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『正義とは何か――現代政治哲学の6つの視点』(神島裕子 中公新書 2018)

著者:神島 裕子[かみしま・ゆうこ](1971-) 
NDC:311.1 政治哲学


正義とは何か|新書|中央公論新社


【目次】
まえがき [i-iv]
目次 [v-viii]


序章 哲学と民主主義――古代ギリシア世界から 003
  古代ギリシア世界
  ソクラテスの「無知の知
  プラトンの「哲人王」
  「哲学とデモクラシー」


第一章 「公正としての正義」――リベラリズム 019
1 ロールズ『正義論』の背景――「私には夢がある」  020
  哲学者ジョン・ロールズ
  『正義論』のインパク
  『正義論』の時代的背景
  ロールズの教室

2 正義原理と「無知のヴェール」 032
  功利主義批判
  正義の二原理
  社会的協働
  アリストテレスの分配的正義論との相違
  リベラルな分配的正義
  ロールズの思考実験  
  公正としての正義
  理想化された私たちの判断

3 ロールズ以降のリベラリズム 055
  何の平等か――基本的ケイパビリティ
  何の平等か――資源
  何の平等か――機会
  「福祉国家」の哲学的基礎?


第二章 小さな政府の思想――リバタリアニズム 071
1 古典的リベラリズムという源流 072
  ロックの自由論
  ロックの所有権論
  ロックとキリスト教の世界観
  アダム・スミスと自愛心
  アメリカ独立宣言
  現代的リベラリズムとの分岐

2 リバタリアニズムの四類型的 088
  アナーキズム――無政府資本主義1
  ロスバードの思考実験――無政府資本主義2
  課税は国家による窃盗――無政府資本主義3
  ノージック――最小国家論1
  ノージックの思考実験――最小国家論2
  保有物の正義――最小国家論3
  左派リバタリアニズム
  福祉リバタリアニズム

3 「森の生活」――もうひとつの可能性 105
  ソローの森の生活
  現代アメリカの隠者
  ユートピアのための枠


第三章 共同体における善い生――コミュニタリアニズム 113
1 サンデルと「共通善にもとづく政治」 114
  サンデルはコミュニタリアン
  サンデルのロールズ批判
  「共通善にもとづく政治」の提唱
  「中立性」批判
  ロールズ正義論への影響

2 共同体の「美徳」を取り戻せ 126
  マッキンタイアの物語論
  ジェーン・オースティンの評価
  「真価」について
  コミュニタリアニズムの現在

3 国境を越える共同体は可能か 136
  サンデルと公民的美徳
  ウォルツァーの正義論
  グローバルな「一のなかの多」?


第四章 人間にとっての正義――フェミニズム 147
1 「われわれ」からの排除――女性はいつまで「他者」なのか 148
  啓蒙が足りなかった?
  ジェンダー論へ
  ロールズの女性観
  カント的フェミニズム
  リベラル・フェミニズム

2 社会契約説とケイパビリティ・アプローチ 164
  社会契約からの女性の排除
  ケイパビリティ・アプローチ

3 個人を支える政治 173
  地位の獲得における不正義
  裁判と哲学
  性別は個性である
  法の力


第五章 グローバルな問題は私たちの課題――コスモポリタニズム 181
1 「私たち」の課題としてのグローバルな問題 182
  グローバルな不平等
  グローバルな貧困
  コスモポリタニズム

2 コスモポリタニズムの正義論 191
  社会契約説
  功利主義
  人権説
  カント主義

3 さまざまな具体的提案 201
  1 寄付
  2 世界税――地球資源説
  2 世界税――グローバル基金
  2 世界税――その他
  3 ヘルスケアワーカーの移動規制
  4 正義の水行主体としての多国籍企業
  企業の責務をどう捉えるか


第六章 国民国家と正義――ナショナリズム 213
1 国家主義 214
  ロールズの『諸人民の法』
  「人民」とは
  人権の効力
  ロールズコミュニタリアニズム
  ロールズの反コスモポリタニズム
  ロールズ以降の国家主義

