編著者:松岡 亮二[まつおか・りょうじ]
本文DTP:今井明子
【目次】
まえがき――まっとうな教育論のために(松岡亮二) [003-010]
第一部〈格差〉:教育格差
第二部〈学力〉:「学力」と大学入試改革
第三部〈政策〉:教育政策は「凡庸な思いつき」でできている
第四部〈未来〉:少しでも明るい未来にするために
目次 [011-015]
編集部注 [016]
I 教育格差
①【社会経済的地位(SES)】日本社会が直視してこなかった「教育格差」[松岡亮二] 020
「緩やかな身分社会」日本
「平等」な義務教育は幻想
生徒を隔離する高校教育制度
国際的に凡庸な教育格差
空回りする教育論議
分析可能なデータの収集
教職課程で「教育格差」を必修化
子供達のために行動を
②【子どもの貧困】経済や福祉のみならず、なぜ教育の役割が欠かせないのか[卯月由佳] 037
新型コロナの前から存在する貧困問題
教育費の支援の必要性
手厚い学習指導・支援の必要性
制約のない希望の形成に向けて
貧困を産まない制度や社会への改善に向けて
注 044
③【デジタル化】ICT導入で格差拡大 日本の学校がアメリカ化する日[多喜弘文] 045
臨時休業中に生じたオンライン教育の格差
なぜ学校でオンライン教育を受ける機会に格差が生じたのか
新学習指導要領のもとICT導入は既定路線だった
ICT導入で懸念される二つの教育格差
日本の公教育はアメリカ型へ?
経産省「未来の教室」と新学習指導要領に見る構造転換
社会学の視点と社会調査のリテラシーの重要性
追記――適切なサポートの必要性 062
④【ジェンダー】「性別」があふれる学校は変われるのか[寺町晋哉] 065
教育達成の男女格差
男性優位の社会と男性の「生きづらさ」
社会に浸透するジェンダー
脳や体力の男女差
「男子は理系/女子は文系」というジェンダー
幼児教育・学校教育内のジェンダー
性的マイノリティの子どもたちが直面する「ハードル」
どうすべきか
注 078
⑤【国籍・日本語教育】多民族化・多文化化する社会に公教育はどう対応するか[髙橋史子] 080
他民族化・多文化化する学校
国籍・言語・文化による教育格差
多文化社会への学校の対応
多様性と平等をめざす教育へ
注 087
参考文献 088
II 「学力」と大学入試改革
⑥【国語教育】「論理国語」という問題:今何が問われているのか[伊藤氏貴] 090
1 改革の概要 092
①大学改革:文系の軽視と専門職大学院
②大学入試改革:大学入試共通テストにおける「国語」の変化
③指導要領改革:「論理国語」と「文学国語」
2 「論理国語」導入の背景 095
追記――共通テストと指導要領改革の現在地 104
⑦【英語入試改革】ぺらぺら信仰がしゃべれない日本人を作る[阿部公彦] 107
間違いその一 「英語が喋れない」の勘違い
間違いその二 「四技能均等」の勘違い
間違いその三 「発話」の勘違い
間違いその四 「しゃべれるはずだ」の勘違い
間違いその五 「発音ができない」の勘違い
間違いその六 「英語の勉強は英語で」の勘違い
注 124
追記――英語習得を目指す人へのメッセージ 124
⑧【英語教育】「グローバル化で英語ニーズ増加」の虚実[寺沢拓敬] 128
英語使用は増えている?
