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『大学の誕生〈上〉――帝国大学の時代』(天野郁夫 中公新書 2009)

著者:天野 郁夫[あまの・いくお] (1936-) 教育社会学
NDC:377.21 大学の歴史・事情
備考:上下巻。サブタイトルが異なる。
  『大学の誕生〈上〉――帝国大学の時代』
  『大学の誕生〈下〉――大学への挑戦』

大学の誕生(上) -天野郁夫 著|新書|中央公論新社


【目次】
目次 [i-xi]


プロローグ 帝国の大学 003
  大学誕生の物語
  なぜ帝国大学
  奇妙な名称
  森有礼の役割
  帝国の大学


第一章 帝国大学以前 011
一、国際的環境と日本 011
  組織・制度としての大学
  変貌する大学界
  大学と高等教育
  私立大学の出現
  多様なモデルの存在
二、東京大学成立まで 019
  大学設立の初期構想
  本校・南校・東校
  「学制二編追加」
  「専門学校」の規定
  開成学校と医学校
  東京大学の発足
  洋語大学校から邦語大学へ
  予備門の開設
三、「日本型グランド・ゼコール」群の生成 032
  専門学校の時代
  工部大学校と司法省法学校
  札幌農学校駒場農学校
四、留学生派遣と教員養成 037
  留学生の派遣
  「学制」以後の留学生
  留学生政策の確立
五、「教育令」とアメリカ・モデル 042
  「学制」から「教育令」へモデル論戦の萌芽
  『理事功程』とアメリカ・モデル
  マレーと高等教育システム
六、東京大学の整備 048
  東京大学の大学像
  教員集団の重要性
  「邦語大学校」へ
  教員集団の変化
  外国語の重要性
七、「グランド・ゼコール」群の衰退 055
  工部省と司法省の学校
  二つの農学校
  人材養成に果たした役割
八、人材の「簡易速成」 060
  「簡易速成」の課程
  東大法学部の危機感
九、もうひとつの専門学校群 064
  『文部省年報』の専門学校
  「専門一科」の学校群
  公立医学校群の生成
一〇、法学系私学の登場 071
  私立専門学校の出現
  私塾から私学へ
  私立法律学校の生成――専修と明治
  仏法・独法・英米
  法学教育と政治教育
一一、「明治一四年政変」の衝撃  078
  大隈と東京専門学校
  福沢と慶應義塾
  資金と授業料
  困難な私学経営


第二章 帝国大学の発足 089
一、帝国大学の誕生 089
  帝国大学令の公布
  モデルとしてのドイツ大学
  グランド・ゼコール群の統合
  若干の軋礫
  理論と実践
二、教員集団の形成 097
  教員の自給化
  大学院の設置
  団体性と自治の萌芽
三、帝国大学の諸特権 102
  法科大学と官僚養成
  高等文官試験
  「帝国の大学」と奨学金
  国家の須要・個人の利益
四、「高等中学校」の創設 110
  高等中学校の設置
  「予科」としての高等中学校
  進学競争と尋常中学校
  高等中学校の専門学部医学部の付設
  専門学部の不振
五、官立専門学校群の生成 119
  中等学校の教員養成
  大学と教員養成
  東京音楽学校東京美術学校
  高等商業学校
  高等工業学校
六、国家試験と専門諸学校 130
  『文部省年報』の専門学校
  公私立専門学校の実態
  資格試験制度と専門学校
七、医療系人材の養成 136
  医術開業試験と医学校
  薬剤師と薬学校
  遅れた歯科医師養成
八、中等教員養成と検定制度 142
  教員検定制度の発足
  教員養成系の私学
  理系の教員養成
九、法学系私学と国家試験 148
  国家試験と法学系私学の発展
  高等文官試験と私学
  特別認可学校制度
  最初の基準設定
  法学系私学の実態
一〇、大学を志向する私学 156
  慶應義塾の大学部
  同志社の大学構想
  ミッション系私学のカレッジ構想


