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目次とメモを置いとく場

『英語とはどのような言語か――英語を効率よく学びたい人のために』(長谷川恵洋 文理閣 2014)

著者:長谷川 恵洋[はせがわ・しげひろ] 英語音声学。
シリーズ:阪南大学叢書;99
NDC:830.1 理論.英語学.英語学史
NDC:835 英語(文法.語法)


英語とはどのような言語か


【目次】
はじめに [003-011]
目次 [012-016]


  第1部 英語の文法構造について 017

第1章 英語史と英文法――英語の歴史を知れば英語が見えてくる 
(I) 英語の歴史について 018
  I-1 なぜ英語史を学ぶのか 18
  I-2 波瀾万丈の英語史 18
  I-3 英語史の概観 19

(II) 印欧比較言語学と英語 020
  II-1 印欧祖語と英語 20
  II-2 言語の発達は自然現象ではなく社会現象である 22
  II-3 英語とフランス語はどのように合体したか 24

(III) 英語の述語動詞はbe動詞の存在によってその姿が見えている 026
  III-1 なぜ This is a pen. からスタートするのか 26
  III-2 なぜ be 動詞だけが活用変化を保持しているのか 27
  III-3 英語の be 動詞および一般動詞と、 それぞれに匹敵する独語および仏語との比較 28

(IV) 3人称・単数現在のsについて 029
  IV-1 Jack and Betty における3単現のsの扱い 29
  IV-2 3単現のsはなぜなくならないのか 30

(V) 五文型から見えてくるもの 031
  V-1 もし英語の動詞の活用変化が完全になくなればどうなるか 31
  V-2 語形変化の消失と語順の定着 32
  V-3 八品詞と五文型 32
  V-4 品詞と統語構造について 34
  V-5 国民国家と国家語の発達 37
  V-6 英語の文型とフランス語の文型の比較 39
  V-7 与格目的語および対格目的語と第ⅣV文型について 44
  V-8 英語の文型と独語の格支配について 47
  V-9 人称代名詞と五文型と格構造 54
  V-10 まとめ 55


第2章 人称代名詞と統語構造について 
(I) 英語は1つの名詞を思い浮かべた瞬間に統語構造全体が動き始める 057
  I-1 英語の名詞は数〔すう〕(number)にこだわる 57
  I-2 名詞の人称 数と動詞の活用 58
(II) 英会話は人称代名詞のキャッチボールである 060
  II-1 対話における人称代名詞の役割 60
  II-2 人称代名詞の体系と各人称の役割 61
  II-3 対話の状況に応じて1・2・3人称をどう構成するか 62
  II-4 英語の人称代名詞に相当するものが日本語に在るか 63
  II-5 日本語に在るのは「人称詞」であって「人称代名詞」ではない 65
  II-6 日本語の 「人称詞」には英語の 「人称代名詞」のような統語機能はない 66
(III) まとめ 068


第3章 英語は仮定法を過去形で表わす
(I) 英語仮定法過去に見られる二項対立構造 070
  I-1 英語は摩滅したヨーロッパ語である 70
  I-2 化石としての現代英語の仮定法 71
  I-3 ラテン語をベースにしてなされた英語仮定法の規範化 71
  I-4 統合的言語から分析的言語へ (迂言法の発達) 72
  I-5 英語仮定法に見られる二元構造と二項対立構造 73
  I-6 文法形態が果たす意味機能は一度に1つである 74
  I-7 シメトリカルな時の流れの図に基づいた仮定法の分析 75
  I-8 仮定法過去を正しく使いこなすためには文脈が重要である(まとめに代えて)77

(II) 独語接続法と英語仮定法について 078
  II-1 過去形と仮定法 78
  II-2 叙実法と叙想法 79
  II-3 接続法と条件法 80
  II-4 独語動詞活用変化の構造と体系 80
  II-5 接続法の語形 82
  II-6 接続法第I式と接続法第II式の使い分け 83
  II-7 独語接続法と英語仮定法の対応 84
  II-8 独語接続法第I式と時の一致 87
  II-9 英語が過去形を過去の意味と仮定法の意味の二様に用いることによる制約 92
  II-10 接続法と直説法の語形対応から実時間対応への組みかえ 95
  II-11 独語接続法と英語仮定法 (再確認) 97
  II-12 まとめ 98

