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『新自由主義の妖怪――資本主義史論の試み』(稲葉振一郎 亜紀書房 2018)

著者:稲葉 振一郎
装丁:水戸部 功
NDC:331.7 経済思想(近代経済学派.近代理論)


https://www.akishobo.com/book/detail.html?id=865&st=4


【目次】
目次 [002-007]
はじめに [008-009]


第1章 マルクス主義の亡霊 011
1 「新自由主義」は社会主義前夜なのか? 014
  「新自由主義」という「段階」?
  マルクス主義の歴史神学の失効

2 資本主義に「外部」は必要なのか? 023
  マルクス唯物史観とはどんなものか
  サブ発展段階論による唯物史観のアップデート
  ローザ・ルクセンブルクと資本主義の「外部」
  オーソドックスなマルクス主義の産業予備軍論
  ルクセンブルクの短絡
  資本主義は「外部」の搾取なくしては成立しない?
  ルクセンブルクの理論の後世への影響
  日本のマルクス主義で、発展段階論はどう議論されたか
  帝国主義論とはいったい何だったのか
  「資本主義世界経済」概念の誕生
  新しく解釈された「二重構造」論
  段階を変化させるのは生産力(土台)か、政策思想(上部構造)か

3 国家独占資本主義としての福祉国家の危機? 068
  マルクス主義と「新自由主義」の福祉国家批判という共通性
  福祉国家の危機とは何なのか


第2章 ケインズ復興から見えるもう一つの経済史 077
1 ケインズ主義とは何か 079
  新しいケインズ経済学の復興
  ケインズ政策と管理通貨体制「マクロ経済」の発見者としてのケインズ
  「マクロ経済」とは何か
  国際通貨制度としての金本位制
  かつてのケインズ主義の不均衡分析の論点
  新しいケインズ像による不均衡分析の論点
  「ケインジアンマネタリスト」論争の誤解
  フリードマンハイエクの重大な経済観の相違
  「ケインジアンマネタリスト」論争の歴史的コンテクスト
  論争の左右イデオロギーへの回収
  市場への楽観論と悲観論
  それぞれの立場で切り分けてみる
  問題は「市場か計画か」ではない

2 発展段階論を超えて、経済史理解の転換へ 121
  マルクス主義的なケインズ理解の時代的制約
  ケインズの真の論点① マクロ的不均衡の調整メカニズムの不在
  ケインズの真の論点② 金融セクターの自律性と暴走
  銀行の信用創造とマクロ経済政策
  「ケインズ政策≒ 戦争経済」論の誤り
  「新自由主義段階へのシフト」という図式は成り立つのか?
  国際経済体制の転換こそが真のメルクマール
  寄せ集めのレッテルとしての「新自由主義


第3章 「保守本流」思想としての産業社会論 161
1 戦後保守主義社会民主主義の屋台骨としての産業社会論 163
  反ケインズ主義的福祉国家としての「新自由主義
  「保守本流」としてのケインズ主義的福祉国家と産業社会論
  資本主義と社会主義は一つの形態に収斂する?
  支配階級は資本家から官僚組織へ
  保守本流の崩壊と新保守主義の台頭

2 村上泰亮の蹉跌 182
  産業社会論の代表的論客としての村上泰亮
 「資本主義の精神」としての「イエ原理」?
  近代日本社会に対する三つの立場
  「新自由主義」と対決する産業社会論
  「開発主義」の時代の終焉と「新中間層」の台頭
  アメリカの覇権の揺らぎと変動相場制への移行による新しい世界秩序

3 産業社会論の衰退とその盲点 214
  社会主義と資本主義のパフォーマンスを分けた技術革新
  ホモ・エコノミクスとホモ・ソシオロジクス
  新中間層を支えた学校教育という制度
  経済の中心は公的セクターに移行した?
  産業社会論の衰退と「経済学帝国主義」の勝利

4 保守主義思想の屋台骨の喪失と「新自由主義」の台頭 240
  市場均衡論の「回帰」
  「産業社会論の基本構造」とは何か?
  「新自由主義」は保守主義思想の屋台骨なのか
  産業社会論没落以後の知的空白


第4章 冷戦崩壊後の世界秩序と「新自由主義」という妖怪 259
1 冷戦崩壊後の世界秩序 261
  現在の国際政治学をどう見るべきか
  「インドモデル」からNIEs的キャッチアップへ
  アジアとアフリカの「明暗」はなぜ分かれたのか
  「新自由主義」が必要ない国へのその押しつけとしての「構造調整」
  ゲーム理論による政治経済学の新しい基礎づけ

