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目次とメモを置いとく場

『情報爆発――初期近代ヨーロッパの情報管理術』(Ann Blair[著] 住本規子, 廣田篤彦, 正岡和恵[訳] 中央公論新社 2018//2010)

原題:Too Much to Know: Managing Scholarly Information before the Modern Age (Yale University Press, 2010)
著者:Ann M. Blair(1961-) 文化史、精神史。
訳者:住本 規子[すみもと・のりこ](1950-)
訳者:廣田 篤彦ひろた・あつひこ](1967-)
訳者:正岡 和恵[まさおか・かずえ](1954-)
NDC:007.5 ドキュメンテーション.情報管理


情報爆発|単行本|中央公論新社


【目次】
コロフォン [002]
献辞 [003]
凡例 [004]
目次 [005]
編集方法 [006]


序論 007


第1章 比較の観点から見た情報管理 019
古代における情報管理 022
比較のための幕間――ビザンティウムイスラム、中国 032
  ビザンティウム
  イスラム
  中国
ラテン中世におけるレファレンス用書籍 045
印刷術の衝撃 062  
多すぎる書物という主題 072


第2章 情報管理としてのノート作成 080
ノート作成の歴史に向けて 083
記憶の補助としてのノート作成 095
書くことの補助としてのノート作成 102
大量のノートを管理する 108
ハリソンのノート・クローゼットとノート作成における紙片の使用 118
共同ノート作成のかたち 128
私から公へ――他者に奉仕するノート 140


第3章 レファレンス書のジャンルと検索装置 146
ノーデによるレファレンス書のジャンル 151
  辞典
  詩華集または「格言集」
  「雑録」と「読書録」
  コモンプレイス・ブック
初期近代における検索装置 166
  典拠一覧(catalogus auctorum)
  見出し一覧
  アルファベット順の見出し索引
  アルファベット順の固有名詞索引
  アルファベット順一般的索引
  樹形図
  レイアウトまたは頁構成
書物についての書物(scriptores bibliothecarii) 199
  蔵書目録
  文献目録
  販売目録
  新しいジャンル――書評と文学史
百科事典 210


第4章 編纂者たち、その動機と方法 215
編纂者の態度と『ポリアンテア』の発展 217
編纂者の金銭的な動機 234
編纂者の知的動機とツヴィンガーの『人生の劇場』の発展 240
『人生の大劇場』 251
編纂の方法 256
編纂に置ける紙片の利用 261
手稿本と印刷本からの切り貼り 266


第5章 初期印刷レファレンス書の衝撃 284
広汎な流通(地理的、年代的、社会的)285
使用の種類 291
出版本の著者たちによる使用 297
手書きノート 304
レファレンス書についての不満の声 309
古代派から近代派へ 316


エピローグ 326


謝辞 [331-334]
訳者解題 初期印刷本と学術研究 [335-347]
  『情報爆発』までのブレアの仕事
  『情報爆発』と書物の研究
  初期印刷本からのデータを読む
  『情報爆発』からのブレアの仕事
  謝辞
原注 [348-350]
引用文献 [351-438]
索引 [439-446]




【メモランダム】
・関連するウェブサイト:こちらのブログでは原著を(1/2章ごとに)扱っている
https://nikubeta.hatenablog.com/entry/20120630/p1

