著者:押村 高[おしむら・たかし](1956-) 政治思想史、国際関係論、ナショナリズム研究。
NDC:319 外交.国際問題
『国際正義の論理』(押村 高):講談社現代新書|講談社BOOK倶楽部
【目次】
目次 [003-006]
はじめに 007
ある書簡と演説
しょせんは正義よりパワーではないか
グローバル化と正義論のリバイバル
日本にとっての国際正義
「善く生きる」ことを選択した戦後日本
第一章 正義に「国境」ができるまで 021
1 ポリスの正義 022
神話的世界では
アリストテレス
ポリスの正義とポリス間の無正義
異邦人の視点
2 古代コスモポリタニズムからアウグスティススへ 029
キケロ曰く
善き人間
世俗的正義の凋落
3 十字軍と宗教改革 035
異教徒との戦いは神によって正当化される
キリスト教徒がなぜ不正を働くのか
カトリック的正義の崩壊
世俗的境界【原文ママ】の台頭
第二章 「国際正義」の誕生と変転 045
1 主権国家あるいは民族の正義 046
正義の国有化
プレーヤーの減少がもたらしたこと
合意は拘束する、他国を害してはいけない
民族の正義
道義的白紙委任
2 商人の道徳、カントの平和論 056
商業道徳は国境を超える
国家同士の関係にも
カントと近代コスモポリタニズム
現状の維持から理念の追求へ
3 環境と人道がふたたび「国境」を無化する? 061
理想的ルール変じて……
ドナウ川の汚染、チェルノブイリの恐怖
無過失責任
ステークホルダー理論を応用する
国内アクターにもグローバルな責任
「人間の安全保障」
生存権ではなく政治的権利としての主権
第三章 正義の交錯としての戦争 073
1 主権が発動されるとき 074
どちらが不正か
グロティウスの論理
無差別戦争観
歴史という「世界法廷」
勝算かあれば……
戦い方のルール
「中立」という手段
2 戦争違法化の夢をシュミットは嗤う 085
第一次世界大戦という悪夢
衝撃の余韻
戦争の違法化へ
ケロッグ=ブリアン条約
シュミットの批判
3 第二次世界大戦の戦後処理と正義 093
全体主義国家の挑戦
宥和政策の果て
第一次大戦に学んでいた戦勝者
戦争を犯罪として裁く
反実仮想と原爆投下の道義性?
第四章 人道的介入 105
1 「カント的世界」の自責 106
「新しい戦争」の時代
擬似国際正義の誕生
「カント的世界」の市民の道義感覚
マイケル・イグナティエフは言う
武力介入の是非
介入してしまえば比較検証はできない
合法的な介入とは
2 対テロ戦争をめぐって 118
多くの知識人までもが
深刻な波紋
民主的帝国の使命
アメリカの過剰な自負心
単一の超大国を説得できない脆さ
3 国際刑事法廷と真実和解委員会 125
「移行期の正義」
国際刑事法定のメリット
ガチャチャ
歴史の正しき位置づけによる修復
むずかしい問題も
第五章 貧困の放置は不正なのか 135
1 地球的な不平等 136
国家間のすさまじい所得格差
アマルティア・センの視角
風土原因論と西欧責任論
独立から数十年が経過して
これまでの責任概念の限界
2 豊かな国が支える歪んだ体制 146
一九九七年のアジア通貨危機
体制こそが不平等を生む
最低限の義務の不履行――ポッゲの責任論
構造的不正――ヤングの責任論
3 債務の軛 153
わずかな見とおしに希望を託すが……
グローバリズムにも責任
ネオ・リベラルは不道徳か
第六章 行動する主体と責任 161
1 ケーパビリティー・アプローチ 162
「誰が」「誰に」
善意ではなく義務として――シンガーの解決法
権利の主体と対象の曖昧さ
生きるに足る生活を得るための能力
さらなる議論を戦わせれば
2 ロールズ問題 170
むしろアンチ・コスモポリタン
その国の政府に任せるほうが……
現実的で、保守的になる理由
ロールズを超えて
