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『喫煙と禁煙の健康経済学――タバコが明かす人間の本性』(荒井一博 中公新書ラクレ 2012)

著者:荒井 一博[あらい・かずひろ](1949-) ミクロ経済学。日本経済論。
シリーズ:中公新書 La Clef;408
件名:喫煙
件名:禁煙
件名:経済学
NDLC:SC194 科学技術 >> 医学 >> 衛生学・公衆衛生 >> 健康法・長寿法
NDC:498.32 衛生学.公衆衛生.予防医学 >> 個人衛生.健康法 >> 禁煙.禁酒
備考:図書館の書誌DBにおける「件名/キーワード」について。私なら本書の内容を踏まえて「件名:行動経済学」を加える。
備考:著者のホームページで本書を全文公開している(PDFファイル)。



【目次】
はしがき [003-004]
目次 [005-010]


プロローグ [準備編]やめられない消費の経済分析 013
  特異な消費財と消費行動
  かつては薬草と考えられたタバコ
  喫煙者を苦しめる嗜癖の性質
  歴史上の人物にも多いヘビー・スモーカー
  日本人の喫煙の現状
  喫煙に起因する疾病と死亡
  喫煙と禁煙を経済学で分析する
  本書の目的と特徴
  基礎的な経済学概念について
  本書の構成と読者への注意


第一部 [実態編]喫煙で何が起きているのか 039


第一章 誰がタバコを吸っているのか 043
  ダンサーに喫煙者が多いのはなぜか
  喫煙者は現在重視で投資量が少ない
  喫煙者は危険回避度が低い?
  喫煙の危険を過大評価している喫煙者
  スペインやスウェーデンでも喫煙危険を過大評価
  危険を過大評価しているのになぜ喫煙するのか 
  自分に起こる危険は低く評価する
  軍隊におけるタバコ支給と喫煙率
  高学歴者の喫煙率は低い
  なぜ高学歴者の喫煙率は低いのか
  教育自体は喫煙行動に影響しないという考え方
  学歴効果に関する代替的仮説
  英国のシングル・マザーの六割が喫煙者
  勉強のできない子供が喫煙する理由
  喫煙を抑止する社会資本
  クラシック音楽愛好者に喫煙者が少ない理由
  喫煙危険の評価に関する男女差
  女性の喫煙率が下がらない理由
  高喫煙率の大学に入ると喫煙確率が高まる
  ピア効果のメカニズムと「ピア効果もどき」
  家族の悪い習慣は真似されやすい


第二章 喫煙はどのような害や損失を生み出すのか 095
  喫煙者の賃金は顕著に低い
  喫煙者の生産性が低くなる理由
  過去喫煙者は喫煙未経験者より賃金が高い
  男性の短命の一因は高い喫煙率と多い喫煙量
  男性の喫煙率が高い理由
  喫煙する母親が低出生体重児を産む
  上昇する日本の低体重出生率
  母親の喫煙と乳児の受動喫煙の被害
  家庭・飲食店・道路が受動喫煙の主たる場
  喫煙が引き起こす経済的損失額


第二部 [理論編]喫煙者は合理的かそれとも非合理的か 121


第三章 「将来も見通す個人」の喫煙経済理論 125
  嗜癖の近視眼的モデル
  喫煙の合理的嗜癖モデルの趣旨
  合理的嗜癖モデルの概略
  合理的嗜癖モデルが意味すること
  合理的嗜癖モデルを支持する実証結果
  自分のタイプが不明な合理的嗜癖モデル
  時間選好率が変化する合理的嗜癖モデル
  自ら喫煙しづらくする喫煙者の行動
  喫煙者の内的葛藤を表現する理論
  タバコの増税に賛成する喫煙者
  渇望が理性的判断を阻害する


第四章 「先送りする個人」の喫煙経済理論 153
  不愉快なことを先送りする行動
  禁煙に成功しない先送りのメカニズム
  先送りが生み出すカルト集団の異常行動
  時間的に非整合的な選好
  双曲割引で先送り行動を説明する
  双曲割引が生み出す非効率性
  一個人のなかに複数の自己が存在する
  現在の自己から将来の自己への内部不経済
  低い禁煙成功率
  合理的嗜癖モデルに対する懐疑
  「選択の不自由」が人間を幸福にする
  公共政策に対する見方
  選好に対する見方が規制のあり方に影響する
  外的な刺激とそれに対する反応
  内的な衝動と推定バイアス
  どのモデルが正しいのか
  棄却できないモデルの異なる政策提言


第三部 [実践編]禁煙を経済学的に考える 191


第五章 増税と禁煙条例は禁煙を促進するか 195
  タバコ課税はなぜ正当化されるのか
  わが国のタバコ税
  タバコ税が喫煙量を減らす
  若年者に対する増税効果が重要
  増税に対する女性の反応
  増税効果は嫌煙感情の効果に過ぎない?
  増税があると強いタバコを吸う?
  禁煙条例はレストランの収益に影響しない?
  飲食店の所有者は禁煙条例を嫌う?
  飲食産業の私的市場で受動喫煙は防げる?
  禁煙条例が飲食産業の雇用を増やす?
  禁煙政策に関する激しい学界内論争
  飲食産業の成長が禁煙条例を生み出した?
  飲食店で働く喫煙者も職場禁煙法を支持する
  職場の禁煙化が喫煙率を下げる
  飲食店や職場に対する禁煙条例が火災を増やす?