https://nikubeta.hatenablog.com/entry/20120711/p1



【抜き書き】
 原注は引用文中に[ ]で示した。


・「序論」から。

 「情報」という語は長い歴史をもち、英語では一四世紀から「訓育」という意味が、一五世紀から「ある特定の事実に関する知識」という意味が、確認されている。われわれは今日それを、DNAから神経処理までさまざまな次元における情報伝達を研究する生物学から、意味内容を考慮することなく情報を数学的に分析するコンピュータ科学にいたるまで、多様な文脈において用いている。よりくだけた言い方をするならば、「情報化時代」(一九六二年に造られた語)という概念は、コンピュータが、より高次の情報(たとえば、言語や数字によって記されているような)を産出し利用するうえでの利便性や方法を一変させたという見解にもとづいている。私は、「情報」という語を、データ(それが意味あるものとなるためにはさらなる処理が必要とされる)や知識(その知識をもっている個々の人間を含意する)とは異なる、技術や専門に収斂することのない意味合いで用いている。われわれは、情報を蓄え、引き出し、選択し、整理することについて語るが、そこには、情報とは、多くの人々が異なる方法で利用し再利用するために、蓄え共有することができるものであるという、言外の含みがある――情報とは、個人のる、ある種の公有財産である。さらに、情報とは、ふつう、その元来の文脈から切り離され、「切れ端」として都合よく使い回しして利用できる、ばらばらの小さい品目という形態をとる。

明らかに、われわれは、ほとんどすべての問題について、過去の世代よりもはるかに膨大な情報量にさらされ、それを処理せねばならないし、頻繁に変革され、よってしばしば新しいものである技術を用いる。にもかかわらず、われわれが用いる基本的方法は、初期のレファレンス書において何世紀も前に考案された方法とだいたいは同じなのである。初期の編纂物は、四つの肝要な作業をさまざまに組み合わせることからなる。すなわちそれは、蓄えること(storing)、分類すること(sorting)、選択すること(selecting)、要約すること(summarizing)、であり、私はこれを、文書管理の四つのSとみなす。われわれも、情報を蓄え分類し選択し要約するが、いまやわれわれは、過去の世紀のように、人間の記憶、手稿、印刷物だけに頼るのではなく、コンピュータ・チップ、検索機能、データマイニングウィキペディアにも、他のさまざまな電子技術とともに頼っている。

 本書における私の目的は、目下の関心事を歴史的視座から見るだけではなく、初期近代ヨーロッパの精神文化に新たな光を投げかけることにある。過剰であるという認識や文書管理の基本的方法(四つのS)は、そのいずれもが、ルネサンスにとって新しいものでも独特のものでもなかった。さらに、アルファベット順配列、索引、参照しやすいレイアウトといった、印刷されたレファレンス書の特徴の多くは、中世の写本制作の技法を印刷本に転用したものであった。ルネサンス期に特有であったのは、個人による手稿ノートの収集においても印刷された編集書においても、テクストからの抜粋が膨大に蓄積されたことである。たしかに印刷術によって、印刷されたレファレンス書は点数も大きさも爆発的に膨れ上がった。印刷術は、大型本も含めて書物の制作をより安価にしたし、たとえば、入手できる書物の数を増やして抜粋しやすくしたり、紙紙は、手書きノートを蓄積するための最適の媒体でもあるの製造を促したりすることによって、大規模な編纂事業を間接的に助けもした。だが、印刷術や紙が入手しやすいことは、それだけでは、学識ある人々が、なぜそこまでの精力と金を喜んで費やし、手稿ノートや印刷されたレファレンス書の中に文書情報を大量に収集し蓄積したのかという理由を説明してはくれない。ルネサンスにおける古典のテクストや遠隔地の発見は、より伝統的な源泉に加えて、分類し蓄積すべき新しい素材をもたらしたが、これらすべての新しい知識に学識ある人々がいかに反応したかにこそ、何にもまして重要な要因が潜んでいる。、可能なかぎり多くの情報を収集して管理したいという情報への欲望が新たに燃え上がったということである。本書が焦点を当てた、膨大なノートの作成者や巨大な書物の編纂者は、有用性を秘めた情報を求めて、すべての書物、すべての分野に目を配りたいという新しい熱意をはっきりと示している。彼らは、古代の学識の喪失というトラウマを痛切に感じており、それを二度と繰り返すことのないよう、自分たちが収集した素材を保護したいと望んだのである。編纂者たちは、自分たちの仕事は公益に資するものであり、できるかぎり多くの異なる主題や関心に応えることによって、人々の役に立つのだと考えていた。