3 国内的社会正義と国際的連帯義務 179
一市民としての行為なら
こと税金となると
コスモポリタンvs. コミュニタリアン論争
実際上は
第七章 文明と正義 185
1 時代により、地域により 186
文明の数だけ
単数から複数へ
とどめを刺したのは
「世界価値観調査」から見えること
正義による統合の危うさ
2 「文明の衝突」への回答 193
経験的に共通項を見出すには
通約不可能な部分
アメリカの国内正義は手がかりになるか
契約論的な正義
カッコにくくる
3 対話のルール 200
公と私の分離の限界
対話のルールと対話者の責任
カントによる自己の普遍的超越
ハーバーマスの『コミュニケイション的行為の理論』
スミスの「公平な観察者」とセンの「不偏不党」
第八章 人権をめぐる文明間対話 209
1 世界人権宣言 210
「西洋の正義」の結晶
圧倒的多数の賛成で
紙切れの威力
ヘルシンキ・プロセス
2 イスラームと共有可能な人権とは 215
ウィーン会議
シャリーアとよ抵触
カイロ宣言とアラブ憲章
3 アジア的価値観 220
リー・クアンユーは説く
共同体の維持を優先させた理由
一九九七年の金融危機以降
「対話の積み重ね」がグローバルな正義への道
創造的対話とコミュニケーション
あとがき(二〇〇八年 八月 押村高) [229-232]
主要参考・引用文献 [233-238]
【メモランダム】
個人的なメモ。
・文献
ハーシュマン『情念の政治経済学』 56頁
ギャディス『ロング・ピース』 106
マイケル・イグナティエフ(Michael Ignatieff)、Human Rights as Politics and Idolatry. 添谷育志・金田耕一[訳]『人権の政治学』(風行社 2006年) 111頁
・用語
ガチャチャ〔※gacaca ルワンダ語〕 130頁
・誤植? 「世俗的境界の台頭」 41頁の小見出し。
【抜き書き】
・100-104頁から2箇所抜粋した(下線は引用者によるもの)。
事後的に戦争責任を問う理屈と、不公平性(連合国は罪に問われてなかったこと)と、原爆投下を正当化する理屈。
◆戦争を犯罪として裁く
第二次世界大戦の勝者たちは、戦争責任を個人化して、法廷で首謀者や上官を裁くという試みをおこなった。これは、刑罰的正義の戦争への組織的な適用であり、歴史を画するできごとともいえる。平和に対する罪、戦争犯罪、人道に反する罪を犯した人間、あるいはそれらの犯罪行為の停止を命ずる立場にいたにもかかわらずそれをしなかった上官は、その作為、不作為の責任を問われる。このような先例をつくることで、同種の犯罪の再発を防ぐことができると考えた。
このような期待を担って設けられたのが、ニュルンベルク国際軍事裁判(一九四五〜四六年)と極東国際軍事裁判(いわゆる東京裁判、一九四六〜四八年)であった。いずれも裁判(法廷)と名がついてはいるが、基本的には占領中の戦勝者が中心となり、個人化できる犯罪のみを取り上げて懲罰を施すという図式で成り立っていた。
大陸ヨーロッパの罪刑法定主義の立場からみれば、あらかじめ告知のなされていない罪は罪として問うことが許されず、さらにまた、刑罰や量刑を事後的につくりだすことは法治主義とは相容れない。しかし連合国は、英米の慣習法の立場から、ハーグ陸戦法規、ケロッグ=ブリアン条約その他により侵略戦争の違法性は明らかであったと考え、それにもとづく正義を一九四一年以降の戦争にも適用した。
このような経緯からすれば、二つの裁判を昔ながらの「戦勝者の復讐」にすぎないと評することも不可能ではない。とくに、西洋文明にいる英米が同じ文明の一員であるドイツ人を裁いた場合と違って、東京裁判は、ヨーロッパ文明の正義を異なる文明に適用したという意味で、その正当性や衡平性に大きな疑問が投げかけられることがある。
