contents memorandum はてな

目次とメモを置いとく場

『警察の社会史』(大日方純夫 岩波新書 1993)

著者:大日方 純夫[おおびなた・すみお](1950-) 日本近代史。

 

警察の社会史 (岩波新書)

警察の社会史 (岩波新書)

※私がつけたルビは全括弧[ ]で括った。また、旧字体はそのまま残した。


【目次】
目次 [i-iii]

 

序章 警察廃止をめぐる二つの事件 001
一 首都の警察署が壊滅――日比谷焼討事件 002
  空前の大暴動
  「警察こそが加害者」
  警察忌避の民心
  警視庁を廃止せよ
  市会・府会が廃止意見を可決
  警視庁廃止の論理
  廃止論の敗北
二 「警察復活に身命を賭すべし」――長野県「警廃」事件 015
  暴動化した県民大会
  警察署統廃合の波紋
  警察署が復活する
  地方警察の制度と機能
  事件の背景にあるもの

 

I 行政警察の論理と領域 029
一 民衆生活の管理――東京府下の場合 030
 (1) 売娼の取り締りと娯楽空間の規制 032
  公娼制度と貸座敷
  「醜業婦の巣窟」とされた浅草
  制限された劇場数
  寄席演芸流派の数々
  きびしい見世物興行規制
  遊技場・待合茶屋・芸妓[げいぎ]
 (2) 免許営業をめぐって 043
  古物商と質屋
  宿屋取り締りがなぜ重要だったか
  口入[くちいれ]業・代書業・案内業
 (3) 路上の風俗規制と安全対策 048
  「醜態」を取り締る
  人力車・馬車・自転車

二 あたらしい社会問題への対応――熊谷警察署の場合 053
 (1) 工場設備と労資関係の監視 055
  工場事故報告
  工場の安全管理
  認可申請の具体例
  職工酷使・虐待を監視する
  雇傭口入業者の取り締り
  処罰された口入業者
 (2) 海外渡航者の素行調査 068
  渡航・移民業務を担当
  渡航申請にどう対応するか
  素行調査の実例
  「転航」防止の注意

三 衛生行政の実態 077
  尾崎三良[さぶろう]と中浜東一郎の日記から
  伝染病予防の法規
  清潔法を制定する
  食品衛生行政への関与
  衛生組合の誕生
  衛生組合長の「始末書」
  衛生組合と聯合組合

 

II 変動する警察 093
一 原敬の警視庁大改革 094
  人事に大なたをふるう
  首相の直接指揮権の停止
  高等課の新設
  「民衆あっての警察」
  「警察思想」の普及をめざす
  典型的警察官=松井茂

二 「細民」対策――貧民警察の登場 104
  急増する犯罪件数
  本所太平署の実験
  警視庁指導下の「細民救護」機関

三 民衆騒擾にどう対応するか――米騒動前後 109
  「社会的犯罪」対策
  「正兵・奇兵」という戦術
  「米騒動」おこる
  「自衛団」の活動
  「国民警察」の提唱

四 巡査の待遇改善と精神的統制 118
  生活難に追いつめられる巡査
  「階下の警察官」精神

 

III 「警察の民衆化」と「民衆の警察化」 121
一 欧米に学ぶ 122
  内務官僚、ヨーロッパへ
  堀田貢のみやげ話
  警察関係の新聞・雑誌

二 宣伝する警察 127
  交通安全キャンペーンの開始
  道路取締令を契機とした活動
  安全週間の実施
  各地の動向
  小学生の警察署参観
  愛知県の警察展覧会
  和歌山県の「社会奉仕日」
  埼玉県の場合
  千葉県の場合
  全国的な展開
  ある教員の感想

三 人事相談所の開設 152
  狙いは何か
  愛宕署がまず開設
  相談内容は何であったか
  「帰るときはぐんにゃりさせる」

四 「自警」の組織化 162
  「自衛自警」の構想
  民間の治安維持組織とは
  警察への共鳴盤づくり

 

