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『古市くん、社会学を学び直しなさい!!』(古市憲寿 光文社新書 2016)

著者:古市 憲寿[ふるいち・のりとし](1985-) 
著者:小熊 英二[おぐま・えいじ](1962-) 
著者:佐藤 俊樹[さとう・としき](1963-) 
著者:上野 千鶴子[うえの・ちづこ](1948-) 
著者:仁平 典宏[にへい・のりひろ](1975-) 
著者:宮台 真司[みやだい・しんじ](1959-) 
著者:大澤 真幸[おおさわ・まさち](1958-) 
著者:山田 昌弘[やまだ・まさひろ](1957-) 
著者:鈴木 謙介[すずき・けんすけ](1976-) 
著者:橋爪 大三郎[はしづめ・だいさぶろう](1948-) 
著者:吉川 徹[きっかわ・とおる](1966-) 
著者:本田 由紀[ほんだ・ゆき](1964-) 
著者:開沼 博[かいぬま・ひろし](1984-) 
対談構成:斎藤 哲也[さいとう・てつや](1971-) ライター。編集者。
装幀:Alan Chan(1950-) 陳 幼堅。インテリアデザイン。
イラスト:浜本 ひろし(1960-) まるはま。漫画、イラストレーション。
本文デザイン:TYPEFACE
備考:月刊『小説宝石』(光文社)での連載を加筆し新書化。
備考:全体的に口語で統一されている。また、「はじめに」と「おわりに」と、章ごとにある「〜さんについて」を除く箇所(約93%)が対話形式になっている。
備考:この記事冒頭では、著者として13人の氏名を並べている。そして少し悩んだが、interviewerにあたる古市氏のみを記事タイトルに置いている(他の12人はinterviewee)。


古市くん、社会学を学び直しなさい!! 古市憲寿 | 光文社新書 | 光文社


【目次】
はじめに [003-009]
目次 [010-013]


I 小熊英二先生に「日本の社会学」を聞く! 014
  小熊英二さんについて
  日本では、社会学者は評論家として流通している
  社会学は社会をわしづかみにする学問?
  いま、何をしたら社会学になるのか
  七〇年代以降、社会を縮約する対象はなくなった
  プラトンが偉大だから読むわけじゃない
  分析は裏切られるほうが、面白い
  余裕を失いつつある日本
  古市くん、「日常」から脱しなさい!


II 佐藤俊樹先生に「社会学の考え方」を聞く! 038
  佐藤俊樹さんについて
  なぜ「社会学」の存在感は大きくなったのか
  外側に立った瞬間に“イタい”社会学者になる
  社会学が確実に使える瞬間
  二大巨頭の理論を学ぶことが社会学だった時代
  大澤真幸宮台真司の違い
  どうすれば社会学的な思考は身につくか
  長持ちする社会学者の条件
  これからの社会学は進歩するのか


III 上野千鶴子先生に「社会学の使い方」を聞く! 062
  上野千鶴子さんについて
  社会学とは何か
  社会学者はシャーマンである
  保守本流と一般読者との間で
  研究と運動は両立するか
  社会学セールス・レディのミッション
  問いのない人は社会学に来なくていい
  古市くん、プロの研究者になりたいの?


IV 仁平典宏先生に「社会学の規範」を聞く! 086
  仁平典宏さんについて
  社会学の共通財産
  社会学は脆弱な根拠で成立している
  社会学者を踏み越える一線
  「社会学者」という肩書を使うリスク
  文体がつくる共同性
  ボランティア研究を始めた動機
  若手研究者の生きる道


V 宮台真司先生に「社会学の衰退」を聞く! 110
  宮台真司さんについて
  反啓蒙主義としての社会学
  レヴィ=ストロースが共通の古典だった
  一般理論を作ろうとした最後の世代
  一般理論の構築から方向転換した理由
  社会学を成立させる土台が壊れてきている
  社会学ほど「知恵を与えてくれない」ものはない
  社会学は半年で習得できる
  ハッタリの効用


VI 大澤真幸先生に「社会学のチャレンジ」を聞く! 134
  大澤真幸さんについて
  人は誰もがフォーク・ソシオロジスト
  原初の社会学
  いい社会学者とダメな社会学
  社会学者としてのチャレンジ
  構築主義への違和感
  自分がワクワクしなければいけない
  社会学は生きるのが不器用な人のための学問
  プロの社会学者を名乗るには?


