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『心は遺伝子の論理で決まるのか――二重過程モデルでみるヒトの合理性』(Keith E. Stanovich[著] 椋田直子[訳] みすず書房 2008//2004)

原題:The Robot's Rebellion: Finding Meaning in the Age of Darwin (2004)
著者:Keith E. Stanovich 発達心理学教育心理学
訳者:椋田 直子[むくだ・なおこ](1941-) 翻訳。
解説:鈴木 宏昭[すずき・ひろあき](1958-) 認知科学(思考、学習)


心は遺伝子の論理で決まるのか | みすず書房


【目次】
献辞 [i]
凡例 [iii]
目次 [iv-ix]
はじめに [xi-xvii]
題辞 [001]


第一章 ダーウィニズムの深淵を見つめる 002
皮肉にも、キリスト教原理主義者こそが理解している?
複製子と乗り物
ヒトはどんな種類のロボットなのか
私たちの行動は、誰の目的に適うのか
寄生者の論理のわかりにくさ
遺伝子は、私たちが遺伝子に配慮する以上に私たちに配慮している
遺伝子のくびきを逃れる
決定的に重要な洞察――ヒトを優先する


第二章 みずからと戦う脳 042
ひとつの脳にふたつの心
自律的システムセット(TASS)――脳の、あなたを無視する部分
分析的システムとはなにか
言語を通じた情報処理の特性
仮定的思考と、表象を扱うことのむずかしさ
無意識の処理――脳のなかの火星人
異種の心が対立するとき――分析的システムの拒否機能
ロングリーシュの脳とショートリーシュの脳
自己診断――有名な四枚カード問題と、同じく有名なリンダ問題で、あなたはTASSを拒否できるだろうか
「わが内なるアナバチ」と分析的プロセス
分析的処理を運転席に据えて、乗り物を優先させる


第三章 ロボットの秘密の武器――合理性について 116
道具的合理性と進化的適応の区別
合理的であるとはどういうことか
道具的合理性に肉づけをする
合理性を評価する――私たちは自分が望むものを手に入れているか


第四章 認知心理実験でみる、自律的脳のバイアス――ときに私たちを悩ませるショートリーシュ型の心の特徴 134
願望的思考の落とし穴―― TASSは「逆を考える」ことができない
さっきはこれを選び、今度はこれを選ばない――フレーミング効果
進化心理学は合理的人間像を救えるか
自律的脳の基本的演算バイアス
基本的演算バイアスの進化的適応性
ヒューリスティクスとバイアス課題への反応についての進化的再解釈
現代社会の脱文脈化の要求
現代社会におけるTASSの落とし穴


第五章 進化心理学はどのように道を誤ったか 
ナトリウム灯としての現代社会 186
無用なものと一緒に乗り物まで捨ててしまう
母なる自然は優しくない、という事実からわかること


第六章 合理性障害〔ディスラショナリア〕――これほど多くの賢い人たちが、これほど多くの愚かなことをするのは、なぜか 212
認知能力、思考態度と、分析の諸レベル
TASS拒否の制御
合理性をめぐる大論争――楽観論者、弁明論者、改善論者それぞれの意見
合理性障害――「賢いのに愚かな行動をとる」というパラドクスを解消する
自分の望みが徐々にかなえられるのと、望まないことがすぐかなえられるのでは、どちらがいいか
ジャックが抱えるユダヤ人問題
楽観論者の嘆き「人間の認知能力にそれほど欠陥があるなら、なぜわれわれは月にいけたのか」


第七章 遺伝子のくびきからミームのくびきへ 246
ミームの襲撃――第二の複製子
ミーム評価と反証可能性
ミーム評価はノイラート的試み
私たちの目的とミームの目的、遺伝子の目的
どんなミームが私たちのためになるのか
なぜ、ミームはときとして(遺伝子以上に)危険な存在となりうるのか
ミームの究極の策略――ミームが人々に、ミームという概念を嫌わせるのは、なぜか
ミーム理論の諸概念は自己分析のツール
平坦な場に「自己」というミーム複合体をうち立てる――認識的平衡装置としてのミーム理論
進化心理学は自由浮遊ミームの概念を排斥する
共適応的ミームのパラドクス


第八章 謎のない魂――「ダーウィン」時代にヒトたる意義を見出す 296
巨大分子と謎のジュース――意義を探す道の袋小路
人間の合理性はチンパンジーの合理性の延長にすぎないのか――人間の判断における文脈と価値観
経験マシンという思考実験──「人生は金だけではない……が、幸せだけでもない」
ノージックの考える象徴的効用
表現的合理性、倫理的選好、コミットメント――「これは意義の問題で、金の問題じゃない」
欲望の評価
二次的な欲望と選好
欲望の合理的統合――上位の選好を形成し、内省する
ラットやハトやチンパンジーがヒトより合理的であるのはなぜか
「制約下の道具的合理性」から逃れる
二重の合理性評価――ヒトの認知アーキテクチャの力
個人が内包する二種の下位単位の薄気味悪さ
「個人の欲望」と「財布につながる欲望」の違い
メタ合理性はなぜ必要か
下位単位の数々の脅威に打ち勝って、個人としての自律性を獲得するための方程式
私たちにできるだろうか――心的生活のどんな特徴に価値を置くべきか


謝辞 [403-405]
解説 鈴木宏昭(二〇〇八年一一月二日) [406-413]
参考文献 [39-65]
原注 [9-38]
索引 [1-8]





【抜き書き】
 (pp. 233-234)

また合理性はどちらかといえば,アルゴリズムレベルの基本的認知能力より訓練のしがいがある(たとえば,代替解釈を評価するうえで意味のある証拠を探す能力に比べると,短期的記憶能力は,短い期間の指導では変化させにくい)。しかも,個人の目標達成にとっては,合理性の方が重要である。テスト万能の欧米社会にはいまや,さまざまな種類の評価ツールが揃っていて,学校や企業で使われているが,合理的思考のスキルを評価することにはほとんど力点が置かれていない。〔中略〕こうしたスキルには,証拠に見合う結論を導く能力,共変動を評価する能力,確率的情報を処理する能力,信念の度合いをキャリブレートする能力,論理的含意を認識する能力,不確実性の度合いについて一貫した尺度を持つこと,効用を最大にするような安定した選好を持つこと,代替解釈を考慮すること,首尾一貫した判断を下すことなどが含まれる。合理的思考のこれらの構成要素の多くについての教育プログラムも存在する。