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『快感回路――なぜ気持ちいいのか なぜやめられないのか』(David J. Linden[著] 岩坂彰[訳] 河出文庫 2014//2011//2011)

原題:The Compass of Pleasure: How Our Brains Make Fatty Foods, Orgasm, Exercise, Marijuana, Generosity, Vodka, Learning, and Gambling Feel So Good (Penguin Books)
著者:David J. Linden(1961-)  神経科学。
訳者:岩坂 彰(1958-)  翻訳。
イラスト:Joan M. K. Tycko
カバーデザイン:木庭 貴信[こば・たかのぶ](オクターヴ
カバー装画:©Gary Waters/Ikon Images/amanaimages
カバーフォーマット:佐々木 暁[ささき・あきら] 
件名:脳
件名:快・不快
NDLC:SC364
NDC:491.371 生理学 >> 中枢神経:脳・脊髄の生理,心理学的生理学
備考:サブタイトルについて。奥付、出版社のサイトでは「なぜ気持ちいいのか なぜやめられないのか」と全角スペースで分かち書きしている。公共図書館では空白を省いている。


文庫版『快感回路』のカバー装画。


【目次】
目次 [003-006]
題辞 [008]


プロローグ 009
  快感研究の意味


第1章 快感ボタンを押し続けるネズミ 017
  快感(報酬)回路の発見
  不道徳な実験
  若干の科学的解説
  薬物の働き
  ドーパミンパーキンソン病
  パーキンソン病患者のギャンブル依存症
  動物の快感(報酬)回路
  すべては快感回路に還元できるのか


第2章 やめられない薬 041
  文化による薬物の好み
  ローマ時代のアヘン
  一九世紀アイルランドエーテル
  ペルーのアヤワスカ
  二〇世紀の処方薬パーティ
  酩酊への本能的欲求
  向精神薬の分類
  向精神薬と脳内の受容体
  快感のタイプと依存症
  依存症の進行
  長期増強(LTP)の発見
  長期増強と依存症の形成
  依存症の進行につながる神経化学的変化
  依存症の遺伝要因
  遺伝がすべてではない
  依存症者の責任


第3章 もっと食べたい 093
  肥満度を脳に伝えるホルモン
  満腹感を脳に伝える仕組み
  身体の仕組みはダイエットに抵抗する
  摂食行動と快感回路
  肥満の遺伝要因
  肥満とドーパミンの関係
  外食産業の戦略
  安全な痩せ薬の開発に向けて
  ストレスが引き起こす肥満
  ストレスと依存症
  薬物依存と過食の共通性


第4章 性的な脳 129
  人間は性的に特殊な動物
  動物の多様な性行動
  恋愛する脳
  脳における恋愛と性的興奮の違い
  同性愛者と異性愛者の脳
  女性の脳と身体反応のズレ
  オーガズム時の脳
  快感のないオーガズム
  薬物とオーガズム
  セックス依存症
  セックスに余韻をもたらすオキシトシン
  単婚型と乱婚型のハタネズミ
  ハタネズミから人間へ


第5章 ギャンブル依存症 169
  ギャンブル依存のリスク要因
  不確実性の快感
  脳が報酬の価値を調整する
  ギャンブル依存症者も快感に鈍感
  ゲームが引き出す快感
  人間はどんなものでも報酬にできるのか


第6章 悪徳ばかりが快感ではない 199
  ランナーズハイ
  身体的な痛みと感情的な痛み
  痛みと快感回路
  瞑想状態の脳
  神秘体験
  慈善の快感
  社会的評価を受ける快感
  隣人との比較が快感回路に影響する
  情報そのものが快感を導く
  快感を変容させる人間の能力


第7章 快感の未来 229
  カーツワイルの予測
  カーツワイルのシナリオはいつ実現するか
  遺伝子スクリーニングで依存症リスクを予測
  快感回路スキャンの応用
  対症療法的な薬物治療
  これからの依存症薬物治療
  電極埋め込み法の限界
  ニューロンを操作する光学的技法
  もしニューロンの操作が可能になったなら
  快感の社会環境