最大の疑問は、この法廷で戦勝者の犯罪、とくに戦時国際法違反も裁かれたか否かであろう。実際、アメリカはドレスデン、東京、広島、長崎その他地域において非戦闘員を無差別空爆し、それぞれ数万から十数万の犠牲者を出した。
正戦論の基準からいえば、非戦闘員を攻撃目標にしてはならないという選別性、あるいは加えられた不正と加える懲罰のあいだに確保されるべき比例関係を失しており、これは明らかに不正である。この点から見ると、戦後の二つの戦争裁判は、「戦勝者の犯罪を誰が裁くか」という根本かつ最大の問題にまで決着をつけることはできなかった。
「西洋文明にいる英米が同じ文明の一員であるドイツ人を裁いた場合と違って、ヨーロッパ文明の正義を異なる文明に適用した」という記述がある(下線を引いた部分)。
日本はたしかに中華文明圏であるが、明治期から英米独仏を範にした近代国家となっている(法制も軍隊も)。ということは、東京裁判の時点までに、近代国家としてほぼ三世代は経過していたことになる。だから一口に日本と欧米は「文明が違う」とだけ表現して済むのかは怪しい。
また、英米とドイツが同じ文明としているが、(その直前の段落で著者が意識しているように)大陸法と英米法の差異は無視できないと思う。
そのような疑問点がある以上、東京裁判を「文明」という観点で語ることはふさわしくないと思う。まだしも、人種(John Dower(1986) 'War Without Mercy'など)を軸に置くほうがましだと思う(すくなくとも、明治維新の前後で日本人の人種カテゴリが揺らいだかもしれない……という迷いは生じない)。
◆反実仮想と原爆投下の道義性?
戦争の位置づけがいったんは確定しても、その解釈には周期的に修正主義が登場する。時間の経過とともに、「勝者もこれだけ不正を犯したではないか」という申し立てが可能になるからである。先に述べた原爆投下の道義性についていえば、アメリカ人は明らかに人道に反する兵器を「二度も」使用したという自責とどう戦っているのだろうか。
アメリカが原爆投下に正当性を付与するさいには、反実仮想的な正義が用いられる。「沖縄で敗北した日本は米軍の上陸を想定して九州の守りを固めていた。もし原爆を投下しなかったら、九州上陸作戦で米兵十万が犠牲になったであろう。ゆえに、犠牲の総数を減らすという点で原爆投下は必要性〜正当性にかなっていた、という解釈がそれだ。
あるいはまた、原爆を投下しなければ、日本は「銃後と竹槍三百万本」を動員して上陸軍に抗戦したであろう。すると、原爆投下は戦争を早期に終結させることで日本人の犠牲をも大幅に減らしたことになる。さらに、「戦争が長引いていれば、ソ連が北海道への上陸作戦を開始し、日本が分断国家になった可能性もある」などという推理を展開しつつ、勝者は、みずからが犯した不正を反実仮想上の「より大きな不正」に照らして解毒するのである。
アメリカの想定に現実味があったかどうかについて、歴史家によって論争が闘わされてきた。最近の実証史学は、九州上陸作戦の犠牲者が不当に多く見積もられていたこと、あるいはアメリカが最初から原爆を投下するつもりで時機を見はからっていたこと、原爆投下の目的が日本降伏の時期を早めることよりソ連を南下させないことにあったこと、などの仮説を呈示している。
敗者日本もまた、たとえば「アメリカが石油の禁輸を課さなかったなら真珠湾を攻撃する必要はなかった」などと想像を逞しくして戦争解釈を修正し、反撃することができないわけではない。しかし、このことによって、日本軍による真珠湾への奇襲、暗がりでの銃剣突撃、捕虜の虐待までが、より大きな不正を阻止するために必要であったと述べることはむずかしい。
もし日本が連合国側に勝利していたならば、日本が戦犯法廷を設けて英米のアジア植民支配、英米の日本弱体化のための共同謀議を裁いていたかどうか。歴史にifは禁物といわれるが、歴史家を挑発する疑問ではあるまいか。