原題:Edge of Chaos: Why Democracy Is Failing to Deliver Economic Growth and How to Fix It (2018)
著者:Dambisa Felicia Moyo (1969-) エコノミスト。
訳者:若林 茂樹[わかばやし・しげき] (1970-) エコノミスト(日本政策投資銀行)。
装画:佐貫 絢郁[さぬき・あやか]
装幀:コバヤシ タケシ
組版:鈴木 さゆみ
NDC:332.06 経済史・事情.経済体制
件名:経済成長
件名:経済政策
件名:民主主義
【目次】
題辞 [002]
目次 [003-005]
謝辞 [007-009]
序 011
第一章 差し迫った課題は経済成長である 021
第二章 経済成長の歴史 037
第三章 ハリケーン級の逆風 051
第四章 保護主義による虚偽の公約 085
第五章 民主主義覇権への挑戦 107
第六章 近視眼的政治の危機 127
第七章 新たな民主主義の構想 151
第八章 二十一世紀型成長モデルへの変革 183
訳者あとがき(二〇一九年七月 若林茂樹) [199-201]
主要民主主義国比較表 [30-35]
文献 [14-29]
註 [3-13]
索引 [1-2]
【抜き書き】
・著者の文章には、繰り返しによる強調がかなり多い。そのため、印象的な文言を採取しようとした結果、抜粋する文字数が増えてしまった。
「序」から数ヵ所。
p. 16 真っ向から経済成長の必要性を説いている。
人々の欲求を満たし、生活をよくするのは経済成長である。経済学的には、成長は貧困を減らし、生活水準を向上させる。政治的には、成長は自由市場、自由な人民、法の支配に欠くことのできないものだ。各個人にとっては、成長は能力を最大限に発揮するため絶対に必要である。
pp. 16-17 サマーズとクルーグマンについては『景気の回復が感じられないのはなぜか――長期停滞論争』(世界思想社)を参照。
アルゼンチン、ブラジル、〔……〕そしてトルコといった、世界でも経済規模が大きく、グローバル戦略で重要な位置づけにある新興国の成長率は年三パーセント以下である。これは一人当たりの所得を次の世代に向けて倍加し、貧困を過去のものとするのに必要とされる七パーセントを遙かに下回る〔……〕。日本経済は二十五年以上停滞しており、今後の見通しも弱い〔……〕。 IMFが二〇〇八年以降、五年連続で世界経済の成長見通しを引き下げており、二〇一四年には二〇〇八年以前のペースで経済が拡大することはないだろうと警告したことは憂慮すべきだ。こうした経済の下降を示す証拠は、世界経済が、長きにわたる構造問題など長期的かつ厳しい逆風を受け、さらに深刻な事態に陥る兆候である。
経済成長をもたらす三要素、資本、労働、生産性は未曾有の逆風を受けて崩壊した。今では人口統計上の大移動が起き、その結果、新興国では大量の若く技能が未熟で、不満を抱えた労働者が発生している。高齢化が進む先進国では、年金と社会福祉の財源が枯渇している。所得格差の拡大、社会移動の機会消滅、資源不足、さらには技術革新による生産性向上による失業者の増加は、世界中で経済成長の脅威となっている。この逆風に対処することができなければ不況を招く。経済学者のローレンス・サマーズとポール・クルーグマンが主張するように、既存の政策が「役立たず」であるために、大惨事が引き起こされるのである。
本書で言いたいことは、西欧諸国は自由民主主義を本格的に改革しない限り、経済成長できないということである。政治家が、世界経済の直面する数多の困難に立ち向かうためには、民主主義を根本から変革する必要があるのだ。実際、民主主義が政治やビジネスに短期間で成果を出すことを迫った結果、資本や労働といった稀少な資源が誤った形で分配され、そして視野の狭い投資決定がなされてきた。結局、民主主義の政治プロセスこそが、無数の経済問題を作り出した元凶なのである。
本書では、近視眼的な風潮に警鐘を鳴らし、世界経済が直面する課題、逆風を克服し、経済成長のカンフル剤となることを意図して、民主主義を改革する十の案を提示する。壮大な提案だが、それは選挙の方法を変え、政治家に対する評価方法を変え、有権者と政治家の双方が長期的な視点に立脚することを可能にするものである。
「第一章 差し迫った課題は経済成長である」から。
p. 28