 そうした大部の二つ折り本は、作者や印刷者が膨大な人的、物的資源を集合的に投資して作り出した產物である(ドメニコ・ナニ・ミラベッリによる四三万語を擁する一五〇三年の『ポリアンテア』から、ラウレンティウス・バイヤーリンクによる一六三一年の『人生の大劇場』八巻本の一〇〇〇万語にいたるまで)。それらの書物を購入した組織や個人も、大いに投資したことになる。印刷業者たちがつねに一定の売り上げ部数を当てこんできたことを考えると、ある書物史家が賢明にも指摘したように、もちろん、ほとんどの印刷本は一度も 読まれなかったことになる。だが、これら大部のレファレンス書は、とりわけそれが高額の大型本であることを考慮すれば、売れ行きはよかったし、利用したことを認めた著者はほとんどいなかったという事実にもかかわらず、それらが実際いかに用いられたかを私は本書で跡付けている。購入者がレファレンス書に求めたのは、そこに収録されている抜粋文の原典を読むための手立て(時間、精力、金)があればみずから作成したいと願ったであろうような読書ノートのたぐいであった、と私は論じた。手稿ノートから最終的には印刷された本となるそうしたレファレンス書は、物理的にいかに産出されたのだろうかと思い巡らしているうちに、私は、編纂者たちが骨の折れる仕事を少しでも軽くするためにと考案した特異な方法をいくつか見つけたが、そこには、紙片に書かれたノートを活用したり、書き写す手間を省くために手稿や命樹本から切り貼りしたりすることが含まれている。



・第三章から、検索のための見出し一覧について(pp.169-171)。これを読むと、弊ブログのささやかな意義を改めて確認できた。

  見出し一覧 

 引用元の著者の一覧と並んで、初期近代に編纂された書物に最もよく見られるリストに、本に出てくる順に並べた見出し一覧がある。これはしばしば「索引(index)」と呼ばれたが、現代の基準では索引には当たらないので、ここではそうは呼ばないようにしておく。こうした見出しのリストを索引と呼ぶと、書物の題扉で言及されている索引の数と、現代の読者が実際にその本で見つける索引の気にしばしばずれが生じるのである。こうした見出し一覧は目次の役を果たし、見出しごとの頁番号が付されていることもよくある。また、頁番号が印刷されていない場合には、読者が自分で書き足すこともあった[原注80 ストバイオス「選集(Stobei collectiones)」Venice, 1536, BL 653.2.7 には読者が見出し一覧に頁番号を書き加えている。]。だが、たとえ貢番号がなかったとしても、このような見出し(tituli)の一覧は、その編集書に収録された主題を一目で見るのに役に立つツールで、読者が目的に最も適した見出しを選ぶ助けとなった。文献をまとめる見出しとして使える語がいくつもあったことを考慮に入れると、こうした見出しのリストを通じて読者はレファレンス書に慣れることができたのであり、それはちょうどノート作成者が、コモンプレイス・プックの見出しの一覧を繰り返し読むことを求められていたことと似た機能を果たしていた。
 目次は古代や初期中世の書物にはほとんど見られなかったと考えられているが、プリニウスの『博物誌』や イシドルスの『語源」といった初期の編纂書には、目次が付いているものも存在している。一二世紀の主要な編纂書、とくにグラティアヌスの「教令集」とペトルス・ロンバルドゥスの「命題集』には目次が付いており、これらの方式が一二五〇年には、とくに商業的に作られた(stationery-produced)写本の標準になっていた。ヴァンサン・ド・ボーヴェによる「大いなる鑑」の冒頭には、本文中で各セクションの名前として使われている見出しの一覧が掲載されている[原注81 Minnis(1979), p.394.]。一三世紀初めの編纂者であるヴィテルボのゴドフリーは、このようにして書物の内容を提示する方法を、大部の書物の「海を漕ぎ行く読者が目的とする港に行き着く案内をする」ものとして擁護している[原注82 Melville(1980)]。一三世紀になると、もともとはそういうものが付いていなかった古い写本にも、章の一覧が付けられるようになってきた[原注83 Rouse and Rouse (1979), p. 29. ]
 したがって、ドメニコ・ナニ・ミラベッリが『ポリアンテア』の初版に頁番号なしの見出し一覧を付けたのは、中世の先例に従ったものである。ただ、ナニの一覧には、見出しに掲げられた主題の論じ方が長いか短いか(一つまたは二つの星印〔アスタリスク〕を付けることで)、樹形図が付いているのか(付いている場合には、「樹形図付き〈cum arbore〉」と書かれている)、といったことが示されている。見出し一覧には、それ自体が本文で論じられるとは限らない語が、含まれていることもある。こうした事例が生じるのは、それらの語が隣接する記述の中に出てくる場合(たとえば、abominor が abominatioの記述の中に含まれる場合)か、他の見出しとのクロスレファレンスがある場合(たとえば、absolvere について、「perfectio を見よ」となっているケース)である。第二版とそれ以降の多くの版では、見出し一覧には頁番号が付けられるようになったが、それでも、一六世紀のいくつかの版には付いておらず、そのかわりに、「definitiones(定義集)」という題名が付けられた六頁にわたるセクションがあり、そこでは、悪徳と美徳を示す語が(その多くが見出しとなっている)、相互関係を示すように定義されている[原注84 見出しの一覧は、たとえば、1539、1546、1567、1574 年の各版では削除されている。1567年のコリヌスの版は悪徳と美徳に関する節を追加し、これは 1604 年のサン・ジェルヴェ版まで踏襲されたものの、同じ年のランゲによる改訂版以降、削除されるようになった。]。そして、一六〇四年の改訂以後の版では、見出し一覧は、八四〇ほどの項目を含むまでに拡張されている。

