著者:佐藤 卓己[さとう・たくみ] (1960-) 社会学。メディア論。
【目次】
目次 [i-vi]
凡例 [vii]
序章 テレビ的教養を求めて 003
教育的テレビ観と「教養のテレビ」
「一億総白痴化」と「一億総中流意識」
教育=教養+選抜
第一章 国民教化メディアの一九二五年体制 021
1 放送メディアの連続性 021
「日本の現代」を映すテレビ
視聴覚教育か、聴視覚教育か
アマチュア無線のナショナリズム
教化宣伝のラジオ放送
2 学校放送と戦時教育の革新 033
「放送教育の父」西本三十二
一九三五年全国学校放送開始
学校放送の「役に立った戦争」
3 戦争民主主義と占領民主主義 047
教育民主化のプロパガンダ
軍隊教育―社会教育―放送教育
広報教育学と日本放送教育協会
第二章 テレビの戦後民主主義 067
1 軍事兵器から家庭電化へ 067
テレビの一九四〇年体制
国産技術の巻き返し
アメリカの「視覚爆弾」
2 一億総白痴化と教育テレビの誕生 082
「六メガ」娯楽と「七メガ」教育の日米決戦
学校現場からの放送文化批判
水野正次の革新と抵抗
「テレビこじき」のプロレスごっこ
一億総白痴化論の系譜
《何でもやりまショウ》という植民地的民族性
大宅壮一の文化的植民地論
3 日本的教育テレビ体制の成立 117
電波争奪戦と一億総博知化運動
日本教育テレビNETの成立
白根孝之のテレビ教育国家
田中角栄とスプートニクの衝撃
世界に冠たる教育テレビ体制
科学技術専門教育局の「メガTONネット」
第三章 一億総中流意識の製造機 143
1 テレビっ子の教室 143
電波に僻地なし?
静かな教育革命
テレビっ子の階級性
「壁のない教室」への抵抗
教育における「メディア論の貧困」
テレビ大国の「期待される人間像」
教室の近代化と日本列島改造
2 教室テレビと放送通信教育 174
テレビが教室にやって来た
西本・山下論争のメディア論
テレビの「バナナ化」
《セサミ・ストリート》のテレビ的手法
3 「入試のない大学」の主婦たち 193
勤労青年の教育機会
有閑主婦の教養趣味
民放教育局の消滅
「テレビ的教養観」調査
社会教育の終焉
第四章 テレビ教育国家の黄昏 217
1 ファミコン世代のテレビ離れ 217
テレビ文化の空虚な明るさ
「全員集合」文化の終わり
ファミコンの「小さな物語」
〇歳児からの学歴無用論
2 ビデオの普及と公共性の崩壊 233
ビデオ革命の衝撃
「ナマ・丸ごと・継続」利用の破綻
新自由主義の規制緩和と公共性の動揺
映画教育の消滅と放送教育の限界
コンピュータ時代の情報教育
ハイビジョン教育の狂騒
3 生涯学習社会の自己責任メディア 256
生涯学習の台頭と学校放送の空洞化
「ゆとり教育」の逆説
「放送教育の世紀」の閉幕
終章 「テレビ的教養」の可能性 269
文化細分化のテレビ論
社会関係資本の衰弱
情報弱者のメディア・リテラシー
教養のセイフティ・ネット
「学力崩壊」と「一億総白痴化」リバイバル
エンター・エデュケーションの公共性
一億総博知化の夢へ
あとがき(二〇〇八年三月 佐藤卓己) [293-296]
参考文献 [297-312]
事項索引 [313-316]