経済学を様々な構成要素から成る多面体として観察すると、経済成長は主に次の三要素から構成される。それは、資本(経済に投入された資金の総額から赤字と負債を差し引いた金額)、労働(質量ともに計測可能なもの)、全要素生産性(労働・資本に加えて技術革新・政治制度・法規制などあらゆる生産要素を示すもの)である。
生産性は、なぜ成長する国としない国があるのかについて、五十パーセント超を説明するとされる。透明性が確保され依拠できる法律が整備されていること、所有権が確立されていること、高い技術力を有していること、これらの要素を備えていることが生産性を向上させ、経済成長をもたらす。他方、債務や人口構成の問題は生産性の足枷となり、経済成長を抑える。
pp.30-31 これまでに考案された指標・指数(人間開発指数など)と比べても、依然GDPは有効だと著者は認識している。
GDPを絶対的尺度とすることには批判もある。サービス産業の比重の高まり、または技術革新が重要な役割を果たす形へと経済構造が変化している実態を反映していないといった批判である。非公式経済やブラックマーケット経済を捕捉できないため、GDPだけで社会の発展を測るのは適切ではないといった意見もある。過去数十年の間、経済学者、社会学者などの研究者が幸福、健康、社会発展を測る方法を考案し、人々の注目と支持を集めてきたことは驚くことではない。
そうした批判や意見は、GDPが人類の発展を計測する絶対的な尺度とされることへ疑問を投げかけている――実際にはGDPに代わるものとして考案された指標がそれ自体GDPに依拠していたり、GDPの単なる変形であるなど、限界的な計測方法であるにもかかわらずだ。〔……〕政策立案者は代替的な計測方法に関心を持っている。GDPに代わるものではないにしても、将来の経済成長、生活水準を測る上で、GDPを補完する手法になり得るからだ。さらに捕捉すると、公共政策にとって重要なのは、つまるところ、GDP成長率ではなく、生活水準が向上したかどうかなのだ。ただし現実には、そうした別の指標で上位になるのも、GDPベースで豊かな国であって、下位になるのも同じく貧しい国なのである。
□p. 34
これらの指数、指標からわかることは何だろうか? 健康、幸福、人生の質など非経済系の要素は人間らしさを示す。その一方で、GDPなど経済指標は、それ以外の領域での成功を測る物差しである。上位グループの国に大きな変動はない。つまり、経済成長とは人々の生活を構成するあらゆる要素にとって重要な支柱なのだ。だからこそ、国が、幸福、福祉、そして人類の発展を遂げるためには、経済成長が必要とされるのである。
GDP予測はその時点でのGDPを示すが、それ以上のものではない。数値が大きいことは、その国の豊かさを示すが、実態まで表すものではない。
「第二章 経済成長の歴史」から一ヵ所。
pp. 43-44
明治期の改革を基礎として日本は二十世紀を通じて経済成長したが、近年では世界に例を見ないほど経済は停滞していた。この二十五年の間、経済成長率は平均で年率僅か〇・八五パーセントであり、好転の兆しは見られない。政策立案者は、標準的な経済モデルや経済学の教科書に、厳しい状況での対応として書かれていることはすべて行った。財政政策、政府支出の拡大、企業や家計の借入を促進するためのマイナス金利導入まで、あらゆる手段を講じたのである。
日本経済が再び成長路線に乗るにはどうすればよいかを考える中で、人口構成の将来見通しはさらに事態を悩ましくする。〔……〕経済規模の縮減に伴う労働力不足と、生活水準低下は避けられない。たとえば〔……〕日本に移住する人が多い国と日本との経済的ギャップが縮小してくれば、日本に移住する人は減少し、労働力を維持することが難しくなる。専門家の見通しでは、現在、退職者一人を支える現役労働者は三人未満であり、二〇三〇年には二人未満になるとされる。この見通しは、「日本経済の時限暴弾」と言われている。
楽観主義者は、たとえば、農業改革と土地利用の自由化をセットにするといった積極的な構造改革に望みを託す〔……〕。だが、これまでのところ、日本は信頼できる成長計画を打ち出せずにいる。人々は貯蓄するだけで経済や社会生活にかかる支出を抑えるなど、経済活動が停滞するリスクが益々高まっている。こうした傾向は、経済見通しを一層暗いものにする。
日本経済を低迷させている原因を特定することは難しい。だが、日本経済の成長に、政治の安定と信頼できる法制度が重要な役割を果たしてきたこと、そして中国の隆盛から、長期的な展望で賢明な公共政策を実施することが必要であることが証明された。
