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『キレイならいいのか――ビューティ・バイアス』(Deborah L. Rhode[著] 栗原泉[訳] 亜紀書房 2012//2010)

原題:The Beauty Bias: The Injustice of Appearance in Life and Law
著者:Deborah L. Rhode(1952-) 法曹倫理。
訳者:栗原 泉  翻訳家。
NDC:367.1 女性.女性論
件名:身体像

 

亜紀書房 - 亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズⅠ-8 キレイならいいのか ビューティ・バイアス

キレイならいいのか――ビューティ・バイアス (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ)

キレイならいいのか――ビューティ・バイアス (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ)

 



【目次】

凡例 [002]
はじめに フェミニストで、知を求める学者……のはずが…… [003-016]
目次 [017-024]


第一章 些末なことが大事なこと――女たちが支払っている代償 025
個人的なことは政治的なこと――靴の問題 029
容姿――代償とその結果 034
根幹をさぐる 037
フェミニストたちの挑戦と反応 041
容姿差別――社会の不正と法的権利 044
「くだらない訴訟」で裁判所が一杯に? 048
大事なのはルックではなくクック 051
容姿差別を禁じる州と都市 054
多額の費用に立証の難しさ 056
改革への行程表 060


第二章 容姿の重要性と、ひとをマネる代償 065
「魅力的」の定義とさまざまな差別 067
対人関係と経済的機会 071
容姿と生活の質の関連 075
ジェンダーによる違い 077
現状維持の代償――時間と金 080
考えられる健康リスク 085
化粧と整形手術の害 088
摂食障害と無食欲症 092
バイアスがかかる 095


第三章 美の追求は割に合う? 101
社会生物学的な基礎 103
三つの圧力 106
市場の力 108
幼児への接近 112
テクノロジーの力 116
メディアの力 118
各種美人コンテスト 120
テレビの影響――フィジーでも「この体形になりたい」 124
やり玉に挙げられる有名人の容姿 128
女子スポーツ選手の場合―― 一度も優勝なしで最も収入の多い女子テニスプロ 134
広告が作り出した数十億ドルの産業 136
満足度とは遠い美を求める努力 141


第四章 際限のない批判合戦 143
一九世紀~二〇世紀初頭の評論家たち 148
現代の女性運動 151
批判、そして批判 154
フェミニストたちの反応 158
個人的なことと政治的なことの間 162
二重の敗北感 168
袋小路を抜けて 173
新たなスタートライン 176


第五章 外見で人を判断するな――不当な差別 181
ステレオタイプで差別 185
二重の差別への異議申し立て 188
思わぬダブルスタンダードの弊害――同性愛者の直面する問題 190
自己表現の権利を守る――個人の自由と文化的アイデンティティ 193
コントロールできるものは自己責任? 197
太り過ぎインストラクターの出世 202
セクシーな子を雇って何が悪い? 203
雇用者の論理と懸念 206
実利的な面からの反論 208
法律の効果 213
性的嫌がらせとの類似 216
法律の貢献 218


第六章 新しく作るか、あるものを使うか――法の枠組み 221
現行の法的枠組みの限界 225
容姿差別の禁止 250
取り組み方の比較――ヨーロッパの対応 255
容姿差別の法的禁止――その力と限界 259
消費者保護――詐欺まがいの販売行為の禁止 262
改革への方向づけ 265


第七章 改革に向けての戦略 267
目標設定 270
個人ができること 275
業界・メディアの役割 277
法律と政策 282
ジャンクフード漬けの子ども対策 284
栄養素表示の効果 288
問題を矮小化する法案 290
パーティのあとの救急センター 293

 

 

 

【抜き書き】
・ルビは全括弧[ ]に示した。
・引用者による中略は〔……〕。
・以下の抜き書きは、冒頭のやや長い「はじめに」から数か所。あとの方には本書中盤から一か所。


・地位の上昇につれ浮上した、自らの「服装」問題。

 はじめに  フェミニストで、知を求める学者……のはずが……

 容姿のことで私はこれまでずっと問題を抱えてきた〔……〕。我々の文化のなかでは、そんな話をすることに多少なりとも不安を覚えずにはいられないのだ。
 フェミニズム創始者の一人、スーザン・ブラウンミラーは次のような言葉でこの問題の一端を明らかにしている。「『服装とは一つの意見表明だ』なんて言ったのはだれ? そんな生易しいもんじゃないわ。服というものは一時[いっとき]も黙っちゃいない。際限もなくがなり立ててるのよ。着ている本人が意識しようとしまいと、いろんな主張をね」
 体重やヘアスタイル、化粧などについても同じことがいえる。そこで、主張のまったくない私のような人間は困ってしまう。私はただ周囲に溶け込みたいだけだ〔……〕。
 他人のまねをしていればいちばん安全だと私は信じていたのだが、一九七九年にスタンフォード大学で働き始めるとそうはいかなくなった〔……〕。
 一方、私の服はといえばセーターとコール天パンツばかり。私は職場の進歩主義的な男性同僚たちと同じような格好をしていたのだ。それでまったく問題はないと思っていた。なんといっても私はフェミニストで、知を求める学者なのだ。時間と金をファッションなんかに浪費したくない。
 私は、とっかえひっかえ三通りのカラーコーディネートで通していた〔……〕。
 私がスタンフォード大学「女性とジェンダー研究所」の所長に就任するや、服装の問題は一層深刻になった。仕事柄、大学のお偉方や財団理事や裕福な寄付者たちと定期的に接触しなければならなくなったのだ〔……〕。
 職場の人たちは、まるでキリスト教の伝道師さながら、熱意を込めて私の改造計画に乗り出した。私は当面、彼女たちの監督のもとにクレジットカードを使い、彼女たちのお許しの出た店で服を買うことになった。