(III) 仏語条件法と英語仮定法について 102
  III-1 文法形態と文法的意味の結び付き 102
  III-2 仏語動詞の時制体系 104
  III-3 ラテン語動詞の時制体系 106
  III-4 ラテン語から仏語へ (継承された時称形と消滅した時称形) 109
  III-5 ラテン語から仏語へ (迂言的用法の発展) 111
  III-6 "aimer" の活用表から見えてくるもの 112
  III-7 単純未来と条件法現在 116
  III-8 単純形と複合形 117
  III-9 半過去 (22) 条件法現在、大過去、条件法過去 120
  III-10 接続法半過去 128
  III-11 まとめ 130


  第2部 英語の音声構造について 

第1章 英語音声構造における[ə]の役割
(I) [ə] が英語の母音体系の鍵を握っている 135
(II) [ə] は一般音声学が定める母音の分類基準には適合しない 136
(III) [ə] と周辺域母音との相反性 137
(IV) [ə] は英語においてCVを形成する 138
(V) [ə] と縮約と文法構造 139
(VI) [ə] とは間である 142
(VII) 縮約部を安定させるために形成される CV 142
(VIII) 英語のリズムと[a]の関係をどう説明するか (まとめに代えて) 145


第2章 英語の音素と音節とリズムについて――英語のヒアリングは何処に注意すれば良いのか 
(I) 英語を正しく聞き取るためには音素概念の認識が必須である
(II) 英語は1つ1つの音節を聞き、 日本語は音節の組み合わせを聞く
(III) 英語のヒアリングの要は強弱リズムである 154
  III-1 stress-timed rhythm と rhythm unit 154
  III-2 rhythm unit における形態と意味の対応 155
  III-3 内容語と機能語 155
  III-4 rhythm unit の具体例 156
  III-5 文法的意味の役割 158
  III- 6 rhythm unit による分析の限界 160
(IV) まとめ 161


第3章 仏語、英語、日本語の音節とリズムについて
(I) 日本語と英語の音節とリズムの比較 162
(II) 仏語の音節とリズム 163
(III) リズム段落 165
(IV) リエゾン アンシェヌマン、エリズィヨンと仏語の音節・リズムの関係 166
(V) 英米人による仏語の発音 168
(VI) 英語の縮約形と音節パターン CV 168
(VII) 英語の音節はアナログ、仏語の音節はデジタル 169
(VIII) 英語と仏語の [a] 172
(IX) まとめ―― CV と音節拍リズム 174


第4章 米音と英音の違い
(I) 英和辞典における英音と米音の扱いの変遷 178
(II) 歴史的に見た英音と米音 180
(III) 日本語の母音と英語の母音を同一座標にのせる 181
(IV) 英音で弁別するが米音では弁別しない音素と、米音で弁別するが英音では弁別しない音素 182
(V) 英音と米音の対応 183
  V-1 英音[5] と米音との対応
  V-2 英音[:] と米音との対応
  V-3 英音[α:] と米音との対応

(VI) 米音におけるr-coloring 185
(VII) すべての後舌(開)母音を [α:] で発音するアメリカ人 187
  VII-1 [a]と を対立させないアメリカ英語 187
  VII-2 [a][α] および
[α:] の対立がないと混乱しないか 188
  VII-3 アメリカ英語に母音融合が生じた理由 190
  VII-4 (VII)のまとめ 193
(VIII) 第4章のまとめ 194


注 [198-226]
文献 [227-231]
あとがき(2014年3月 長谷川恵洋) [232-234]




【メモランダム】
・中舌中央母音を表す[ə]が登場する。この文字自体(ə:シュワー)は環境依存文字なので、転記時に注意。
国際音声記号 - Wikipedia
・エディタを間違って、目次内に転記した音声記号が文字化けして消えた。近いうちに訂正する予定。