第三章 帝国大学の整備 165
一、諸学校令案と高等教育 165
  教育システムと帝国大学
  「大学令案」と「高等中学校令案」
  「専門学校令案」の内容
二、学制改革論議の出発 172
  改革論議の出発点
  学校間の接続関係
  年限短縮問題
  伊沢修二学制改革
  アメリカ・モデルとドイツ・モデル
三、井上毅の「高等学校」構想 181
  高等中学校から高等学校へ
  帝国大学の再検討
  「高等学校令」の公布
  井上構想の挫折
  準大学か、大学予科
四、学位制度と学術の貴族 191
  学位制度の始まり
  学士の非学位化
  学位令と博士号
  推薦博士と名誉の称号
五、大学院・学会・学術雑誌 197
  大学院の制度
  教員任用の要件
  学会と学術雑誌の生成
六、講座制と帝国大学 202
  講座制の導入
  講座と教員組織
  教授集団の流動性
  「講座俸」制の導入
  講座と教官定数
七、教授集団の形成――理系 211
  変動する教授集団
  医科大学の教授集団
  理科大学の場合
  工科大学の流動性
  農科大学の遅れ
八、教授集団の形成――文系 219
  外国人依存の文科大学
  不安定な法科大学
  「学術貴族」の出現
九、学術と教育の独占体 225
  学術の独占体
  学歴特権の独占体
一〇、「学歴貴族」の育成と供給 229
  帝国大学と前身校の卒業者数
  限られた卒業者数
  専攻分野別の動向
  時代と社会の帝国大学
  卒業者の就業状況
一一、人材養成と帝国大学の役割  239
  限られた役割
  高学歴人材の多様な供給源


第四章 専門学校群像 245
一、不振の高等学校専門学部 245
  多様な高等教育需要
  高等学校医学部の成功
  法学部の挫折
  工学部の不振
二、工業化と技術者需要 252
  大阪工業学校の新設
  技術者需要の高まり
三、高等商業と「民」の需要 256
  準大学的な高等商業
  学歴以前の就職状況
四、農業系の人材養成 259
  札幌農学校の苦難
  農科大学の実科
五、中等教員と高等師範 262
  中等教員養成の主流
  限られた卒業生
六、医・歯・薬系の専門学校 266
  公私立専門学校の全体像
  医学系の専門学校
  歯学と薬学の専門学校
七、中等教員養成と私学 273
  中等教員と検定制度
  無試験検定と私学の運動
  「認可学校」と統制強化
八、宗教系の私学群 278
  仏教系の専門学校
  ミッション系の私学
  徴兵制上の特典問題
  キリスト教系私学の対応
九、女子高等教育機関の出現 288
  キリスト教と女子教育
  日本女子大学校の設立
  津田梅子と女子英学塾
  女子の専門職業教育
一〇、法学系私学の盛衰期 295
  最大の私立専門学校群
  監督学校・認可学校
  法学系私学の消長
  最初の補助金交付
  差異的な扱い
  「民法典論争」の影響
  新しい時代の幕開け
  卒業者数の変動
一一、私学の連帯と挑戦 308
  競争と連帯
  官学と私学の抗争
  帝国大学の反撥
  私学の実力
  「帝大特権」への挑戦
  私学の自己主張


