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『日中戦争への道――満蒙華北問題と衝突への分岐点』(大杉一雄 講談社学術文庫 2007//1996)

著者:大杉 一雄[おおすぎ・かずお](1925-) 日本開発銀行。現代史。
NDC:210.74 日本史


『日中戦争への道 満蒙華北問題と衝突への分岐点』(大杉 一雄):講談社学術文庫|講談社BOOK倶楽部

 1931年に起こった満州事変。それはそのまま日中戦争への引き金となったのか。ひき続く満州国建国から停戦協定、蘆溝橋事件、「国民政府を対手とせず」声明まで、日本と中国の関係は必然的に軍事衝突を結果するしかなかったのか。満蒙・華北問題の解決に向けた外交的展開、軍部の動き、思想面での主張を吟味、戦争への道を具に検証する。


【目次】
はしがき 
目次
地図
凡例
タイトル
題辞


  第I部 満州事変とは何であったのか 

第一章 ポスト満州事変 
  塘沽停戦協定
  なぜ緩衝地帯を必要としたのか
  停戦協定はなぜ破られたか
  唯一成功したクーデタとしての満州事変
  事変直後の中国政策
  事変後の国際関係
  満州だけで止めておけば
  満州国の将来
  つかの間の平和の日々
  昭和八年の日本
  昭和九年の日本
  広田「和協外交」
  蠢動する軍部――「梅津・何応欽」「土肥原・秦徳純」協定
  独走する軍部
  中国三原則
  昭和十年の国内情勢
  マスコミ論調
  英米からの批判
  天羽声明
  広田三原則
  日中「三原則」の比較
  大アジア主義 I
  大アジア主義 II
  西園寺公望の批判
  広田外相論
  過ぎた妥協と大勢順応
  内政上の責任
  「石原現象」
  今村均の批判


第二章 満蒙問題とその「解決」|満州事変 
  満蒙特殊権益
  限定されていた既得権益
  日本大陸政策の原点
  満州中国人の抵抗
  「満蒙の危機」
  中国ナショナリズムとの対立
  満州青年連盟
  中国の国権回復運動――「革命外交」
  日本国民の対中国感情
  東支鉄道回収策の失敗
  幣原・重光外交
  いよいよ高姿勢の「革命外交」
  重光葵の打開努力
  万宝山・中村震太郎事件
  慎重だった軍中央の満蒙政策
  軍の単独行動を意図せず
  「大綱」に不満な関東軍
  満州事変直前の情勢
  マスコミと世論
  軍部の扇動
  体制上層部の動き
  現地・中央の共同謀議か
  中国「革命外交」の破綻
  戦争の性格
  幣原外交の限界
  オルタナティブ――国際連盟への提訴
  国際連盟反対の「幣原信条」
  神川彦松の国際連盟委任論
  委任の形式A・B・C式
  軍中央の解決策
  事変直後の世論
  朝鮮軍の独断越境を追認
  対連盟日本政府案
  関東軍のペース
  「昭和の西南戦争」論
  協力内閣への動き
  犬養毅首相の解決案
  上海事変を解決
  斎藤実内閣と政党内閣の終わり
  満州国承認の動き――焦土外交
  満州国承認
  ポイント・オブ・ノーターン
  外務省の抵抗
  承認を保留しておれば
  リットン調査団報告書――自衛行動と自主独立を否定
  リットン報告書の結論
  連盟脱退の責任者


第三章 満蒙問題の総括 
  満州族のいない満州国
  「宣統帝擁立ハ時代錯誤」との幣原外相電
  日本帝国主義の原点
  後進資本主義国の苦悩
  膨張主義国民感情
  日本帝国主義と満蒙
  中国ナショナリズムへの理解不足
  安易な武力行使
  国際協調の実態
  国際協調への努力
  最初の破壊者
  日本の世論
  マスコミ論調
  吉野作造の批判
  横田喜三郎石橋湛山の批判
  石橋湛山の満蒙放棄論 I
  新満蒙放棄論
  石橋湛山の満蒙放棄論 II
  満蒙放棄論の問題点
  満蒙問題はどうすればよかったか


第四章 石原莞爾批判 
  石原莞爾イデオロギー
  満蒙領有論
  「王道主義」と「民族協和」
  「内面指導」される国家
  橘樸の理論化 I ――王道主義治農業国家論の矛盾
  橘樸の理論化 II ――民族協和
  軍事支配下の「民族協和」
  佐藤安之助の批判
  石橋湛山の批判
  世界最終戦争論
  宗教的な戦争哲学
  諸悪の根源
  東亜連盟論
  その良質な部分
  石原の限界
  昭和天皇と石原
  むすび


  第II部 日中戦争への道 

第一章 戦争前史〈一九三五年〉 
  このころの中国政治情勢
  隴を得て蜀を望む――「華北自治運動」
  高橋亀吉の分析
  華北分離工作
  批判・迎合・抵抗
  「リース・ロスの幣制改革」
  改革の内容
  日本の対応
  マスコミ論調
  幣制改革成功の原因
  幣制改革の評価
  日本の対策――軍事的圧力の強化
  黄東・冀察政権の成立
  二つの「自治政権」
  「広田外相の行方不明」
  英米の批判と反論
  黃東密貿易
  密貿易の実態


