著者:Jiří Václav Neustupný(1933-2015) 言語学、コミュニケーション論。プラハ出身。
初出:『言語生活』1981年1月号〜6月号
【目次】
献辞 [i]
目次 [iii-viii]
I 外国人とは何か 001
一 さまざまな外国人 002
外国人でさえなければ
社会問題の一つとして
法の上での外国人
ロンドンの街で
プラハで
日本の場合
二 外国人はどう行動するか 011
異なるルール
ある客員教授の行動
隔離されること
「外来」というラベル
三 外国人に対面する時 017
ルール違反への反応
歓迎される外国人
ひいき目で見る
拒否される外国人
日本人は外人嫌いか
四 外国人問題を生み出すもの 025
実質行動とコミュニケーション行動
実質行動でのルール違反
関係がよければ
おしゃべりの場
五 国際関係論と外国人問題 032
もう一つの国際関係論
個人の力
II 外国人としての日本人 035
一 日本人も外国人である 036
外来グループ
一時的外国人
旅行者
ニ コミュニケーションは文法だけではない 040
英語ができないということ
点火のルール
セッティングのルール
参加者ルール
バラエティルール
内容のルール
形のルール
英文の手紙
媒体のルール
操作のルール
運用のルール
誤解以前
三 外国人との話題 055
ことばの制約
言いたいことを言えない
接触話題
国による違い
四 我々はなぜ間違えるか 060
母国語と外国語
中間言語のはたらき
ことばの簡縮化
誤解されるパーソナリティ
五 日本人はていねいな民族か 068
ていねいさの問題
平等に扱う
彼女は猫の母親である
忙しいので
日本人のお辞儀
六 外国人と日本人とのつき合い 076
ネットワークの形成
メルボルンの日本女性
閉鎖性と国民性
七 文法外能力を習得するために
「日本的でいい」か
自己点検
文法外能力の習得
III 日本での外国人 087
一 「変な外人」 088
多数の民族グループ
外人を外人らしくするもの
ニ 非言語的コミュニケーション 091
媒体のルール
笑い方
視線を合わせる
鼻のかみ方
座り方
三 外国人はあいさつできるだろうか 096
日本語のあいさつ
子どもみたい
四 上手に間違える方法 099
山椒魚のコミュニケーション
ためらいの表現
訂正の仕方
五 メッセージは伝わるか 103
言ってしまう
外国人のいらいら
敬語の役割
敬語という壁
六 外国人の受け入れ問題 110
外国人への態度
「弱い者」としての外国人
変な外人
今日の外国人
日本語教育の役割
IV 語学教育と外国人 119
一 語学教育はどんな役割を果たしてきたか 120
なぜ勉強するか
体制維持
趣味
象徴
技巧形成
異文化理解
コミュニケーション
語学教育の機能
ニ 文法・翻訳教授法
GTパラダイム
古典語と文化語
文法と語彙
翻訳の時代
三 オーディオ・リンガル方式の誕生 133
話しことばの重要性
GT方式の根強さ
AL方式の誕生
AL方式の問題点
四 外国語教育の新しい方式 139
役割の変化
ラディカルな改革
新しい方式の基礎
五 教育の内と外 146
教室場面
他の学科との協力
教室の外で
六 何をどのように教えるか 151
教師の役割
化石化
教科書
文法教育の位置
文法以外のルール
七 国際行動のための教育 159
国際行動
二重文化能力
交換留学のプログラム
V 現代と外国人問題 165
一 人間社会の多様性 166
外国人からの脱出
さまざまな異質集団
異質集団としての外国人
ニ 歴史が教えること 169
共存の時代
競争と征服
外国人の消失?
「同化」の理論
三 現代社会と異質集団 177
異質集団の容認
ことばの多様性
オーストラリアの場合
四 外国人からの脱出 181
同化と統合
日本人と外国人問題
おわりに 185
一 外国人問題は、異質集団の問題である
ニ 外国人問題は、コミュニケーションだけの問題ではない
三 外国人のコミュニケーション問題は、文法・語彙・発音だけの問題ではない
四 外国人のコミュニケーション問題は、伝統的な語学教育では解決できない
五 外国人問題の解決の現代的な様式は、外国人の「同化」ではない
あとがき(一九八二年十二一月 吉祥寺にて J・V・ネウストプニー) [191-195]