著者:佐藤 洋一郎[さとう・よういちろう](1952-) 農学、植物遺伝学。
件名:ユーラシア--農業--歴史
NDLC:DM43
NDC:612.2 農業史・事情
【目次】
口絵写真
口絵1 遊牧
口絵2 オオムギ畑
口絵3 ユーラシアの植生
口絵4 棚田
口絵5 アワ畑
はじめに [i-vii]
目次 [viii-xiii]
第一章 人が生きるということ 001
生きるとはどういうことか 001
生きることは食べること
食べることは運ぶこと
糖質とタンパク質のパッケージ
食べるという行為の社会化
ユーラシアに展開した人類の集団 011
人類は移動しつづけてきた
動いたのは誰か
ネアンデルタールとクロマニヨン
ミトコンドリアDNAからみた人の移動
人はなぜ定住を選んだのか
生業の原点――暮らしの作法 022
人類の三つの生業
狩猟と採集の生業
狩猟・採集民の暮らし
現代人の間にもある狩猟・採集志向
第二章 農耕という生業 033
農耕とは何か 033
現代の農耕
農耕と定住
作物や家畜からみた農耕のおこり 038
ドメスティケーションと作物・家畜
野生種から栽培種へ
家畜の誕生――動物におけるドメスティケーション
集団の遺伝的多様性は減少した
作物・家畜の起源地
農耕の四つの発展段階 054
農耕と農業はどう違うか
農耕が文明を生み育てた――農耕の第二ステージ
穀類農耕とはなにか――文明に育てられた農耕
穀類の分布からみたユーラシア
穀類から作られたアルコール
三大穀類の登場――第三ステージ
農耕の第四ステージ――現代の農耕
人類はなぜ農耕を始めたのか 076
チャイルドの仮説――農業革命という考え方
環境変動と農耕のはじまり――農耕開始の外部要因
環境変動説はどこまで正当か
農耕に支えられた衣と住 082
薬・毒・嗜好品
植物繊維で作るもの
第三章 アジア夏穀類ゾーンの生業 089
アジア夏穀類ゾーンの区分け 089
アジア夏穀類ゾーンのさまざまな森
針葉樹の森――排他的な森で
落葉広葉樹の森で 094
落葉広葉樹の森とはどんな森か
クリをどう考えるか
アジアの雑穀、現れる
雑穀農業の広まり――黄河文明の基盤はこう作られた
動物資源はどうしたか
漁獲・魚食の文化――サケを中心に
遅れて伝わってきた稲作
照葉樹林に生きた人びと 114
照葉樹林文化とはなにか
稲作登場前夜の環境
稲作開始の場所は照葉樹林帯
稲作と水田稲作
水田漁撈というシステム
発掘された「水田模型」――古代中国の農耕世界
東アジア穀類センターの登場
消えゆく照葉樹林文化――「中国世界」の拡大
熱帯の森の生業 134
インドシナの森と生業
熱帯の多様性に支えられた雨緑林の生業
熱帯多雨林の生業――稲作の後発地帯
浮稲の生業――熱帯版の「米と魚」
インド世界の生業 144
二つのインド観
インド社会はなぜ肉食を避けてきたか
インド世界はマメ世界
乳社会としてのインド
第四章 麦農耕ゾーンの生業 153
麦農耕とは何か 153
ユーラシアの西半分を眺める
オアシスと草原地帯の生業
麦とミルクのパッケージ
遊牧という生業 160
遊牧とはなにか
遊牧のおこり
遊牧を支えた技術――搾乳
遊牧成立のもういくつかの要件
遊牧は自己完結しない生業
遊牧民の価値観
麦――もうひとつの主人公 175
植物としてのムギ
コムギという植物
パンコムギの誕生
ライムギとエンバク
オオムギという穀類
粉食という文化
麦農耕ゾーンの生業体系 192
麦農耕ゾーンの地域分け
モンゴルを旅する
中央アジアの生業史
西南アジアの遊牧と生業
トナカイの狩猟と遊牧
アラブ社会の生業
欧州における生業 207
地図にみる現代欧州の農耕
菜食のローマ人、肉食のゲルマン人
パンは欧州の主食か
魚食
ジャガイモ、欧州に来る
欧州における「野生」の位置
第五章 三つの生業のまじわり 225
農耕文化と遊牧文化の対立 222
因縁の対立
ほかにもあった二つの文化の反目
二つの文化の現代的対立
交易の担い手としての狩猟・採集民と遊牧民 234
交錯する生業
コムギを運んだ人びと
当初、コムギは中国ではなかなか定着しなかった
融合した二つの文化 241
牧畜という生業
牧畜の類型
水と出会ったコムギ
ミルクと出会った米
定住文化と移動文化のかかわり 251
もうひとつの対立構造
「妖怪」たちとのかかわり
海の生業をどう考えるか 255
海に生きる人びと
沿海漁獲と農耕の不思議な関係
養殖をどう考えるか
終章 未来に向けて 267
おわりに(京・小倉山を望む寓居にて 佐藤洋一郎) [275-279]
【抜き書き】
・「はじめに」から。
なお、現時点でユーラシアには規模の大きな狩猟・採集民はいないので、現存するのは農耕民と遊牧民だけである。しかし、現在この地球上に住む人類集団のなかで、農耕だけ、遊牧だけで暮らす集団はいない。高度に進んだ(と思われている)日本の社会でも、多くの人が、狩猟の一類型である漁獲の産物からタンパク質を得ているし、また精神的な面でも、休日には魚釣りに興じ、また春や秋にはキノコ狩り、タケノコ狩り、山菜採りといった活動にいそしむのはその何よりの証拠である。日本社会はなんといっても、世界に冠たる魚食社会で、かつ食べる魚の多くは天然魚である。つまり、漁獲に関していえば日本人は――自分では漁獲はしないまでも――狩猟社会の伝統を受け継いだ社会に生きている。
このように考えれば、狩猟と採集、農耕、遊牧の三つの生業は、互いに関係しあいながら、かつ互いに干渉しあって成り立ってきた。本書では、そのダイナミズムを描き出してみたいと思う。浅学菲才を顧みず、という語がある。今回のわたしのこの試みはまさにそれであることは自覚しているが、あえて挑戦してみることにした。
生業は、人間が暮らしてゆくための社会的な活動をさす言葉だが、ここでは衣食住に直接かかわる、狩猟・採集、遊牧、農耕に絞って考えることにする。また、趣旨に照らして考えれば、全球レベルの議論をすべきではあったがそれは将来の課題に残すこととして、ここではユーラシアを中心に議論を進めることにしたい。
(『食の人類史』vi-vii頁)