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『貧困を救えない国 日本』(阿部彩, 鈴木大介 PHP新書 2018)

著者:阿部 彩[あべ・あや](1964-) 社会政策、貧困・格差の研究。
著者:鈴木 大介[すずき・だいすけ](1973-) ライター。
編集協力:オバタ カズユキ(1964-) ライター。
NDC:368.2 社会病理 >> 貧困


貧困を救えない国 日本 | 阿部彩著 鈴木大介著 | 書籍 | PHP研究所


【目次】
まえがき [003-005]
目次 [006-014]


第一章 間違いだらけの「日本の貧困」 015
日本に貧困はないと思っている人たち
なぜ貧困層に厳しい意見が多いのか
「貧」と「困」を分けて考えよう
日本には本当に「絶対的貧困」の家庭は存在しないのか
貧困家庭は、ひとり親よりふたり親世帯の割合のほうが高い
三世代世帯も安泰ではない
男性高齢者の貧困率は、むしろ改善している
女性の貧困問題が「若い女性の貧困問題」にすり替えられた
『最貧困女子』刊行後の落胆
女性の貧困問題を子育ての問題にすり替えるな


第ニ章 なぜ貧困を放置してはいけないのか? 025
「旅をする人類」仮説
人材投資論
裕福な高齢者をどう説得するか
社会悪化論
階級社会化仮説
男性というだけで大変なアドバンテージがある――生理の問題
ブラック企業が働けない人を量産している
かつては子どもより高齢者の貧困率のほうが高かった
昔は子どもが親に仕送りをしていたことが知られていない
政治家が動いた
おばちゃんのパワーと限界
子ども食堂もいいが、中学校の給食も必要


第三章 誰が貧困を作っているのか? 089
新築の家、結婚式、教育産業――「強制出費」の悪者たち
奨学金制度と進路指導の先生
幼稚園業界と政界
発達支援やコミュニケーション能力向上プログラムが必要
他人と会話するのが苦手な子が労働市場から弾き出されていいのか
劣悪な労働条件でも働けるようなマインドづくり
自分に合った仕事とは
保育士は誰でもできる仕事だと思われている
官僚に責任転嫁したくない
かつて開拓や炭鉱に動員された貧困層の子孫が、やはり貧困層となっている
どうにもならない部分はある
町内会と地方議員の権力
地域ベースでは、コミュ障の人は救われない
男性のいない世帯が支払う「出不足料」


第四章 メディアと貧困 137
ウェブメディアはなぜ貧困ネタを好んで掲載するのか
新聞記者の限界
テレビによるコンテンツ消費
大多数の読者、視聴者の「腑に落ちる感」を着地点にしている
「ぱっと冷蔵庫を開けたときにモノが入っていたら批判が起こる」
昔から社会的弱者は、笑いのコンテンツの中に入っていた


第五章 精神疾患が生み出す貧困 157
なぜ中高年女性の貧困について書かないのか
離婚女性はDVで精神を破壊されている
貧困問題と精神科医療の未発達には深い関連性がある
休息が必要不可欠――認知行動療法というアプローチ
スキーマ療法の可能性
パチンコとスマホ――規制の議論
報酬感情を得るための、段階を追った就業支援が必要
「何をすれば嬉しいのかわからない」のが貧困


第六章 地方の貧困と、政治を動かす力 185
独居老人と子どもの貧困 
ソフトヤンキー
ソフトヤンキーは仲間に入れない貧困者に対する差別意識が強い
親の面倒もよく見る。東京に出たらアウト
東京都は貧困を語らない
保守化する若者たち――インターネットによる先鋭化
震災で、左翼がオカルトになってしまった
政治家も官僚も、世論を恐れている
芸能人生活保護受給騒動と年越し派遣村


