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『ロールズ正義論の行方――その全体系の批判的考察[増補新装版]』(渡辺幹雄 春秋社 2000//1998)

著者:渡辺 幹雄[わたなべ・みきお](1967-) 政治学、政治思想。
装丁:吉野 淳一
装丁:関 和美
NDC:321.1 法哲学


ロールズ正義論の行方 - 春秋社 ―考える愉しさを、いつまでも
※新装版(2012年)


【目次】
増補版への序 [i]
はじめに [ii-iv]
目次 [v-ix]
引用略号一覧 [x-xiv]

題辞 [003]


第一章 ロールズ革命――何が新しいのか? 005
一 J・S・ミルの『自由論」以来の…… 006

二 「社会契約論」の文脈で――「高度の抽象化」とは何を意味するのか? 012

三 「社会的選択理論」の文脈で――「拡張された共感」? 056


第二章 『正義の理論」から「政治的リベラリズム」へ――ロールズは転向したのか? 077
一 何が、なぜ変わったのか? 082

二 何が変わらなかったのか? 123
  (一)「合理的」(rational)と「道理的」(reasonable) 124
  (二)「道徳的」(moral)と「政治的」(political) 133
  (三) 原初状態、無知のヴェール、手続的正義 143
注 164


第二章補論 R・ローティのロールズ解釈 167
注 171


第三章 ロールズ政治哲学の基本構造――何が、どうカント的なのか? 173
一 ロールズ正義論の分析論的考察 175
  (一) 反照的均衡 175
  (二) 構成主義 182

二 ロールズ正義論の弁証論的考察 219
  (一) 「人格の区別」に関するアンチノミー 220
    Why Maximin Principle Ir-rational? ――ハーサニのロールズ批判(一)
    Why Maximin Principle Un-reasonable? ――ハーサニのロールズ批判(二)
    Taking Rationality, or “the distinction between persons” Seriously ――ゴティエ【David Gauthier】のハーサニ=ロールズ批判
  (二) 「方法論」に関するアンチノミー 266
  (三) 「手続的正義」に関するアンチノミー 270
  (四) 「道徳的価値」に関するアンチノミー 278

注 313


第四章 ロールズとの対話――何が問題とされたのか? 315
一 アローと向き合う 316

二 ノージックと向き合う 337
  (一) 正義即ち社会の原理?
  (二) 自由はパタンを崩壊させる? 

三 ハートと向き合う 359


終章 ロールズ正義論の行方 381


付章一 『正義の理論』改訂版(一九九九年)――回顧的ロールズ論 389
一 不可解な出来事――下衆の勘ぐりを交えて 389

二 二五年前のロールズ――修正主義の始まり 392
  (一) 二つの修正主義 393
    第一の修正主義――「合理的選択」から「リベラルな人格の構想」へ
    第二の修正主義――「基本財」の道徳主義的再定義
  (二) 架空版「正義の理論」 402
    原初状態からの論証――「二つの比較」
    「福祉国家」批判

注 406


付章二 『諸国民の法――「公共的理性の観念・再考」とともに』(一九九九年)―― R・ローティへの急接近 409
一 「公共的理性」とは何か? 410
  (一) 政治的リベラル、即ちスキゾフレニック・リベラル 411
  (二) 複数のリベラリズム――リベラリズムのコア 417

二 「諸国民の法」――国際的正義論 424
  (一) 「手の届く範囲で普遍的」(universal in its reach) 425
  (二) 「手の届く範囲」の限界的周辺 443
  (三) 「手の届く範囲」の外 448

三 小括 452

注 454


あとがき(著者) [461-463]
増補版あとがき(著者) [463-464]
参考文献 [9-14]
事項索引 [4-8]
人名索引 [1-3]






【抜き書き】


pp. 283-284

 こう述べた後、ロールズは自然な貴族主義の「高貴な義務」の構想に触れているが、それはおよそ真剣な考察の対象にはなっていない。結局リベラルな平等も自然な貴族主義も、ともに二つの道徳的に恣意的な要素を正しく扱えていない、という点で失敗しているのである。ここに言う二つの要素とは、社会的な偶然(例えば社会環境)と自然的な偶然(例えば天賦の才)であって、偶然の影響を排除するには、単にどちらか一方では不完全である。なぜなら、道徳的な視点からは、二つとも同じく恋意的である」(『正義論』、75頁) から。
 こうして、ロールズ正義論の屋台骨が出来上がる。社会環境や自然の事実などから生じる偶然は、それが道徳的に恣意的であり、誰一人それを受けるに足るだけの道徳的資格を持たないから、道徳原理の選択の舞台からは排除されなくてはならない。ここに「価値」(desert)、「偶然」、そして「恣意」からなる道徳の鉄のトリアーデが完成し、かの「道徳判断の不動点」に集約される。

「誰一人(no one)、社会でのその最初の出発点を我がものとする資格がない (deserves) のと同様に、生得的資産の分配におけるその地位を、自分のものにする資格はない deserves) のだ。これこそ、我々の道徳判断の不動点の一つである。」

 このメタ倫理学的判断は、ロールズ正義論のあらゆる側面を拘束してゆく。実際、ロールズの説く社会契約とは、このメタ倫理学的判断の形式化に過ぎない。原初状態の中に当事者たちを押し込むと、無知のヴェールによって彼らは、個体に関する一切の偶然的情報――自然の偶然と社会環境の偶然に関する知識――を剥奪される。このとき、偶然的情報とはすべて経験的属性であるから、当事者たちは、各人の経験的属性についてまったく知らないことになる。これによって、平等の民主主義的構想の前半部、すなわち、生来の資質や社会環境の差異に対する是正が、原初状態の形式的構造によって実現される。さらに、無知のヴェールは将来の見通しなどに関して極度の不確実性を招来するから、当事者たちはマキシミン原理に訴えかける。つまり、格差原理を受け入れるのである。これによって、民主主義的構想の後半部が形式的に実現される。(一方、平等のリベラルな構想は、社会環境については無知のヴェールをかけるが、生得的な資質に関しては情報を認める。これによって社会環境の差異は是正されるが、おのれの才能や能力を認知している当事者は、一定の将来的見通しを立てることができる――つまり、不確実性の程度が低い――から、マキシミン原理、すなわち格差原理に訴えることはないであろう。)実に、ロールズ正義論とは、かかるメタ倫理学的で直観的な道徳判断を、形式的構造の力を借りて論理的に演繹する試みにほかならない。反照的均衡とは、直観的な道徳判断と論理的で形式的な演繹の一致を表すのである。道徳的価値に関するメタ倫理学的な議論こそ、まさしくロールズ正義論の原点であって、すべての構想はそこから流れ出している。それだから、ロールズ正義論全体の成否は、ひとえにこのメタ倫理学的な議論の有効性に依拠しているのだ。