第二章 戦争前史〈一九三六年〉  
  二・二六事件と軍部
  統制派と皇道派
  河合栄治郎二・二六事件批判
  日中関係の険悪化――テロ事件の頻発
  成都事件・北海事件
  「第一次北支処理要綱」と天津軍の増強
  対ソ軍事戦略
  一九三五、三六年危機説
  「国策ノ基準」
  英米との戦争を予定せず
  「第二次北支処理要綱」
  進まない華北経済開発計画
  重要産業五ヵ年計画
  黄東政権解消問題
  川越・張群会談 I
  日本の要求事項
  中国の回答――共同防共を容認
  中国の真意
  強硬な海軍とマスコミ「重大化」報道
  慎重な陸軍
  海軍の意図
  海軍の政策転換案
  挫折した海軍の意図
  有田外交の失敗
  日独防共協定
  有田外交小論
  川越・張群会談 II
  中国の主張
  「綾東偽軍」の蠢動
  交渉決裂の原因
  マスコミ論調
  根源は満州問題
  綾東偽軍と綏遠事変
  典型的な「石原現象」
  西安事件
  国共合作への道


第三章 戦争前史〈一九三七年〉 
  宇垣一成組閣断念・林銑十郎内閣成立
  宇垣内閣を阻止した石原莞爾
  佐藤尚武外相の登場
  佐藤外交の反響と評価
  陸軍の政策転換
  石原と佐藤
  中国再認識論
  矢内原忠雄支那問題の所在」
  その他の中国再認識論
  外交界にも再認識論起こる
  中国側の反響
  日中親善経済使節
  「第三次北支処理要綱」
  黄東政権解消問題
  中国の態度
  近衛内閣の成立
  近衛の中国認識
  重要な意味をもった外相人事
  中国再認識論の後退
  政治犯大赦問題
  近衛内閣の政策と海外からの批判
  風見章の登用
  中国の対日政策
  噛み合わない日中の政策
  中央化を進める中国政府
  冀察政権の面従腹背的対日態度
  小手先の融和政策も失敗
  一触即発の危機


  第III部 日中戦争の拡大は防げなかったか 

第一章 日中戦争の勃発と拡大 
  盧溝橋事件――七七事変
  軍部の対応
  拡大派と不拡大派
  出兵声明と近衛の強硬姿勢
  廬山声明――四原則の主張
  廊坊・広安門事件と内地師団動員
  悲劇、通州事件の真実
  まぼろしに終わった石原の日中首脳会談提案
  広田・風見・近衛の責任
  中国蔑視のあまり
  杉森久英の見方
  外務省の和平工作
  船津工作案の内容
  日本の全面的譲歩案
  惜しかった船津工作
  川越大使の独断専行
  第二次上海事変
  八月十三日、日中本格交戦に入る
  日中全面戦争へ――第二次国共合作
  上海出兵問題
  中国の雰囲気と激しい抵抗
  蒋介石の立場
  蒋介石の「持久戦論」
  蒋介石の世界戦略 I
  蒋介石の世界戦略 II
  トラウトマン調停
  中国、当初は拒否
  再考して受諾の意向を表明
  南京への道
  政戦略の不一致
  「按兵不動」の策
  「ビスマルク的転回」
  傀儡政権樹立の動き
  和平条件の加重
  日本の新和平条件
  誰も和平を信じなかった新提案
  中国、具体的細目条件の提示を要求
  一・一六声明「国民政府ヲ相手ニセズ」――ポイント・オブ・ノー・ リターン
  参謀本部の反対
  石原の影響力
  海軍の態度
  近衛・広田・木戸ら
  参謀本部の譲歩
  帷幄上奏するも達せず
  一・一六声明の検証
  微妙な中国側の反応
  一・一六声明以後
  統帥権というもの
  統帥権の限界


第二章 人々はどのように戦争をみたか 
  盧溝橋事件直後の国民世論
  萩原朔太郎の「北支事変」観
  小林一三の「北支事変天佑論」
  知識階級の見方
  河合栄治郎日中戦争
  河合の「日支問題題論」
  河合の満州事変論
  河合の満州事変論に対する批判
  河合の日中戦争論に対する批判
  河合の反ファシズム国家主義
  河合の国家論・戦争論の特徴
  河合の真意は?
  戦争を阻止し得た道


むすび 
  戦争へのプロセス要約
  戦争を避け難くした基本的要因


原本あとがき(一九九五年十一月一日 大杉一雄
学術文庫版あとがき(二〇〇七年十一月一日 大杉一雄
主要参考文献





【抜き書き】

「はしがき」より。

 われわれが戦争に至った歴史を学ぶのは、日本および日本人はどのような状況に置かれていたのか、そのなかでどのような間違いを犯してあのようなことになったのか、ということを知り、歴史の教訓を得ようとすることにある。逆にいえばどのようにすれば、あの悲劇を避け得たのかということを知ることにある。〔……〕。
 このような問題意識は、〔……〕歴史の進行は人知、人力の及ぶところではないとするような、いわば決定論的な歴史観からは出てこないかもしれない。また〔……〕そのほかの道はあり得なかった、という硬直した思考からも出てこないであろう。筆者は歴史は人間の意思によって主体的に創造されてゆくものと考えている。そういうと、その意思が何によって規定されるのかということが問題とされるが、それは決して単純に一元的に決定されるものと考えるべきではない。〔……〕戦争が必然であるならば、誰の責任を問うべきなのであろうか。一度起こった歴史的事実は否定し得ないが、それと他の選択肢によって得られるだろうものと比較することによって、現実の結果をもたらした人々の責任を明確にすることができるのである。



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