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『民族とネイション――ナショナリズムという難問』(塩川伸明 岩波新書 2008)

著者:塩川 伸明[しおかわ・のぶあき]

【目次】
はじめに [i-vi]
目次   [vii-xii]


第I章 概念と用語法―― 一つの整理の試み 001
1 エスニシティ・民族・国民 003
  「エスニシティ」とは/「エスニシティ」から「民族」へ/「国民」とは/区切り方の難しさ――恣意性と固定性

2 さまざまな「ネイション」観――「民族」と国民」 013
  ヨ−ロッパ諸語における「ネイション」/さまざまなエスニシティ表現/言葉の用法と「国民」観

3 ナショナリズム 020
  「ナショナリズム」とは/四つの類型/パトリオティズムナショナリズム

4 「民族問題」の捉え方 028
  「民族」の捉え方をめぐる対抗図式/構築主義近代主義道具主義とその限界/「つくられたもの」と「自然なもの」のあいだ


第II章 「国民国家」の登場 037
1 ヨーロッパ――原型の誕生 038
  「国民国家」の前提条件/フランス――普遍的理念を基礎とした「国民」/ドイツ――「民族」から統一国家へ/イタリア――統一と「国民」形成のあいだ/イギリス――複合的ネイション構造の漸進的形成

2 帝国の再編と諸民族 051
  「前近代の帝国」と多民族共存/「国民国家」観念の浸透と帝国の変容――オスマン帝国の場合/ロシア帝国――「公定ナショナリズム」政策とその限界/ハプスブルク帝国――二重帝国体制と諸民族/特異なマイノリティとしてのユダヤ人/社会主義者たちの民族論

3 新大陸――新しいネイションの形 065
  アメリカ――超エスニックなネイション/カナダ・オーストラリアと多文化主義ラテンアメリカ諸国のネイションとナショナリズム

4 東アジア――西洋の衝撃の中で 073
  中国――清朝とその変容/近代以前の「日本」/明治維新――近代国家化の開始/明治国家と国民統合/植民地帝国化とその矛盾/「植民地的近代化」とその後


第III章 民族自決論とその帰結――世界戦争の衝撃の中で 089
1 ナショナリズムの世界的広がり 090
  「民族自決」論の登場/画期としての第一次世界大戦/「民族自決」のシンボル化

2 戦間期の中東欧 097
  旧帝国の崩壊と新国家の形成/マイノリティ保護論とその限界/ポーランド――多様な民族問題/チェコスロヴァキア――「国民国家」創設とその矛盾/ユーゴスラヴィア――「国民国家」か多民族国家かの選択

3 実験国家ソ連 108
  ソ連特有の問題状況/「民族」カテゴリーの確定作業/ソ連におけるロシア――中心的民族の被害者意識/ソ連ユダヤ人問題

4 植民地の独立――第二次世界大戦後(1) 118
  新独立国家の領域設定/インドネシアというネイションの形成/多言語国家としてのインド/中東地域――概観およびトルコ/アラブ諸国――広域的ナショナリズムと個別国家のナショナリズムイスラエル国家の特異性

5 「自立型」社会主義の模索――第二次世界大戦後(2) 129
  「内発的」な社会主義国家のナショナリズムユーゴスラヴィア――分散化への力学/多民族国家としての中国/ヴェトナム――「インドシナ」という単位との関係/ヴェトナム内の民族問題と民族政策


第IV章 冷戦後の世界 143
1 新たな問題状況――グローバル化・ボーダレス化の中で 144
  グローバル化・ボーダレス化の逆説/新たな「帝国」とアメリカ/ヨーロッパの東方拡大/ヨーロッパ内のマイノリティ問題/「新右翼」と排外的ナショナリズムの高まり

2 再度の民族自決 154
  冷戦終焉後の新しい「国民国家」形成/国家分裂の条件――既存の連邦制の意義/既存の国境をはさむ「同一民族」/新国家内のマイノリティをめぐる問題/コソヴォ独立とその波紋

3 歴史問題の再燃 168
  歴史的記憶とナショナリズム/虐殺の記憶をめぐる政治/折り重なった加害と被害/ソ連時代の歴史をめぐる論争/犠牲者の規模をめぐる問題/居直りと糾弾を超えて


第V章 難問としてのナショナリズム 181
1 評価の微妙さ 182
  肯定論と否定論の揺れ/「よいナショナリズム」と「悪いナショナリズム」の区別論/「リベラルなナショナリズム」という考え

2 シヴィックナショナリズム? 189
  ナショナリズムの二分法/「西」と「東」の区別への疑問/普遍主義の陥穿

3 ナショナリズムを飼いならせるか 198
  「自分たち」意識から暴力的対立まで/連帯感情の動員/「誰が不寛容か」確定の難しさ/軍事紛争化と「合理的選択」/「魔法使いの弟子」になる前に


あとがき(二〇〇八年九月 塩川伸明) [209-214]
読書案内 [1-9]




