著者:鈴木 正崇[すずき・まさたか](1949-)
NDC:163.1 自然崇拝
NDC:188.59 各宗(修験道.山伏)
【漢字について補足】
・本書では扱う語句には、珍しい地名・難読・慣用読みが多いため、それらのよみを示すために積極的にルビがつけられている。この目次ではそのルビを亀甲括弧〔 〕に示した
・「第五章 立山」のなかに「姥堂」が登場する。この〈うば〉は本来、別の漢字(女偏に田を三つ)だが、ここでは出せない。ここでは便宜上、簡単な漢字で代用しておく。
この漢字は、『方言漢字事典』(2023) でも立項(pp.20-22)、解説されている。なお木本秀樹(1997)が参考文献。
【目次】
まえがき [i-iv]
目次 [v-viii]
地図 [ix]
題辞 [002]
序章 山岳信仰とは何か 003
山への畏敬と神聖化
神仏習合の思想
農耕民の山の神
狩猟民の山の神
基盤としての山中他界観
山の仏教的意味づけと曼荼羅世界
遥拝と禁足地
祭祀から登拝へ
最澄と空海
修験道の成立
修験道の展開
山岳登拝の民衆化
女人禁制の行方
修験と芸能
文化遺産への道
第一章 出羽三山――死と再生のコスモロジー 034
東北の仏教と修験
三山の由来
修験の根拠地・羽黒山〔はぐろさん〕
月山〔がっさん〕
湯殿山〔ゆどのさん〕
三山詣
即身仏
開山伝承
開山伝承の変化
春峰〔はるのみね〕と夏峰〔なつのみね〕
秋峰〔あきのみね〕――山伏の養成
冬峰〔ふゆのみね〕――百日修行と松例祭〔しょうれいさい〕
現代の動き
第二章 大峯山――修験道の揺籃の地 068
吉野山と山上ヶ岳〔さんじょうがだけ〕
金峯山〔きんぶせん〕と役行者〔えんのぎょうじゃ〕
修験道の本尊・蔵王権現〔ざおうごんげん〕
経塚〔きょうづか〕
増誉〔ぞうよ〕と熊野
聖宝〔しょうぼう〕と吉野
熊野
修験教団(本山派・当山派)の成立へ
明治以後の修験
峰入りの思想
峰入りの実践(1)――吉野から山上ヶ岳へ
峰入りの実践(2)――山上ヶ岳から深仙ヘ
峰入りの実践(3)――熊野本宮へ
自然とともに生きる
第三章 英彦山――日本の山岳信仰の拠点 102
天下に抜きん出た霊山
開山伝承
仏教伝来以前
『彦山流記〔ひこさんるき〕』について
洞窟中心の修行と熊野との関係
中世における勢力の広がり
謡曲『花月〔かげつ〕』『大江山』
峰入り
即伝による修行の体系化
近世の彦山
山と集落
松会〔まつえ〕
神仏分離以後
第四章 富士山――日本人の心のふるさと 132
日本の最高峰
古代の富士山
噴火の歴史
『富士山記』の世界
山に登拝した末代〔まつだい〕上人
『浅間大菩薩縁起〔せんげんだいぼさつえんぎ〕』
かぐや姫
村山修験
富士講の開祖――角行〔かくぎょう〕の伝承
富士講の始まり――村上光清と食行身禄〔じきぎょうみろく〕
富士講と富士塚と御師〔おし〕
富士講の再編――小谷三志〔こたにさんし〕と女人禁制
富士講から教派神道へ――丸山教と扶桑教
富士信仰の行方
第五章 立山――天空の浄土の盛衰 161
古代の立山
錫杖〔しゃくじょう〕の発見
山の神と仏
地獄の思想
開山伝承
山麓の寺院と集落
立山曼荼羅の世界
曼荼羅の下部
曼荼羅の中部
曼荼羅の上部
登拝の行程
芦峅寺〔あしくらじ〕の姥堂〔うばどう〕
布橋灌頂〔ぬのはしかんじょう〕
近代登山から観光地へ
第六章 恐山――死者の魂の行方 195
独自の景観
恐山の歴史と伝承
江戸時代の死者供養
参詣道と優婆〔うば〕
婆講〔ばばこう〕
登拝習俗
円通寺と地蔵講
賽の河原
釜臥山とお山懸け
地蔵会とイタコ
現代への対応
第七章 木曽御岳山――神がかりによる救済 220
噴火以前
峰と池と滝
中世の諸相
重潔斎〔じゅうけっさい〕
覚明〔かくめい〕の中興開山
覚明没後
普寛の登場
木曽御嶽信仰の江戸での広がり
御嶽講の展開(1)――泰賢と順明
御嶽講の展開(2)―― 一心と一山
神仏分離以後
外国人と木曽御嶽山
御嶽講の現在
今後の展開
第八章 石鎚山――修行から講へ 250
そびえたつ岩峰
開山伝承
山麓寺院の開基伝承
石鎚山と瓶ヶ森〔かめがもり〕
空海と光定〔こうじょう〕
役行者〔えんのぎょうじゃ〕とその周辺
前神寺の隆盛
石鎚神社の成立
お山開きの歴史
女人禁制と山中の修行
現在のお山開き
道者の精進と禁忌
石鎚講
里での展開
あとがき――体験知との出会い(二〇一五年一月一五日 著者) [287-293]
参考文献 [294-305]