著者:大輪 靖宏[おおわ・やすひろ](1936-) 日本近世文学。俳人。
カバー装画:野地 美樹子[のじ・みきこ](1978-)
ブックデザイン:片岡 忠彦[かたおか・ただひこ] 装丁。
シリーズ:角川学芸ブックス
「角川学芸ブックス 俳句の基本とその応用」大輪靖宏 [ノンフィクション] - KADOKAWA
俳句とはなにか? 基本を理解すればあなたの俳句はもっと豊かになる。国文学者で俳人の著者が、その発生や言葉の役割、日本人の心などの視点から詳細に検証。現代俳句の基本とされる「花鳥諷詠」「客観写生」などの真意を解き明かす。基本を知り、実作に生かすための実用的俳論集。
【目次】
目次 [003-007]
序章 009
第一章 なぜ俳句は短詩形文学として成り立つのか 013
なぜいまさら単語か
言葉の機能を生かす
言葉の機能の統一
古池やの句を例に言葉の働きを見る
古池が感じさせる世界
本意というもの地名にもある本意
本意に反するとどうなるか
本意の尊重が旬の普遍性に繋がる
本意と本意の組み合わせ
俳句における取り合わせ
切字の効用
取り合わせの方向性
俳句は取り合わせだけに頼ってはいけない
具体的な一点を好む日本人
一点のみを示すことの効果
俳句は一点を示し他を暗示する
余白を好む日本文化
第二章 俳句はなぜ季と型を持つのか 051
季に敏感であることが日本人の条件
季に浸ることが優雅
季を感じ取っていることを周囲に示す
季で自然を述べることが文学
俳句は特に季を持った自然を描く
自然を再現することが日本文化の基本
季のない俳句というものがあり得るか
季節のない海はない
季の言葉の必要性
季の言葉の重なり言葉が生きれば季重もよい
五七五というリズム
五七五の持つ力
形の上からの俳句の定義
第三章 俳句に何を盛り込むか 079
俳句に盛り込むべきものを求めての模索
中国的なものを俳句の内容とする
自分の姿を俳句に盛り込む
目の前のことをそのまま詠む
読者に句の方向性を指示しない
芭蕉が自句と自負した句
句に思想的な意味を持たせない
無注釈性の大切さ
日本人にとっての自然は身の回りのこと
無注釈の人虚子
虚子の自然の示し方
自然に対面させることが芸術
第四章 花鳥諷詠とはどの範囲か 103
花鳥詠の範囲
花鳥諷詠とは何か
虚子の認める俳句の範囲
ホトトギスの巻頭句
選による俳句の範囲の拡張
虚子の己を語る試み
印象を語る試み
第五章 俳句における写生とは何か 123
正岡子規の写生論
俳句は取捨選択修飾して作るもの
写生の重要性と主観の重要性
虚子の旬に働く主観
客観写生は主観によって裏打ちされるもの
虚子の主観的受け取り方
自然の意思を受け取る
客観写生から生まれる主観
自然に同化する虚子
単純さの持つ強い力
主観が生む印象的な表現
自然と自分(人間)との一体化
自然を同類として親しむ
客観写生の課題
現在の指導者の課題
第六章 俳句の枠は広げられるか 161
芭蕉を慕う蕪村の試み
平板な蕉風への刺激
幻想的・空想的な試み
我々は俳句の幅を広げる努力をしているだろうか
材料の珍奇さで句を作るな
句境を広げる方法
芭蕉の場合
蕪村の場合
これもまた客観写生
心に深く刻み込む工夫
第七章 俳句の指導はどのようにあるべきか 183
教えが矛盾しているのが良い指導者
多作多捨だけが正しいか
俳句作者にとっての課題
其角を認める芭蕉
其角という人
第八章 俳句上達の秘訣はあるか 201
俳句にも王道はない
良い作品を見続ける効果
俳句上達のためにはどうするか
1 当たり前のことを取り上げていないか
2 誰もがするような表現、ものの見方をしていないか
3 説明や感想を付け加えていないか
4 意味が重複していないか
5 詩的内容を持っているか
6 材料の強さや面白さで作っていないか
7 具体性を欠く言葉を使っていないか
8 表現を放棄していないか
9 品位を落としていないか
10 文法的・意味的な誤りを犯していないか
11 理屈を述べていないか
12 独りよがりになっていないか
13 使われた語が適切か
14 リズミカルな読み方ができるよう口調を整えたか
15 あまりにも俳句らしい俳句ばかりを作っていないか
16 俳句が苦の種になっていないか
第九章 俳句の独自性はどこにあるか 221
和歌・連歌から俳諧へ
俳諧之連歌の発生
和歌・連歌の雅と俳句の俗
短歌と俳句の表現の仕方の違い
俳句では自分の受け取り方を語らない
俳句は滑稽の面でもっと広がりがある
古歌・成句などの利用
会話言葉の活用
オノマトペの活用
ドラマ的な俳句
詞書と融和する面白さ
悪ふざけではない滑稽味
第十章 俳句は役に立っているか 251
俳句は老後の楽しみ
役立つという観点からの文学観の否定
やはり俳句は役立っている
あとがき [261-263]