【抜き書き】
・全体的な感想としては、言語学の門外漢でも面白く読めた。ドイツ語、フランス語、ラテン語が活用されているので、読むだけでも難易度高め。
 ノートに抜粋した量が多いので、とりあえず第一章の面白い箇所を代表として残しておく。そこには、本書の変な箇所と素晴らしい箇所が隣接している。


・進化論を引き合いに出している箇所(22-24頁)。
 さきに、私による素人感想と、疑問に思った部分へのメモ書きを置く。


 第一段落に「生物体」という語がある。
 生物学での用法に準ずるものとして「個体」と言いかえてよいのだろうか。
 それとも(後続の文にある "生物体が個々に進化する” という表現を尊重して)「種」の方が文脈に合うから、そちらだろうか。
 ちなみに、Claude Lévi-Strauss(1962=1976)『野生の思考』(みすず書房)には、次のような一節がある。
《動物、「トーテム」、ないしその「種」は、いかなる場合にも生物学的実体としてはとらえらえていない。生物体のもつ二重性――ある体系であると共に、体系内の一要素である種に属す一個体であること――によって、動物は色々な可能性をもつ概念の道具となっており、それを用いることによって共時態と通時態、具体と抽象、自然と文化の聞に位置するいかなる分野をも解体したり再統合したりすることが可能になる》
 著者(長谷川氏)がこれを踏まえていた可能性もある。


 第二段落。有史時代がそのままグローバル空間(?)の時代であるとは言えないと思う。
 また、有史以前の、いわゆる言語が発生した時期がいつ頃かも知りたい(人類学の範疇?)。


 第三段落。"歴史的な時間の流れの中で、 個体どうしが接触しあって変化するということが、生物については考えられない" について。
 生物学を用いたアナロジーでいうと、例えば「(生物学で)近縁の種が交配する例と交配できない例を挙げたうえで、(言語学で)遠縁・無縁の言語間でもピジンが発生することが観察されている」ことを説明して、さっさと終える方がいいと私は思う(=アナロジーに殉じていると思う)。


 第四段落(1)  "進化論はあくまでも想像上の理論" という記述がある。これを見ると、私以外の多くの人々も若干不安な気持ちになるのでは。この「想像上の理論」という表現は、進化論の限界を指摘するうえでの表現のようだ(「法律は虚構」「壱万円札は紙切れにすぎない」のような紋切型の表現に似ている)。おそらく、「進化論は、生物の目に見えるカタチの変化を長い期間ヒトの目で観測した結果を報告したものではなく、さまざまな方法で知り得ない過去を想像で補って作られた理論だ」という理屈だと思われる。
 ぼんやりしたツッコミとしては「たとえ、人間が観察できるもの、再現や操作が可能なものだけを対象とした分野の理論であっても、やはり"想像上の理論"には変わらない」&「幾何学でも力学でも、ほとんどの学問は"想像上の理論"をその核に据えていることになる」でいいと思う。
 実際的なツッコミ:「一般的な大型書店の自然科学の棚にも、「進化論が学説としてどのように現代の地位を築いたのか」「進化論の理論の検証はどうされるのか」を説明する進化生物学や科学哲学の啓蒙書が何冊も書架にある。それらを真摯に読めば、他分野の学説または理論を(悪い意味での)「想像上の理論」とは表現しないだろう」。
 第四段落(2) “有史前の生物どうしがどのように影響し合って発展したのかは今も謎であるが”
 ここは直前の段落とセットで、「有史以前でも有史時代でも、個体どうしが接触しあって変化することははたぶん無い」ということを述べているようだ。しかし私には、ここは著者が何を謎とみなしているか分からないので、もう少し具体的に書いてほしい。また、なにより「発展」という語が使われてるのが気になる。
 第四段落(3) “現存の生物を見る限り、隣り合わせになったものどうしが互いに影響しあって、それぞれが姿を変えるということは考えられない。動物園で猿を見ているとこちらも猿に似てくるということはない”
 ここで著者が比較するべきなのは、ヒトが動物園のサルを見るとか撫でることではなく、異種間の交配の有無(またはその成功の可否)だろう。
 蛇足だが、植物であれば異なる種が混ざり、それが一代かぎりではない繁殖能力を持ったという例はある。

