著者:斎藤 環[さいとう・たまき] (1961-) 思春期・青年期の精神病理学、病跡学。ラカン派の精神分析。評論。
著者(対談):宮崎 哲弥[みやざき・てつや](1962-) 評論。
NDC:140.4 心理学
備考:巻末の対談は、「諸君!」二〇〇三年六月号に掲載されたもの。
2009年には河出文庫におさめられた。巻末には、著者による「文庫版あとがき」と、樫村愛子による「解説」が付されている
心理学化する社会 :斎藤 環|河出書房新社
【目次】
はじめに [001-008]
〈こころ〉がブーム?
誰が、人間の専門家なのか
癒しブームとトラウマ・ブームは表裏一体
サブカルチャーと精神医学にまたがる流行現象
「心理学化」の潮流はどこへ向かうのか
目次 [009-013]
I章 表象されるトラウマ ▽Part1 書籍・音楽編 015
サイコ・ミステリーへの疑念
「壮絶な人生」が羨望される?
メガ・ヒット音楽の背後にみえるトラウマ
「表現者」と「受け手」の関係の何が変わったか
サブカルチャーとしての「メンヘル」系
カジュアルになった自傷行為
II章 表象されるトラウマ ▽Part2 ハリウッド映画編編 037
「ベトナム戦争もの」の神経症的トーン
リ・メイクにみえる「心理学化」の徴候
恋も冒険も戦いもあらゆる物語が…
病跡学とコメディ、そして勧善懲悪
トラウマ表現の法則
二つの究極――『ザ・セル』と『CURE』
III章 精神医学におけるトラウマ・ムーブメント ▽PTSD、多重人格、ACにおける濫用 059
精神医学における「心理学化」
PTSD、多重人格そしてAC
大衆的に消費されたAC概念の不幸
「自称AC」によるトラウマ語り
トラウマという概念の出典
「心的現実」というフロイトの思想
トラウマの結果は予測できない
「トラウマの因果律」が踏みにじるもの
IV章 カウンセリング・ブームの功罪 ▽来談者中心の弊害、そして心のマーケット 081
あこがれの職業、カウンセラー
心の専門家のナワバリ意識
精神医療とカウンセリングの違い
心理学とは、そもそも何か
臨床心理学はいかにして普及したか
「心の専門家」はいらない?
来談者中心療法の“弊害”とは
ロジャース理論の思想的問題
心理検査のなにが問題か
教育現場における「カウンセリング・マインド」
「心のケア」は必要なのか?
「心のマーケット」は心の専門家がつくる?
「心の市場」からの解放は可能か
「心の市場」における中間化の過程
「ブラックジャック」に任せられるのか
V章 事件報道にかつぎ出される精神科医 ▽「不可解な犯罪」を物語化する欲望 123
少年犯罪をめぐるコミュニケーションの貧しさ
少年犯罪を消費する欲望
病理性を投影できる空虚なスクリーン
コメンテーターとしての精神科医
連続幼女殺害事件の教訓
精神鑑定の困難さと恣意性
「虚構と現実の混同」という物語
「宮崎勤」を契機として変質したもの
「心の専門家」の身の処し方
VI章 こころブームから脳ブームへ? ▽「汎脳主義」への批判 149
「心理」から「脳」へのさらなる退行?
優秀な脳科学者の変節
「知の巨人」の放言
ADHD、LD概念の功罪
「ゲーム脳」論者の知的不誠実さ
「心」と「脳」のスペック化
終章 「心理学化」はいかにして起こったか ▽ポストモダン、可視化、そして権力 167
「心理学化」を準備したもの
精神分析以後の「患者」
システム論的に病み、癒される時代
狂気の広く薄い拡散
境界例における「ポストモダン的シニシズム」
「近景」と「遠景」の媒介なき接続
メディアの発達による「心」と「身体」の接近
「媒介する/される」ことへの欲望
心理学におけるグローカリゼーション
心のモジュール化
「心の視覚化」による葛藤の表層化
視覚化による「解離」の流行
実存への欲望としてのトラウマ語り
自己コントロールへの欲望
規律訓練型権力から環境管理型権力へ
複数のレベルにおける心理学化
「心の科学」の倫理
巻末対談 「社会の心理学化」がもたらしたもの〔宮崎哲弥 VS 斎藤環〕 213
心理学化する社会
フロイト先生は落ち目
思想として自立できるか
精神鑑定の信頼性
軽くなった精神病
悪しき器質主義
ACも方便
多重人格は実在するのか
ミクロコスモスの集合体