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『〈文化〉を捉え直す――カルチュラル・セキュリティの発想』(渡辺靖 岩波新書 2015)

著者:渡辺 靖[わたなべ・やすし] (1967-) 現代アメリカ研究、パブリック・ディプロマシー論、文化政策論、文化人類学


【目次】
題辞 [i]
はしがき――「文化」は、いま [iii-xiv]
目次 [xv-xix]


第一章 グローバリゼーションは「文化」を殺す? 001
1 スーパーモダン 002
2 ポストモダン 005
3 肯定派と否定派 009
4 保守派とリベラル派内部の不協和音 014
5 ナショナルな次元の重要性 016
6 重層的なガバナンス 019
7 グローカリゼーション 022
  スローフード
  創作エイサー
  先住民族
8 搾取される「伝統文化」 031
9 ハイリスク・ハイリターンの皮肉 033
10 「われわれはみんなペストの中にいるのだ」 036


第二章 台頭する「人間の安全保障」という視点 041
1 格差の再編成 042
2 新自由主義の論理と力学 045
  オーディット文化
  消費者至上主義
  市場化される精神性と身体性
  〈帝国〉の権力とネットワーク
3 「人問の安全保障」 053
4 セーフティーネットとしての文化 057
5 教育の挑戦 061
6 製品の可能性 065
7 言語という権利 067
8 方便としての文化 070
9 文化相対主義の陥穽 078


第三章 ソフトパワーをめぐる競合 083
1 ソフトパワーをめぐる狂想曲 084
  文化の地政学
  ソフトパワーとしての「人問の安全保障」
2 パブリック・ディプロマシーの時代 090
3 「対外発信強化」の陥穽 095
4 道義的な高潔さ 098
5 「支配」から「支援」へ 106
6 グローバル・シビリアン・パワー 112


第四章 新しい担い手たち 119
1 政策的価値は「不純」か? 120
2 ガバナンスの新たな潮流 123
3 米国モデルの優位性 130
4 創発的な試み 132
5 日本が直面する課題 140
  評価や測定は可能か


第五章 理論と政策の狭間で 149
1 「離見の見」 150
2 構築主義 156
3 境界線への眼差し 160
4 境界線を編み直す 165
  芸術という試み
  市場という試み
  政治という試み
  外交という試み
  リベラル・アーツという試み
  文化人類学という試み
5 「文化」を語れなくなった時代 170
6 一九九〇年代の米国の経験 180
7 新たな問い 186


おわりに――「文化」の未来 191


あとがき――ピーボディ四六号室(二〇一五年 ボストンにて 渡辺靖) [197-206]





【抜き書き】

・本書は明快に constructionism vs. essentialism をまとめている(重心は前者の説明にある)。個人的なメモと紹介の意味も込めて、以下に抜粋する(pp. 156-160)。


□まず構築主義。その例には、往々にして本質主義的になりがちなJapanologyの一部を取り上げている。

 2 構築主義

 米国の文化人類学からは多くを学んだが、今日、「文化」、あるいは「文化」と「政策」の関係について考えるうえで根幹を成す視座の一つに「構築主義(constructionism)」がある。ある文化的特質を所与のものとして捉えるのではなく、その生成にまつわる過程や力学を重視する立場のことで、「本質主義(essentialism)」と対を成す概念とされる。つまり、ある文化的特質を固有不変の「本質」として捉えることを拒み、一旦括弧に入れ、その断片性や不完全性、文脈依存性を解き明かすということだ。
 例えば、「はしがき」で言及した「日本人論」、すなわち「日本らしさ」をめぐる言説は本質主義の典型とされ、構築主義にとっては精査の対象となる。歴史を振り返れば、日清・日露戦争の富国強兵の時期には、新渡戸稲造の『武士道』や内村鑑三の『代表的日本人』など、西洋の先進国に対して日本を肯定的に捉える言説が流行した。敗戦から占領期にかけては、近代化論やマルクス主義が日本の知識人に影響をもたらしたが、相反する両者の理論的主張とは裏腹に、日本社会の認識という点では、どちらも「前近代的」「封建的」「非合理的」「反民主的」といった負のイメージを共有していた。ところが、高度成長期になると、欧米の先進国モデルや社会主義的な発展段階説とは異なる視点から日本を再考する言説が台頭し、加藤周一の「日文化の雑種性」や梅棹忠夫の「文明の生態史観序説」といった評論が発表され、日本的システムの肯定的作用を説明する中根千枝の『タテ社会の人間関係』や土居健郎の『「甘え」の構造』がベストセラーとなった。逆に、一九八〇年代に入り「国際化」への圧力が強まると、日本的システムの否定的作用を危惧する言説や、国際社会における責任の引き受け方をめぐる言説が目立つようになった。
 いわば、「日本人論」とは、それぞれの時代状況において「自分探し」の役割を担ってきたジャンルであり、主に「米国」や「西洋」を合わせ鏡としながら、その都度、「日本らしさ」が構築されてきた。日本礼賛色の強い、近年の新たな「日本人論」ブームの背景には、米国や西洋の相対的衰退、中国や韓国への反発、人口減など日本の将来への不安、「反日」のレッテルを恐れる出版社側の自主規制、日本文化に対する海外からの高評価などが混在しているように見受けられる。
 その日本文化については「外来文化を融合しながら独自の文化を発展させている」「自然との調和や共生を重んじている」「革新と伝統を融合している」「細部へのきめ細かな配慮に富んでいる」といった特徴づけをされることが多いが、構築主義はそうした特質を直ちに所与の本質と捉えることはしない。むしろ、例えば、①日本以外の社会にも認められる特質ではないか、②そうした特質とは正反対の事象も存在するのではないか、③地域差や階層差、男女差、世代差といった点を考慮すると「日本」という大きなカテゴリーで括りにするのは乱暴ではないか、④価値基準そのものがエスノセントリック(自民族中心的)ではないか、⑤そもそも誰が、誰に対して、何の目的で、こうした言説を生産し、流布しているのか、といった点への留意を求める。