第六章 喫煙者が禁煙に踏み切るとき 235
  タバコの広告禁止は禁煙を促進する?
  禁煙広告・禁煙キャンペーンに効果はあるのか
  禁煙キャンペーンについて注意すること
  高学歴者は禁煙意欲が強く禁煙率が高い
  結婚すると禁煙動機が高まる
  中高年は健康ショックで禁煙する?
  健康ショックがなくても禁煙する理由は?
  禁煙補助薬は有効か
  わが国におけるニコチン・パッチ治療の効果
  禁煙促進のための試み
  大学生はどのようにして禁煙に成功したのか


第七章 私がタバコとの訣別に成功した「経済学的禁煙法」 265
  禁煙の便益を十分に認識する
  火事の心配が不要になるという快感
  タバコの臭いや汚れや性的魅力低下からの解放
  金銭的・時間的な便益
  禁煙開始のタイミング
  三の法則
  どうしても我慢できなくなったら
  本当につらいのはほんの数日
  素晴らしい出来事


参考文献 [286-306]
索引 [307-310]





【抜き書き】


・「はしがき」から、本書のテーマ説明。

 喫煙と禁煙の健康経済学は、過去10年ほどの間に目覚ましい発展を遂げた。多数の経済学者がこの分野できわめて興味深い研究を行ってきた。〔……〕この発展の背景には多くの先進国で禁煙運動が隆盛になった事情がある。それと同時に、特殊な性質を持つタバコという消費財の存在が、経済学者の新たな研究意欲を掻き立てたという事情もある。
 また、経済学には喫煙や禁煙を分析するための概念や道具がかなりそろっていたことも、禁煙運動に触発された研究の発展に寄与した。普通の消費財に関する詳しい消費理論は既に存在しており、それにタバコの持つ特殊な性質を組み入れる挑戦が行われた。タバコ課税や喫煙規制に関連する議論では、消費行動などが他者に与える害悪に関する経済学の伝統的概念やその応用が重要な役割を果たすようになっている。さらに、計量経済学の分野で開発されていたデータ分析の手法が喫煙と禁煙の健康経済学で高い有用性を発揮したことも、研究の発展に対して重要な寄与を果たした。
 こうした事情を背景として、今までに千以上の喫煙関係論文が経済学の国際学術誌に発表されている。そして、米国などにおいて健康経済学は、行動経済学などとともに、今日最も人気のある経済学分野の一つになっている。健康経済学には飲酒や肥満などを扱った研究もあるが、喫煙と禁煙に関連する問題には、とりわけ多くの理論経済学や実証経済学の研究者が関心を寄せている。
 喫煙と禁煙は学界内で激しい論争を引き起こしている研究テーマでもある。その根本的な理由は、有害な消費に対する個人の自由をどの程度尊重するかに関して思想的な違いが存在するとともに、喫煙規制に関して利害の鋭く対立する集団が存在することにある。こうした激しい論争のために、健康経済学における分析の厚みも増大した。
 本書は、このようにして形成された喫煙と禁煙の健康経済学をかなり体系的に論じたものである。〔……〕喫煙という消費行動を本書のように経済学的に分析することは、人間の興味深い諸性質も明らかにする。読者が喫煙の意味を考えるために本書が役立つことを期待したい。



・「ある程度非合理的な個人」のモデルの仮定に基づいた、禁煙への工夫をいくつか。そして、「選択肢が増えたために厚生が低くなる」こと(pp. 176-177)。

  「選択の不自由」が人間を幸福にする
 合理的嗜癖モデルに対する決定的な反証としては、喫煙に対する個人の自制現象が広く観察される事実を挙げることができる。合理的嗜癖モデルの個人であれば、最適な喫煙量をあらかじめ決定し、それを実行できるので、自制手段を講じる必要がないからである。
 自制方法は多様であるが、節煙のためにタバコの買い置きをしないことは既に触れた。〔……〕禁煙について親しい人と賭けをし、失敗したらあらかじめ決めておいた金額を支払い、成功したら受け取るという方法もありうる。禁煙意志を周囲の人たちに告げることはごく普通に見られる。これらの自制方法は喫煙の金銭的・時間的・心理的費用を高くする。
 他の方法としては、禁煙を決意したらタバコはもちろん一切の喫煙用具を捨て去ることが挙げられる。喫煙欲を刺激しないために、タバコ関連のものを目につかないようにする方法である。(場合によっては自ら費用を負担して)自分の選択肢を自ら狭める行為と解釈することもできる〔……〕。経済学で広く信じられていることに反して、選択対象が多過ぎて不適切なものが入っていると、個人の厚生(効用・幸福度)はかえって低くなる。消費者の厚生は、実際に選択・消費されるものだけでなく選択肢にも依存すると考えられるのである。タバコが入手可能であると、選択を歪めたり費用をともなう自制を必要としたりして、厚生が低くなると推察される。
 自由主義の観点からすれば、個人の選択対象は多いほど好ましい。自由度が高まり、より好ましい選択ができるからである。しかし、自己拘束を肯定する観点からすると、選択対象が多いことは自己拘束の必要性を高め、厚生の低下に帰結することもある。