第五章 「私立大学」の登場 317
一、成長する私立高等教育 317
  芳川文相の危機意識
  特別認可学校の廃止論
  法学教育の社会的役割
  福沢の開校式演説
二、講義録と啓蒙の時代 326
  通信教育としての講義録
  「新知識」への渇望
  「ユニブーシチー・エキステソション」
  啓蒙と学校経営
三、学生の社会的出自 332
  族籍と学校
  士族の官立・平民の私立
  学問の三つの道
四、法学系私学の卒業者 337
  卒業後の就業状況
  卒業者の職業別
  地方志向の東京専門学校
  慶應義塾と実業の世界
五、高等学校と専門学校の間 346
  井上毅と私学問題
  高等学校令と私立専門学校
  学制改革論議の軸
六、学制改革論議の本格化 350
  官立セクターの拡張計画
  「拡張」から「改革」へ
  「学制研究会」の役割
七、二つの改革構想 356
  久保田譲の演説
  帝国大学棚上げ論
  「帝大派」の反撥
  菊池の学制改革構想
  行政整理と学制改革
  専門学校の法制化へ
  高等学校改革の挫折
八、「専門学校令」の成立 366
  専門学校令の性格
  庇護と統制
  専門学校令の評価
  巧妙な私学政策
九、「大学名称」の獲得戦略 374
  私学と「大学名称」
  「早稲田大学」の構想
  「周年」事業の始まり
  帝国大学との関係
  「私立大学撲滅策」か
一〇、「私立大学」の真実 383
  専門学校と「私立大学」
  専門学校の現実
  「私立大学」予科の実態
  「大学」化の現実








【抜き書き】

   あとがき


 私の専攻は教育社会学である。しかし、大学と高等教育の歴史的な問題には、研究者生活を始めた三十代のころから関心を抱き続けてきた。『近代日本高等教育研究』という学位論文をもとにした著書の主要部分は、そのころに執筆したものである。
 戦前期のわが国の高等教育システムのもとで、学校数でも卒業者数でも量的に多数を占めたのは大学ではなく、旧制度の専門学校であった。第二次大戦後に急増した「新制大学」も、その多くが専門学校を母体にしている。大学と高等教育をめぐる現代的な問題を考察し、分析しようとすれば、どうしても歴史をさかのぼり、その専門学校の存在や帝国大学との関係を視野に入れざるを得ない。旧制専門学校に焦点を絞った論文を書きながら、いつかは帝国大学や高等学校をも加えた高等教育の、包括的で歴史社会学的な分析を試みてみたいと思ってきた。しかし、その機会はなかなか訪れなかった。
 教育社会学の研究者にとって、近代日本の歴史社会学的な研究の主題としては、大学・高等教育そのものよりも、それを与件とした学歴や学歴主義、それに選抜や試験、社会移動などの問題のほうが魅力的であり、そちらに力を入れてきたということもある。しかしそれだけではない。大学・高等学校・専門学校・実業専門学校・高等師範学校、それに官立・公立・私立と、多様に分化した高等教育の全体を一つのシステムとしてとらえ、社会構造と関連づけながら、その成立と変動の過程を分析するのは、多大の知力と労力を必要とする力業〔ちからわざ〕である。その蓄積も自信もなかったというのが、正直のところである。
 自分の力量は別としても、高等教育に関する歴史的な研究自体が、遅れているとは言わぬまでも著しく偏っており、帝国大学旧制高等学校以外の高等教育機関、とりわけ専門学校や私立大学、私立セクターに関する研究はほとんど進んでいなかった。機が熟すまでには、それなりの時間が必要だったのである。
 機が熟したのかどうかは別として、大学改革論議にくたびれたことや、第二の定年退職の時を迎え、自由な時間が増えたこともあって、ようやく年来の夢に取り掛かる意欲が生じてきたのは、二年ほど前のことである。その気になってふると、部分的ではあるが専門学校以外の高等教育機関についての資料や分析の、自分なりのストックができている。それだけでなく、この数十年の間に、大学や高等教育の歴史的な研究が目覚ましい発展を遂げていることもわかってきた。
 何よりもありがたいことに、多くの大学がこの間に創立から一〇〇年を迎え、立派な大学史が多数刊行されるようになった。全一〇巻の『東京大学百年史』や、全七巻の『早稲田大学百年史』をはじめとする、これら大学史の相次ぐ刊行がなかったら、私のような二次資料が頼りの社会学研究者には、意欲はあっても、高等教育の成立・発展の過程について包括的な本を書くことは、不可能であったに違いない。
 こうして何とか構想を立て、あらためて資料集めをしながら書き始めたのだが、今度は別の問題に行き当たることになった。
 『大学の誕生』は、新書の形で本にするというのが、私のはじめからの心積もりであった。中央公論新社の編集者松室徹さんとの間で、いつか新書を一冊書くという約束があったからである。古いことで、松室さんはとうに諦めていたかも知れないが、私としては、心に掛かったままの約束事である。それを果たすべく書き始めたのだが、いざ取り掛かってふると、書きたいこと、書くべきことが増える一方で、とうてい通常の新書のページ数では収まらないことが、わかってきたのである。いまさら中断するわけにも、構想を変えるわけにもいかず、行き着くところまで行って、それから松室さんに相談しようと腹をくくって書き進めているうちに、四百字の原稿用紙換算で一二〇〇枚を超える量になってしまった。
 とうてい新書では無理だろう、駄目なら一般書の形で出すほかはあるまいと、恐る恐る話を持ち出したのだが、結果はこのような上下二巻の新書という、異例のかたちで刊行していただけることになった。松室さんと中央公論新社の寛大さには頭が下がる思いで、ただただ感謝するばかりである。


