定位する
第11章 治療構造の一選択肢としてのオンライン面接 225
  問題と目的 225
    力動的心理療法におけるオンライン面接
    治療構造論という視点
  臨床素材 229
    事例の概要
    第一期――個人面接(#1-#36(一年半))
    第二期――母子同席面接(#37-#48(六ヵ月))
    第三期――オンライン母子同席面接(#49-#52(二ヵ月))
    第四期――オンライン個人面接(#53-)
  考察 237
    自我境界と治療構造の境界
    オンライン面接という治療構造の性質――臨床性をめぐって
    オンライン面接の処方時――心的距離の観点から
  解説 243 
  文献 247


第12章 異文化交渉の場としてのスクールカウンセリング 247
  はじめに 247
  SCエスノグラフィー① 248
  SCエスノグラフィー② 251
  異文化交渉の場としてのスクールカウンセリング 254
  おわりに 256
  解説 256
  文献 258


  第V部 更新の技法としての執筆

第13章 SNS時代の論文執筆 261
  解説 264


第14章 論文発表までの道のり 267
  前史 267
  査読論文 270
  依頼論文 278
  いつ書くか 280
  どうしたら書けるのか 281
  解説 284
  註・文献 285


第15章 論文掲載のプロセス 287
  『精神分析研究』の未来を憂う 287
  査読の実態 288
  「論考」 289
  「原著」 293
  「総説」 294
  新米編集委員として 297
  蛇足として――査読を通過するために 298
  論文は読まれるためにある 299
  投稿したいジャンルを考える 299
  査読への対応 302
  解説 303
  註・文献 355


長いあとがき 心理臨床学を再起動する――分断の歴史をこえるために(二〇二四年四月 山崎孝明) [307-316]
初出一覧 [317]




【抜き書き】


・7章から、かなり思い切った主張(169ページ)。

 精神分析は、科学的ではない。そしてそれを「善い」ことでもあると考えている。
 なぜか。それは、精神分析が対象とする人間が科学的=合理的ではないからだ。人間を全体として取り扱おうとしたとき、私たちは非科学的=非合理的な領域に手を出さざるをえない[……]。精神分析を貫く人間観は「人はままならない存在である」というものだ。


・省略があるため、これだけは納得しづらい。
 経済学と心理学は、合理的でない人間をそれぞれモデル化している(そして経済学も心理学も、だからといって「非科学である」とは主張しない)。
 この主張は「研究対象が人間であるときだけ」とは制限されていないから、次のような極端なケースまでひろげられる。「ブラウン運動が発見された時点で(つまりそれが解明されるまでの間)、観察対象が不規則で予測不可能で、運動の原理の決定的な説明もなかった。なので物理学は合理的ではない」(?)
 もちろん、種々の理由から人間を特別視する立場をとれば、「研究対象が人間であるときだけ」という条件はつけられる(そうすれば物理学史に疑問符をつける必要はなくなる)。
 ちゃんと考えるには「著者のいう科学とは」を深掘りしないといけない。
 



【関連記事】
 
『臨床心理学 第25巻第6号 学派論――公認心理師時代に学派を再考する』(金剛出版 2025.11)
https://www.kongoshuppan.co.jp/book/b10146589.html
https://note.com/kongoshuppan/n/n551a74cd2c8c