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『ケガレ』(波平恵美子 講談社学術文庫 2009//1985)

著者:波平 恵美子[なみひら・えみこ]1942年 文化人類学、医療人類学。


『ケガレ』(波平 恵美子):講談社学術文庫|講談社BOOK倶楽部


【目次】
学術文庫版まえがき(二〇〇九年六月十九日 波平恵美子)
はじめに(一九八五年八月 波平恵美子) 


第一章 「ケガレ」観念をめぐる論議とその重要性 
  民間信仰におけるケガレの観念の重要性/松平斉光におけるケガレ論/柳田国男におけるケガレ論/最近のケガレ論――桜井・薗田・宮田におけるケガレ論/岡田重精のイミの研究/波平のケガレ論


第二章 民間信仰におけるケガレ観念の諸相――黒不浄・赤不浄・その他 
第一節 死に係わるケガレ――黒不浄 
  死の異常性/死のケガレと危険――死が招く魔もの/清め――ケガレに対抗する防衛力/死のケガレと飢餓/イザナギの黄泉国訪問と死のケガレ/神と死のケガレ/仏教と死のケガレ
第二節 出産・月経とケガレ――赤不浄 
  死と再生とケガレ観/若狭湾岸における出産と月経のケガレ観/月経小屋および産小屋の問題/南西諸島における出産と月経をめぐる信仰/死のケガレと出産・月経のケガレ/月経をめぐるその他の問題 
第三節 罪とケガレ・病とケガレ・その他 
  罪とケガレ/罪・ケガレ祓いと動物供犠/食肉とケガレ/病気とケガレ/職業とケガレ
第四節 火とケガレ
  通過儀礼における火の儀礼的意味/制御されない火/破壊の火と再生の火


第三章 空間と時間とにおけるハレ・ケ・ケガレの観念 
第一節 空間の認識におけるハレ・ケ・ケガレ  
  三辻・四辻・峠・境/「意味づけされた」空間とケガレ/周辺的空間とケガレの観念/異界とケガレの観念
第二節 時間の認識におけるハレ・ケ・ケガレと年中行事再考 
  特別に意味づけされた時間/ケガレの時間とその推移/ハレの時間とその設定/年中行事とハレの時間/継承・循環的年中行事とハレの時間/境の時間とケガレの観念


第四章 「災因論」としてのケガレ観念と儀礼  
  災いの原因の説明としてのケガレ/「災因論」としてのケガレ観念の多様性/メアリー・ダグラスにおける不浄と危険の理論


引用文献




【メモランダム】
1984 『ケガレの構造』青土社
1985 『ケガレ』



【抜き書き】

・2009年にかかれた「学術文庫版まえがき」。

 四半世紀の時を経て、自著が装いを新たにして、講談社学術文庫に収められるのは望外の喜びである。それは、かつての自分の仕事が再び世間に出るだけではなく、この四半世紀の間に生じた日本人の認識や行動の変化が、かえって自説の妥当性を証明してくれることになったからである。変化があってこそ、骨組みが明確になったといえる。
 ケガレは三十年以上も前までは「穢れ」と表記されることが多かった。それを、一九七三年に日本民族学会(現・日本文化人類学会)の研究大会で「ケガレ」と表記すること、それによって穢れ観念の内容ではなく、分析概念として用いることを主張し、それから約十五年にわたって独自の「ケガレ論」を機会を与えられるごとに主張してきた。私の主張はある人々には批判され、ある人々には部分的に承認された。一九七四年、七六年、七八年に日本民族学会の学会誌『民族学研究』(現『文化人類学』)に三本の論文を発表し、それを中心に既発表論文を集め、一九八四年に『ケガレの構造』(青土社)として刊行した。本書『ケガレ』は『ケガレの構造』の姉妹篇である。
 『ケガレの構造』では、ケガレを分析概念として用いることが、当時錯綜していた「ケガレ(穢れ)とは何であるのか、その起源は、その本質は?」という疑問に一つの答えを与えるうえで有効であることを示そうとした〔……〕。本書『ケガレ』は、ケガレを分析概念として用いることの有効性を確認するうえで用いた日本民俗の資料を提示することによって、その有効性を主張した〔……〕。
 文化人類学では、人間の文化は自分たちを取り巻く世界を構造化するものであるとする。その構造は、その文化を担う人々によって明示されている。それとは気づかぬまま、人々はその構造に従って認識し行動する。優劣を付けたり、差異化さらには差別したり、グループ分けしたり、強い関係、弱い関係を結んだり、関係を結ぶことを拒否したりする。少くとも、一九八〇年代までの日本文化では、世界を構造化する大黒柱にケガレという指標を用いていたといえる。ケガレは差異化のもっともわかりやすい、そして、時には感情に訴え、身体反応までも引き起す強い指標であった。 本書の中で取り挙げた事例はほとんど消失し人々の記憶の中にも残っていない〔……〕。つまり、ケガレは本質的なものではなかったのである。余りの便利さの故に、ケガレがあらゆる場面や対象に用いられていたため、研究者は右往左往させられていたと考える。二〇〇九年現在、それでは何が差異化の指標になっているのかを考えるのがこれからの課題である。


