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目次とメモを置いとく場

『自由を耐え忍ぶ』(テッサ・モーリス=鈴木[著] 辛島理人[訳] NTT出版 2004)

原題:Enduring Freedom
著者:Tessa Morris-Suzuki(1951-) 
訳者:辛島 理人からしま・まさと](1975-) 
装丁:後藤 葉子[ごとう・ようこ](1973-) ブックデザイン。
カバー写真:『空爆のさなかに出会った少女』2003年3月/バグダッド 
撮影:豊田 直巳[とよだ・なおみ](1956-) フォトジャーナリスト。
NDC:310.4 政治論集、政治評論集、政治演説・講演集
NDC:311 政治学.政治思想


https://www.iwanami.co.jp/smp/book/b261915.html



【目次】
目次 [vーviii]


第一章 劣化する民主主義 001
  自由/廃墟をもとめて/民主主義/グローバリゼーションと市場の社会的深化/身体保安産業/市場の社会――三つの意味/オルタナティブへむけて


第二章 暴走する市場 027
  権利証書/成長するに任せよ/未来を担保する/消費のポリティクス/衛星国家


第三章 自由とパノプティコン(一望監視) 051
  ベンサムユートピア/自由の規律/二重運動の広がり/二重運動の逆転/ネオベンサム的世界/パノプティコンの市場化/自由と無力感


第四章 知の囲い込み 077
  知的財産所有権革命/情報社会における所有権/SNPの所有権/シャーマンの養成プログラム/TRIPSを強要する/知をひらく


第五章 風変わりな資産 103
  投票所と出入国管理所/人間の移動と市場/国境管理の政治学/安全への投資/公と私の再編成/ワイルドゾーンと対峙する


第六章 戦争の民営化 129
  課税免除の民間兵士たち/冷戦の遺物/武器から耕作器へ、そして再び武器へ/軍産複合体の再編/特殊効果/軍と企業の同体化/ならずもの国家、テロリスト、民間軍事企業/ワイルドゾーンの拡大


第七章 自由の再生 155
  1100万人の声/オルタナティブの探求/原理主義を越えて/境界を越えること/市場からの自由


第八章 民主主義の再考 177
  政治と市場/境界の拡大/フリーソフトウェアコピーレフト/健康の民主化 エイズ治療をめぐるキャンペーン/国家を監視する 企業を監視する/デモクラシーへの多層なアプローチ/未来予測不可能性の時代


あとがき [201ー213] 
参考文献 [1ー6]





【抜き書き】
・上の目次と下の抜粋をあわせて読めば、本書のテーマと著者のスタンスが十分つたわるはずだと思う。



[66頁]

 ベンサムの再検証は、今日の「不自由な自由」という矛盾の理解を助ける手掛かりとなる。
 これまで以上に、すべての人間の行動は苦痛の回避と快楽の追求に基づく「効用」の合理的最大化、というベンサムの考えから導かれた基本理論によって今日の経済的決定は行われている。


[67~69頁]

 しかしベンサム自由主義においては、国家が担う決定的な役割が存在する。それは治安の領域だった。「政府の役目」の核は、ベンサムによれば、一行にまとめられる。「報償と懲罰によって社会の幸福を増進する」。一連の政治論文の中で、ベンサムは「効用」という初期の概念を、年を追うごとに「安全保障」の部分を強調することにより補完した。〔……〕「安全保障と自由は産業が必要とするすべて」とベンサムは主張した。逸脱者を訓育するための「不可視だが遍在する」国家により監視された、安全な社会を確保するための「透明な」隔離施設群である「パノプティコン丘の村」というユートピア計画に、彼による安全への激しい希求は証明されるだろう。
 このような流れで考えると、ベンサムパノプティコン構想は、ビッグブラザーという全知の視線によってあらゆる市民が監視されるジョージ・オーウェルの『1984年』や、ガラスの都市によって人々の生活のあらゆる局面が国家のまなざしにさらされるエヴゲーニイ・ザミャーチンの小説『われら』の世界と異なることを強調せねばならないだろう。オーウェルザミャーチンが描いたものは、中央集権的国家が全体主義イデオロギーを人々に押しつけ、討論や批判がそこでは不可能な社会だった。一方、ベンサムなの描いた自由主義では、様々な見解による討論は許容され、むしろ(制限はあるもの)奨励され制度化されるべきものだった。
 つまり、ベンサムパノプティコン構想は社会全体への思想統制を意図していたわけではなく、むしろ「ならずもの」や「ゴロツキ」といった、自由が持つ規範からこぼれ落ちた人々による脅威から、自由市場や自由な討論空間を守ることを想定していた(パノプティコンは「ゴロツキを砕いて真っ当な者にする製粉所」というベンサムの有名な言葉がある)。この意味において、自由な効用の最大化の強調とパノプティコンの機能の強調は分かちがたく結びついていた。すなわち、効用の競争的最大化を図る社会での人間の権利は、不可避的にならずものの存在によって減価されてしまうからである。〔……〕一方で制度への幻滅は敗者ちの疎外をもたらす。時に暴力による制度への抵抗も発生するだろう。他方、競争の法則を取り込んだ者たちは、その制度を論理的に極端なところまで拡大する。その結果、社会の安寧はおびやかされ、競争による効用最 大化は人間に幸福をもたらすとする想定の欠陥をあばき出す恐れが生じた。


[88頁]

 バイオテクノロジー領域への私企業の参入により、遺伝物質の所有権にかかわる新しくて、大きな問題が派生した。1990年代に、(バイオテクノロジー産業の強い圧力で)アメリ特許庁は、SNP〔 訳注・「一塩基多型」の略語で、個人間における一遺伝暗号の違いを意味する〕特許権を企業に認めた。SNP はDNA の連鎖の一部で、例えば病気の診断や治療に用いられる。1990年10月、「世界最大のDNAデータ工場」と自己宣伝するセレラ社は、人間の遺伝子について6500を超える予備特許を申請した。


[162頁]

 人間やその政治的行動を絶えず支配する永遠の法則を疑いなく信仰することを「原理主義」と定義するなら、自由市場のイデオロギーはまさに原理主義そのものである。そのイデオロギーは、人間は常に自らの「効用」を最大化するために行動するという原理に基づいており、これまで検証してきたように、何ら根拠も論理もないまま市場競争こそが繁栄と幸福の唯一の道だと主張するその還元主義的定式に抗する者たちを、偏狭で暴力的な宗教や同じく偏狭で暴力的な民族主義ナショナリズムの再生といった別の原理主義の砦へと追い込む傾向は、企業市場原理主義によるグローバル支配のひとつの帰結だった。


[202頁]

 人質に対して「自己責任」論が最高潮に達していた時、私はオーストラリアのあるラジオから局から電話を受け、コメントを求められた。人質に対する今回の異常な反応は、「罪の文化」ではなく「恥の文化」を持つ日本社会の特異性の発露であり、それを強調するのが、番組制作の意図だという。私はその依頼を受けることができなかった。今回の出来事が持つ意味は、「恥の文化」などという陳腐なステレオタイプで説明がつくものではない。しかし、(ありがちな話だが)マスメディアは手短で単純な説明を求める。


[206頁]

 おそらく全体主義個人主義は、その言葉が示すほどには矛盾を孕むイデオロギーではあるまい。極端な自己責任のイデオロギーと共同体的憎悪の高まりの間には直接的な連関がある、とジグムント・バウマンは指摘した。