2 空白の中の「新自由主義」 292
  冷戦崩壊後のイデオロギー対立の行方
  包括的イデオロギーなしでやっていける現代資本主義?
  社会の質的な多元性はいかにして「保守」されるのか
  社会における多様性の総合の問題
  「疎外」の行方
  マルクス主義の鏡像としての「新自由主義


エピローグ 対立の地平の外に出る 327
  対立の地平の外に出る
  マルクス主義と「新自由主義」との共通の土俵
  「市民社会と国家」「計画と市場」の二分法
  対立の地平の外に出る


付論 現代日本の政策論議 344


おわりに(2018年7月 稲葉振一郎) [352-353]
参考文献 [354-361]




【関連記事】

・過去の著作はいくつか拝見したことがある。

『増補 経済学という教養』(稲葉振一郎 ちくま文庫 2008//2004)
https://contents-memo.hatenablog.com/entry/20081205/1473838866

『「公共性」論』(稲葉振一郎 NTT出版 2008)
https://contents-memo.hatenablog.com/entry/20140301/1482597336

『不平等との闘い――ルソーからピケティまで』(稲葉振一郎 文春新書 2016)
https://contents-memo.hatenablog.com/entry/20160925/1473835904


・直接登場する書名。

『雇用、利子、お金の一般理論』(John Maynard Keynes[著] 山形浩生[訳] 講談社学術文庫 2012//1936)
https://contents-memo.hatenablog.com/entry/20150401/1472950581

『ライブ・経済学の歴史――“経済学の見取り図”をつくろう』(小田中直樹 勁草書房 2003)
https://contents-memo.hatenablog.com/entry/20150701/1487071131


新自由主義または経済思想または経済体制がテーマの本。読み返すとこれらが適切なチョイスになっているか自信が弱まってきた。

『経済学者たちの闘い[増補版]――脱デフレをめぐる論争の歴史』(若田部昌澄 東洋経済新報社 2013//2003)
https://contents-memo.hatenablog.com/entry/20160429/1462191648

『現代の経済思想』(橋本努[編] 勁草書房 2014
https://contents-memo.hatenablog.com/entry/20150221/1517761205

現代社会論のキーワード――冷戦後世界を読み解く』(佐伯啓思, 柴山桂太[編] ナカニシヤ出版 2009)
https://contents-memo.hatenablog.com/entry/20110729/1460521144

『日本型新自由主義とは何か――占領期改革からアベノミクスまで』(菊池信輝 岩波現代全書 2016)
https://contents-memo.hatenablog.com/entry/20171021/1506427664

リバタリアニズム――アメリカを揺るがす自由至上主義』(渡辺靖 中公新書 2019)
https://contents-memo.hatenablog.com/entry/20190317/1552748400

『現存した社会主義――リヴァイアサンの素顔』(塩川伸明 勁草書房 1999)
https://contents-memo.hatenablog.com/entry/20160309/1460516157


『資本主義が嫌いな人のための経済学』(Joseph Heath[著] 栗原百代[訳] NTT出版2012//2008)
https://contents-memo.hatenablog.com/entry/20150601/1485775444



【抜き書き】

はじめに

 本書の元になった連載にあたって〔……〕私自身としてはこの題目、ことに「新自由主義(Neo Liberalism)」という言葉を使うことにためらいがありました。どういうことかというと、この言葉多分に実体がない――具体的にまとまったある理論とかイデオロギーとか、特定の政治的・道徳的立場を指す言葉というよりは、せいぜいある種の「気分」を指すもの、せいぜいのところ批判者が自分の気に入らないものにつける「レッテル」であって「ブロッケンのお化け」以上のものではないのではないか、という疑いがどうしても抜けなかったからです。しかしながらせっかくの機会ですから、本書ではやや新しい角度からこの問題について見ていきます。
 結論を先取りしていえば、我々はマルクス主義に匹敵するような体系的イデオロギーとして「新自由主義」なるものがあるとは考えるべきではない、ということになります。むろんマルクス主義だって一枚岩ではありませんし、その中で非和解的な対立や論争もあります。ただキリスト教イスラーム、あるいは仏教が多くの宗派に分かれつつも、それでもそれら宗派をまとめて「同じ宗教の中の様々な宗派」とみなすことに我々は違和感を覚えません。同様のことはマルクス主義についてもかなり当てはまる、と我々は考えます。しかしながらいわゆる「新自由主義」に対しては、それは当てはまらない、というわけです。それはどういうことでしょうか?