2 リベラル・ナショナリズム 230
  ネーションとは
  ナショナリティについて
  ミラーのグローバル正義論
  ナショナルな責任と正義の間隙

3 愛国心は誰にとっての正義なのか 241
  難民の境遇
  国を愛するということ


終章 社会に生きる哲学者――これからの世界へ向けて 253
  美しい国をつくる民主主義
  多層社会を生きる哲人市民
  この世界で希望を持ち続けるために


あとがき(二〇一八年七月 地鏡きらめく上町台地にて 神島裕子) [263-264]
参考文献 [265-271]




【抜き書き】


□以下、第一章の総括部分から。
・ allocationとdistributionの差

◆「福祉国家」の哲学的基礎?
 本章を閉じるにあたって、ロールズ流の正義構想を実現するためのコストの問題について触れておきたいと思います。
 ロールズは『正義論』で税と再分配の制度について詳しく述べていました。政府による公共財の供給とソーシャル・ミニマムの保障を賄うためのメインの租税として、「個人の消費支出を課税ベースとする「定率の支出税」を提案しています。〔……〕つまり、どれだけ消費したかに応じて徴税するというのです。また、基本財を分配するための政府の関連諸部門として、配分部門、分配部門、安定化部門、移転部門が考察されています(ロールズは「配分 (allocation)」と「分配 (distribution)」を明確に区別していて、前者は効率を重視する場合、後者は公正を重視する場合に用いられています)。

ロールズ流の正義論と福祉国家の理念との差の説明。

 このようにして見ると、ロールズ正義論は福祉国家の哲学的基礎を提供するものであるように見えます。しかし、ロールズ自身は「福祉国家」という言葉を用いませんでした。なぜならロールズの狙いは「事前的な」分配状態をより平等にすることにあり、「事後的な」再分配に専念する福祉国家の狙いとは異なるからです。

こうした課税や規制のねらいは、歳入を引き上げる(政府に諸資源を引き渡す)ことにあるのではなく、段階的・継続的に富の分配を是正し、かつ政治的自由の公正な価値および公正な機会均等にとって有害な権力の集中を阻むところにある。たとえば累進税率の原理が〔遺産・遺贈の〕受領者の取り分に適用されるだろう。これによって、所有(財産)の広範な分散が促される。平等な諸自由の公正な価値が維持されるべきだとすれば、所有の分散は必要条件のひとつであるように思われる。 (ロールズ『正義論』)


  所有(財産)の広範な分散。ロールズは、〔……〕この理念を〈財産所有のデモクラシー〉と呼びました。そしてエリン・ケリーによって編集され、最晩年の2001年に刊行された『公正としての正義 再説』のなかで、この理念について積極的に語っています。日く、格差原理の効力が十分に発揮された社会は、形式的平等だけを保障する「自由放任型資本主義」とも、不動産(生産財と天然資源)の所有における甚大な格差を許容する「福祉国家型資本主義」とも、「基本的諸自由」を侵害する「指令経済を伴う国家社会主義」とも異なるそうです。
 しかしロールズは、生産手段の所有形態については、オープンな問題として残しました。〔……〕
 自由市場があれば、正義の二原理の効力によって、公正な社会は維持しうる――本章で見てきたように、ロールズ正義論が社会全体の福祉の増大のなかで確実に守ろうとする諸個人の〈不可侵なるもの〉とは、基本的諸自由のことでした。〔……〕天然資源や生産手段の取得と遺贈を含む所有権は、含まれていないのです。個人的財産とその排他的使用権が限定的に認められる理由は、人びとの「個人的な独立と自尊の感覚とが両方とも道徳的能力の適切な発達と行使にとって必須であるがゆえに、それらのために十分なだけの物質的基礎を与えるということにある」(ロールズ『公正としての正義 再説』)と考えられているからです。
 したがって、社会的・経済的な格差を活用して「最も不遇な人びと」の生活を底上げするというロールズ正義論の目論見は、経済(成長)の諸条件によっては、うまくいかない可能性があります。社会的協働がもたらす物質的な果実が少ないとき、社会的最低限の生活レベルをどこに設定するかは、切実な問題となるでしょう。
 〔……〕ロールズが『正義論』を準備した1960年代のアメリカは、社会的協働の物質的な果実の分配が期待できる成長と安定の時代だったのです。
 ロールズの正義論では、個人のために存在する社会は協働の冒険的企てであるがゆえに、そこに生きる諸個人は偶発性によって生じる有利・不利を分かち合い、社会的最低限の暮らしを相互に支えあうことになります。〔……〕自由で合理的な人であれば、社会のメンバーとして生きるうえで必要とするとされる基本財が、社会の基礎構造を通じて分配されるのです。〈正義とは何か〉に対するロールズの回答は、この意味での公正な社会の実現です。



