contents memorandum はてな

目次とメモを置いとく場

『増補 経済学という教養』(稲葉振一郎 ちくま文庫 2008//2004)

著者:稲葉 振一郎[いなば・しんいちろう] (1963-) 社会倫理学
解説:小野 善康[おの・よしやす] (1951-) マクロ経済学国際経済学、産業組織論。

経済学という教養 (ちくま文庫)

経済学という教養 (ちくま文庫)

【目次】
目次 [003-006]


第一章 こういう人は、この本を読んで下さい 009
  誰もがプロにはなれない。しかし……
  「そういう読者」って?
  サイエンス・ウォーズ
  微積分は世俗的ニーズによって生まれた(という側面もあるが……)
  ただの反科学には野次馬以上のことはできない
  新古典派のライバル――マルクス経済学
  「俗流ブルジョア経済学」イデオロギー批判が陥った袋小路
  やはり安全圏などどこにもない
  根強い文化相対主義の影響
  ほどほど合理的で、ある程度は利他的な……
  この宇宙ではデザイナーなきデザインが普通だった
  文化相対主義への逆風
  ずぶの素人から、筋金入りの素人へ
  たかだか一つの文化にすぎない。しかし……
  三題噺――不況・不平等・構造改革


第二章 出発点としての「不平等化」問題 037
1 日本社会の「不平等化」? 038
  村上「新中間大衆」論――現代日本社会論の出発点
  「中」意識の解体か
  インセンティブ・デバイド
  「降りる」人々の出現
  「上」「下」は単なる差異ではない
  彼らは「無辜の民」なのか
  勝ち逃げを目指すヘタレ中流

2 不平等と経済学 050
  金持ちの子は金持ち?
  不況こそが原因ではないのか
  「悪平等主義を解体せよ!」やはり経済学の出番が……


第三章 素人の、素人による、素人のための、経済学入門 059
1 ミクロ経済学――マクロ経済学への入り口として 060
  「分業の利益」のテーゼ
  交換する動機が生まれる
  「比較」優位が重要だ
  (α)一つの市場の場合
  (β1)複数の市場の場合
  カネも人も産業間を移動する
  (β2)需要サイドの変化

2 マクロ経済学 071
(1) マクロ経済現象――総需要と物価 071
  デフレ下では価格メカニズムは無力
(2) マクロ経済現象の原因――市場の不完全性か、貨幣愛か 073
  二つの基準がある(らしい)
  (α)賃金が基準という考え方
  彼らの理想は価格硬直性の解消
  (β)貨幣が基準という考え方
  均衡状態でも失業が
3 マクロ経済動学 082
(1) 二つのケインジアン 082
  (α)モノ・サービスの側に問題があるという考え方
  (β)不確実性が問題という考え方
  カネがカネのままで退蔵される
  総需要の不足は解決しない
  世代交代を待つしかないのか
(2) 三つのケインジアン 090
(3) 不完全情報と不確実性 093
  新しい道具立て
  逆選択モラル・ハザード
  不確実性の深刻さが違う
  「I・II」では努力する余地が生まれる
  革新が失業のリスクを減らす可能性も
  「III」では努力する余地は少ない
(4) バブルとは何か 102
  バブルとファンダメンタルズ
  「上がっているから上がる!」
  はじけて初めて「バブル」とわかる
(5) この節のまとめ 108

4 この章のまとめ 109

補論 金融システムという魔圏 112
  デッド・デフレーション
  出資と融資の違い
  銀行の役割とは
  金融革新が根本治療になる?
  ハイリスク・ハイリターンか、ローリスク・ローリターンか
  「流動性の罠」とは


第四章 日本経済論の隘路 125
1 構造改革主義」は「市場原理主義」ではない 127
  政府による介入の問題
  原理的スミス主義者

2 資本主義の発展段階と「日本型経済システム」論 130
  日本経済は前近代的なのか
  「新しい理解」の登場
  資本主義の発展段階論
  ケインズも共有した時代意識
  講座派対労農派

3 「日本型経済システム」論(1) 小池和夫と青木昌彦 138
  労農派から小池・青木へ

4 「日本型経済システム」論(2) 村上泰亮 141
  開発主義の二面性

5 「日本型経済システム」論(3) 青木昌彦岡崎哲二 144
  八〇年代青木の「留保」
  「源流」は戦時統制経済

6 「講座派」の復権 148
  死に絶えなかった講座派
  前近代的であるがゆえに超近代的
  村落も企業も共通のものとして扱われる

7 構造改革主義」と「新自由主義 155
  「新自由主義」の単純さ
  構造改革主義への疑問
  実物的ケインジアン構造改革論は両立する


第五章 左翼のはまった罠 161
1 ケインズ主義へのアンビバレンツ 162
  「構造改革主義=新自由主義」ではない
  渋々ながらのケインジアン支持
  なぜ政策論において(も)左翼の旗色は悪いのか
  迫力のない対決
  構造改革と景気の関係は
  左翼は敵の土俵に乗せられている

