著者:本田 由紀[ほんだ・ゆき](1964-) 社会学者(教育社会学)。
対談:阿部 真大[あべ・まさひろ](1976-) 社会学者(労働社会学、家族社会学、社会調査論)。
対談:湯浅 誠[ゆあさ・まこと](1969-) 社会活動家。
対談:ECD[いー・しー・でぃー](1960-2018) 作家。ラッパー。
対談:楜沢 健[くるみさわ・けん](1966-) 文芸評論家。
カバーデザイン:森 裕昌[もり・ひろまさ](1970-) デザイナー(装丁)。
カバー写真:嘟[U+561F]
シリーズ:河出文庫 ほ8-1
NDC:367.68 児童問題・青少年問題(青少年[若者.ヤング アダルト])
【目次】
まえがき [005-009]
目次 [010-012]
I 日本の教育は生き返ることができるのか
1 苛烈化する「平成学歴社会」 ――かつてとは何が変わったのか 014
忘れられてきた「学歴社会」?
一九七〇〜八〇年代の「学歴社会」論
九〇年代に空白期が生まれたのはなぜか
現代の新たな「学歴社会」
現在の「学歴社会」の実態
新しい「学歴社会」をどうするか
注 030
2 格差社会における教育の役割 032
「機会の罠」という概念
教育の限界
日本社会の格差の現実
日本における教育の課題
注
〈コラム〉教育再生会議を批判する 042
〈コラム〉議論なき「大改革」046
〈コラム〉「キャリア教育」だけなのか? 048
II 超能力主義〔ハイパーメリトクラシー〕に抗う
1 ポスト近代社会を生きる若者の「進路不安」 052
ポスト近代社会とは何か
メリトクラシーとハイパー・メリトクラシー
ハイパー・メリトクラシーの弊害
①要求水準の高度化という圧力
②属性的格差の顕在化と対処策の不在
③評価の恣意性
④自己責任化と自己否定・自己排除
⑤限度のない没入
ハイパー・メリトクラシー下の「進路不安」への対抗策
2 いまこそ専門高校の「復権」を――「柔軟な専門性」を鍵として 067
はじめに
専門高校在学者比率の変化と国際比較
専門高校からの進路と教育内容のレリバンス
専門高校をめぐる近年の施策
「柔軟な専門性」(flexpeciality)を目指して
〈コラム〉 他人のつらさを自分のつらさに 083
III 働くことの意味
1 〈やりがい〉の搾取――拡大する新たな「働きすぎ」 086
「働きすぎ」という問題
なぜ「働きすぎ」るのか
「自己実現系ワーカホリック」の諸要素
2 東京の若者と仕事――先鋭化する「二極化」 107
東京の若者における二極化の進行
二極化のなかでの若者たち
取り組むべき課題は何か
〈コラム〉 企業の「家族依存」を正せ 120
IV 軋む社会に生きる
〈鼎談〉まやかしに満ちた社会からの脱出[本田由紀・阿部真大・湯浅誠] 126
〈働きすぎ〉の問題
〈働けない〉問題
若者たちが置かれた状況
現状に抗するための専門性とは
社会全体で貧困について議論されるための前提
この社会は変わっていくのか
〈コラム〉 雇われる側の論理 155
〈コラム〉 立場の対称性と互換性 161
V 排除される若者たち
1 若年労働市場における二重の排除――〈現実〉と〈言説〉 164
日本的な「排除型社会」
若年労働市場における〈現実〉面での排除
若年労働市場における〈言説〉面での排除
二重の排除の背景
二重の排除を超えるために
注 188
〈コラム〉 〈不可視化〉と〈可視化〉 189
〈コラム〉 鍛えられ、練られた言葉を 192
VI 時流を読む――家族、文学、ナショナリズムをキーワードにして
1 現代日本の若者のナショナリズムをめぐって 198
「ぷちナショナリズム」から「ガチナショナリズムへ」
ロマン、不安、そして遊び
検証すべきは政治家やマスメディア
2 「ハイパー“プロ文”時代」がやって来た!? 〈鼎談〉[ECD・楜沢健・本田由紀] 210
分断された人々の「出会い」
可能性としての「集団」
プロレタリア文学の限界と可能性
一九二〇年代とは異質の現代の疎外
「現代におけるプロレタリア文学」?