□次に、「構築主義への批判」の代表例と、それに対する著者による簡単な応答。

 もちろん、こうした構築主義の立場には次のような反論があり得る。
 まず、第一に、それでは「日本文化」を語ることは一切許されないのか、「日本文化」なるものは存在しないのか、というものだ。構築主義の立場を突き詰めてゆくと、自己であれ、他者であれ、いかなるものに対しても何も語れなくなる。いわゆる「相対主義のジレンマ」であり、そこには「すべては相対的である」という前提そのものは相対化され得ない――つまり、相対主義そのものは絶対的真理であるという――自己矛盾が内包されることになる。この点に関して、私自身はラディカルな相対主義の立場は取らない。比較の対象やそのレベル、あるいは目的によっては一定の文化的特質を抽出することは十分可能だと考える。しかし、私の知る限り、全てを包み込むような日本文化の本質的な特質はいまだ科学的――少なくとも文化人類学的――には見出されていない。むしろ、多くの場合、「日本らしさ」は「事実」というよりも「願望」に関わるものという印象を受けている。
 第二に、とはいえ、それはかなり厳密に考えた場合であって、現実には人間はもっと柔軟に文化を捉えているのではないのか、という反論がある。この点はもっともで、人間は世界を恣意的に切り取り、分類(分節)し、意味づけて生きる動物であり、それはいわば、本質主義的な営為の連続とも言える。それを否定することは、自らの生すら否定することになりかねない。私自身、日常や社交の場において、文化論を厳密に展開しようとは思わないし、自ら本質主義的な文化論に興じることさえある。そうした言説によって織りなされているのが日常や社交だと思うからである。一種の「戦略的本質主義」――半ば確信犯的に、本質主義的な言説を用いること――と言っても良い。構築主義とは、あくまで学術的な意図と見地から、そうした営為を客体化し、解き明かす立場に過ぎない。


・論旨が込み入ってる箇所があったので、メモ。(68-69頁)

 なお、捕捉しておくと、「言語」や「民族」は、政治的・社会的な要因に左右される面もあり、厳密な区分は難しい。〔……〕
 また、「人種」については幾通りもの分類法が存在するが、いずれも生物学的な根拠は弱く、人種「内」格差のほうが、人種「間」格差よりも大きい事例も少なくない。それ故、人類学を含め、科学的な分析概念としては「人種」は淘汰される傾向にある。その一方、一部のゲノム科学を含め、社会的・歴史的に構築された「人種」概念を客観的・普遍的なカテゴリーと混同したままの研究も散見される。刑事司法に及ぼす遺伝学の影響の大きさなどを鑑みるとき、そうした研究がネオレイシズム優生学・骨相学的思考を助長する危険性は否定できない。

[メモ]
・背景には本質主義と社会構築主義との相克(というのは大げさ?)。
・最初の段落で提示された「諸言語の境界はどう設定されるか」は、社会言語学で主要テーマ。「民族」も同様に、人類学や政治学ナショナリズム研究において根本的な話題。同時に一般的なテーマでもある。上記引用文はこの段落で、現在通用している(また昔からある)概念にも恣意性が多分に含まれることを、読み手に再確認させている。
・次の段落で人種区分が俎上にあげられる。ただし議論細部ははしょってあるので、予備知識がないと頭にはいりづらい。
・「〈人種〉という分類に妥当性はどの程度あるのか」と問いに、「もはや廃れた」と答える構図は分かりやすい。この返答を支える理由が簡潔に並べられているが、やや物足りない。また、人類学からの啓蒙がどの程度広まっているかはまた別の問題。
優生学や骨相学は、私は科学史の勉強で少しかじったのでギリギリ。
・追加で調べたいのは以下の点。人種の諸分類は具体的にどういったものかとか、人種区分を無批判に継承した研究とか、とくに人種内格差の事例というのは気になる。