第七章 財源をどこに求めるか 216
住宅手当、児童手当が少なすぎる
日本人は税金をきちんと払ったことがない
六割の人が「生活が苦しい」と言っている
「国の無駄遣い」という批判
国民が「社会保障は充実していない」と考える理由
生活保護も、無駄が出て当然
年金制度のマクロ経済スライド方式は画期的
財源は消費税――高齢者の納税額が少なすぎる
国民年金支給額を減らしていいのか


第八章 支援者の問題 249
子どもと児童養護施設児童相談所の距離感
専門職ではない、人数が足りない、医療との連携不足
ケースワーカーと関わるほど精神的にきつくなる
貧困対策は雇用対策でしかなかった
土木が貧困対策になりにくい時代
ごちゃまぜな生活保護
児童専門員の設置
国が行おうとしているのは学習支援
生活保護世帯の子どもたちに対する学習支援
高校生になっても行ける居場所が必要
アメリカでは高所得者の子どもがアルバイトをしている


第九章 貧困対策を徹底的に考える 287
「タバコ規制」と「肺がん治療」の違い
貧困層への学習支援とは居場所づくりである
貧困対策の対象をどこに置くか
「九%の層」には何が必要か
日本の公営住宅――辺鄙なところに造って現在は孤立化
マイホーム願望
精神科を生活保護の窓口にすべき――生活保護の捕捉率を上げる
学校での逃げ場所が必要
「生活困窮者自立支援法」と「社協
社協で働いている人たち
マッチングサービスが打開策になる


対談を終えて [330-332]




【図一覧】
図 世帯所得の分布(2017) 019
図 相対的貧困率の推移:1985-2015 031
図 子ども(20歳未満)の相対的貧困率の推移:世帯タイプ別 037
図 相対的貧困の子どもの世帯構成(平成28年度) 037
図 子どもの年齢層別の相対的貧困率(2015) 041
図 男性の年齢層別の相対的貧困率の推移(1985,2012,2015) 045
図 女性の年齢層別の相対的貧困率の推移(1985,2012,2015) 045
図 勤労世代(20-64歳)の女性の相対的貧困率(1985,2012,2015) 049
図 勤労世代(20-64歳)の男性の相対的貧困率(1985,2012,2015) 049
図 中流社会から不安社会へ:生活意識の推移 227
図 親の年収と小学6年生の学力の関係(2009) 291




【抜き書き】

pp. 30-35 「貧困線」の話。

阿部  日本人の貧困イメージは間違いだらけですね。いくつかデータを持ってきたので、ちょっと説明させてもらっていいですか。

鈴木  はい。ファクトに基づいて、貧困の実態をどんどん可視化していきましょう。

阿部  まず、日本の相対的貧困率ですね。最新の厚労省データですと、2015年のものしかないのですが、社会全体の相対的貧困率が15.7%[※図 相対的貧困率の推移:1985〜2015]で、十七歳以下の子どもが13.9%です。この値は、OECD(経済協力開発機構)諸国の中では中から高。35カ国中子どもでは23位ですが、社会全体では28位です。なお2015年の場合、「相対的貧困率」は、手取りの年間所得がひとり暮らし世帯で122万円以下、4人世帯で244万円以下の世帯を指します。

鈴木  衣食住や衛生において最低限の水準を満たしていない生活状態にある貧困レベルを絶対的貧困と言いますよね。わかりやすく言い換えると、そのまま放っておいたら餓死してしまいますというレベルの貧困。この対談の冒頭で、自民党幹事長が「(日本には)食べるのに困るような家はないんですよ。実際は」としゃべっていたと話しましたが、その「食べるのに困るような家」というのは、絶対的貧困をイメージしているんだと思います。実際、日本の絶対的貧困についてはどんな調査がされているんですか? 