注 236
〈コラム〉 お母さんに自由を! 240
〈コラム〉 「家庭の教育力」って何? 243
VII 絶望から希望へ 247
いま、若い人たちへ 248
学校が一元的な価値を強要する
からまわりする「主体性」
ダブル・バインド社会
年長者として何ができるのか
新しい社会をつくり出そうとする若者の息吹
あなたたちの力を貸してください
VIII 増補・シューカツを乗り越えるために
1 「シューカツ」という理不尽 260
注 267
2 大不況下の就活 驕るな/社会と対峙せよ 269
晴れの日は雨を思え
「痛み」が生を実証する
あとがき [273-274]
文庫版あとがき [275-282]
初出一覧 [283-285]
【抜き書き】
・「初出一覧」。
※書籍・雑誌のタイトルが二重鍵括弧ではなく鍵括弧でくくられているのは、そのまま。
※頁数表記のうちハイフン(またはダッシュ)を全角波線へと(引用者 id:Mandarineが)変更した。
I 日本の教育は生き返ることができるのか
苛烈化する「平成学歴社会」――かつてとは何が変わったのか ▶「論座」 二〇〇七年三月号、二二三~二三一頁
格差社会における教育の役割 ▶「世界の労働」二〇〇八年一月号、三〇~三五頁
〈コラム〉教育再生会議を批判する ▶「朝日新聞」 二〇〇七年一月二九日、朝刊、九面、時流自論
〈コラム〉議論なき「大改革」 ▶「月刊JTU」 二〇〇七年六月号、三頁
〈コラム〉「キャリア教育」だけなのか? ▶「月刊JTU」二〇〇七年一二月号、三頁
II 超能力主義に抗う
ポスト近代社会を生きる若者の「進路不安」 ▶「教育」 二〇〇七年一二月号、四〜一一頁
いまこそ専門高校の「復権」を――「柔軟な専門性」を鍵として ▶「産業と教育」 二〇〇七年一二月号、二〜七頁
〈コラム〉他人のつらさを自分のつらさに(旧タイトル「「見て見ぬふり」を超えて」) ▶「月刊JTU」 二〇〇八年四月号、三頁
III 働くことの意味
〈やりがい〉の搾取――拡大する新たな「働きすぎ」 ▶「世界」二〇〇七年三月号、一〇九〜一一九頁
東京の若者と仕事――先鋭化する「二極化」 ▶「東京研究」第六号、二〇〇六年七月発行、一三六〜一四四頁
〈コラム〉企業の「家族依存」を正せ ▶「朝日新聞」二〇〇七年二月一九日、朝刊、九面、時流自論
IV 社会に生きる
まやかしに満ちた社会からの脱出(旧タイトル「“溜め”のない世界に楔を打て!」) ▶「図書新聞」二〇〇七年八月一八日号、一三面
〈コラム〉雇われる側の論理(旧タイトル「〈つらさ〉の分断を超えて」) ▶「月刊オルタ」二〇〇八年二月号、三〇〜三一頁
〈コラム〉立場の対称性と互換性 ▶「月刊JTU」二〇〇七年九月号、三頁
V 排除される若者たち
若年労働市場における二重の排除――〈現実〉と〈言説〉 ▶「現代の社会病理」 第二二号、二〇〇七年、 二三〜三五頁
〈コラム〉〈不可視化〉と〈可視化〉 ▶「国民生活」二〇〇七年一二月号、四十五頁
〈コラム〉鍛えられ、練られた言葉を(旧タイトル「侮蔑ではなく、状況のきびしさを共有する言葉を」) ▶「月刊同和教育 であい」 五四七号、二〇〇七年一〇月発行
VI 時流を読む
現代日本の若者のナショナリズムをめぐって ▶HONDA Yuki, 'Focusing in on Contemporary Japan's 'Youth' Nationalism,' Social Science Japan Journal, Oxford University Press, October 2007.
「ハイパー“プロ文”時代」がやって来た!? ▶ 「すばる」二〇〇七年七月号、一四八一一六五頁
〈コラム〉お母さんに自由を!(旧タイトル「お母さんは家にいるもの」という束縛) ▶「コーヒー入れて!」第四三号、二〇〇七年一二月発行、六頁
〈コラム〉「家庭の教育力」って何?(旧タイトル「「家庭の教育力」のまやかし」) ▶「朝日新聞」二〇〇七年一月一六日、夕刊、八面
VII 絶望から希望へ
いま、若い人たちへ ▶「朝日新聞」二〇〇七年三月二六日、朝刊、一一面、時流自論/ ▶「すばる」二〇〇八年五月号、一六二〜一六三頁(すばる大学カフェ「入り乱れるベクトル」)
VIII 増補・シューカツを乗り越えるために
「シューカツ」という理不尽 ▶「UP」二〇一〇年八月号、六頁
大不況下の就活 驕るな/社会と対峙せよ ▶「週刊東京大学新聞」二〇〇九年四月二八日、二頁
【メモランダム】
・誤植:小見出しのひとつ(p.198)。鍵括弧の位置がずれており、よくある形(「A」から「B」へ)を外れている。
・誤植:初出情報一覧から(p.284)。論文の題を挟むはずのシングルクオテーションが閉じられていない。これはコンパイルエラーになるミス。
HONDA Yuki, 'Focusing in on Contemporary Japan's 'Youth' Nationalism, Social Science Japan Journal, Oxford University Press, October 2007.
【関連記事】
・「VI 時流を読む」に絞った。
『プチナショナリズムの時代』
『嗤う日本のナショナリズム』
『不安型ナショナリズムの時代』
『〈癒し〉のナショナリズム』