□154-156 著者(神島)より、(コミュニタリアン的な家族観を持つ)ロールズへのツッコミ。

 男性中心主義を批判する視点――フェミニズム――からの正義への要求に対して、現代正義論はどのように応答してきたのでしょうか。 
 ロールズは『公正としての正義 再説』のなかで、「女性が、自分の子供を養い育て面倒をみるという仕事の不相応な負担を背負ってきており、また背負い続けているということは、女性に対する長きにわたる歴史的な一つの不正義である」と述べています。さらに、「法は、規範あるいは指針として、妻の育児労働を依然として一般的であるように妻がこの重荷を背負っている場合、婚姻中に彼女の夫が稼ぐ所得の平等な分け前に与る権限を彼女に与えるものの一つに数えるべきである。もし離婚ということになれば、妻は、婚姻中に生じた家族資産の価値の増加分に対して平等な分け前をもつべきである」ともしています。
 しかし、ロールズ正義論において女性が登場するのは、家族のなかだけです。さらにロールズは、家族を社会の基礎構造の一部としながらも、「正義の二原理」を家族の内部生活に直接適用しようとはしませんでした。市民としての観点からすると、家族は基礎構造の一部として正義原理の制約を受けるものであるが、家族のメンバーとしての観点からすると、各々の家族にふさわしい内部生活のために正義原理の適用が制限される理由があるというのです。〔……〕
 指摘したい点は二つ。一つは、こと家族の問題に関しては、ロールズの見解はかなりコミュニタリアンに接近しているということ。ロールズにとっての家族は社会が介入すべきではない特別な共同体(聖域)なのです。もう一つは、「うちの家族」にはふさわしくないとして「正義の二原理」を撥ねつける権限を持っているのは誰かが暗に示されているということ。〔……〕決定権者として男性家長が想定されていることが窺えます。〔……〕
 しかし、無知のヴェールの背後にいる当事者たちは自分の性別を知らないはずですし、家族内部における兄弟姉妹間の社会的・経済的な不平等も望まないでしょう――男なら大学に行かせてもらえるが、女なら義務教育後は働くか結婚させられる、〔……〕などなど。
 だとすると、ロールズには家族を「私的領域」として守りたいという思惑があり、またそうすることがなぜだか女性に不利益を生じさせないという思い込みがあったのではないかと推測されます。〔……〕しかし、家庭は市民となる子どもたちに正義感覚を身につけさせる場であるというロールズの想定をもってすれば、問題は深刻です。男性による女性の支配構造を、子どもたちは日々の生活の、それも愛着関係のなかで、引き受けるようになるのですから。



