著者:前川 一郎[まえかわ・いちろう](?-)
著者:倉橋 耕平[くらはし・こうへい](1982-)
著者:呉座 勇一[ござ・ゆういち](1980-)
著者:辻田 真佐憲[つじた・まさのり](1984-)
装丁:橋爪 朋世[はしづめ・ともよ] ブックデザイン。
件名:歴史観
NDLC:G13
NDC:201.1 歴史学
【目次】
はじめに(編著者) [001-014]
本書の目的――歴史認識問題の現状を正確に把握し、未来を考えるきっかけを作る
三つの論点
「歴史コミュニケーション」を広げていく
目次 [015-022]
第一章 「歴史」はどう狙われたのか?――歴史修正主義の拡がりを捉える[倉橋耕平] 023
はじめに
1 日本版歴史修正主義の展開とその特徴 026
「慰安婦」像をめぐって
脅迫と嫌がらせ
利用された大衆文化
歷史修正主義元年
安倍首相の足跡
新たなフェーズ
2 「歴史」をめぐるヘゲモニー争い 039
ヘゲモニー争い
排外主義と歴史修正主義
人権問題と歴史修正主義
歴史修正主義と女性蔑視
3 歴史から神話への「気づき」 047
希求しながら歴史から逸れていく歴史修正主義
「縄文ブーム」
歴史を超える歴史修正主義
4 専門知はもはやいらないのか 057
もう少し複雑な世界
平等観の問題?
おわりに
第二章 植民地主義忘却の世界史――現代史の大きな流れのなかで理解する[前川一郎] 065
はじめに
1 忘却された植民地主義 067
植民地支配の歴史
植民地問題が注目された「例外的」国際会議
植民地問題が外交問題に発展しなかった二〇世紀後半
2 妥協を強いられた植民地の独立 073
「解決済み」として独立したケニア
国際社会から制裁を受けたジンバブウェ
開発援助による植民地問題の「解決」
3 冷戦の終焉と「謝罪の時代」 079
動き始めた清算の歴史
なぜ九〇年代だったのか
国際社会の「正義の記憶」
「謝罪の時代」を後押ししたグローバリゼーション
4 日独両国に共通する加害者意識の欠如 085
一筋縄ではいかない「過去の克服」
法的責任を認めないドイツの戦後措置
植民地統治下で起こったジェノサイド
植民地主義を不問に付した、日本の戦後処理
「慰安婦」問題は解決したのか
問われているのは法的責任、植民地主義の“違法性”
5 ヨーロッパの戦勝国の描く植民地主義史
賠償ではなく、未来志向の経済支援
謝罪を拒絶し続けるイギリス
おわりに――いま、ようやく「歴史」が「狙われる」ようになった
第三章 なぜ 加害の歴史を問うことは難しいのか――イギリスの事例から考える[前川一郎] 107
はじめに
個別の犯罪事案を植民地支配全体の責任から切り離す「選別的思考」
「栄光の下水処理」
1 植民地主義を肯定する“中立的”歴史観 113
功罪両論併記の歴史教育
イギリス社会に染み渡る「選別的思考」
2 「アムリットサルのキャメロン」 119
頭を下げても、謝罪しないイギリス
植民地統治の「良かったところがあったとしたら、私たちはこれを称えるべき」だ
キャメロン訪印に一定の評価を下すメディア
3 イギリス政府に受け継がれてきた「選別的思考」 127
事件当時の政府の対応
ハンター委員会最終報告書と政府の対応
エリザベス二世の訪印
法的責任実践と「選別的思考」の皮肉な関係
4 「選別的思考」を受け入れる日本 138
「国際社会のなかの日本」という見立て
近現代史再評価と歴史修正主義のあいだ
国際社会をどう捉えるか?――むすびに代えて
第四章 「自虐史観」批判と対峙する――網野善彦の提言を振り返る[呉座勇一] 147
はじめに
1 網野善彦と「新しい歴史教科書」 152
「自由主義史観は戦後歴史学の鬼子」
「自由主義史観は右からの国民的歴史学運動」
2 「自虐史観」批判にどう反論するか 166
「自由主義史観こそが自虐史観」
国民的歴史学運動のトラウマをどう克服するか
歴史教育と歴史学の敗北
おわりに
第五章 歴史に「物語」はなぜ必要か――アカデミズムとジャーナリズムの協働を考える[辻田真佐憲] 183
はじめに
1 「人間の生物的な限界」と「メディアの商業主義」 186
アカデミズムとしての歴史とジャーナリズムとしての歴史
「実証主義的マッチョイズム」の弊害
「思想的潔癖主義」の弊害
2 キャッチフレーズの活用 194
安全装置としての「物語」
保守派の物語――教育勅語、君が代、御真影
キャッチフレーズ活用の実例
3 「大まかな見取り図」と座談会文化の見直し 202
「一冊でわかる」「早わかり」はすべてトンデモか
「鋼のメンタル」だけが生き残る?
信頼関係を醸成した座談会文化
それでも「健全な中間」を模索すべき
第六章 【座談会】「日本人」のための「歴史」をどう学び、教えるか 214
歴史学だけの問題ではない
曖昧になった右左の概念
主張のパッケージ
学知に閉じ籠っていた歴史学
歴史を概観する図式を描けなくなった歴史学
フラットな社会
歴史学と歴史教育のあり方
植民地主義を学校でどう教えるのか
「植民地になればよかった」
国民史の物語
学校だけが歴史教育の場ではない
「良質な物語」をいかに作るか
学知と社会――外に出ることの意味
学知と一般社会の乖離
おわりに(二〇二〇年六月一三日 前川一郎) [249-253]
日本語参考文献 [254-257]
執筆者紹介 [258]
【メモランダム】
・木畑洋一による書評(in『立命館アジア・日本研究学術年報』)。
なお、件の騒動(本書の著者の一人である呉座勇一がSNS上で女性研究者を執拗に侮辱していたことが明るみになった件。報道の例)についての「追記」と「編者による応答」が、書評の末尾に付されている。
https://ritsumei.repo.nii.ac.jp/index.php?action=repository_view_main_item_detail&item_id=15079&item_no=1&page_id=13&block_id=21
(追記)レポジトリのURLが変更された。 https://www.ritsumei.ac.jp/file.jsp?id=503125