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『儀礼としての消費――財と消費の経済人類学』(Mary Douglas, Baron Isherwood[著] 浅田彰,佐和隆光[訳] 講談社学術文庫 2012//1984//1979)

原題:The World of Goods: Towards an Anthropology of Consumption (Basic Books)
著者:Baron C. Isherwood (詳細不明) 計量経済学
著者:Mary Douglas(1921‐2007) 象徴人類学、比較宗教学。
訳者:浅田 彰[あさだ・あきら](1957-) 批評、現代思想。経済学。
訳者:佐和 隆光[さわ・たかみつ](1942-) 計量経済学環境経済学
NDC:331 経済学
備考:単行本は新曜社から1984年に刊行された。
備考:クレジットが不統一。
  ① 表紙とColophon(010頁) と奥付(319頁)には著者として二人の名前が並列されている。
  ② 図書館でもAmazon等のサイトでも、書誌データベースは本書を共著としている。
  ③ 「訳者あとがき」は本書を「ダグラス女史の最新作」としか書いておらずもう一人には一切言及していない。
  ④ 巻末の著者略歴には、Mary Douglasしか載っていない。


『儀礼としての消費 財と消費の経済人類学』(メアリー・ダグラス,バロン・イシャウッド,浅田 彰,佐和 隆光):講談社学術文庫|講談社BOOK倶楽部


【目次】
はしがき――感謝とともに (メアリー・ダグラス/バロン・イシャウッド) [003-009]
コロフォン [010]
目次 [011-014]


序 017


  第一部 情報システムとしての財 

第一章 人はなぜ財をもとめるか 034
  効用理論における沈黙
  経済学者の自己批判


第二章 人はなぜ貯蓄するか 050
  ケインズの所説
  ウェーバーの所説
  集団的環境
  個人主義的環境
  見栄の張り合い=デューゼンベリーの所説
  思慮深さ=フリードマンの所説
  規範的消費


第三章 財の使用 090
  消費の再定義
  財の構成する宇宙
  理論的個人主義
  公共の意味を固定する


第四章 排除、侵入 112
  物質的文化としての財
  マーキング・サーヴィス
  総合の問題
  侵入の戦略
  親族関係と結婚
  合理的行動のための社会的条件


第五章 消費の技術 148
  合成商品
  新しい商品
  拡大感染モデル
  入手の順序
  個人的に体が空くかどうか


第六章 消費の周期性 172
  消費行事をランクづける
  品質
  分業の原理としての周期性
  消費水準


  第二部 社会政策上の含意 

第七章 民族誌における分離された経済諸領域 192
  経済領域
  消費規模
  取引きの拒否
  制限された流通
  経済の制御


第八章 国際比較 213
  分離可能な財需要
  貧しい個人と貧しい国
  貧富の差
  発展度の低い消費
  連関
  技術的消費者連関
  社会的消費者連関
  情報的消費者連関


第九章 消費諸階級 253
  グループ分け
  トップクラスへの加入
  連関テスト
  時間


第十章 価値の制御 276


原注 [290-306]
訳者あとがき (一九八四年八月 浅田彰佐和隆光) [307-310]
事項索引 [311-316]
人名索引 [316-317]
著訳者略歴 [318]




【メモランダム】
・共著者Baron Isherwoodについて。
  Web上で探せる範囲では計量経済学者という情報しかない。
  Google Booksを利用し、本書(1996年版)の本文を"Isherwood"で検索すると次の通り。
  The World of Goods: Towards an Anthropology of Consumption - Mary Douglas, Baron C. Isherwood - Google ブックス
  すくなくとも本書のAcknowledgementを書いて署名している。
  'Baron Isherwood is an Economist and is Director of the Regeneration Group, Government office for the North West, Manchester'という紹介文も読める。


・内容について。
  訳者らは、本書に「経済学にかんする初歩的な誤解に根ざすのではないかと思われる、納得しがたい箇所をいくつか見いだし、それらを訂正したい誘惑を抑えがたかった」にもかかわらず、「本書全体の流れを唐突に遮ることにもならざるをえず、やむなく断念した」そうだ(309頁)。断念したのは何故かというと、「素人の手つき」で経済学と文化人類学を繋げようすることに価値を見出したから……らしい。私が思うに、それは文学作品に対する態度だと思う。
  さらに、訳者らはその誤りを具体的には挙げていない。
  もし仮に、本書の後につづく研究を奨励するのならば、いわば反面教師として、(人類学者が経済学にかんして陥りやすいミスとして)具体的な欠点を挙げることは有用だと思う。




【関連記事】
・より古い入門書。
『経済人類学』(栗本慎一郎 講談社学術文庫 2013//1979)
https://contents-memo.hatenablog.com/entry/20131121/1469343377