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『ポストコロニアル〈思考のフロンティア〉』(小森陽一 岩波書店 2001)

ポストコロニアル (思考のフロンティア)

ポストコロニアル (思考のフロンティア)

【目次】
はじめに [iii-x]
目次 [xi-xii]


I 開国前後の植民地的無意識 001
1 大陸・半島・列島の地政学 001
  大陸の開国/列島の開国/「尊皇攘夷」と自己植民地化/半島の非開国
2 「文明開化」と植民地的無意識 011
  「万国公法」の内面化/植民地主義の実践/「文明」「半開」「野蛮」の三極構造/「征韓論」の両義性/「帝国」の擬態としての「台湾出兵
3 「脱亜論」的植民地主義の形成 025
  擬態〔ミミクリー〕と養子関係〔アフィリアリティ〕/「不適切な模倣」による植民地主義の激化/「琉球処分」という名の植民地化/「半島」での危機と軍拡路線/清仏戦争と「朝貢外交」圏の崩壊/「脱亜論」的歪み/「国民精神」の地政学/自己オリエンタリズムのまなざし/戦争ができる「国家」への欲望


II 植民地的無意識への対抗言説 049
1 「廻転」と「小廻転」 049
  「日本人の眼」/「進歩」への疑い/「矛盾」としてのナショナリズム
2 日露戦争植民地主義 056
  「猫」と日露戦争/『坊っちゃん』のコロニアル・バイナリズム
3 朝鮮の植民地化と『門』 062
  伊藤博文暗殺の理由/階級と植民地/「韓国併合」への過程
4 植民地主義と「浪漫主義」 074
  就職先としての植民地/「探偵」と植民地支配/「高等遊民」と戦費調達


III 敗戦後の植民地的無意識 083
1 象徴天皇制と植民地的無意識 083
  外からの脱帝国主義化/植民地化と三つの戦後/象徴天皇制と沖縄の要塞化/非対称な鏡像関係/朝鮮半島分断に対する日本の責任/差別化された鏡の喪失/「被害の神話」の起源
2 戦後における「文明」と「野蛮」 099
  切断された過去/優位から劣位へ/「野蛮」な過去としての「独裁主義」/「文明」「進歩」としての民主主義/野蛮」な「独裁主義」としての「共産主義」/レッド・パージと「単独講話」
3 植民地主義と戦争責任 113
  「単独講話」と賠償問題/「二つの中国」と戦争責任の曖昧化/「反共主義」と戦争責任の無化/高度経済成長と新植民地主義歴史教育とアジア蔑視/家永教科書裁判「日韓条約」/経済援助という名の新植民地主義ライシャワーの近代化論とアジア排除/自らの問題としての「脱植民地化」


IV 基本文献案内 135


あとがき(2000年4月4日 小森陽一) [141-143]




【抜き書き】
p. v 

  ここまでの記述を読んでいただければおわかりのように、本書が『ポストコロニアル』と命名されたのは、現在の私たちが、自らの実践として、植民地主義とその遺産を批判していく行為を実際に遂行していくうえでは、“ポストコロニアル”という形容詞を、それ自体として被修飾語から切り離した方が、戦略的な価値があると判断したからである。
  もちろん、こうした戦略をとる以上、“ポストコロニアル”という修飾語の後に、どのような名詞が被修飾語としてついたとしても、それについて論じ、批評するという責任=応答性を引き受ける覚悟を決めなければならない。

p. 31

  ホミ・バーバは、植民地化された地域の人々が、宗主国の文化や言説に対して、「適切な模倣」〔ミミクリー〕をすることを強いられ、結果として宗主国の論理に「占有」〔アプロプリエイト〕されてしまうプロセスに対して、「不適切な模倣」〔マックリー〕、すなわちずらしやあざけりのパロディーをとおして、自分たちを表現する可能性があることを示した。その意味で、「不適切な模倣」は、脱植民地主義的な言説の一つの論理的な可能性として示されたわけだが、日本の植民地主義の発生を考えるうえでは、手放しでこの論理を、植民地主義に対抗するものとして位置づけることはできない。
  なぜなら、日本における植民地主義的意識の発生は、「万国公法」圏の論理に対しても、「朝貢外交」圏の論理に対しても、同時に「不適切な模倣」をすることによって成立したからである。同時に、この「不適切な模倣」は、「万国公法」の建て前としての、主権国家同士の条約による対等な外交関係という化けの皮を剥いでしまい、弱肉強食の、〔……〕パワーポリティクスの論理を、剥き出しにしてしまったのである。