 
 第六段落の "進化論が描く生物の進化のイメージは、例えばキリンの首が徐々に長くなっていくように漸進的に変化していくというものである" という一文は、かなり言葉足らずだ。
 ここからは推測だが―― (i)「読者はそういう進化論の理解をしていると思うのでこう書く。ちなみに著者は正しい理解をしているが書かない」または (ii)「読者も著者もそういう進化論の理解をしている」のどちらかだが――著者が主流ではない進化論の理解をしたうえで、この箇所が書かれたのではないかと訝しんでしまう(著者はラマルク流の進化論の啓蒙書を読んだという推測をしてしまいかねない)。

  II-2 言語の発達は自然現象ではなく社会現象である

 印欧比較言語学はダーウィンの進化論をモデルにしており、個々の言語を生物体と見なしている。先史時代の各言語は、恐らく地球規模の空間を隔てたグローバルな場面で接触しあうことはなかっただろう。各言語は、互いに影響しあうことなく、あたかも生物体が個々に進化するように、印欧祖語を起点として、そこから各語派へ、そして各言語へと枝分かれしながら、地域ごとに個別に徐々に変化し形成されたのであろう。
 だが有史時代に入ると状況は異なる。言語と言語はグローバルな空間において接触しあい影響しあう。言語はもはや生物体のようにではなく社会現象の1つとして変化する。
 有史時代における言語の変遷と生物の進化を比べてみると、その根本的な違いは、歴史的な時間の流れの中で、 個体どうしが接触しあって変化するということが、生物については考えられないが、言語については考えられるということである。
 進化論はあくまでも想像上の理論であり、有史前の生物どうしがどのように影響し合って発展したのかは今も謎であるが、現存の生物を見る限り、隣り合わせになったものどうしが互いに影響しあって、それぞれが姿を変えるということは考えられない。動物園で猿を見ているとこちらも猿に似てくるということはない。
 それに対して言語は接点をもてば影響しあう。複数の言語が共時的に存在し互いに接点をもつとき、各言語は言語構造が変化をきたすほどの影響を及ほしあう。何らかの文化的あるいは政治的な理由により、ある言語が他の言語の影響で直ぐにでも変化するということがあり得る。言語とは社会の変遷に応じて改変される社会制度のようなものである。
 進化論のイメージで言語の発展の様子を想像すると誤ったイメージを描いてしまうことになる。進化論が描く生物の進化のイメージは、例えばキリンの首が徐々に長くなっていくように漸進的に変化していくというものである。それに対して言語形態の変化はシステムの変換の累積である。


・つづき。先ほどの部分は前置きで、ここからが本題(言語の規範のある場所)。本題はとても興味深い。


 著者の述べていることは明快だが、本論に関係のない部分に一か所だけ引っかかった。以下は重箱の隅をつついているので無視していい。

 下記抜粋部分のうち、第三段落目の後半では次のように述べている:「言語と法律は様子が異なる。法律は当局が上から一方的に決める傾向が強く、言語は下から沸き上がるように、皆がそう言っているからそうなるという傾向が強い」。
 ここでは言語に対照的な例として「法律」がもちだされる。しかし、著者がいう「法律が硬直的で上から決まるもの」という印象に頼った説明は微妙に思える。
 というのも、(1)法の枠内であっても、慣習法もあれば小さな集団のルールまで多様であること。(2)新たに制定される法や政令も、さかのぼればさまざまなアクター(官僚・圧力団体・政治家など)それぞれの考えが存在すること、法律案が実際の法になるまでの過程が、一律に無風ではないこと(つまり立法のプロセスにも何らかのダイナミズムがあること)などを考慮すると、法律を一面的な印象で語ることははばかられる。
 たとえば、古くなった民法のとある条文を、現代の世相にあうように変更することは、国語辞書が改訂にさいし意味・用法が変わった語の語釈を書き換えることとどれくらい違うのだろうか。
 もちろん「法律は当局が上から一方的に決める」局面もあるが、それだけではないと思う。
 以上をまとめると次の通り:「規範と規範でないものの対立は、言語の内部にもあるし、広い意味での法の内部にもあると思う。上からの規範の代表例として法律を持ち出さなくてもいい」
 