謝辞 [258-260]
訳者あとがき(二〇一一年一一月 岩坂彰) [261-264]
文庫版訳者あとがき(二〇一四年六月 岩坂彰) [265-267]
原注 [268-297] ([i-xxx])




【図表一覧】 ※簡単な説明を勝手に加えた。

図1-1 自分の快感回路を刺激するラット(J. Olds & P.M. Milner(1954)から) 020
図1-2 ヒース博士の患者(C.E. Moan & R. G. Heath(1972)の実験から) 023
図1-3 ラットの脳の快感回路 027
図1-4 ドーパミンが働くシナプスの図 029

図2-1 アヤワスカ作製中の写真(Luis Eduardo Luna博士撮影) 052
図2-2 ヘロインの作用、ニコチンの作用 065
図2-3 漫画(Joey Alison Sayersの『I'm Gonna Rip Yer Face Off!』より “Five minutes comic”) 069
図2-4 LTPの説明 078
図2-5 コカイン依存症になったラットの側坐核の中型有刺ニューロンを顕微鏡で観察した写真 085

図3-1 [上段]レプチン伝達の模式図 [下段]通常のマウスと、レフト遺伝子を持たないオビーズ・マウス 097
図3-2 視床下部の内側基底部に見られる、摂食をコントロールする回路 102

図4-1 ボノボのメス成体の同性愛行動 135
図4-2 オーガズムを測定する直腸圧プローブのデータ 152
図4-3 [上段]内側前脳快感回路の一部 [下段]小脳深部 153

図5-1 不確実性に快感を見出すかを(サルを用いて)(VTA標的領域を計測した)W. Schultzらの実験 179
図5-2 ハンス・ブライターらの実験(被験者が金銭的な損得を期待・経験する際の反応を検証する実験)の設計 186
図5-3 クラークらによる実験における、スロットマシンのニアミス画面 189
図5-4 ギャンブル依存症者と対照群の脳スキャン画像 192
図5-5 単純なビデオゲームを用いたアラン・ライスらの実験 194

図6-1 ハーボーらの実験における、側坐核の活性化を匿名寄附と引き落とし(課金?)で比較 218
図6-2 快感が経験により変容していくことを表した模式図 227

図7-1 脳にはニューロングリア細胞が詰まっている(透過型電子顕微鏡で撮影した写真) 235
図7-2 1951年に描かれた科学技術の未来としての原子力自動車 237
図7-3 光学的技法(生体多光子顕微鏡法)により脳の表面から0.5 mm奥を画像化 250





【抜き書き】


□178 註釈に神経経済学が登場。

 最近、サルやラットの実験から別のモデルが提案されている。それによると、脳はもともとある種の不確実性に快感を見出すようにできているという(認知神経科学の文献では、快感ではなく「報酬的」という用語が使われる)。

[10]近年、人間の意思決定について心理学的、神経生物学的に追求する本がいくつか出て、一般の関心を引いている。この分野はニューロエコノミクス(神経経済学)と呼ばれるようになった。たとえば Dan Ariely, Predictably Irrational: The Hidden Forces That Shape Our Decisions (New York: Harper Collins, 2008) 〔邦訳:『予想どおりに不合理』熊谷淳子訳、早川書房〕、 Jonah Lehrer, How We Decide (New York: Houghton Mifflin, 2009) 〔邦訳:『一流のプロは「感情脳」で決断する』門脇陽子訳、アスペクト〕などがある。脳内の快感回路は意思決定の中心であり、この点について詳しく説明したいところだが、これについては広く語られているので、ここでは我慢する。ニューロエコノミクスについてすでに何冊かお読みで、このテーマの基礎となる神経生物学と計算理論についてもっと深く知りたいという方には、Montague, Why Choose This Book? How We Make Decisions(New York: Dutton, 2006) をお勧めする。