VII 山田昌弘先生に「家族社会学から見た日本」を聞く! 158
  山田昌弘さんについて
  就活で「社会学」をどう説明するか
  ニッチな分野を研究する強み
  学会に入ることの意味
  ジャーナリストと社会学者の違い
  社会学と数学の共通点
  家族社会学を選ぶ男なんていなかった
  後期近代を知るための基本文献
  前期近代から抜け出せない日本
  社会学の目的は辛さに耐える力をつけること
  親同居未婚者の将来


VIII 鈴木謙介先生に「パブリック社会学の役割」を聞く! 182
  鈴木謙介さんについて
  対象や手段を選べるのが社会学
  社会学に定番の教科書はあるか
  パブリック社会学の必要性
  パブリック社会学を担うのは誰か
  社会学を形作った二つの流れ
  社会学の成果をどのように還元するか
  もっと古市君を活用しなさい


IX 橋爪大三郎先生に「社会とは何か」を聞く! 208
  橋爪大三郎さんについて
  「社会とは何ですか」という問い
  「社会科学」と同時に「社会」は誕生した
  飼い猫と、野良猫
  社会を学ぶための最良の学問は社会学ではない
  社会学者は境界を超越する
  天才の仕事から何を学ぶか
  言語ゲームで宗教を分析する
  人類の普遍性に知識を開く


X 吉川徹先生に「計量社会学とは何か」を聞く! 232
  吉川徹さんについて
  計量社会学とはどういう学問か
  計量社会学者は「社会の気象予報士
  見田宗介の社会意識論を受け継ぐ
  「現代日本社会論」という看板
  計量分析はどのように進化しているか
  世論調査に意味はない
  これから起こる日本社会の大きな転換


XI 本田由紀先生に「教育社会学とは何か」を聞く! 256
  本田由紀さんについて
  教育社会学アイデンティティは揺れている
  非認知能力とハイパー・メリトクラシー
  社会学にできること、できないこと
  現代社会はどこがヤバいか
  社会学者に不可欠の資質
  社会を回すために何から手を付けるか
  通念をどのように覆すか


XII 開沼博先生に「社会学の将来」を聞く! 280
  開沼博さんについて
  現場と理論を股にかける
  三・一一で感じた責任倫理
  みんな福島から撤退していった
  現代版『百科全書』の必要性
  古市くん、社会学って何ですか?
  社会学は停滞しているか?
  社会学の可能性、社会学者の出番


おわりに [306-315]
  僕が「社会学者」になったわけ
  「社会学者」の発生
  社会学に未来はあるか?
  それでも社会学は必要だ
  社会学の可能性
初出情報 [316]





【抜き書き】


・I章から、中央の人々の現状認識への危機感を書いた部分(34-35頁)。なお、文中に登場する2002年の調査はUFJ総合研究所によるもの。

小熊  最近の子育てに関する調査(「子育て支援策等に関する調査2014三菱UFJリサーチ&コンサルティング)で、「(地域の中で)子どもを預けられる人がいる」と答えている母親は28%〔……〕。しかもこの数字は。12年前の調査に比べて、30ポイントも落ちている〔……〕。でもこういう変化に対する自覚が、中央に行けば行くほどない。霞が関や永田町は、ほぼもれなく専業主婦のいる人が作っている、古い世界だからです〔……〕。マスコミの人もそうで、2012年の夏にあるテレビ局の人と官邸前抗議を見て回ったとき、「普通の人が来ていますね。子連れのお母さんがいます」というのを聞いて驚きました。
古市  子連れのお母さんというのが、「普通の人」の象徴なんですね。実際は婚姻率も出生率も低下していますし、デモに来られない仕事が忙しいお母さんもたくさんいるでしょうが。


・IV章から、社会学の方法論と、さまざまな社会学の共通の基盤について(pp.89-92)。
 下記の4つの共通点のうち、三番目と四番目は統合できると思う。
 またそれらとは別に、方法論的全体主義を追加しても怒られなさそうだ(Methodological Holism in the Social Sciences (Stanford Encyclopedia of Philosophy))。

古市  〔……〕この企画の意図もシンプルなんです。社会学は範囲が広いし、研究者によって研究の中身も全然違うから、いろいろな社会学者に「社会学って何ですか」と尋ねてみようと思ったんです。
仁平  たしかに社会学者の数だけ社会学の定義があると言われます。でも、大学で行われているトレーニングという点では、結構似たようなことが教えられているんじゃないかな。
 とすると、方法論の部分から見たほうが、社会学の特徴は見えやすいだろうというのが僕の考えです。
古市  方法論から考えると、社会学の共通点って何なんですか?
仁平  経験的研究について言えば、学問的に正当化された方法的手続きに則ってデータを収集し、分析し、解釈し、含意を示す。そのうえで反論に開く。テーマを問わず、ここは共有されてる部分だよね。
古市  でも、方法論に従えば、いい研究ができるわけじゃないですよね。
仁平  うん。それぞれの方法論には、社会とは何か、どう捉えるべきかに関する前提が組み込まれていて、いい研究と言われるものは、その部分への自覚や理解が深いように思います。
 方法論にもいろいろあるけど、比較的共通するエッセンスとして、少なくとも次の四つがあるかな。
 一つは、「男は戦う生き物」みたいな本質主義は取らず、物事は言語的意味的に構成されているという見方。
 第二に、物事の意味は関係性の網の目のなかで決まり、その布置は時代や集団によって変わるという見方。
 三つ目は、個人の行為は社会的な要因によって影響を受けると同時に、その個人の行為に よって社会は差異を孕みながら再生産されていくという見方。そして最後に、研究者も社会の外部に立てず、研究や発言はその再帰的なプロセスに組み込まれていることへの自覚。
 こうしたものが、社会学の共通財産として、「センス」や「いい研究」と言われているも のの土台をなしているんじゃないかと思うんです。