2000年代の統計
世界的不況の影響
今後の行方をデータで予測する
訪日外国人の動向
貿易の動向
まとめ――地に足のついた議論を
追記――2021年の英語使用ニーズはどうなっているか 141
⑨【共通テスト】大学入試改革は「失敗」から何を学ぶべきか[中村高康] 144
入試改革「三本柱」の挫折と三つの「軽視」
改革失敗の主要因――データの軽視
「記述式導入は四割」の誤謬
「検討会議」の意義と課題
注 156
追記――「四つめの軽視」として加えたいこと
⑩【大学教育】「広く浅い」学びから脱却せよ[苅谷剛彦] 160
コロナ禍で見えてきたこと
「広く浅く」から脱却できない理由
非常勤講師への依存が改革のネックに
依存度拡大と兼務教員の高齢化
「最後の砦」の卒論さえ危うい
教育のデジタル化に潜む落とし穴
「ブラックスボックス化」への抵抗の場としての大学
追記――オリパラ開催論議の教訓 177
III 教育政策は「凡庸な思いつき」でできている
⑪【EdTech】GIGAスクールに子どもたちの未来は託せるか[児美川孝一郎] 182
society5.0とは何か
society5.0台頭の背景
society5.0における公教育
society5.0に向けた人材育成――文科省
何が文科省を動かしたのか
「未来の教室」とEdTech ――経産省
教育政策はどう動いたのか
何が問題なのか
コロナ禍が浮き彫りにした公教育の岐路
注 204
追記――小競り合う政策・施策 206
⑫【九月入学論】推計作業を通して見えた不毛[相澤真一] 209
注目を集めた推計作業
データを活用できない政策立案現場
「レガシー」を求めたがる政治に注意
今こそ日本の教育格差を直視せよ
少子化は教育の質的向上のチャンス
科学的な教育政策の立案を
注 221
追記――「思いつきの政治」のもたらす不毛 222
注 224
⑬【学費】大学無償化法の何が問題か:特異で曖昧な制度設計[小林雅之] 225
無償化と教育費負担のメガトレンド 226
新制度創設の背景と経緯 229
唐突に登場した法案 230
新制度の概要と問題点 233
少子化対策の無償化?
杜撰な制度設計
大学への介入強化
曖昧な成績要件
政策決定過程の問題 239
今後の展望と課題 242
情報ギャップと附帯決議
見直し規定という希望
注 244
⑭【教員の働き方】教員という「聖職」に潜むリスク[内田良] 249
学校のリスクはなぜ見えないのか
教員の多忙化と教育の危機
「好きでやっている」では済まない
よりよい教育のため対話が必要
⑮【教員免許更新制度改革】改革のための改革を止めることこそ改革[佐久間亜紀] 261
教員免許更新制度とは
導入の経緯――不適格教員の排除のために
中教審の対応――教員の資質向上のために
教員免許更新制度の何が問題か
教員の質を上げるには
注 270
IV 少しでも明るい未来にするために
⑯【審議会】データと研究に基づかない思いつきの教育政策議論[末冨芳] 272
教育政策における意思決定の課題――中教審を中心に
そのデータ解釈と政策方針には妥当性信頼性があるか?
思いつきの教育政策議論をどう立て直すか?
注 282
⑰【EBPM(エビデンスに基づく政策立案)】データと研究に基づかない政策では「教育格差」が変わることはない[松岡亮二・中室牧子] 284
改革のやりっ放し
問い合わせは二十年後
凡庸な教育格差社会
身の丈発言の背景にあるもの
日本には当てはまらない!?
若い世代への投資を
「テレビに出るな」という不文律
⑱【全国学力テスト】全国学テは問題点だらけ:目先ではなく一〇年先を[川口俊明] 299
「政策のためのテスト」と「指導のためのテスト」
平均点だけに注目しても意味がない
全国学力テストの抱える課題
既存の情報と接続して利用する
未来を見据えた学力テストの設計を!