2 敵は新自由主義か? 日本型経済システムか? 170
  価値判断の奇妙な一致
  八〇年代の左翼の敵は

3 罠にはまった左翼 金子勝を例として 175
  トリッキーなレトリック
  突き詰めて考えなかったツケ
  精神論・根性論の調子を帯びている
  モラリズムとは
  「バブルは不可避」という立場もある
  本来の市場原理主義にモラリズムの出番はない
  ミクロ的主体の責任が問われる世界
  診断内容にたいした差はない
  構造改革主義者の「倫理」
  金子は堂々たるモラリストである

4 経済モラリズムの罠 191
  市場コンプレックスからの解放
  構造改革ケインジアンが両立しえない可能性も
  「創造的破壊」イメージの再検討
  「倒産・不況=罰」論は足場を失った?


第六章 市場経済と公益 199
1 厚生経済学の視点 200
  二つのケインジアンの考え方
  パレート最適とは
  機会の平等はすでに含意されている
  共存共栄か弱肉強食か
  構造改革主義が左翼を引き付ける理由

2 「市場原理」再考 208
  根強い自由主義への懐疑
  「経済的自由がすべてではない!」
  市場メカニズムも道具にすぎない
  市場には他の意義づけもある
  構造改革主義の「道徳思想」
  「不況・不平等・構造改革」再び
  不平等は悪か?――マルクス主義・再考


第七章 マルクス経済学への最初にして最後の一歩 221
1 貨幣の存在論 223
  スミス、ワルラスマルクスにとっての貨幣
  貨幣は単なる媒介ではない
  ないがしろにされた「貨幣の経済学」

2 搾取理論 228
  搾取を「不正」とは告発できない

3 歴史の発展段階論 232
(1) 史的唯物論 232
(2) 帝国主義論・国家独占資本主義論 234
  「矛盾を先送りにした」
  スミス的世界からケインズ的世界へ
  工業の発展がもたらしたもの
  生活世界の植民地化が進んだ

4 で、マルクス主義のどこがまちがっていたのか? 242
(1) 金本位制への固執 242
  「異常」な資本主義
  マルクス主義者にとっての「失業」
  マネタリストにとっての「失業」
  両者は意外に似通っている
  マルクス主義者にとっての管理通貨制
  ケインズ政策と固定相場制は両立しない
  通貨システムには裏書きが必要となる?
  重商主義者の貨幣観
  対立の原型
  スタグフレーションは「断末魔」だった?
  国家独占資本主義論の不毛
  二つの転向パターン
  反グローバリズムの「源流」
  管理通貨制・変動相場制は実現可能だった
  崩壊した「ノーモア不況」論
  見逃されたケインズの問題提起
(2) 疎外論 267
  「疎外」とは何か
  「あるべき姿」へのこだわり
  マルクスにとっての「自然」な社会とは
  具体的なプランは後回しにされた
  共産主義への移行の二つの段階
  意地悪く言えば「現世否定」
  打ち砕かれたマルクスの楽観
  「資本家」は捨て去ることはできない
  社会主義の理念と現実
  計算不可能性の問題
  実行可能性の問題
  「民主的意思決定」のよそよそしさ
  さらなる難問――イノベーション
  創意工夫には媒介が必要だった
  変わらざる「人間の条件」があった


第八章 経済学と公共性 291
1 公共財と不平等 295
  公共財とは何か
  公共サービスの二つの戦略
  公共財とは「みんなのもの」
  搾取・略奪・詐取があるのでは……
  「市場の失敗」は克服されることもあるが……
  政府はお役ご免ではない
  「景気」も公共財たりうる

2 マクロ経済と公共性 311
  人為的な公共化もある
  ローカルな自助には限界がある
  地場産業振興にもそれなりの理由
  やはり「賢い政府」が俗流ニーチェ主義
  公共性の喪失か
  免責は福音じゃない
  なぜか無視される労働組合
  悪役にしかなりえない?
  「労働組合=後衛」論の限界
  組合でなければならない理由はない
  あきらめの反映か
  賃上げを介したリフレ
  企業組合にはマクロ的な力はない
  労働組合は「必要悪」ではない
  抵抗が公共性へとつながりうる
  草の根ケインズ政策の限界
  労働市場における「自然」
  あくまで少数派にとどめて

3 おわりに――経済学と公共性 341
  構造改革主義はわかりやすい! しかし……
  経済学は「教養」たりうるか
  知的分業に参加するために
  まずは観客の質を上げて
  経済学への尊敬と信頼を