 個々のシステムの変換は、急にシステムAからシステムBに変わるわけだから、一瞬の出来事である。だが言語構造の変化は瞬間的ではない。システムAからシステムBに変わるといっても、その言語の使用者が全員一斉にそうするわけではない。ある人は旧システムAのままかも知れないし、ある人はAでもBでもないまた別のシステムCを用いるかも知れない。言語の変化は共時的な空間の広がりの中で考える必要がある。
 やがて機が熟してシステムBを用いる人が大勢を占めるようになるとその言語はシステムBを用いる言語に変化することになる。その際、システムBの使用を促す強制力が伴うことがある。それが規範である。近代言語学は規範というものに対して概ね批判的であったが、規範は言語変化を統制する重要な要素である。規範力は上から支配的に作用するものと考えられがちであるが、それだけではない。各人の共通感覚の中にも存する。互いに通じ合おうとする気持ちである。
 語彙レベルの変化はごく簡単に生じる。 それは一言語内の語彙構造の変化の延長とも考えられる。例えば「青信号は進めで赤信号は止まれ」としていたのを次の日から 「青は止まれで赤は進め」と逆にすることも可能である。それは法の改定とよく似ている。ただし言語と法律は様子が異なる。法律は当局が上から一方的に決める傾向が強く、言語は下から沸き上がるように、皆がそう言っているからそうなるという傾向が強い。
 文法レベルの変化はそれほど単純ではない。しかし文法も語彙と同様、先述のように個々のシステムの変換は一瞬のうちである。例えば、英語の述語動詞は3人称・単数 現在の場合にはsを付けるという約束があるが、それは面倒だから明日から He goes. を He go. と言いましょうと変更することも可能である。現に一部の黒人英語ではためらうことなくHego. と言っている。
 だが実際には、英語全体として3人称・単数現在のsは簡単にはなくならない。それは多くの人がこの文法規則を共有しようとしているからである。 多くの人が親にそう教えられ学校でそう習ったからであり、 He go. と言うのは無教養だという価値観を植え付けられているからである。言語は法に比べて単なる上からの強制以外の要因が多面的に絡み合っている。
 いずれにせよ言語は、法律と全く同じという訳ではないが社会制度の1つとして、政治や歴史の流れの中で他の言語や文化の影響を受けて変容していく。その変化の速さは、一個人の生涯というような時間の流れを尺度にして眺めると遅々としてほとんど静止しているように思われるが、何百年、何千年という歴史的な時間の流れの中で見ると動的である。 特に今日のグローバルな世界において各言語の変化は加速度的である。