「第六章 近視眼的政治の危機」から。
□p. 128 弱点としての短期志向
民主主義では、短期志向が強まりやすい。西欧では政治家の任期が短い。任期は通常五年未満であることから、長期的な政策課題に取り組もうとしても、選挙に中断されてしまう。当然、政治家は、月次インフレ率、失業率、GDPの改善など、すぐに成果が表れるものや、成果が分かりやすい政策で有権者にアピールするようになる。だが、このアプローチでは経済の構造問題の悪化に目が向かず、問題解決のための政策を打ち出すことができない。持続可能な経済成長のためには、政治指導者、ビジネスのリーダーが、短期的な点数稼ぎよりも長期的繁栄を重視した、より質の高い意思決定を行う必要がある。
□pp. 141-142 「民主主義的資本主義」を維持しつつ改善を行うべきという主張。二段落目で「たとえば」の二段ネストが行われている。
民主主義的資本主義が多くのことを達成したことは疑いがない事実である〔……〕。アメリカの所得水準は過去五十年で三十倍になり、貧困は四十パーセント削減された。欧州では一九六〇年から二〇一五年までに一人当たりGDPが三倍になった。また、週当たり労働時間は三分の一に短縮した。世界経済は、途上国と先進国の経済成長によって過去二十年で三倍に拡大した。そして経済的繁栄に伴い、近代史においてかつてない長い平和の時代が到来した〔……〕。だが、それでも、世界経済が飛躍するためには、民主主義は改革の必要がある〔……〕。
たとえば、民主主義はしばしば誤った資源配分をする〔……〕。民主主義的資本主義を採用する国の政治家は、しばしば経済成長を促進するのではなく、制約する政策を選択する。政治制度は、発展する可能性が高く、経済成長見通しをよくする資産へ重点的に資源配分するべきである。たとえば、中国とインドでは、生産性を高めるために道路を必要としていた。中国は道路を建設したが、インドでは、複雑な官僚主義と、政治的対立からインフラ建設が行き詰まった。これによりインドでは民主的な手続きが経済成長を推進する意思決定を阻害していることが明らかになった。
□pp.143-144 政治面では汚職とイデオロギー対立、経済面では格差拡大が、民主主義的資本主義のネック。
民主主義的資本主義のもう一つの短所は、大いなる成功の一方で、汚職が生まれやすいことである。二〇〇〇年代初頭のエンロン、ワールドコムといったアメリカの優良企業の粉飾決算事件〔……〕、国際的な大手監査法人のアーサーアンダーセンや主要な投資銀行がそうした不正に関与していたことで、資本主義が組織的な不正に無力であることが明らかになった。
また、民主主義的資本主義にはもう一つ問題がある。それは、格差に対処できないということだ〔……〕。民主主義政治は政治献金が物を言うことから、富める者と貧しい者の格差は拡大していく。富が政治に及ぼす影響が大きいことが問題の根本にある。資金量が選挙を決定することを止めなければ、政府が格差解消をしようとしても効果はない。これが過去数十年、右派と左派のいずれも格差拡大を抑止できなかった理由である。
最終的に、民主主義では複占と行き詰まりが発生しやすいと言える。民主主義は本来、競争的な選挙を奨励するが、民主主義の先進国では〔……〕自由な競争で最良の政治を行うというよりも、旧態依然とした二つのイデオロギーのせめぎ合いになっている。西欧先進国の多くはほば二大政党制である。その最たる例はアメリカであり〔……〕共和党と民主党を脅かす第三党はない。
□pp. 145-149 まとめにあたる部分。
この章ではこれまで、民主主義の下で政策立案者がどのように間違った政策を選択し、長期的な経済成長を阻害するのかを見てきた。民主主義の欠陥に対処する前提として、自由民主主義の政治家が必ずしも短期志向だというわけではないことを理解しよう〔……〕。
民主主義は、他のどのシステムよりも経済成長と本質的な自由をもたらすことができる。万一失敗したとしても、それを代替するものはない。経済が成長するためには、自由、効率的市場、透明性、経済を正しい方向へ導く動機づけといった民主主義的資本主義の長所を維持し、その一方で短所をなくす改革を実施しなければならない。政治指導層の深刻な短期志向を修正し、経済の長期的課題に対処できるように選挙の周期を見直す必要がある。さらに、政治的圧力から経済政策の意思決定を隔離し、機能不全を取り除かなければならない。