参考文献 310
追記――学力テストは変わるか? 310
⑲[埼玉県学力調査]世界が注目子どもの成長を「見える化」する調査[大根田頼尚、聞き手:中室牧子・伊藤寛武] 314
成長に光を当てたい
現場の誤解と反発
目に見えない「非認知能力」を測る
AI の長所、教師の長所
データの世界で日本のイニシアチブを
注 328
⑳[教育DX]地方と国、教育行政の挑戦:コロナ禍における調査[八田聡史・渡邉浩人・大根田頼尚] 330
教育行政を担う人たち――松岡亮二 330
①その後の埼玉県学調と新型コロナウイルスへの対応――八田聡史 332
コロナへの対応――独自調査の実施
①ICT活用の課題について
②教育課程の課題について
今後に向けて
②コロナの影響検証調査、実施過程で見えたもの――渡邉浩人 337
③文科省が進める教育データの利活用――大根田頼尚 341
学びの保障オンライン学習システム(MEXCBT:メクビット)について
教育データの標準化の取り組み
教育データ利活用に係る論点整理
教育データ利活用に係る取り組みの加速
(『教育論の新常識』という書名に相応しいと思われる)あとがき(二〇二一年八月 松岡亮二) [345-365]
「教育格差ってあるの?」
出発点は現状把握、その上で、効果のある方針の模索
東京の中心で吠えてみる
「やりっ放しでは?」と自分にも問いかけてみる
みなさん一人ひとりへのお願い
初出一覧 [366]
【抜き書き】
□巻末から。
初出一覧
1『中央公論』2019年1月号
3『中央公論』2021年1月号
6『中央公論』2019年四月号
7, 8『中央公論』2019年8月号
9, 10『中央公論』2021年2月号
11『世界』2021年1月号
12『中央公論』2021年9月号
13『世界』2019年8月号
14『潮』2019年8月号
17『文藝春秋』2020年4月号
18『中央公論』2020年1月号
19『中央公論」2019年5月号その他の章(2, 4, 5, 15, 16章)は書き下ろしです。
□12章から。(pp. 214-215)
〔……〕九月入学をめぐる一ヵ月の議論は、あまりにも曖昧な政策立案プロセスに一石を投じるものであったと思う。
「レガシー」を求めたがる政治に注意
第二に、政策を政治にする文脈について、取り上げたい。九月入学の議論において強く感じたことは、わかりやすい教育政策の結果を「レガシー」としたがる政治力学である。竹中平蔵氏の「9月入学の成果、教育改革を安倍内閣のレガシー(遺産)にすればいい」(「経済プレミア」二〇二〇年五月二十七日)という言葉に端的に表現されるように、政治家は自身の「レガシー」を求めたがる。特に教育は他の分野に比べて、政策によって大きく害を被る人がいないと考えられがちなため、政治家が「レガシー」としたがる動きが顕著になる。第一の文脈で述べた世論に振り回された教育政策(policy)は、政治(politics)として実行されるにあたり、より単純な言葉に変換される。
五月初めに議論され始めた九月入学は、まさに「レガシー」作りの文脈にあふれていた。学校開始年度を九月にするためには、数多くの制度変更が迫られる。報道にもあるように、少なくとも三三本の法律改正が必要であると見積もられていた。
しかしながら、法律の中身を変えること自体は、官僚および対応する現場の膨大な労働を顧みなければ、法律の条文のなかに、歴史に日時と名前を残す「レガシー」となる。法律の変更自体が、政治家の実績となるのだ。そのため、経済政策よりも利害関係の認識しづらい教育政策では、法律の変更という手段が、「レガシー」として目的化しやすい。
さらに、政策が政治になり、それが政策手段として実施される際には、明確な「数」が答えとして独り歩きしやすい。この点で、現在、急速に進む学校におけるICT環境の整備は注視しなければならない。公立の小中学校、高等学校におけるオンライン授業の実施率は、文科省が今年(二〇二〇年)四月に自治体を対象にして行った調査によって五%と算出された。これを受けて、小中学校で一人一台の端末を配布する「GIGAスクール構想」の実現が加速した。確かに、国際的に見て日本は、ICTを「文具」として活用することにおいて、極端に遅れを取っており、その動き自体は間違っていない。しかしながら、「小中学校で一人一台」という数値目標の達成が目的化し始めていることに強い危惧を覚える。