古市  その四つって、社会学の教科書にもけっこう書いてあるじゃないですか。それができる人とできない人がいるということですか?
仁平  うーん、適切なトレーニングを受け、真摯にデータに向き合い、理論との対話を重ねるなかで、修得していくものだと思うけど。
 ただ、それがどこまで身体化されてるかは別問題ですね。たとえば、講義では性別役割分業の神話について話しながら、家では「オレ仕事して疲れて帰ってきたんだから飯作っとけよな」と言う奴のガッカリ感は半端ない。


・VI章から、構築主義についての違和感が語られる部分(pp145-146)。

古市  大澤さんの本を読むと、「普遍性」に強いこだわりがあるように感じられます。それだからかもしれませんが、九〇年代以降に日本で流行った構築主義には一定の距離を置いて いる印象があるんですが。
大澤  やっぱり理論というものは、定義上普遍的じゃないといけないので、普遍性を追求することにはこだわっています。いま指摘してくれたように、構築主義はいかがなものかと思っていますよ。
 構築主義というのは、僕らが持っているある観念が、歴史的・社会的に構築されてきたということを明らかにしていくわけですよね。たとえば、現代人が知っている意味で「ネイション」という言葉が使われるようになったのは、ヨーロッパでは一九世紀以降であることがわかる。そうすると、「ネイション」という概念は近代の産物だということになる。
 こういう議論が一時、社会学ではものすごく流行ったし、いまでも社会学者の基本的なスタンスになっているところがあります。
 でも、構築主義を突き詰めていくと、どうしてもアポリア(隘路)にぶつかってしまう。構築主義的な思想を展開したミシェル・フーコーは、「人間という概念は一九世紀の発明物である」と言って、西洋的な知の枠組みは、一七、一八世紀の「表象」という概念から、一九世紀になると「人間」に変遷していったと論じています。
 そうなると、「表象」と「人間」を比べる共通の土台が前提とされますが、この土台自体 は、構築されていないんですよ。だから、構築主義的な議論を組み立てる場合、構築された ものと構築されていないものの間に、どうしても恣意的な境界線が入り込んでしまう。もちろん、構築主義側からの反論はあるけれど、基本的には、構築主義は少なからず自己矛盾を含んでしまっているわけです。
 だから、ある観念の歴史的な起源が予想以上に浅いことを発見する構築主義に認識上の価値は認めますが、何でもかんでも構築主義で説明しようとするのは、あまりにも能天気な感じがします。


・ VII章から、社会学者の条件について(pp.166-168)。

古市  肩書は関係がないということですか?
山田  そう思います。私の印象で言うと、日本でいちばんの社会学的研究をしている人々は、官僚ですよ。
古市  官僚?
山田  だって現実の社会問題を分析して、そこから原因、結論や政策をくみ取る仕事を毎日しているわけじゃないですか。
古市  たしかにそうですね(笑)。
山田  ただ、官僚は四〜五年でつねに異動するので、一つのことにずっと専門で関わることはできない。そこはアカデミックな社会学者と違う点かもしれません。
古市  じゃあ必ずしもマートンルーマンを読まなくても、社会学者になれるということですか?
山田  いや、そういう理論的な本を読むことも社会学者にとっては大切です。学生に説明するときにも、社会学理論や社会学史のように、社会学全体を基礎づけるような社会学と、社会の現実的な問題に向き合う社会学という二つがあるという話をします。
 社会学者の中には、その両方を研究している人もいるし、私のように前者を勉強して、後者で発信していくという人もいる、と。だから社会学の発展にとっては、理論的な研究ももちろん必要です。


・XI章から、本田由紀氏の問題意識について説明した箇所(269頁)。下線は引用者による。

古市  そのヤバさの根っこは何なんですか。
本田  私の考えでは、戦後日本社会でできあがってしまった、教育・仕事・家族という三領域の独特な循環構造です。
 たとえば仕事は、正規雇用による年功賃金のもとで、家族に給料を届ける役割を担い、家族は得た収入を、子どもに高学歴や社会的地位を得させるための膨大な教育費へ投じる。そして教育は、新規学卒一括採用の名のもと、若い労働力を仕事の世界へ送り出すことを担う。こうして仕事→家族→教育→仕事→……という循環で回してきたのが、戦後日本社会の「かたち」です。これを私は「戦後日本型循環モデル」と呼んでいます。
 現在の日本社会は、このモデルで回すことができないのに、望ましい生き方に関する価値や規範、発想は、古い循環モデルに準拠してしまっている。そのために、循環モデルのあちこちからこぼれ落ちて、苦しむ人々が増えている。
 ここに問題の中心があるというのが、私の診断です。
古市  その古い社会モデルは、どうすれば変わるんでしょうね。変えるために、いちばんカを込めている提言としては、どんなものがありますか。するための
本田  私の提案は、循環モデルを新しい社会モデルに結びなおすことなので、特定のどこかをいじればいいという話じゃないんです。