 ケンブリッジ大学のウォルフラム・シュルツらが、サルにコンピューターの画面を見せ、近くのチューブから甘いシロップを出すときに画面上に合図を表示するようにして訓練する実験を行った。同時に、サルの脳に埋め込んだ電極でVTAの個々のニューロンの活動を記録した。〔…略…〕



□p. 205-207 快感と痛みと倦怠

  身体的な痛みと感情的な痛み 

 一八世紀の終わり頃、イギリスの哲学者ジェレミーベンサムが有名な言葉を残している。「自然は人間を二つの独立した支配者の下に置いた。痛みと快感だ。人間のあらゆる行為、あらゆる発言、あらゆる思考はこの二つに支配されている。この服従を逃れようと努力をすることはできるが、そのすべては結局、その服従を証明し、確認するだけに終わる」[9]。現在蓄積されている神経生物学的証拠からすると、ベンサムは半分だけ正しかった。快はたしかに人間の心の働きの指針となり、美徳へも悪徳へも導いてくれる。痛みも同じだ。しかし、痛みと快は一本の棒の両端ではない。そう考えるだけの理由がある。快の反対は痛みではないのだ。愛の反対が憎しみではなく無関心であるのと同じように、快の反対は痛みではなく倦怠、つまり感覚と経験への興味の欠如なのである。

[9]Jeremy Bentham, An Introduction to the Principles of Morals and Legislation (1789; rev. 1823; reprint, Oxford: Clarendon Press, 1907), 1.

 快感と痛みが同時に感受されうるということは、SM好きでなくともわかる。ベッカーの実験のように長距離ランナーは苦しみながらも至福を味わっているし、出産時の女性もそうだ。認知神経科学の言葉遣いで言うと、快感も、痛みも、共にサリエンス(顕現性)を示すということになる。つまり、それは潜在的に重要な経験であって、注意を向けるに値するということだ。情動とはサリエンスの通貨である。多幸感や愛のようなポジティブな情動も、恐怖や怒りや嫌悪のようなネガティブな感情も、どちらも、それは無視してはならない出来事だということを告げるものなのだ。 
 第4章で、てんかん発作や電極による脳刺激で、快感や感情を伴わないオーガズムが生じることがあるという話をしたのを覚えておいでだろうか(155ページ)。通常私たちはオーガズムを(あるいはどんなことでも)統合知覚として経験するけれども、こうした特殊な事例から、オーガズムには実際には、脳の別々の領域に由来する感覚的・識別的な要素と快感・情動の要素とがあるということがわかる。
 痛みについても同じだ。感覚的・識別的経路は視床の外側部、つまり正中から離れた部分を走り、触覚や筋の感覚に関係する皮質(一次体性感覚野)に通じている。いっぽうこれと並行して、痛みの情動感覚に関わる経路が、視床内側部を通り、島と前帯状皮質という二つの情動中枢に達している。
 視床外側部の経路にのみ損傷を受けた人は、痛覚刺激に対して不快感を報告するが、刺激の具体的な性質(鈍い痛み、鋭い痛み、冷たい、熱いなど)を表現したり、痛む場所を特定したりできない。内側の情動経路だけに損傷を受けると、反対に痛覚失象徴と呼ばれる状に陥る。痛覚刺激の質や場所はわかるが、そこに感情的な重みを伴わないのだ。痛覚失象徴の人には、痛覚刺激を受けると反射的に痛みを避けようとする(そして反射的に顔をしかめる)など正常な反応を見せるが、その痛みにそれほど煩わされないように見える。
 日常会話ではよく「心の痛み」や「苦痛に満ちた社会的状況」というような表現が聞かれるが、これは言葉の上の単なる比喩なのだろうか。それとも実際に身体の痛みを感じるのと同じ激しい情動を経験しているのだろうか。最近の研究で蓄積されてきた証拠からすると、「心の痛み」を感じているときは、身体的な痛みの経路のうち視床の内側部が活性化し、外側部が活性化していないようだ。ごく軽度の社会的苦痛(グループから除外される、ゲームで仲間に裏切られるなど)を与える実験から、こうしたときに島と前帯状皮質が有意に活性化していることが証明されている。「心の痛み」は単なる比喩ではない。脳の活動に関する限り、それはたしかに身体的な痛みと共通する部分を持つのだ。