・階層を明示した見出し一覧の誕生。

 一五六五年になると、テオドール・ツヴィンガーによって、見出し一覧の強力な変種が導入された。これ以降の版で使われることになった方式では、最大三階層の字下げ(インデント)を駆使することで、『人生の劇場』に独特の体系によって配列された見出しをさらに下位区分する概要が示されている。頁番号まで付されたこの「見出し図(series またはcatalogus titulorum)」は、書物へのアクセスを提供する方式として、それ以降継続して使われるものとなり、バイヤーリンクも「人生の大劇場』において、これを引き続き採用した。バイヤーリンクは、ツヴィンガー独自の体系に沿った見出しの配列をやめて、アルファベット順に置き換えたものの、見出しの下位区分には、ツヴィンガーの発案とされているものの多くをそのまま使い続けた。また、彼は、『人生の大劇場』の各巻を、アルファベットごとの見出しの詳細な概要から始めているが、そこには、最大で五つの階層にも及ぶ下位区分が設定されている。その結果出来上がった「見出し索引(elenchus または index titulorum)」はきわめて長いものとなったが、同時に、二つ折り本で一〇〇頁にも及ぶことがある項目の内容構造を、最も簡単に見渡せる場所ともなっている。ツヴィンガー独自の体系に沿った配列と、バイヤーリンクのアルファベット順の配列のどちらにおいても、字下げによって見出しの下位区分は効果的に概観できるようになっており、これは、マイクロソフトのパワーポイントに、箇条書きの黒丸(ブレットポイント)こそないものの、比肩しうるものとなっている。本文の頁番号が付け加わることによって、こうした「見出し索引」は、検索装置としても概要としても役に立つものとなっている[原注86 ツヴィンガーの「見出し索引」(1565、1586年)とバイヤーリンク(1666年)を比較のこと。ツヴィンガーは、1536年版の序文に字下げも導入している。]。