・1985年の「はじめに」

  はじめに
 本書の目的は、日本の民間信仰における不浄の観念(ケガレ観念)について、「ああでもない、こうでもない」という私見を述べることである。
 民間信仰とケガレの問題についての論考を初めて発表したのは一九七四年の「日本民間信仰とその構造」(『民族学研究』三八巻三・四号)においてであったが〔……〕。最初の論文で用いた「ハレ・ハレ・ケ・ケガレの三極構造」というものも、ケガレ観念に係わる民間信仰の諸相を何らかの「筋道の通ったもの」として示すための工夫であった。また、ケガレ観念というものに視点を据えて日本の民間信仰を分析しようと試みたのは、多様な様相を持つ信仰が何らかの形で「体系的」であることを示すための一つの方策であった。
 しかし、十年たってこれまでの自分のつたない仕事を振り返ってみると、理論的であろうとするための強引な資料の扱い方が気になってきた。本書は〔……〕私なりの反省に基づいて書かれたものである。

 これまで日本では、比較的安易に「西欧のキリスト教と比べると」などという表現で日本の信仰や宗教とキリスト教との比較を行なってきたと思う。しかし、その「キリスト教」とは、聖書や一部の聖書学者や宗教学者が論じたキリスト教なのであって〔……〕今後多くの資料がまとまった形で紹介されるようになれば、キリスト教は決して明快な様相を持つものではないことを知ることになろう。
 本書では、信仰が人に与える力や影響の中でも最も大きなものである死に係わるものと不幸に係わるものが、日本ではケガレという観念とどのように結び付いて信仰の諸相の中で示されるのかについて述べている。ケガレ観念の最もわかりにくく、「ああでもない、こうでもない」論議の最たるものは、ケガレとされ、危険や不幸をもたらすとされるもの、例えば水死体が、時には人間に幸いをもたらし、時には神聖なものとして信仰の対象となる、いわゆるケガレの儀礼的価値の転換である。しかし、ここではごく一部を除いては論じていない。




【関連文献】
『ケガレの構造』(波平恵美子 青土社 1992年//1984年)

 [簡易目次]

はじめに


第1章 日本民間信仰とその構造 
 序
 第1節 理論的枠組みとしてのハレ・ケ・ガレ
 第2節 村落レヴェルの民間信仰の構造
  1 高知県・谷の木ムラ
  2 長崎県壱岐郡・勝本浦
  3 大分県・山野ムラ
    祖霊信仰/山の神信仰・憑き祟りの信仰/彦山権現・彦山山状/真宗寺院/神葬祭家/氏神信仰/有名神社の崇拝
 第3節 結論


第2章 通過儀礼におけるハレとケガレの観念の分析
 序
 第1節 出産・結婚・死に伴う儀礼の類似と相違
 第2節 壱岐郡勝本浦の通過儀礼とケガレの観念
 第3節 結論


第3章 水死体をエビスとして祀る信仰――その意味と解釈
 序
 第1節 長崎県壱岐郡勝本浦におけるエビス信仰
 第2節 エビスの属性およびエビス信仰の多様性
  1 エビスの御神体あるいは祭神の種類
  2 エビスの性格
    外来者としてのエビス/エビスの不具性/祟り神としてのエビス
  3 水死体およびエビスへの信仰
    水死体を拾う作法について

 第3節 民間信仰の体系内におけるエビス信仰の位置
  1 エビスと船霊
  2 エビスと船霊の山の神
  3 穢れの持つ力
 第4節 結論


第4章 ハレとケとケガレ 
  1 宗教的行為と認識 
  2 時間認識におけるハレ・ケ・ケガレ 
  3 空間認識におけるハレ・ケ・ケガレ 
  4 ハレ・ケ・ケガレと浄・不浄 
  5 通過儀礼におけるハレとケガレ 


第5章 月経と豊饒
 序 
 第1節 月経の不浄観と社会的背景 
 第2節 月経の不浄観と豊饒性 
  1 月経のタブーと食のタブー
  2 月経の不浄性とその矛盾
 第3節 結論 


あとがき