阿部  調査はないんですよ。それは、絶対的貧困は定義ができないから。ただ、絶対的貧困は問題で、相対的貧困が問題じゃない、と二つを別々に考えること自体が現代日本においては当てはまらないと私は考えています。実は、二つは同じなんですよ。レベルの違いだけです。

鈴木  大変同感ですね。自民党の幹事長だけでなく、多くの人は「貧困貧困と騒いでいるけど、この国で餓死者がいるわけでもないのに大げさな」と感じている気がするんです。でもね、相対的貧困率が13.9%もあれば、絶対的貧困も相当な規模であるというのが僕の持論なんですよ。何でかというと、親が相対的貧困レベルの所得の世帯には、多くの場合「時間的貧困」も併発しています。つまりたくさん働いて、家にいる時間が確保できない。心理的余裕もない状態で、子どもの面倒をまともにみている時間も余裕もなく、ネグレクトが発生することが大いに考えられますよね。
  結果、例えば、子どもに現金だけ渡して数日不在だとか、買い置きの食材を食べておきなさいと言って帰宅しないとか、そういうケースもあります。けれども親不在の間にお金や食材の管理ができる子ばかりじゃないから、親が帰らない間に何も手元になくなってしまった子どもは、当然お腹が減ります。たとえ一日でも一晩でも、飢えは辛い経験です。この瞬間に、確実に日本に飢餓が存在しているわけです。
  僕の取材はそうした生い立ちがあってその後に社会的に逸脱した子をターゲットにしていましたが、取材対象者の共通点は子ども時代に一晩でも「飢えた」経験をもっていることでした。典型的なケースはお腹が減ってどうしようもなくて、コンビニのおにぎりやパンを万引きした経験。もちろん実際食品を盗むことを覚えると他のものも盗むし、同じような環境にある子たちで互助的な非行グループを形成するし、グループになれば恐喝したりで、とんとん「良い子」じゃいられなくなってしまう。でも問題なのはその子たちの逸脱した行動じゃなくて、その子らががそうなるまでの背景なんですよ。そこには確実に、絶対的貧困状態が相対的貧困家庭の子の多くは一晩でも絶対的貧困状態を経験している可能性がある。これは声を大にして言いたい。


 〔……〕


阿部  実は絶対的貧困相対的貧困って、そんなに違う概念じゃないんです。例えば、餓死は確かに絶対的貧困かもしれませんが、多くの、いわゆる「絶対的貧困」論者だって、「餓死しなければOK」と思っているわけじゃないでしょう。「最低限の食事」くらいに思っていると思います。
  でも、その「最低限の食事」って何ですか? ゴミを漁って、腐りかけた残り物を食べることですか? 賞味期限が切れたコンビニの廃棄弁当をもらってくることですか? 相対的貧困に対して厳しい意見を言う人だって、さすがに、日本の子どもが腐ったお弁当食べなくてはいけない状況だったら、「何とかしろ」と言うのではないですか? 「最低限の食事」って、せめて、お米のごはんとか、毎日じゃないにせよ、二日に一回は肉か魚が主菜で、お味噌汁がついて……って思い浮かばないですか? 実際に、日本全国の小学校でそのような食事が「正しい食」だと食育で教えています。私たちは、明日死刑を迎える人にもそのような食事を出しますよね。でも、なんで、そのような食事が「最低限」と考えるかというと、それは、私たちが「通常の日本の食卓」をベースにものを考えているからです。
  これっていうのは、相対的貧困概念なんです。「普通に比べて……」というのは、絶対的な概念ではないんです。私は、「絶対的貧困だけが問題で、相対的貧困は問題じゃない」という人たちは、何が絶対的で、何が相対的なのかはっきりと意識しないままものを言っていると思います。
  実際に、「相対的貧困」に含まれる子どもたちには、野菜を摂れていない子どもや、毎日、ごはんと納豆しか食べられない子がいます。お母さんが食べ盛りの中学生に「おかわりしていいよ」って言えないお宅があります。栄養学の先生と一緒に、子どもが何を食べているのか綿密に調べたら、タンパク質やビタミン、鉄、亜鉛などのミネラル、それから総エネルギー量さえも、貧困の子とそうでない子には差がありました。それでも、「絶対的貧困論者」の方々は、相対的貧困を問題じゃないと言うのでしょうか?