補章 「経済成長擁護論」再び 353
  限られたパイを切り分けるよりも……
  「財政再建」論と景気優先論
  「国際競争力」の幻想
  黒字国、赤字国が存在するのはなぜか?
  経済成長と環境破壊のシナリオ
  “新しい経済成長理論の守護聖人”ジェイコブズ
  「都市は農村に先行する」
  「現存した社会主義」という閉鎖経済圏
  公衆衛生の構造転換?
  グローバル化に固有のリスク
  ジェイコブズとダイヤモンドの共通点
  歴史観の変更を迫るジェイコブズ
  環境負荷を低減する条件とは?
  複数の未来構成


付録 [386-389]

あとがき(二〇〇三年一一月 東京・白金の研究室にて 稲葉振一郎) [391-395]
文庫版あとがき(稲葉振一郎) [397-401]
解説(小野善康) [403-409]





【抜き書き】

 □七章から。(pp. 244-246)

[…]ケインズ政策の実施にとって、金本位制、つまり貨幣の価値を金にリンクさせて固定する(政府・中央銀行発行の紙幣であっても定められた比率での金との交換を保証する)仕組みが邪魔になるのは事実である。金本位制の廃棄を、国家独占資本主義の本質の一つと見なすこと自体は間違いではないだろう。しかしマルクス主義者は、そこで止まることなく、そうした金本位制を捨てた資本主義を「異常」と見なす。つまり彼らは「金本位制の否定は市場の規律の否定、市場経済の自己否定だ」と考えているのだ。これはいったいどういうことなのか、考えてみよう。

マルクス主義者にとっての「失業」
 すでに読者のみなさんは、ある程度つかんでいると思うが、「国家独占資本主義」論では、マルクス主義者はケインズ主義を、ぼくの言葉で言えば実物的ケインジアンの路線で、つまり、実物経済レベルでの市場の不完全性に景気変動・失業の原因を見出す立場として解釈しているのである。価値形態論・貨幣のフェティシズム論という、ある意味ケインズ貨幣論の最高の先達を理論的財産として持ちながら、マルクス主義者には貨幣的景気変動という発想は、基本的にはなかった。
 『資本論』における失業と景気循環の理論は、大雑把に言えば商品市場と資本書積、をして労働市場それぞれにおける需給調整のリズムのずれ、に景気循環の主因を求める。普通のモノの市場においては、比較的スムーズに価格が動き、それにあわせてモノの話給も動くが、モノを生産する企業の資本設備の調整のほうはそうはいかない。そしてそれは、労働の供給についても同様である。急に景気がよくなって雇用が増えたところで、人口は急には増えないし、逆も同じ、というよりそれ以上に深刻である。
 ここでは失業がテーマであるので、話を労働市場に絞ろう。労働力というのは生身の人間のことにほかならないから、足りないからと言ってすぐ追加生産することもできず、いらないからと言って捨てるわけにもいかない。それゆえ、マクロ的な雇用、労働需要の変動に応じて労働供給を調整するには、ある程度までは労働時間の調整などで対応可能だとしても、より本格的には労働市場に一定数の労働者の在庫、ありていに言えば失業者のプールがバッファとして存在していて、いざ需要が急増したときに備えておいたほうがいい。これがマルクスの「相対的過剰人口=産業予備軍」理論である。この解釈によれば、失業の存在は、機械が動くために必要なあそび、スラックであり、資本主義経済システムが円滑に機能するための必要条件である。
 国家独占資本主義論は、このような失業・景気循環理論を引き継いでいる。もちろんそこには段階論が加わって、議論がひとひねりされる。つまり、独占資本主義段階に入って、固定資本設備の巨大化に伴い、景気循環のペースはスローダウンし、不況が長期化する、とされる。このことが失業対策への政治的ニーズを高め、ケインズ政策を伴う国家独占資本主義が出現する、というわけである。
 だからじつはマルクス経済学、そして国家独占資本主義論は、経済理論的に言えばケインズ経済学、とくにそのマネタリーな側面を強調する貨幣的ケインジアンよりは、実物的ケインジアン、あるいはむしろその論敵である新自由主義マクロ経済学であるマネタリズム、つまりは伝統的なスミス=ワルラス主義のほうによほど近い。
 確かに国家独占資本主義は、ケインズ政策の「必然性」を強調するが、それは「政治的」必然性である。経済的に見れば、財政政策は租稅や赤字公債を通じて民間の経済主体の負担を増やすし、貨幣政策、インフレーションは、マネタリストが指摘するような攪乱を生む。つまりマイナスの効果を持つのであり、その意味で「無理」なのだ。