□pp. 228-230 


・グローバルなジャスティスという視点の欠落について

 ロールズは、相対的に貧しい諸国家の人びとの感情への共感可能性を閉ざし、それら国家が資金を借りられる協同組合銀行の制度や、公正な貿易制度などがあれば十分だとしています。
 もう一つの見解は、貧困の原因は国内にあるというものです。曰く、各国の政治文化やそのメンバーの誠実さと勤勉さ、イノベーション能力などや、そうしたものにもとづく人口政策の失敗や低い投資率などが原因である。資源が乏しいながらも経済成長を遂げた日本と、資源が豊富ながらも深刻な貧困がはびこったままのアルゼンチンを対比すれば、天然資源の有無は問題ではない、などなど。
 このように貧困を国内問題とし、国際的/グローバルな原因を探ろうとしない立場を、ボッゲは「説明的ナショナリズム」と呼んでいます。ポッゲは開発経済学におけるこうした立場を批判する際にこの名称を用いたのですが、ロールズの国際正義論にも類似の批判が当てはまりそうです。『大不平等』のミラノヴィッチも、ロールズが富と機会の国際格差を各国の選択の結果と見なしていることを問題視しています。
 ロールズの構想には、グローバルに見て人権が侵害されている諸個人はいるけれども、「最も不遇な人びと」は存在しません。社会の秩序は人為であり、人びとが偶発性に身を任せる必然性はないというロールズの信念は、国境で止まっているかのようです。すべての個人は自由で平等であるというロールズの道徳的直観は、〔……〕コスモポリタニズムを受け入れさせるはずだ――こう信じていたポッゲは、ロールズの国際正義の構想を「哲学的歪曲」として批判しています。


・トマス・ネーゲル、そしてマイケル・フリーマンの難点。

ロールズ以降の国家主義 
 ロールズのように、社会的・経済的な正義の問題を国内問題とする立場を、「国家主義」と呼ぶことにしましょう。
 哲学者のトマス・ネーゲル(1937‐)は、グローバルな問題へのロールズのアプローチを、「正義の政治的構想」によるものとして支持しています。これは、正義を包括的な道徳体系から導出するのではなく、特定の政治的価値として理解する構想のことです。曰く、国家内部の市民は国家外部の人間とは共有しない特別な関係、なにより強制権力の共有という関係にあり、特定の政治的価値に根ざして生活している。国内正義とグローバル正義は性質の異なるものであり、それぞれの原理も異なる。なかには既に獲得された権益を政治的価値とし、またそれを正義の基準としている国家もある。そのため、国家間の既得権益の格差はやむをえないものであり、いま「特権のない諸国」の人びとが被っている不正義は、未来の正義と相殺されればよい……。〔……〕
 ロールズ産業の中心人物として知られるサミュエル・フリーマンも、ロールズのアプローチを支持しています。その理由は、社会的・経済的な分配的正義は社会的協働を前提とし、その社会的協働は自分たちの社会的・経済的な運命を政治的に決定するという人民の能力と民主国家を必要とする、というものです。〔……〕
 ともにロールズの弟子であるネーゲルとフリーマンの国家主義には、「正義とは強者の利益に過ぎない」という序章で検討したプラトンの対話篇の登場人物トラシュマコスとカリクレスの現実主義のかけらが見て取れます。既得権益のある国家や社会的協働がうまくいっている国家の外部にいる人びとには、説得力に欠ける議論だからです。
 特にフリーマンの説は整合的ではないように思われます。フリーマンは、国際的な諸制度によってグローバルなビジネスと労働慣行を規制し、労働者を搾取から守る必要性を説いていますし、実例としてアメリカの大企業ウォルマート開発途上国で村々の全村民を雇用してたった一製品しか生産していないことを問題視しています。〔……〕2016年のウォルトン一族の純資産は約13兆円となっています。ウォルマートアメリカで納税しているとして、そのビジネスの利得をアメリカ人民だけで社会的協働の果実として分かちあうことは、はたして正当なのでしょうか。
 そもそもロールズの正義論は、ただ右から左に富を再分配することだけを求めているのではなく、経済権力を分散し、政治権力の集中を防ごうというものでした。グローバル社会における〈対等な人民としての暮らし〉を実現するためにも、国家主義による国際正義論は参考程度にとどめておくべきものだと言えます。



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『正義論の名著』(中山元 ちくま新書 2011)
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『国際正義の論理』(押村高 講談社現代新書 2008)
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『世界正義論』(井上達夫 筑摩選書 2012)
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ロールズ正義論の行方―その全体系の批判的考察[増補新装版]』(渡辺幹雄 春秋社 2000//1998)
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『正義のアイデア』(Amartya Sen[著] 池本幸生[訳] 明石書店 2011//2009)
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