IV 「国民警察」のゆくえ 169
一 「帝都の暗黒時代」――関東大震災 170
  戒厳令がしかれる
  流言現象の実態
  「民衆警察=自警団」が行ったこと
  自警団をどう統制したか
  自警団員の裁判

二 自警団とは何であったか 186
  自警団設立は自然発生か
  神奈川県の場合
  埼玉県の場合
  警察関係者の自警団評価

三 「国民皆警察」の構想 194
  松井茂の「国民皆警察」論
  「力」の立場の浮上
  「皇室中心主義」が強調される
  世論はどうであったか
  「力士会」事件にみる世論
  欺瞞と化す便宜的「自治
  日本全国の「警察化」
  「国民警察」構想の到達点

 

終章 戦後警察への軌跡 211
一 近代警察の歩み 212
  警察機構の成立過程
  予防こそが使命
  社会変動のなかの再編成

二 戦後警察の成立と問題点 218
  解体された警察
  ふたたび集権と膨張の道へ
  『警察白書』を読む
  問いつめられるべき「現在」

 

あとがき [227-230]

 



【抜き書き】
※本書のルビは全括弧[ ]で、二重引用部は二重山括弧《 》で括った。
※著者(大日方純夫)による省略は (中略)で、私(Mandarine)による省略は 〔……〕で示した。



□181-185頁  やや長め。まず自警団員の裁判(が杜撰という点)について個人が振り返った記録。そして著者が、警察と自警団との関係こそがその一因と指摘する部分。

 

 警備部は〔……〕司法上、「変災」に際して行われた「傷害事件」を放任することはできない、とようやく決定した。しかし、〔……〕取り締まりはするものの、その範囲を最低限にとどめようとしたのである。
 以上のような方針がかたまったことによって、横浜・東京・群馬・埼玉などで、「事件」にくわわった自警団員の検挙がはじまった。

   自警団員の裁判
 検挙者数は、吉河光貞検事の『関東大震災の治安回顧』(一九四三年に調査・研究したもの)によれば、検挙一三九件(検挙者七四五人)、ただし、東京市発行の『東京震災録』では、東京市だけで検挙一三〇〇件となっていて、大きなずれがあり、いずれが正確かはっきりしない。
 検挙者は殺人罪・騒擾罪などで起訴されたものの、裁判には裁判官と被告とのなれあいという色彩が濃かった。当時、埼玉県本庄警察署に勤務していた新井賢次郎巡査はつぎのように証言している。

裁判もいいかげんだった。殺人罪ではなくて騒擾罪ということだった。刑を受けたのは何人もいたが、ほとんど執行猶予で、つとめたのは三、四人だったと思う。私も証人として呼ばれたが、検事は虐殺の様子などつとめてさけていたようで、最初から最後まで事件に立合っていた私に何も聞かなかった。そして、安藤刑事課長など、私に本当のことを言うなと差しとめ、実際は鮮人半分、内地人半分だったと証言しろ、それ以上の本当のことは絶対に言うな、と私に強要した。私も言われた通り証言した。
関東大震災五十周年朝鮮人犠牲者調査・追悼事業実行委員会編『かくされていた歴史――関東大震災と埼玉の朝鮮人虐殺事件』)

 このような構えで行なわれた裁判では、いったい、どのような審理となったのか。たとえば一〇月二二日、浦和地方裁判所における熊谷の虐殺事件についての公判はつぎのようであったという(同前)。

裁判長は被告の一人に元に余る日本刀を示して、「夜警の為にはチト大業[おおわざ]ではないか」と笑いかける。被告も笑いながら、「外にいいのがありませんでしたから。(中略)熊谷寺にゆくと誰ともなく「やっちまえ」というから、たおれていた鮮人を刺しました」と述べる。これは予審での申し立てとちがったので、裁判長が「お前は首を落とす積[つ]もりで再びやったというじゃないか」と叱ると、被告は「そうです。そうですが、首は落ちませんでした」という。そして、石を打ちつけたことについて、「黒い石はこの位でした」と大きな輪をつくる。法廷全体にクスクスと笑いがおこる、云々。