・30-32頁。知らない文字があったのでメモ。 

  IV-2 3・単・現のsはなぜなくならないのか

 印欧語の動詞の活用変化の歴史を観察すると、3単現のsが印欧祖語以来の3単現の語形を引き継いだものだということが分かる。
 3単現の活用語尾は、印欧祖語 (再現形)とサンスクリット語とギリシア語の何れにおいても -fiであり、 英語と同じゲルマン語派に属するゴート語ではþ【※引用者注:あるゴート文字をthornで翻字している】 (th) である。
 英語においても、古英語期では eth で、となったのは、イギリス北部では10世紀頃からで、南部では16世紀後半からであり、英語史全体の時間の流れの中で考えた場合、それほど遠い昔のことではない。
 なぜ3単現のsだけが残ったのか理由を断定することはできないが、sという音が強い摩擦的な音をもっているために消えずに残ったという説がある[※以上の記述は唐沢一友(2011)『英語のルーツ』pp. 142-3 および岸田・早坂・奥村(2002)『歴史から読み解く英語の謎』pp. 84-5に基づく]。
 印欧祖語の動詞には、人称・数に応じた複雑な活用語尾の体系が存在していた。また、《図3》で示したドイツ語やフランス語の動詞の活用変化表を見ても分かるように、今もほとんどのヨーロッパ語は、動詞を人称・数に応じてきっちりと活用変化させている。
 それに対して英語の一般動詞は、3単現のs 以外、 活用変化の形態が消え去ってしまっている。もし3単現のsもなくなると英語の一般動詞の活用変化の体系そのものが完全に消滅することになる。 むしろそのほうがシンプルですっきりしていて良いのではないか。 しかしなくなる気配はない。
 3・単・現のsが残っているのは、印欧語の動詞がもっている本来の文法的な意味を伝えるためであろう。3単現のsは、英語の一般動詞の活用変化の体系を存続させるための最後の砦のようなものである。




・品詞について(32-33頁)。

V-3 八品詞と五文型

 学校英文法に、英語の語順を定着させるためのルールがある。英語の文法書や学習参考書に定番として登場する八品詞と五文型がそれである。
 品詞とは何か。おそらく文法家が、形や用法や意味の類似したいくつかの単語を1つの類にまとめるのが便利だと感じて概念したものであろうが、その定義は必ずしも明確ではない(cf. 杉浦 〈1976〉『品詞分類の歴史と原理』 p.1)。
 英語の八品詞とは名詞 (noun)、代名詞 (pronoun)、形容詞 (adjective)、動詞 (verb)、副詞 (adverb)、前置詞 (preposition)、接続詞 (conjunction)、間投詞 (interjection) の8つである。
 品詞を8つ設けるのは英語よりむしろギリシア語とラテン語の品詞分類をベースにしたものであるから、八品詞の設定は根拠に乏しいと異論を唱える人もいる。確かに間投詞は他の7つの品詞とは性格を異にしており[※間投詞は「文中の他の部分また他の文に対して、独立の関係にある、感情の簡潔な表現、または単純な音響の模写をなす語」と定義されるが、学者によってその範囲は一定していない。例えば Jespersen (1924) The Philosophy of Grammar はNonsense! Bloomfield (1933) Language là Thank you. を、Palmer & Blandford (1924) A Grammar of Spoken English は What a pity! How nice! を間投詞としている(以上、『現代英語学辞典』p.437による)。
 そもそも英語に間投詞が設定されたのは、ラテン語の品詞分類に間投詞(interiectio)があったからである。さらにラテン語の間投詞は、ラテン語にギリシア語の冠詞に相当する品詞が存在しなかったので、冠詞の代わりに間投詞を独立の品詞と認めることによって八品詞体系を守ったという経緯がある(杉浦〈1976〉『品詞分類の歴史と原理』p.25)。]筆者も違和感を感じる。しかし、そもそも言語とは社会制度であるという考えからすると、古典語を規範とすることによって今日の英語の構造が整備されてきたということであり、それはそれで妥当だと言えるかもしれない。
 品詞と文型は語順とどう関係しているのだろうか。実は、この2つがセットとなって語順の定着が可能となっているのである。英語の語順の定着は品詞と文型のコラボレーションなのである。
 英語の文型は ① SV、② SVC、③ SVO、 ④ SVOO、⑤ SVOCの5つである。五文型以外に、 Palmerの27動詞型 Hornby の25動詞型 Hill の七文型、Roberts の十文型など様々な文型がある(cf. 『現代英語学辞典』 pp.820-2. 『新英語学辞典』 p.75)。ごく大雑把に三文型というのもある。
 基本的な文型の数をいくつにするかは文法家の見解の相違である。五文型が完璧というわけではない。 5つの文型の何れに当てはめれば良いのか決めにくいこともある。だが一般的には五文型が定着している。