【抜き書き】
・本書「はじめに」から、本書のねらいが説明されている部分をザーッと抜粋する。

 〔……〕国家が解体して、「民族自決」の名のもと、一連の独立国家が生まれたことを思い出す人もいるかもしれない
 まだいくらでも挙げられるだろうが、ともかくこれらは、今日、多くの人の注目の的となっている大問題である。もっとも、これらは実際にはきわめて雑多な問題群であり、共通の土俵の上で論じられるべきものかどうかにも疑問が生じる。これらの問題を論じる際に、頻繁に「民族」「エスニシティ」「国民国家」「ネイション」「ナショナリズム」等々といった言葉が飛び交うが、それらの意味、定義、また相互関係は非常に複雑であり、どういう事柄を問題にしているのか自体について共通理解がないのが実情である。同じ言葉でまったく違う種類の事柄が指されていることも珍しくない。
 そうした事情を念頭におくなら、これらの言葉はあまりにも乱用されすぎており、これらの現象をひとまとめに論じること自体が適切でない――それらはむしろ別々の問題として、明確に分けるべきだ――とも考えられる。種々の言葉が明確な定義なしに使われて多くの混乱をもたらしているのは確かであり、異なった事態を明確に区別すべきだという考えには、それなりの妥当性がある。しかし、異なった事態を指して類似の言葉が使われているのはどうしてなのかと考えてみるならば、本書の主題をなす蓮の言葉――「民族」「エスニシティ」「ナショナリズム」その他――は、非常に異なった事柄でありながら、なにがしか共通性や関連性をもつているのではないか、だからこそしばしば関連づけて論じられているのではないかとも思われる。同じもしくは類似の言葉が使われるからといって、そこに単一の共通の本質があるなどといえるわけでは決してないが、それでも、ざまざまなズレを含みつつ部分的に重なり合うという意味でのゆるやかな共通性――哲学者ならこれを「家族的類似」と呼ぶかもしれない――があるのではないだろうか。
 本書はこのような観点から、これらの言葉で指されている多様な事柄の相互関係を解きほぐし、それらを理論と歴史の両面にわたって考えることを目指す。あまりにも多様な主題を取り上げるため、とうてい十分な議論になりえないことは覚悟の上である。ただともかくも、問題状況をある程度整理し、一つの捨て石程度になれば、というのがささやかな狙いである。
 いま述べたように、本書で取り上げる問題群はきわめて複雑な相互関係にある。どうしてそうなのかについても種々の要因があるが、おそらく最大の問題は次のような点にあるのではないだろうか。民族・エスニシティ問題は、一方では、人々の日常生活における感情・意識・行動に関わる場面(言語・宗教・文化・生活習慣・メンタリティ・個別具体的人間関係など)で取り上げられるが、他方では、狭義の政治とりわけ国家の形成あるいは分裂に関わる場面にも重要問題として登場する。そこにおいては、いわゆるハイ・ポリティクスに携わる政治エリートの観点と広範な大衆の観点とが交錯する。そのように広い範囲の問題領域と関わりをもち、それをどのような角度から見るかも多様でありうるような複合的問題だということが、この問題群の性格を複雑なものとしている。
 いま述べたことと関係して、民族・エスニシティ問題は、一方では冷静(もしくは冷酷)な打算に基づく合理的な選択の対象となったり、「道具」的に捉えられる面があるが、他方では、合理的計算では割り切れない「どろどろした」感情が幅広く動員される。政治家が打算的思惑に基づいて民族主義感情を動員するのはよくあることだが、その結果として、当初予期されていた規模を超える自己運動現象が起きて、歯止めが利かなくなることも珍しくない。この場合、当初は打算に基づいてナショナリズム感情を利用しようとした政治家は、昔話に出てくる「魔法使いの弟子」(魔法を修行中の弟子が、自分の呼び出した魔法の箒を止められなくなる話)のような立場におかれることになる。
 問題が広範囲にわたることと関係して、これらの主題はさまざまな学問分野で、それぞれに違った形で研究されてきた。政治学(これも、政治哲学・政治理論、アイデンティティの政治、各国政治史、国家制度論等々に分かれる)、社会学理論社会学、民族・エスニシティ社会学、宗教社会学アイデンティティ社会学等々)、文化人類学社会人類学民族学(「民族学」という表現はヨ−ロッパ大陸で伝統的に用いられてきたのに対し、「文化人類学」はアメリカ、「社会人類学」はイギリスで主に用いられてきた。日本でいう「民俗学」は「民族学」とは区別されるが、ある種の接点がないわけではない)、社会言語学歴史学(民族史、地域史、帝国史、思想史、サバルタン研究、その他多数の事例研究)、文学批評(ポストコロニアル批評)その他その他である。先に触れた問題領域との関係でいえば、社会学文化人類学・社会言語学などは主に大衆の日常生活と意識に関わり、政治学は主にハイ・ポリティクスに関わる。そして、歴史学は視点によってそのどちらをも扱いうる。とはいえ、いま述べた対応は厳密な一対一の関係というわけではない。対象自体が多面的であるため、どちらを出発点として議論を始めても、それらの相互関係を考えないわけにはいかなくなる。
 本書を書いている私自身はといえば、制度的には政治学者と歴史学者の世界に半分ずつ属し、そのどちらにも完全に属しきっているわけではないというヌエ性をもっている。また文化人類学社会学、社会言語学などについても、素人的興味に基づく断片的な知識吸収ではあるが、ともかくある程度の関心をもっている。このようなヌエ性は特定のディシプリンに立脚した研究推進にとってはマイナスの要素かもしれないが、できればそうした特徴を逆手にとって、この複合的な対象への多面的な接近を総合することを試みたいと念じている。