 書き終えたいま、あらためて痛感させられているのは、明治から大正初期に至る「大学誕生」の時代に形成された、わが国の大学組織と高等教育システムの基本的構造の、強固な持続性である。文中でもしばしば触れた帝国大学の「範型」性は、その組織構造が、大学令によって成立したそれ以外の、私立大学を含む諸大学にも浸透していまに至っている点に、顕著に示されている。さらに言えば、高等教育システム内部に形成された大学・学校間の序列構造は、すべての高等教育機関が新しい大学として制度上の同等化を達成してから半世紀以上たったいまも、大学間の格差構造として継承され、拡大再生産され続けている。
 いま、明治から数えれば第三の大きな改革の渦中にある、わが国の大学と高等教育システムが直面しているさまざまな問題は、たどって行けばその多くのルーツを、本書で取り上げた、明治から大正初年にかけての「大学誕生」の時代に求めることができる。官公私立の多様な高等教育機関が織りなす「大学誕生」の物語は、その意味できわめて強い現代性を持つ本書を、近代日本という舞台の上で、次々に登場してくる帝国大学、高等学校、官公私立のさまざまな専門学校、実業専門学校などが織りなす葛藤や抗争、競争や同調をはらんだ現代につながるダイナミックなドラマ、群像劇として読んでいただけたのであれば幸いである。

   二〇〇九年五月  天野郁夫 



【メモランダム】
・目次についての注(ノンブルについて)
 中公新書では通常、硬い表紙をめくった最初のページ(国籍不明の老爺の絵が載ってるページ)には頁番号を振っていない。そのつぎのページに「まえがき」等、冒頭の緒言があれば、かどに小さく「i, ii, iii, ……」とローマ数字が付される。ここから数え始めるわけだ。また、「目次」のページではローマ数字すら省略される。そして本文になってようやく「1, 2, 3, ……,155, 156, 157,……」とアラビア数字が小さく印刷される。私の経験上はこのようになる。
 ところが、本書(『大学の誕生』)を含めていくつかの本には、「まえがき」も「はじめに」も「はしがき」もない。したがって頁番号としてのローマ数字が存在しない。それでも目次自体の分量は結構ある。
 目次を写している者(id:Mandarine)は、書籍に「何の項目」が「何枚」分あるのかを記録したい。しかし、本書では出版社や著者の冒頭部分の表記方法についての真意は不明である。
 ということで次のように対処している。「表紙と最初のページを飛ばし、つぎのページ」を起点として、ノンブルが「i, ii, iii, ……」を振られているものと仮定する。そして目次ページや凡例ページが終われば、ローマ数字もお役御免とする。
 本書冒頭部のノンブルについての前置きは以上。