□体験談その2。

 ほっとしたのも束の間だった。数年後、私はアメリカ法曹協会(ABA)女性法律家委員会の委員長に就任し、研究者と著名職業人とでは服装の基準がまるで違うと思い知ったのだった〔……〕。
私はABAの広報担当者の親切な申し出を受けた。いわく、大スクリーンに映し出される私の「見栄え」が「問題になって」おり、協会は「メイクとヘアの専門家の助言と買い物代行サービスを利用する費用を負担したい」のだそうだ〔……〕。
 こうしてABAの広報担当スタッフとの一連の交渉が始まった。スタッフは私の洋服ダンスの中身をすべて調べ上げた。どの服が着用可能かは、私の「パーソナルカラー」を踏まえて考えなければならない〔……〕。こうしたことがすべて、職業上の男女平等を推進する委員会の仕事として進められたとは、なんとも皮肉である。ABAに数多[あまた]いる男性の会長や委員長のなかで、パーソナルカラーは「春色」か「秋色」か、あるいは「ちゃんとした」ネクタイはそろっているかなどと訊かれた人がいるだろうか。

 〔……〕

 ここで私がこのばかげた体験を語るのは、その重要性をことさら強調したいからではない〔……〕。私の見かけがどうであれ、それで世の中が変わるわけはない。だが、この事例からくっきりと浮かび上がるのは、容姿に関して男性と女性は別々の基準が適用される、つまりダブルスタンダードがあるということだ。

 

 

・著者の体験談を離れ、女性一般の問題に。

 男性は容姿による偏見を受けないなどというつもりは決してない(*身長が一七五センチに満たない男性に訊いてみればわかることだ)。だが、女性は男性の何倍も努力しなければならない。最低限の身なりを整えるだけでも、女性は男性よりもはるかに手数をかけなければならない。旅行するとき、夫が持っていくのは着替えのシャツ一枚と下着と制汗剤だけ。朝起きてシャワーを浴び、ひげを剃れば身支度はおしまいだ。一方、私はあれこれと携行品が多いのに、それでもだらしなく見えるかもしれない。
 さらに昔からの年齢差別の問題がある。これは男性よりも女性にとってはるかに大きな問題だ〔……〕。こんなダブルスタンダードがあるから、女性は絶えず容姿を気にすることになる。おまけに、気にすること自体を気にするのだ。

 

 

□116-117頁。美容の技術進歩と、要求の高まりについて。

  テクノロジーの力
 テクノロジーの進歩によって人は容姿を改善することができるようになり、それでますます容姿 気にかけるようになった。著名な文化人類学者マーガレット・ミードは指摘している。「欠陥は修正できるという可能性がひとたび生まれると、私たちの考え方が変わる。なにか手を下さなければならない、と思うのだ。なんでも悪い点はなおすべきだと」
 その最もわかりやすい例は美容整形手術であろう。再建術の歴史は古く、紀元前六〇〇年のインドにまでさかのぼる〔……〕。
 こうした技術のおかげで、すでに二〇世紀の初めには、実入りのいい一つの専門分野が発展の兆しを見せ始めていた。さらに、写真術をはじめクローズアップ撮影技術の進歩は、もっと魅力的な容貌になりたいという欲求を掻き立ててきた。写真加工術が進歩し、最近の消費者は手術によってどのような顔になれるかを簡単に想像できる。また、肌や爪や髪の毛の手入れのためのより優れた商品も、さまざまな分野の研究から生まれている。
 しかし、こうした研究が商品に関する似非科学的な主張の基礎を築き販売担当者がそれらを巧みに利用してきたことを無視するわけにはいかない〔……〕。
 インターネットによって、美しさやボディイメージの重要性を強調するさまざまなサイトをだれでも閲覧できるようになった。「最もダサいネットワーク」の一つに選ばれた「ビューティフル・ピープル」は、会員一二万人を誇るネットコミュニティーだ。〔……〕このサイトは「外見が重要だといってしまえば、道徳的には正しくないかもしれない。だが、それは真実だ」との前提で動いている。
 また、「痩せる努力を鼓舞する」サイトもたくさんあり、自分たちは一つの生活様式を選んでいるのであって、摂食障害ではないと信じ込んでいる拒食症や過食症の患者を支えている〔……〕。
 いまやインターネットを開けば、美容関連の広告や有名人の姿が目に飛び込んでくる。結果として外見の重要性はさらに強調される。テレビ会議フェイスブックなどを通して、視覚映像を簡単に入手することができるし、写真修正技術を使えば映像に簡単に手を加えることもできる。こうして実現不可能な理想的容姿がますます独り歩きする。このエレクトロニクス時代、美しさはただちに、しかも際限もなく手に入れることができるものになった。しかし、それは自然が与えてくれた肉体からかけ離れたものになっていく。