 これが虐殺事件の裁判であった。『東京日日新聞』(一〇月二二日付夕刊)がいうように、それはまったくのところ、「事件をさばく廷とは思われぬ光景」だったのである。
 裁判はいずれも、「自警団の傷害罪は悉[ことごと]く之を免ずること」、「過失により犯した自警団の殺人罪は悉く異例の恩典に浴せしめること」という自警団側の要求をいれて、ほとんどが無罪、または執行猶予付となった(姜徳相関東大震災』)。しかも、翌年一月の摂政(昭和天皇)の結婚にともなう減刑と、それを口実とした裁量によってほとんどが実刑をうけなかった(関東大震災五十周年朝鮮人犠牲者追悼行事実行委員会編『歴史の真実――関東大震災朝鮮人虐殺』)。
 こうして、自警団の「犯罪」は免除された。それは、この「犯罪」行為そのものが警察側のあり方と密接にかかわっていたからであった。一〇月二二日の『東京日日新聞』で、東京の三田四国町自警団の一員はいう。

私は三田警察署長に質問する。九月二日の夜、××来襲の警報を、貴下の部下から受けた私どもが、御注意によって自警団を組織した時、「× ×と見たらば本署へつれてこい、抵抗したらば○しても差し支えない」と、親しく貴下からうけたまわった。あの一言は寝言であったのか、それとも、証拠のないのをよいことに、覚えがないと否定さるるか、如何。
(「○○」「× ×」は原文のまま)

 また、巣鴨の住人もいう。

われ/\が竹槍やピストルを持って辻を堅めていると、巡回の警官は禁じもせず、かえって「御苦労様」とあいさつしてあるいた。
 今さら責任を自警団にのみ負わせるとは何事だ。

 このような発言、およびすでにあきらかにした一連の経過からみて、自警団の責任を徹底的に追及すれば、それは当然のことながら警察官憲の責任に及ばざるをえなかった。したがって、「事件」を自警団員の個別的な責任として処理するため、ほどほどのところでお茶をにごしたのである。しかも、自警団と警察のあいだには、つぎにみるように、さらに深い関係があった。

 


□205頁(第IV章・第3節)から。松井茂の〈国民皆警察〉論を詳しく見たのち、著者がこの構想が手本にしたものと、実際の中央集権と自治の食い違いについて論じた部分。

 

  欺瞞と化す便宜的「自治
 ところで、「警察の民衆化と民衆の警察化」が提唱される際、つねにひきあいにだされたのはイギリスやアメリカであり、両国における警察と民衆の関係が羨望をこめてしきりに紹介されていた。しかし、日本警察の中央集権性を変えようという主張はあらわれなかった。この点ではイギリス、アメリカにならおうとはしない。フランスやドイツにならってつくり上げた大陸型警察の基本構造をそのままにして、イギリスやアメリカの自治的警察のもとでの警察と国民の関係をまねようというのである。中央集権性を誇り、自治的な警察のあり方を否定しつつ、「自治」が要求される。とすれば、それはもっぱら中央集権的警察の下支えとしての官治的「自治」、警察にとって役だっかぎりでの便宜的「自治」でしかない。したがって、それは一種の欺瞞に化するのである。
 一九二二年三月、自由主義的な言論人石橋湛山は、『東洋経済新報』誌上で、労働運動・政治運動に対する警察の干渉を批判しつつ、これを正すためには警察制度を根本的に改造して、政府の手から警察を奪い、地方自治体の管轄に移す以外にないと主張していた。同様な意味で、警察を民衆が支持し、後援するためには、本来、その根本的改造がなければならなかったはずである。民衆が自らの警察を回復するためには、国家の警察から自治体の警察へと転換させることが前提でなければならなかった。しかし、それは警察当局者によってはまったくかえりみられることがなかったのである。