・岩坂彰による「訳者あとがき」。黒字強調は引用者による。

□pp. 261-262 依存症の捉え方について。

 もう一つの結論は、依存症とは、人間が持つある能力の裏返しだということである。その能力とは、何でも望みの対象を(生存や繁殖の必要性とは無関係に)快感刺激にしてしまえる柔軟性である。この柔軟な能力も依存症も、共に、脳のニューロンのある種の物理的・構造的変化を基盤にしている。その変化は、学習や長期記憶のメカニズムとも同種のものなのだ。
 このような結論から著者は、悪徳と快感に対する社会の見方が見直されることを期待するが、訳者としてはもう一つ、依存症者本人が、自分の身体と脳の状態についてこうした生物学的な認識を持つことで、回復への力にしていただけるのではないかという希望を持っている。
 著者はこう言う――依存症の発症は本人の責任ではないかもしれないが、依存症からの回復は本人の責任だ、と。〈意思の力〉ではどうにもならないことがある。しかしどうにかなることもある。たとえいったん形成されたニューロンの物理的構造を元に戻すことができなくても、それに対抗する他の接続を意図的に形成することはできる。自分の責任ではないこと。自分に責任のあること。そういう見方をすることで、自分を責め続ける依存症者は少しばかり苦悩から解放されるかもしれない。このことは依存症者ばかりでなく、脳神経の機能に起因する各種の障害に苦しむ人たちについても言える。本書は、鬱病や不安障害の患者さんや家族のみなさんにも読んでいただければと願っている(その場合、読者の負担が大きいようなら、プロローグ末尾の著者の要望には反するけれども、科学的說明の詳細はすっとばしていただいてもかまわないだろう)。

□独特な用語(と訳)

 著者は、主観的な快感とともに活性化が観察される脳内の組織を〈快感回路〉(pleasure circuis)と呼ぶ。この表現はあまり一般的ではなく、脳科学の分野ではふつうこの神経回路は〈報酬系〉(reward system)と呼ばれている。本書の中でも、学術的な記述の中ではところどころ「報酬」という言葉遣いが顔を出す。当初はこの pleasure circuit を〈報酬回路〉と訳出しようかとも考えたが、実験心理学の研究書でもなく、快感という人間の主観的体験に視野を広げている本書では、快感回路という表現がふさわしいと考え直した。

□pp. 263-264

 第1章の末尾で、すべての快感はこの回路に還元されるかという問いを立てた後、著者はこう書いている。「快感回路が単独で活動しても、色合いも深みもない無味乾燥な快感が生じるだけだ」。快感は、「記憶や連想や感情や社会的意味や光景や音や匂いで飾り立てられて」はじめて力を持つ。そのようなトータルな体験の中でこそ、報酬は快感となるのだ。 
 著者リンデンには、『つぎはぎだらけの脳と心』(The Accidental Mind 、夏目大訳、インターシフト)という前著がある。〔……〕その中で著者は、脳科学の分野では、分子レベル、細胞レベルの説明と、人間の行動や意識のレベルの説明の間に、まだまだ大きなギャップがあると指摘している。〈報酬〉と〈快感〉の問題は、そのギャップの一つの表れだと言えるだろう。本書で著者は、その欠落したギャップの両側、〈快感〉体験レベルと〈快感〉回路レベルの両方を統一的な視点で捉えようとしているのだ。